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トップページモバマス > 【モバマスSS】 奏「Chapter1」

1: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:18:13 ID:b4U


ふと、我に返る。
咄嗟に壁掛け時計を見ると、時針は十時を五分過ぎたところであった。

真夏日がそれなりに顔を覗かせに来た七月。いくら空調が効いているとはいえ、五時間も踊り明かしたレッスンルームには、私一人分の熱、蒸気が圧縮され、頭頂から沸々と湧く汗が髪から頬へと伝い、そして顎の先から一滴の雫となって、ぽたりと落ちた。

あと二十分もしないうちに、事務所は消灯時間を迎える。私は慌ててレッスンルームの照明を落とした。シャワーで汗を洗い落とす時間はないので、レッスンウェアから制服にそのまんま着替え、階段をニ、三段抜かしながら駆け下りる。


転載元:【モバマスSS】 奏「Chapter1」
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1500088693/

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2: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:19:03 ID:b4U


こんな時間まで居残りで自主練習をしたことなど、今の一度もなかった。プロデューサーが出張で事務所にいない今だからこそ、こんな時間まで居残ることが出来た。普段ならこうはいかない。暗くなると危ないから、ともうニ、三時間は早めに帰宅を促される。

事務所の玄関を潜り抜けた途端、むわあっとした湿気交じりの空気が身を包み、レッスン後の汗に塗れた身体にべたりと纏わりついてくる。もう少し早くに時間の経過に気がついていれば、シャワーを浴びる時間くらいあったのかもしれないと思うと、酷く気分が萎えてくる。


3: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:19:59 ID:b4U


そういえば、鏡を見てくるのを忘れた。化粧が汗で落ちているかもしれない。
化粧は薄めの方だけれど、半端に落ちかけたメイクほどみっともない姿はない。私はカバンの中からクレンジングシートを取り出し、軽く顔を撫でた。頬に僅かな清涼を取り戻す。
薄っすらと紅の染みたクレンジングシートをティッシュペーパーで何重にも包み、それをカバンの奥にそっと隠して、事務所を後にした。


4: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:21:24 ID:b4U


事務所の前の道は勾配の緩い坂になっていて、そこをしばらく登っていくと丁字路に出る。右手に曲がると、飲食店や商業施設の立ち並んだ目抜き通り。
左に曲がると、アパートや中型のマンションが雑多に佇む錆びた住宅街。最寄駅を目指すのであれば、目抜き通りを道なりに向かえばいい。
しかし、電車に乗るのは憚られた。人ごみを避けたいという理由もあるが、電車内という逃げ場のない状況で、すっぴんの顔を晒すのも、汗だくの姿を見られるも嫌だったからだ。
速水奏という、一人の女として嫌だった。

だったらタクシーを拾って帰ろうか、とも思ったけれど、それもなんとなく気が引けた。

私は丁字路を左に折れ、住宅街方面から歩いて家に帰ることにした。ニ十分も歩けば着くだろう。
鬱積した感情をすり減らしたい気分でもあったので、丁度良かったのかもしれない。


5: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:22:21 ID:b4U


時間も時間なだけあって住宅街の人通りは疎らだった。

こんな時間にこの道を通るのは初めてかもしれない。とても、とても静かだ。建物ひとつ跨いだ先には、それなりに交通量の多い道路があるはずなのに。
街灯が今だじっとりと濡れた大気を淡く照らし、そこに重ったるく羽ばたく一匹の蛾。
黒く落ちた路地裏。転々と燈っている自動販売機。コンビニエンスストアのキツいLEDの白。

不思議なことに、そのすべてに黄緑色の薄ぼんやりとしたフィルターがかかって観える。
この光景を、どこかで見たような気がした。
映画だったように思う。古い映画……。そう、あれは確か、古い映画のワンシーン……。


ぴぃぃん……………と、耳の中の無音がこだましているのを聴きながら歩いていた。
ぴぃぃん…………。ぴぃぃん…………。
だんだんと、自分の足取りが覚束なくなる。
いいえ、それは錯覚で、足元に視線を落とすと、しっかりと歩いている。
ぴぃぃん…………。ぴぃぃん…………。
無音は幾音にも響き、しかし一本の線のようにも聴こえて。そして……。


「あら……、奏ちゃん?」

と、聞き覚えのある声と混じった。


6: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:23:14 ID:b4U


突然の呼びかけに一拍遅れて振り返ると、丁度今過ぎたばかりの曲がり角から、柊志乃さんの姿がちらりと見える。
ライトグレーのマキシ丈のワンピース。コンビニ帰りだろうか。ビニール袋を右手に、志乃さんはゆっくりと近づいてくる。

「汗だく……。奏ちゃん、大丈夫……?」

そう言って、私の頬に左手を当て、心配そうに顔を覗き込んでくる。志乃さんは、頬をほんのりと紅く燈らせていた。
この暑さのせいかとも思ったけれど、鼻腔をくすぐるバニラめいた香りから察するに、ワインかなにかを一杯飲んできているのでしょう。

「奏ちゃん、いつも電車だったでしょう。どうしてこんなところに……。」

「なんとなく……、歩きたかったのよ。」

私はなんともないような素振りで、ふふっと笑ってみせた。
しかし、上手く笑えていなかったのか、これがどうも志乃さんの不安を助長させてしまったようだ。

「目が虚ろね……、脱水症状かもしれないわ。私の家、すぐそこなのよ。休んでいきなさい……。」

離れていく白いしなやかな手。ひやりとした頬に、アルコールの甘い香りが残った――――。


8: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:32:54 ID:b4U

――――――――――――――――――
――――――――――――――
――――――――――
――――――


数メートル程歩くと、赤茶色をしたタイル張りの小さなマンションの前に出た。
エントランス前には夕焼けのような照明が、少し眩暈を覚えるほどに煌々としている。
植込みのキンマサキの葉にはカナブンが一匹、身動きもせずに、ただじいっと、緑褐色の中に照明を反射させている。


マンションはオートロックになっていた。
志乃さんはポケットからわざとらしいくらいに黄色く塗られた鍵を取り出し、鍵穴にそれを差し込み捻ると、分厚いガラスの扉が重ったるしく開いた。
そこから志乃さんに肩を軽く押されながら、ゆっくりとエレベーターに乗り込んだ。


9: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:33:54 ID:b4U


エレベーター内には大きい姿見鏡が備えられていて、そこで私は初めて、ぐっしょりと湿り気を帯びたワイシャツに軽く浮き出たブラジャーのラインと、頬に薄く残ったチークを確認したのであった。
志乃さんとは気心の知れた仲とはいえ、こんな姿を見られているのは、なんとも言えない気恥ずかしさを感じる。私は他愛のない言葉でその気恥ずかしさの誤魔化しを図ることにした。



「ねえ、どうして鍵が黄色なの?」

「これね……、漫画みたいでしょう。」


そう言って、志乃さんは指先で鍵をチラチラと揺らした。
見れば見るほどに、黄色のわざとらしさがよく目立つ。


「可愛いわ。泥棒の鍵みたい。」

「でしょう?うふふ……。それにね、部屋の中で失くしても、すぐに見つかるのよ。」

「そんなに散らかっているの?」

「まさか。物が散らかったままなのは、良くないわ。」

「でも、失くしちゃうのね。」

「綺麗に整理整頓していてもね、物って失くすのよ……。でも、気が付かないだけで、実はすぐ近くに、ひょこっと在るものなのよね……。だから、見つけやすいように、黄色なの……。」





10: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:35:31 ID:b4U


エレベーターを降り、廊下の突き当りまで進むと、柊と書かれた表札が見えた。
志乃さんは先ほどの鍵で扉を開けると、そそくさと部屋の中へと入っていった。
少しキョロキョロと玄関を見渡しながら、私も後に続いた。

間接照明が淡く照らすフローリング貼りの八畳程の部屋。
白い壁に掛けられた違い棚には、見るからに高そうなウイスキーの壜が並んでいて、その横に馬に乗ったジョッキーのブロンズフィギュアと、いろんな店名の書かれたコースターが飾られていた。




一枚一枚捲りながらコースターを眺めていると、ほどなくして、スポーツドリンクのペットボトルを手にした志乃さんがキッチンから姿を現した。


「これ、飲みながらシャワーを浴びていらっしゃい。浴室は玄関の横……。制服は、洗ってしまいましょう。洗濯機に放り込んでおいて。」


志乃さんはペットボトルを私に手渡すと、奏ちゃんに見合う服はあったかしら、と寝室になっているであろう部屋の奥へ再び姿を消した。

渡されたスポーツドリンクを一口含む。
驚くくらいに、するすると喉の奥へと入り込んでいく。普段飲むよりも数倍甘さが際立っているように感じる。
一呼吸つく頃には、容器の半分が無くなっていた。

それから、志乃さんに言われた通りに服を洗濯機に放り、シャワーで汗を流した。
私が普段浴びるよりも、温度が高い。
白いタイル貼りの浴室は、より一層、白く染め上げられていった――――。


11: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:39:18 ID:b4U


――――脱衣所に綺麗に畳まれていたネイビーブルーのロングワンピースに着替え、リビングに戻ると、白ワインを飲んでいるの志乃さんの姿が目に入った。

部屋の東側に取り付けられた大きな出窓の棚状部分に浅く腰掛けて、物憂げに宙を観ていた。


「ありがとうございます、着替えまで用意してもらって……。」

「窮屈じゃない?」

「全然。体型が似ていてよかったわ。」


志乃さんは柔らかく目元を綻ばせると、グラスに口をつけた。
その様子があまりにも絵になっていたので、ちょっとの間、見蕩れていたのだけれど、いつまでもそうしているわけにもいかず、テレビ前に置かれた二人掛けのソファーに腰を下ろした。


12: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:40:12 ID:b4U


テレビスクリーンには古い映画が映し出されていた。画面一杯に広がる南仏の海の青と、その前には若い男女が二人。


「気狂いピエロ……。」

「あら、やっぱり知ってた……。夏になるとね、これを観ながら白ワインを飲むの。奏ちゃん、映画が好きでしょう?」

「ええ、好きよ。この映画も大好き……。」

「うふふ……、だと思った……。」


それからはしばらく、静かに映画を観た。

静かに……。

静かに……。


13: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:41:09 ID:b4U

――――――――――――――――――
――――――――――――――
――――――――――
――――――



『私の運命線の短いこと  手の中に幸運が少なくて  明日という日が恐ろしいの』

映画の中では女優が、その陽気さに身を任せながら真っ赤なワンピースを揺らし、歌っている。
私は無意識のうちに、自分の手のひらを親指でなぞっていた。私はどの線が運命線なのかを知らない。訳も分からずに、ただただ手のひらをなぞらせていた。

ちらっと志乃さんの方に視線をやると、目が合った。志乃さんはくにゃ、と目尻を下げると、私に向かって、おいでおいでをした。
私はそれに釣られるように、志乃さんの隣に腰かけた。

「お手々、出して」と、まるで幼児をあやすように催促される。嫌な気分は全くしなかった。
左手を差し出すと、志乃さんはそれを右手で柔らかく握った。白ワインのせいなのか、その右手は先ほどとは違って、温かかった。


「奏ちゃん、あなた、恋愛映画が苦手なんですってね……。」

「…………。」


志乃さんはまるで、悪戯を覚えたばかりの子猫のように、ころころと喉を鳴らした。


14: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:42:12 ID:b4U


「……そうかもしれないわ。」

「うふふ……。なんでだか、当ててあげましょうか?」

「…………。」

「憧れているからでしょう。スクリーンの中のヒロインに。それで、そんな風になろうとしている自分自身と比較して、気恥ずかしくなっちゃうのよね……。」


私は一気に耳が熱くなるのを感じた。耳の温度と反比例して下がった、胸骨の冷たさも一緒に。
しかし、志乃さんの微睡を帯びた瞳を見ていると、ゆっくりと平常心が戻ってきた。



「奏ちゃんは、昔の私に似てるわ……。」

「志乃さんに……?」

「そう……。私もね、大学生ぐらいの時は、そうだったのよ……。奏ちゃんは、おませさんね……。」


お酒を飲みだしたのも、その時だったかしら、と志乃さんはグラスを傾ける。滑らかな喉元が小さく動いた。


「だからね……。なんとなく、分かるのよ、奏ちゃんのこと……。」

「私の……。」



「奏ちゃん、なにか焦っているでしょう。」


15: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:45:36 ID:b4U


ズバリ、的を射ていた。それは、先ほどのレッスンルームの蒸気が全身を包んだような錯覚を起こすほどに私を揺さぶった。
思わず引っ込めそうになった手を、志乃さんの右手が優しく引き留めた。


「……分かっちゃうものなのね」


私は、へらっと笑いを作った。志乃さんは、手を優しく握り返すだけだった。


「私はね、パロディなの。古い映画のパロディ。小説のパロディ。一生懸命に憧れる姿に似せようとして、そしたらアイドルにまでなっちゃったわ。」


包まれた手に意識が集中するのを感じる。今、この右手を離されてしまったら、震えだしてしまいそう。


「アイドルになった後も、私はパロディだった。業界の先輩アイドルのパロディ。事務所のみんなのパロディ……。頑張って、真似したわ。」


でも……、と言葉が詰まる。志乃さんは何も言わずに、私の言葉を待っていた。


「でも、でもね……、つい先日、目標としていた先輩のアイドルが引退したの。それを機に、自分を振り返ってみたわ。」


話しながら、一滴の汗が頬を伝うのを感じた。


「そうしたら、私の置かれている状況が良く見えるようになった。事務所のみんなは、どんどんと新しいステップへ……。そして私も、気がつかないうちに新しい段階に踏み込んでいたの。」


薄っすらと、映画の音楽が耳を掠める。


16: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:46:42 ID:b4U

「大きなステージで歌うことも出来るようになった。ファンもたくさん増えた。私は、いつの間にか、アイドル速水奏として……。オリジナルであることを求められる立場になってしまったの。
 私はもう、パロディのままでいられることが出来ない……。怖いのよ。私を、私自信であることを曝け出すのが、怖いの……。」


ぎゅうっと、志乃さんの右手が強く握ってきた。


「私というものが、よくわからなくなった……。そうしたら、いつも踏めていたステップが踏めなくなった。何百回と歌ってきた歌を外すようになった。だから、だからね……。」


それ以上、言葉を発しようにも、私の喉からはもうすでに言葉が枯れていた。

だから、だからね……、だから……。



『ドカン!!!!』


17: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:47:23 ID:b4U

爆発音が鼓膜に響いた。私も志乃さんも、思わず「きゃあっ!」と悲鳴を上げてしまった。

爆発音は、映画の中からだった。映画のラスト。主人公が、崖の上で爆死してしまうシーン。
そして、アルチュール・ランボーの詩とともに、映画は終わった。

しばらく呆気に取られていた。すると、志乃さんがぷっ、と吹き出し、お腹を抱えて笑い出した。
そんな姿を見ていると、私もつい釣られて、笑い出してしまった。


18: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:49:34 ID:b4U

ひとしきり笑い終えた後、志乃さんは白ワインを一口飲み、再び手を握った。


「やっぱり、奏ちゃんはおませさんね……。」

「そう?」

「ええ、おませさん……。安心しなさい。みんな、そういうものなのよ……。あなたが新しい一歩を踏み出すように、私たちが新しい一歩を踏み出すように、ファンの人達も新しい一歩を踏み出し始めている。
みんな、ちゃあんと、受け入れる準備を始めているの。焦る必要なんてないわ。ワインと同じ……。ゆっくり、じっくり、たっぷりと寝かしたワインこそ、極上の香りになるのよ……。」

「私は……どんな香りになるかしら?」

「それは……、今からゆっくり寝てからのお楽しみね……。うふふ……。」


さあ、寝ましょうか、と志乃さんは寝室へと消えていった。私も後へ続こうと立ち上がる。

ふと、出窓の淵に置き忘れられた空のワイングラスが目に入った。上等なワインほど、長い余韻が残るという。

未成年の私は、まだお酒を飲めない。

なので、今日この短い夜のひと時と、さっきの映画のラストシーンに浸りながら、ゆっくりと眠ることにしましょう――――。




『 見つけた  何を  永遠を  手を握り合う  太陽と海を  』 

 アルチュール・ランボー作 「永遠」 より




 終


19: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)12:52:43 ID:b4U

これにて終了です。
少ないですが、お家賃を払いに来ました。
こちらで書く時は、お行儀の良い作品にしようかと思います。



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