スポンサーリンク

トップページモバマス > LiPPS「MEGALOUNIT」 後



408: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:15:55.52 ID:Ae62FiCR0

【8】

 (■)

「――何か、用でしょうか」

 呼び止められたその人は、ウェーブがかった黒髪を揺らしながら振り返った。

 訝しがる訳でも、プロデューサーのトゲのある声に対して怒る訳でも無い。
 ただ無表情なのは、そう努めているに過ぎないことが、私から見てもよく分かった。


「――俺が聞きたいこと、何だか分かるよな」

 プロデューサーは、厳しい表情をさらに険しくさせている。
 感情を抑えきれていない。

「僕に、ですか」
「そうだ。言いたいことだってたくさんある」

 彼は鼻を鳴らした。ため息だった。無表情は変わらない。

 いや――少し、寂しそう?


「奇遇ですね。僕もあなたに言いたいことがあるんです」


前回
LiPPS「MEGALOUNIT」 前


409: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:17:31.53 ID:Ae62FiCR0

「俺に?」
「えぇ。立ち話もなんですし、場所を変えましょう」

 そういうと、彼はタクシー乗り場へと向かった。

「一度、事務所に戻りましょうか。その方がたぶん、話が捗るかと」


 言われるがまま、私達は先ほど来た道を引き返すように、タクシーで移動した。

 私とプロデューサーは後部座席に。
 チーフは、助手席に座る。


 事務所に着くまでの間、車内は終始無言だった。

 プロデューサーは、腕を組んでジッと窓の外を睨んでいる。
 ピリピリした雰囲気を醸し出している彼は、ボンヤリしている普段のそれとは明らかに異質だ。

 チーフは、どんな心境なのか――ここからでは表情も読み取れない。
 シートにもたれ、ただまっすぐ進行方向に顔を向けたまま、微動だにしない。


 何か、二人の間にあったのかしら。


410: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:20:26.52 ID:Ae62FiCR0

「ふぅ。さて――」

 事務所に着く頃には、車軸を流すような大雨になっていた。

 本棟1階のラウンジに3人席を見つけ、そこに腰を下ろしたところで、ようやくチーフは一声を発した。

「何からお話しましょう。いや――そもそも僕に用があったのは、あなた方でしたね」


「まず、単刀直入に聞くが、一ノ瀬さんと何があった? というより」

 運ばれてきたコーヒーに手もつけず、プロデューサーは身を乗り出した。
「一体何をした。何を彼女に吹き込んだ」


「吹き込んだというのは、誤解です」
「誤解?」

 ゆっくりと、コーヒーを一口啜ってから、チーフはかぶりを振った。

「志希ちゃんと僕はお互いに利害が一致していた。協力関係を結んでいただけです。
 人の心を理解すべく、たまたまアイドルの世界を覗いてみたいという彼女に、その機会を提供する代わりに協力を仰いだんです」

 そう言って、彼は私の方をチラッと見た。
「奏ちゃんにも、聞かせて良い内容なのかどうか、ちょっと僕には自信が無いんですが」


411: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:23:42.36 ID:Ae62FiCR0

「いいえ、最後まで聞かせてもらうわ」
 ここまで来て、事の顛末を私だけ知り得ないなんて許されない。
 何より、私の仲間――LIPPSのメンバーに関することなら、なおさら聞かせてもらう他は無いもの。

「あなたは、それで良いんですか?」
 彼がプロデューサーに尋ねる。

 プロデューサーは、ようやくコーヒーにミルクを入れながら、答えた。
「彼女に聞かせられないような内容なら、そもそもこんな人目に付く所で話さなきゃいい」

「分かりました」


 チーフは、一つ息を吐いて、少し俯いたまま語り出した。

「個人的に、僕がすごく嫌だなと思っていたのは、いわゆる業界の裏側でした。
 アイドル業界なんて、結局は予定調和ばかりで、お偉方のお気に入りがいれば、その子ばかりが重用されていく。
 もちろん、そういう側面が全てとは言いませんが、その余波でチャンスを得られずに涙を呑む子達があまりに多いんです」

「あんたが以前担当していた城ヶ崎さんは、そうではなかったはずだが」
 プロデューサーが質すと、彼も首肯した。

「もちろんです。美嘉ちゃんは僕が手塩にかけて育てた子ですが、それ以上に彼女には才能も、向上心もあった。
 一方で、美嘉ちゃんはそれこそ、事務所の都合でキャラ付けされ、ゴリ押しで売り出されたようなものでした。
 それでも、彼女は全てを理解して、腐らず、弱音も吐かず、一途にコツコツと実力と実績を積んで来たんです」


412: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:26:43.46 ID:Ae62FiCR0

「美嘉が――」
 私は、一瞬言葉を失った。
 あの子がゴリ押しで、というのも含め、そのような泥臭い時期もあったのかと、今更思い知らされた。

「ゴリ押しされずとも美嘉ちゃんは十分評価されるはずなのに、不自然な売り出し方になったのが僕には悔しくてならない。
 何より、彼女のプロデュースに事務所の力が不当に働いたということは、一方で、誰か犠牲になった子がいたはずでした」

 美嘉が売り出された一方で、表舞台に立てなかった子がいるという事かしら?
 一体、誰が――。


「島村さんかな」

 プロデューサーの一言に、私はハッとした。えっ――!?
「経歴的に考えると、だが」


「そうです」
 チーフは頷き、テーブルの上で手を組んだ。

「実は本来、卯月ちゃんは僕が担当するはずでした。
 資料を見ると、随分長い間候補生のままで、そろそろ担当が付いても良い頃合いでしたが」

「城ヶ崎さんの担当になるよう言われたからか」

 小さく頷きながら、プロデューサーはため息を一つ吐く。
「それだけあんたは上から認められていたってことだ」
「からかわないでください」


413: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:29:37.03 ID:Ae62FiCR0

「彼女達は知っています。自分が大人達の勝手な都合に振り回されていることを。
 僕達プロデューサーが考えている以上に、彼女達は賢く鋭い。
 本当は、僕達に不満の一つでもぶつけてもらえたらどんなに楽だろう」

 気づくと、彼はテーブルの上に置いた拳を握っている。

「美嘉ちゃんも卯月ちゃんも、不満は言いませんでした。しょうがない事だと、笑って僕を励ましてくれさえしました。
 でも、その健気に微笑む彼女達を見て、僕がどれだけ自分を惨めに思ったか。
“売る子と売らない子”の二極化を意図的に作り上げた上層部を、どれだけ許せなくなっていったことか」


「話を急くようで悪いが、俺はあんたの愚痴を聞きに来たんじゃない」
 小さくかぶりを振り、プロデューサーはコーヒーを一口啜った。

「俺の質問に答えてくれ。あんたは一ノ瀬さんに何をした」


「簡単に言うと、高垣楓を潰すのに一役買ってくれと、そう持ちかけました」


 ボソッと零したチーフの一言に、私だけでなく、プロデューサーも固まる。

「当初は、ですけどね」


414: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:32:33.90 ID:Ae62FiCR0

「どういう意味だ」

「ご存じの通り、この事務所は今や高垣楓に頼りきっている。
 彼女の起用を前提としたプロジェクトが未だにいくつもあるんです。
 それを絵に描いた餅で終わらせてしまったら、多方面の業界で信用が落ちるどころか、下手すりゃ廃業する末端企業まである」

 馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに、彼は鼻で笑った。
「泳がせ続けないと死んでしまうんです。346だけでなく、業界そのものが」

 ――何だか大きな話になって、据わりが悪くなってきたわね。
 本当に私が聞いて良かった話なのか、確かにチーフが気にした理由も分かる。

「業界そのものが死ぬってのは言い過ぎじゃないか?」
「それくらい馬鹿げた実態があるという事です。先ほど僕が言った二極化の最たる例ですね」


「ヤバい事になると知りながら、高垣楓を潰すというのは、矛盾を感じるが――それは置いといて、どう潰そうと?」

 プロデューサーに問われ、彼は改めて背を伸ばした。

「サマーフェスで、彼女に勝たせようとしました」
「LIPPSに?」
「いえ、高垣楓に、です」

「――持ち上げて落とす、ということか」
「そうです。フェスに勝った彼女の周りには、きな臭い蠅共がウジャウジャ沸いて出ますから」

 だんだん、言葉遣いも刺々しくなってきたかしら。


415: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:37:48.09 ID:Ae62FiCR0

「その黒々しい“意見交換会”の現場を内部告発して、業界の裏側を暴くということか」
「えぇ」

 ただ――チーフに協力を依頼された志希は、サマーフェスで何をしようとしていたの?

 あの時は、志希がおふざけでメンバーに提案した、アカペラ用にアレンジした振付で、私達は勝てたようなものだった。


「音源を蹴飛ばす役は、卯月ちゃんが買って出てくれました。
 心根の優しい彼女に本当に出来るのか心配でしたが、上手くやってくれました。けれどね」

 そう――卯月のアレは、ワザとだったのね。この人に仕組まれて。

「あのステージは想定外でした。志希ちゃんの、いえ、LIPPSのあのパフォーマンスは、僕の予定に無かった。
 結果として、僕らの計画は大幅に軌道修正しなくてはならなくなりましたが」


 音源が飛んだことも含め、当日フェスの裏側で起きたことが、もし予め彼の計画にあって、それを志希も承知していたのなら――。

 志希は私達を負けさせるどころか、敢えて勝たせようとしたことになる。
 彼の計画への、反抗としか思えない。


「誓って言いますが、僕はLIPPSもニュージェネも悪いようにする気はありませんでした。
 志希ちゃんには、悲劇のヒロインを演じてもらいたかったんです。
 ステージの上で本気で戸惑い、泣き出す姿などを見せれば、同情するファンもいるでしょう」


416: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:42:06.87 ID:Ae62FiCR0

「真正面から高垣楓と戦って負けたのではなく、不慮の事故のために負けた――ということにしたかったのか」

 プロデューサーは、なぜかフフッと笑った。

「言い訳や予防線は、使い所さえ間違えなければ、その身を守る盾になります。
 あなたも良くご存じのはずでは?」

 彼にそう聞かれたプロデューサーは、どことなく不適な笑みを浮かべているように見える。


「でも」

 二人が私に顔を向ける。気づくと、私は控えめに右手を挙げていた。
「どうぞ、奏ちゃん」

「楓さんを持ち上げて潰すことが、どうして美嘉や卯月のためになるの?」
「だよなぁ」
 プロデューサーも腕を組みながら頷いている。

「楓さんだけじゃない。346プロが後ろ暗いことをしていると知られたら、所属するアイドル皆が後ろ指をさされるわ。
 当然、プロデューサーや社員さん達だってそうでしょう?」



「実は、新しい事務所を立ち上げようという話がありましてね」

 チーフは握り拳を解き、両手をテーブルの上で組みながら、プロデューサーと私の顔を交互に見た。

「賛同するアイドルや社員達は、皆その事務所に移籍するよう手配するつもりなんですよ」


417: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:47:23.35 ID:Ae62FiCR0

「――クーデターってことか?」
 腕を組みながらプロデューサーが問うと、彼は手を振った。

「いや、そんな大それたものでは。
 ただ、一方的にゼロクリアだけして、影響のある人達に何もフォローしないというのは筋が違いますからね。
 もちろん、LIPPSやニュージェネの子達も、新しい事務所へ匿うつもりでした」


 ――彼は、気づいていないのかしら?

 346プロを糾弾し存在を揺るがせた上で、一部の人間を誘って新しく事務所を立ち上げる。

「むしろLIPPSは、新事務所での旗印を担ってもらおうと思っていたんです。
 だから、僕も有望な人材のスカウトに走った――そうして出会ったのが、フレデリカちゃんと志希ちゃんです。
 志希ちゃんには、あなたと偶然を装い出会うように仕向けたものでした」

 それは、彼が先ほど自分で憎いと言っていた、一部の勝手な都合で多くの人を振り回すこと、まさにそのものだということを。


「新しい会社が第二の346プロになる可能性は?」

 知らずテーブルの下で拳を握っていた私が声を荒げるより先に、プロデューサーが腕を組みながら彼に問い質した。

「業界の不正を暴くとかもっともらしく言っているが、俺にはそれを建前に346を潰して、自分達が取って代わろうとしているようにしか見えないがな」


418: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:52:06.40 ID:Ae62FiCR0

「ぼ、僕は――」

 チーフは、今日初めて動揺した。

「僕は、美嘉ちゃんや卯月ちゃんに、償いをしたかったんです。
 新しく整えた環境で、もう一度しっかりとプロデュースしてあげたかった」

「本末転倒だよ。大体、新しい事務所に転身したとしても、経歴を調べれば“後ろ暗い346プロ”にいたのは誰にだって分かる」
「それがあるから早期に立ち上げて移籍させて、実績を積ませる必要があったんです!」

 訴えるような目で、彼はプロデューサーの顔を食い入るように見つめる。

「甘い汁を吸いたいとか、そんなつもりは無いんです決して。
 僕は、努力するアイドル達が真っ当に評価される環境を作りたかったんです。それがプロデューサーの本分でしょう?」


 ――改めて、目を見ると何となく分かる。
 どうやら彼は、本当に美嘉や卯月が――アイドルが好きなのだ。


「プロデューサーの本分は、どんな環境にあってもアイドルを真っ当に育てることじゃないか?
 環境を作り変えるのはお偉方の仕事であって、俺達下っ端は環境に応じた仕事をするだけだと俺は思っている」

 一口啜ってカップを置き、プロデューサーは彼の目を見てニヤリと笑った。


「結局、あんたも担当に惚れ込んじゃったってことか。なぁ、アリさん?」


419: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:02:08.56 ID:Ae62FiCR0

「惚れますよ、そりゃ」
 アリさんと呼ばれた彼は、恥じることも、悪びれる様子も見せず、毅然とプロデューサーを見返している。

「彼女達のためになるなら、どんなことだってしたいんです。
 身を取り巻く環境を変える努力をしないのは、怠慢ですよ」

「耳が痛いね」
 表情を崩さず、プロデューサーは冷め切ったコーヒーをもう一度手に取ろうとして、止まった。


「さっき、LIPPSやニュージェネを匿うつもり“だった”と言ったな。今は違うのか?」



 ――急にチーフが口ごもる。



「おい、アリさん」


「LIPPSは、売れすぎてしまったんです」


420: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:04:15.29 ID:Ae62FiCR0

「売れすぎた?」

 それの何がいけないというの? 私は、彼の次の言葉を待った。

「現時点で言えば、LIPPSは高垣楓を脅かすほどに、急激に成長を遂げてきています。
 メインステージに立っている者を潰すことが、僕らの計画でした。
 そして、世間の関心事は変わりつつある」


「まさか――高垣楓ではなく、LIPPSを潰すつもりか。346の不正の象徴として?」


「――――」

 チーフは、無念そうに俯き、肩を震わせている。
 たぶん、演技ではない。美嘉を擁するLIPPSが標的になるのは、彼にとって決して本意ではないのだ。


「どういう不正をしたとして、おたくらはLIPPSを潰そうと?」

 プロデューサーは、平静を装っているが、内心は決して穏やかでは無いはずだ。
 私だって、誰かに後ろ指を指されるようなことをしたつもりなんて無い。

 彼は、重い口を開いた。



「淫行をした、ということに――僕と、美嘉ちゃんとで」


421: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:17:11.71 ID:Ae62FiCR0

「何だと――!」
「僕だって嫌なんですよこんなの! でも、一番信憑性があると、上が一方的に決めたんです。
 それだけは勘弁して欲しいとお願いしたのですが、聞いてもらえなくて――!」

 テーブルの端を両手で掴み、体を前に乗り出させ、彼は泣きそうな顔で懇願する。

「あの日美嘉ちゃんに会ったのも、真実を告げて、一刻も早くLIPPSを抜けさせなくてはという思いからでした。
 でも、あんな真剣に考えている彼女を目の当りにしたら、LIPPSとしての美嘉ちゃんを、僕自身諦めきれなくて――。
 だから、あなたに相談したかったんです」
「自分で撒いた種だろうが」

「今回立ち上げる新事務所の代表は、奥多摩支社の支社長です」

 そう彼が言った瞬間、プロデューサーが固まった。

「この計画の首謀者は、あなたのかつての上司です。
 親交のあったあなたからも、どうか彼を説得してほしいんです」


 プロデューサーは、固まったまま動かない。
 この人の経歴は未だによく知らないけれど、相当な動揺を受けている様子から、たぶんその上司を信頼していたのだと思う。

「――なぜ、あの人が」
 やっと絞り出されたその声は、先ほど怒気に満ちた同じ人のそれとは思えなかった。

「ご存じの通り、ウチのかつての事業部長ですし、業界のコネも相当ありますからね。
 パイプを繋ぎ直して鞍替えすることができるのは、彼くらいしか出来ません」

「誰が吹き込んだんだ。俺には、あの人が自分からそんなことをするとは思えない」

「いえ、彼は乗り気でした。もっとも、その話を持ちかけたのは187プロですけどね」


422: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:20:04.58 ID:Ae62FiCR0

「馬鹿な」
 プロデューサーはテーブルをドンッと叩いた。驚いた同じフロアの何人かがこちらを見る。
「それは346の転覆を謀る187プロの計略だ。まんまと乗せられているんだ」

「もしそうであるなら、それをそのまま彼に説得してほしいんです。どうかお願いします」

 彼が頭を下げるより先に、プロデューサーは席を立った。

「支社長の予定は分かるのか?」
「今日、本社に来ているはずです。役員会議がありますから」
「事務所棟の上の方の会議室のどれかだな」

 足早にそこへ向かおうとするプロデューサーを、私は呼び止めた。


「――速水さんは、事務室で待っていてくれるかな。雨が止んだら、帰っても構わないから」


 精一杯、私に優しく声を掛けるプロデューサーの態度が、無性に腹立たしい。

「ここまで来て、仲間外れにするつもりなの? 私はLIPPSのリーダーなのよ」


423: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:25:21.46 ID:Ae62FiCR0

「――すまない」


「お、アリさん達じゃないスか」

 声がした方を振り向くと、男の人が二人、並んで立っている。

 この人達は、プロデューサーの同僚の人達だったわね。
 大きくて柄の悪い方がヤァさんで、小さくて貧乏くじ引いてそうな人がチビさん。


「何か、あったんですか?」

 私達のただならぬ雰囲気を察してか、チビさんが心配そうに言葉を重ねた。
 プロデューサーが控えめに手を振る。

「あぁ、いや――何でもないよ」
「いやいや絶対何でもなくは無いでしょ。どっか人殺しに行きそうな顔ッスよ」
「そういう顔見たことあるんですか、ヤァさん」
「うっせェなチビ太」


「まぁアレですよ、その――ほら、業務改善。最近、よく言われてるでしょう?
 ちょっと、こういう仕事の仕方はいかがでしょうか、って、お偉いさんに直談判してみましょうかって」

 見かねたアリさん――チーフが、はぐらかそうとフォローを入れる。
 しかし、それを聞いたヤァさんは、俄然鼻息が荒くなりだした。


424: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:27:32.44 ID:Ae62FiCR0

「おっ? マジッスかイイッスねー! オレもクソ上司に言いたい事山ほどあるんスよ!」

「いや、本当大丈夫だって。俺とチーフだけで話に行きたいんだ」
「何だよツレねェじゃないッスか! イイッスよ行きましょ、場所どこ? あっち?」
「いや、ヤァさん、あの、ヤァさんが行くとまとまる話もまとまら――」
「うるっせぇんだよチビ太黙ってろテメェは」
「な、何で俺だけ」


「おっ、誰かと思えば奏ちゃんじゃねェか。相変わらずエロェ~なオイ」

 ふと私の存在に気づいたヤァさんが、私の頭をガシガシと乱暴に撫でた。

 プロデューサーよりも遙かに、私に対する距離感が近い。
 何がおかしいのか豪快に笑っている。セクハラで訴えても勝てると思うのだけど。

「ごめんね奏ちゃん。この人、悪気は無いはずだから、気を悪くしないであげてね」
「えぇ、あの、大丈夫です」

 チビさんがそっとフォローを入れてくれる間に、気づくとプロデューサーはスタスタとその場を離れていた。

 アリさんが黙ってそれに続き、「あ、おいっ!」とヤァさんと、チビさんもそれを追いかける。

 もちろん、私もだ。


425: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:29:56.64 ID:Ae62FiCR0

 本当の事情は何なのか、とチビさんに聞かれたので、エレベーターの中で私は説明した。

 プロデューサーとアリさんが一瞬、私に振り向いたけれど、諦めたように視線を直す。
 どのみち、こうなってしまったら隠す方がナンセンスだもの。

 さっきまでおちゃらけていたヤァさんまでも、急に押し黙り、顔を強張らせた。



 エレベーターが到着すると、開いた先に、男の人が一人立っていた。

「おや」

 入れ違い様、その人はプロデューサーの姿を認めるとニヤリと笑った。


 濃い紫の、ダブルのスーツ。
 黄土色の革靴。
 オールバックにさせた髪は薄めで、細いフレームの眼鏡と、細い顎。


「――――」

 プロデューサーの表情を見て、直感した。

 この人が――187プロの人ね。


426: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:31:27.81 ID:Ae62FiCR0

「お久しぶりです。どうも、以前どこかでお会いしましたよね?」

 並びの悪い歯をニカッと見せて握手を求めてきた。
 そんな彼を、プロデューサーは露骨に無視して足早に去る。

「あれ、ちょっとぉ? ツレねぇなぁ?」


 後ろから声がするけれど、肩を揺らして歩くプロデューサーは止まらない。
 背中越しに、明らかにそれと分かる怒気が伝わってくる。

 ただならぬ敵意を醸し出す彼に、私をはじめ、他の皆も気安く声を掛けられずにいた。

 その勢いのまま乱暴に、目に付いた会議室を手当たり次第に、プロデューサーはノックし扉を開けていく。


 もう少し丁寧に、とチビさんが進言しようとした所で、ちょうど目的の人物がいる部屋を見つけた。



「? おぉ、誰かと思えば。元気でやっているかね?」


427: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:32:41.36 ID:Ae62FiCR0

 恰幅の良い、白髪のオールバックで、やや小麦色の肌をした茶色いスーツの老人は、プロデューサーに気づくとにこやかに手を挙げた。

「ご無沙汰しております」
「ハハハ、この間ウチに来てくれたばかりじゃないか」

 丁寧に頭を下げるプロデューサーに対し、彼は穏やかな笑みを返す。
 随分と、雰囲気の良い人。

 この人が、さっきアリさんが言っていた、LIPPS潰しの首謀者――?


「ん――?」



 そのアリさんの姿を認め、少し体が止まる。

 やがて、もう一度にこやかに、しかしどこか納得したように笑った。


「フフ、なるほどな」


428: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:34:34.26 ID:Ae62FiCR0

「支社長、折り入ってお願いがあります」

 神妙な面持ちで切り出したアリさんの次の言葉を待たずに、支社長は鋭く言い放った。
「どこまで話した?」

「――大体の事は」
「そうか」

 頷いて、彼は私達の顔を代わる代わる見つめる。


「まるで、私を悪者か何かに見るような目だねぇ」


「悪者じゃなけりゃなん――」
「ヤァさん、マジで黙った方がいいですたぶん」

 喧嘩腰のヤァさんを、チビさんが本気で制した。

スポンサーリンク



429: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:39:43.00 ID:Ae62FiCR0

「念のため聞くが、私にお願いしたい事とは?」

 ポケットに手を突っ込み、机におざなりに腰掛けながら、支社長はアリさんの顔を覗き込むように見た。

「先日、申し上げた事です。LIPPSを陥れる事を、どうか考え直していただけないでしょうか」


「腐った環境を変えたいと言ったのは、キミではなかったかね?」

 深々と頭を下げるアリさんを一笑に付す。
「それとも、自分が割を食うのは嫌だから降りるか?」

「私は、アイドル達のためを思って」
「高垣楓が標的だった時には日和らなかった癖に、良く言う。それとも、彼女はアイドルではないと?」
「で、ですから、彼女も何らかの形で救えればと」
「ハッハッハッハ!」

 豪快に高笑いをする支社長に、アリさんの表情が凍るのが見て取れた。


「子供かねキミは。
 信用を売り物にするこの業界で、一度ミソが付いたアイドルを再利用する手段がどこにあるというのだ」


430: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:42:41.35 ID:Ae62FiCR0

「し、支社長は、アイドルのためを思っていたのでは――」
「思っているさ。大事なビジネスの種になるのならな」

 鼻を鳴らし、足を組み替えながら支社長は続ける。

「業界を刷新するという発想は、実に興味深い。
 何事にも旬はある。かの高垣楓にしたって同じ事だ。これ以上マンネリ化が進めば、我が社の自浄作用も失われる。
 新しい事務所を立ち上げ、346に代わる存在として台頭する事は、引いては古くなった業界の血を改める事にもなるだろう」


「そのためにヒドい目に遭う子達が出てくんのはいいンスか?」

 たまらずヤァさんが身を乗り出した。今にも殴りかかりそうだ。

「もちろん、彼女達には悪い事だとは思っている――あぁ、そこのキミもLIPPSだったか」

 ハハハ、と私を見て彼は笑った。一切の熱も湿り気も感じられない笑いだった。


「だが困った事に、我が社は大きな会社でね。無策のまま対抗馬となるだけでは、巨象に挑む蟻にすらなれんだろう。
 攻略するには、その足元を揺るがす爆弾が必要だ。信用を失墜させる、スキャンダルという名の爆弾がね」


431: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:45:36.00 ID:Ae62FiCR0

「LIPPSの子達はどうなるんですか?」

 アリさんが食い下がる。

「当初の計画では、高垣楓の周りの大人達が良からぬ企みをしていた、というものでした。
 つまり、彼女自身に非は無い。振り回された側の人間として、同情を得られる可能性もあったでしょう。
 ですが、今回の計画は、LIPPS自体が悪者になってしまいます。印象があまりにも悪すぎます!」

「じゃあ無理矢理キミが強姦した事にでもすれば良い」

「なっ――」
「そうすれば、城ヶ崎美嘉はめでたく被害者だ」


「は、速水さん、待って落ち着いて!」

 コレが落ち着いて聞いていられるとでも思うの!?
 どこまでアイドルを、いいえ、女をバカにすれば気が済むのか――!!


 チビさんが私を引き留めるその横を、鬼の形相をしたヤァさんがヌッと歩み出る。

 しまった、とチビさんが小さく呻いたけれど、もう遅いわね。



「支社長」


432: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:48:34.22 ID:Ae62FiCR0

 やや後ろから聞こえた声に、皆が振り返る。

 いつの間にか、プロデューサーは私達の後方に立っていた。
 というより、私達が彼を置いて、知らず身を乗り出していた、と言う方が正しいのでしょうね。

「何かね?」


「それ、私がやったって事に、なりませんか?」


「は?」

 皆の顔が点になる。
 一方でプロデューサーは、真顔で支社長の顔を真っ直ぐ見つめていた。

「いや、強姦とかそういうのではなくて、何かしら――例えば賄賂とか、私が勝手に不正をした事にして。
 ほら、一応彼女達の担当プロデューサーですし、それなりに話題性もあるでしょう」


「なかなか面白い意見だね。LIPPSの皆にも、火の粉は直接降りかからないし、と?」
「私も会社辞められますし」


433: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:51:05.46 ID:Ae62FiCR0

「や、辞められるって――!」

 アリさんがプロデューサーの前に歩み出た。
「ちょっと待ってください。それはあまりに無責任じゃ――」

「引継書はちゃんと作るから、LIPPSはあんたが引き継いでくれ。新しい事務所でも、どこでもいいから。
 城ヶ崎さんのプロデュースもできるし、Win-Winでしょ」

 オイオイオイ、とヤァさんも穏やかならない表情で彼の肩を掴む。
 チビさんは、私とプロデューサーの顔を交互に見て明らかに困惑していた。

 あの口ぶりから察するに、どうやら前々から辞めたかったようね。


 辞める――あの人が、私達のプロデュースを?


「魅力的な提案だが、それには及ばんよ」

 えっ、とプロデューサーが小さく声を漏らした。
 支社長は机から腰を上げ、ニヤリと下品な笑みを浮かべている。


434: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:00:34.63 ID:Ae62FiCR0

「一ノ瀬志希、という子がいたね。彼女が今、どこにいるか知っているかね?」


 思わぬ人物の名前が出て、私達の表情が固まる。
 特に、プロデューサーと、おそらく私の顔も、相当に緊張が走った。

「とある出版社の門戸を叩こうとしているようだ。
 城ヶ崎美嘉ではなく、自分が346のプロデューサーと淫らな行為を行ったのだと。
 そう話を作り変え、これによるLIPPS潰し、346潰しが計画されていたのだと、告発しようとしているらしい」


「何ですって――」

 アリさんの顔が青ざめた。

「今回のLIPPS潰しを企てた者達を、自らの芸能生活と引き替えに陥れるつもりなのだろう」

 やれやれ、とでも言いたげに彼は顔をしかめ、B級洋画さながら、大袈裟に両手を挙げて肩をすくめた。


「だが、私とて黙って見過ごすほど間抜けではない。既に手は打ってある。
 彼女の告発をきっかけに、LIPPS及びその関係者は淫行集団として報道される事になるだろう。
 私には何も火の粉はかかってこない。全て、彼女自身が彼女の大好きなLIPPSを陥れる事になるのだ」


435: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:06:52.09 ID:Ae62FiCR0

「か――彼女の大好きな、って――?」

 息が苦しい。視界が歪む。
 やっとの思いで、私の口から言葉と呼べるものが発せられた。

 この男が何を言っているのか、よく分からない。
 それくらい、この男は酷い。

 でも、それ以上に気になるのは、志希がLIPPSを、大好きと――?


「彼女はね、以前私と、そこの彼に言った事があったんだよ。
 もっと彼女達と一緒にいたい、そのために出来る事があるなら何でもしたい、とね。
 よほど楽しかったのだろう。海の向こうの研究生活より、愛憎渦巻くこの業界と、その中で切磋琢磨する仲間達との日々が」


 芝居がかった動作で、支社長は目頭を押さえた。

「泣かせるねぇ。自分が悪者になり、悪い大人達を道連れにする事で、彼女は大好きなLIPPSを守ろうとしたのだろうに。
 結局は、彼女も子供なのだ。我々の立ち回りを理解しきれぬまま、手の平で踊らされる事しかできんという訳だな。
 だが、良い勉強にはなったろう。まともな心を持てない化け物が、一丁前に“お友達”を望むべきではないとな。ハッハッハッ――!!」


436: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:07:53.76 ID:Ae62FiCR0

 突然、鈍い音が鳴り、遅れて支社長の体が後方にもんどり打って倒れた。


 外は気が狂ったかのような豪雨で、時折雷も鳴っている。
 その音かと、最初は聞き間違えた。

 けれど、違った。



 稲光のように私達の間をすり抜け、支社長に飛びかかったのは、プロデューサーだ。


437: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:14:55.54 ID:Ae62FiCR0

 呻き声を上げながら、支社長は顔を右手で押さえ、その場でうずくまっている。


「この野郎――ふざけるな、この野郎、お前」

 うわ言のように、プロデューサーは小さい声で、しかし、随分と荒い息を繰り返している。

「あの子、まだ――まだ18だぞ。お前、そんな子に、お前はっ、そんな覚悟をさせたって事がなぁっ」

 アリさんがプロデューサーの肩を掴み、引き留めようとする。
 しかし、プロデューサーは乱暴にそれを振り払い、うずくまったままの男に歩み寄る。


「恥を知れ。ふざけやがって、俺達のようなっ。俺や、お前のような、腐った大人のせいで!」

 どんどん声が大きくなってくる。
 チビさんが彼の腰の辺りを両腕で抱きかかえ、体づくで引き留めようとするが、止まらない。

「なんて道義の無い――くそぉ、ふざけんな」


 普段の彼からは考えられないほど、その言動は無骨で、一切の飾り気も気遣いも、余裕も無かった。

「ふざけるなよ。俺達が、彼女を追い詰めたんだっ! 分かってんのか!! ふざけんなっ!!
 くそっふざけやがって! ちきしょう、離せ、ちきしょう、ふざけるなぁ!!!」



 ククク――と、うずくまったままの支社長から、小さく笑い声が聞こえた。


438: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:17:38.34 ID:Ae62FiCR0

「とんだお笑い草だな?」

 ゆっくりと立ち上がり、支社長がプロデューサーに向き直る。
 口が切れているらしく、血が少し出ていた。


「上司を殴って、キミはめでたく会社をクビになる。
 LIPPSも、“暴力プロデューサー”のせいで一躍脚光を浴びる。
 我々はそれを契機にLIPPS潰し、引いては346潰しにかかる事ができる」

 ハッハッハッハッハッ!! ――と、豪快な高笑いが会議室に響き渡る。

「何とも愉快な話だ! 私の望んでいた事がアッサリと訪れた。
 そしてもちろん、キミにとってもな。良かったじゃあないか、めでたく会社を辞められるなぁ!?」


 プロデューサーは、ギリギリと音が聞こえてきそうなくらい、歯を食いしばっている。
 口の端からは涎が出ていた。体裁など、まるで気にも掛けていなかった。

「し、支社長――あなたという人は」

 アリさんが、呆然と立ち尽くす。
 チビさんも、プロデューサーの体を掴んだまま、笑い続ける男を青い顔で見上げていた。


 そんな――こんな事って――。



「持ってろ」


439: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:19:38.33 ID:Ae62FiCR0

「えっ?」

 ふと、私の手元に眼鏡が――いや、正確に言えばサングラスだ。

 掛けていたそれを、乱暴に私に預けるのは、ヤァさんしかいなかった。


「おい」

 大笑いする支社長の前に歩み出たヤァさんは、彼の頭を上から引っ掴んだ。
「えっ」

 次の瞬間。


 ヤァさんは、自身の頭を大きく後ろに振りかぶり、思いきり支社長の額目がけて叩きつけた。


440: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:22:03.43 ID:Ae62FiCR0

「グッ、ウアァァ――!!?」

 支社長は額を両手で押さえ、蹈鞴を踏みながら二、三歩後ずさり、堪らずしゃがみ込んだ。

 ヤァさんも、痛そうに頭を押さえている。

 少しして、ヤァさんが立ち直って姿勢を正すと、まだ立ち上がれないでいる彼に向けて言い放つ。


「アンタに暴力働いたこの人をクビにするっつーんならよォ。オレもクビにしてくれや。
 ただよォ、ただでクビになる訳にはいかねェからよォー。暴力しとかねぇとなぁ?」

 笑いながら、ヤァさんは支社長の髪を掴んで無理矢理持ち上げた。


「つーかオレも怪我しちゃったから、オレもアンタに頭突きされたっつーコトでいいんスかね?
 そうなると、アンタもクビか? 怪我させちゃったもんな、オレによォ? どうでもいいけどな」

 言い終わらないうちに、もう一度後ろに振りかぶり、先ほどよりも強く頭突きをお見舞いする。


「アガァッ――!!」


441: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:24:35.70 ID:Ae62FiCR0

「うぅ、我ながらキクぜぇ」

 今度はヤァさんも蹈鞴を踏んだ。
 まるで農作業の間に休憩でもするかのように、天を仰ぎ、額を片手で押さえている。

 支社長は、ヒィヒィと痛みとも恐怖ともつかないような声を発しながら、小猿のように身を縮こませた。

「痛ぇか? 彼女達はもっと痛いぜ?」


 ヤァさんが、再度歩み寄る。
「や、止めろ――」

 誰も、止める人がいない。

 恐怖からなのか、呆然としているのか――それとも私達が、それを心の奥底で是としているのか。


 なぜ、この人はこんなにも慣れているの? 単純に、怖い。
 チラッと後ろから見えた彼の顔は、どちらによるそれかは分からないけれど、血まみれだった。

 意気揚々と、まるでパンチングゲームに興じるかのように、ヤァさんは先ほどと同様に支社長の髪を引っ張り上げた。
「い、痛いっ! 止めてくれぇ!」

「おう、立て。次は頭蓋骨行くぞコラ」


442: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:28:00.91 ID:Ae62FiCR0

「ごめん、ヤァさん。ストップ」

 いつの間にか、プロデューサーは私達の後ろに回っていた。

 振り返ると、どうやら普段通りに落ち着いた様子のプロデューサーと、もう一人――。



「随分と、物騒なミーティングですね? 奥多摩支社長」

 この女性、何度か見たことがある。
 夏頃に新しく来たという、アイドル事業部の統括常務だ。

「み、美城常務――!」


 ボーッと常務を見つめるヤァさんの隙を突いてその手をふりほどき、支社長は常務に走り寄った。
「そ、そうなんです助けてください! あの男がいきなり私に乱暴を働いた次第でして!」

「私が物騒と言っているのは、奥多摩支社長」

 血まみれの顔で、必死に助けを求めようと頭を下げる彼を、常務は上から冷徹に見下ろしている。

「ここでの話の内容。そして、ここで行われていた会合のことです」


443: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:31:25.43 ID:Ae62FiCR0

 えっ――と支社長の口から蚊のように小さい声が漏れ出る。

「私の留守中を狙って熱心に外部の人間を招き、この会議室で良からぬ相談事を行っていたようだな?」

 そして、常務の口調からは、年上の部下に対する丁寧さが消えた。


「そ、それは、誤解です! ヤツらが私に脅迫まがいの事をして、この事務所を潰そうと――!」
 そう支社長が反論したのを最後まで聞かないまま、常務は黙って手近にあった机に手を掛けた。

 おもむろに机の裏側に手を伸ばし、戻した彼女の手には何かが握られている。

 ゆっくりとそれを開くと、手の中から出てきたのは、小さな機械だった。


「ま――まさか」

 支社長の顔が見る見るうちに青ざめる。


「情報は何よりも重要なものだ。取り分け、信用を売り物とする我々の業界ではな」

 鼻を鳴らし、腰に手を当てて常務は淡々と話を続ける。

「私の部屋と同じ階で繰り広げられる不穏な動きを、私が悟らないとでも思ったか。
 もっとも、事務所の外で密会が行われようと、草の者がとうに知らせていただろう」


444: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:33:45.62 ID:Ae62FiCR0

「草の者、って」
 小さく突っ込んだのはチビさんだ。私も、どこの時代劇だと突っ込みたくもなる。

 だが、常務は真顔だった。意外と、この業界では普通――なのかしら。


「わ、私は――」

 消え入りそうな声で支社長が何かを取り繕うとした時、常務の携帯が鳴った。


 スッと取り出して一瞥すると、彼女は支社長を見て、次に私達の顔を見た。

「一ノ瀬志希について、その者から今し方連絡があった。
 ここからそう遠くない公園で、見つかったそうだ」


「志希が――!」

 私の胸が、カァッと熱くなる。

 どうやら、彼女が事に及ぶ前に保護することができたらしい。良かった。本当に――!


「さて」
 一息ついて、常務は次に、ヤァさんと、プロデューサーの顔を交互に見た。

「君達は、見たところかすり傷とは言えない怪我をしているようだが、何があった?」


445: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:37:51.53 ID:Ae62FiCR0

 ヤァさんは、額から流れた血で顔中が真っ赤だ。
 一方で、プロデューサーは――よく見ると、右手の甲が血で滲んでいた。

「あぁ、これッスか?」
 ヒヒッ、と笑いながらヤァさんは手で血を拭う。


「支社長サンと俺らでプロレスごっこしてたら、ちょっと盛り上がっちゃったんス。ねっ?」
 そう言って、ヤァさんがプロデューサーにウインクをしてみせると、彼も頷いた。

「名前は思い出せませんが、ウォーズマンの、ぐるぐる回る必殺技の真似をして」

「ぶははっ!」
 真顔でプロデューサーがくだらないウソを語ったのを見て、チビさんが堪らず笑い、慌てて口をつぐんだ。


「ば、馬鹿な事を言うな!
 常務、この期に及んで反省の色を見せず、こんなふざけた態度を取るヤツらなど即刻――!」


 フッ――と、常務の口角が僅かに上がった、ように見えた。

「じょ、常務――?」


446: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:40:02.18 ID:Ae62FiCR0

「次からは気をつけるように」

 呆れたように言い捨てた常務に、ヤァさんは「ウッス」と雑に会釈した。

「じょ、常務!? 馬鹿な――!!」


「あなたを解雇します。支社長。
 堂々と背信行為を行う者の面倒を見れるほど、346プロは寛大ではない」


「ひ、そ、そんな! 後生です、どうか、どうか今一度お考えを!!」

 慌てて膝を折り、両手を床に付ける男を一瞥すらせず、常務は指をパチンと鳴らした。
 すると――。


 ドアがガチャリと開き、入ってきたのは数人の黒服の男達。
 ――どう見てもカタギとは思えない、屈強で強面の人ばかり。

 え、ひょっとしてヤクザかしら――?

「な、何だこの男達は!? 離せ、離せっ――えっ」
「お静かに願います」


 最初こそ必死に抵抗していたが、黒服の襟に付いていた金縁のバッジを見て、支社長の顔が引きつった。


447: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:41:57.36 ID:Ae62FiCR0

「む、村上――う、うわぁ!?」

 そのままズルズルと支社長を引きずり、男達は部屋の外に退場していく。
 最後の男が律儀に深々と頭を下げ、丁寧にドアを閉めて去って行った。


 ――突然の出来事に、私達の誰もが、そのドアに視線を固定し、呆然と立ち尽くしている。
 ヤァさんだけ、ゲラゲラと腹を抱えているけれど。


「じょ、常務――今の人達は、一体何なのでしょうか」
 アリさんが、おそるおそる尋ねた。

「知りたいか?」
「い、いえ――」

 私も、今のは知ってはいけないような気がするわ。


「君達二名も、お咎め無しとはいかない」
 ヤァさんの笑いがピタッと止まった。


「一週間、謹慎処分とする。良いな?」


448: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:44:07.03 ID:Ae62FiCR0

「え、そんだけ? やった、ざっス」

 ヤァさんに倣うように、プロデューサーも黙ってお辞儀をしてみせる。


「わ、私も、処分していただけませんか?」
 震えながら、それでも勇気を出して切り出したのは、アリさんだった。

「私も、支社長と一緒に、計画に参加していました。
 彼らは、そのために今回その身を削ってくれたのです。
 私だけが、何も痛みを負わない訳にはいきません。どうか、お願いします」


「チーフ」

 深々と頭を下げるアリさんに、声を掛けたのは常務ではなく、プロデューサーだった。

 あえてチーフと呼んだのは、常務の手前だからかしら?

「チーフには、LIPPSの面倒を見てもらいたいんです。
 負い目を感じているというのなら、プロデュースという形で彼女達に返してやってほしい。
 でなければ、彼女達の世話をする大人がいなくなる」


 そう言って、プロデューサーは常務に向き直った。

「常務、お願いします。そういう訳で、チーフは見逃していただけないでしょうか?」


449: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:45:46.20 ID:Ae62FiCR0

 常務は大きくため息を吐き、プロデューサーを睨み付ける。
「私には、君が体よく厄介事を回避したがっているようにしか見えないがな」

「ハハハ」
 プロデューサーは何も答えず、バツが悪そうに頭を掻いた。

 どうやら、常務とプロデューサーはいつの間にか、そこそこに気心が知れている仲のようだ。


 常務はそのまま、踵を返して出口の方へと向かった。

 しかし、ドアを開けようと伸ばした手をふと止め、思い出したように私達の方へ振り返る。


「――新事務所立ち上げの話が事実上ご破算となれば、今後はおそらく187プロが何かしら妨害工作をしてくるだろう。
 あらゆる点で気を配っておきなさい。『アイドル・アメイジング』本番まで」

 そう言い残し、常務は部屋を出ていった。


450: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:48:19.74 ID:Ae62FiCR0

「妨害工作、ねぇ?」

 ヤァさんが首に手を当て、ゴキゴキと乱暴に関節を鳴らす。
「めんどっちぃよなぁ。ホント、ダセェ事しかしねェ、あの事務所」

 未だに顔が血まみれなのを見るに見かねて、私はポケットからハンカチを取り出し、彼に差し出した。

「ん、おっ? 悪ぃな、っておいこんなキレーなもん使えねェよ。ティッシュある?」
 ヤァさんは、私のハンカチを笑いながら断った。

「ヤァさん、ティッシュならどうぞ」
「おぉ、チビ太気が利くじゃねぇか、お前俺のカノジョか?」
「ち、違いますよ!」
「マジになってんじゃねーよひっぱたくぞ」

「さっきのアレを見たら笑えないっすよ」
 ゲラゲラと笑いながらティッシュで顔を拭くヤァさんに、チビさんはいくらか距離を置いている。



「さて――――なんか、疲れましたね」

 アリさんが、両手を腰に当て、大きくため息を吐きながら項垂れた。
「すみませんでした――本当に」


451: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:52:01.67 ID:Ae62FiCR0

「いや、うん――しかし、本当に疲れたな」

 プロデューサーは、いつの間にか携帯を弄っている。
「速水さん。何か着信残ってる?」

「えっ」
 慌てて私も携帯を取り出した。そう言えば、皆はどうしているだろう――。


 ――――。


「――何も、無いわね」
「そうか」

 携帯をしまい、プロデューサーは窓の外を見やった。


 相変わらず、外は大嵐だ。
 先ほどの騒ぎで気づかなかったけれど、大粒の雨が絶えず窓ガラスを割らんとばかりに叩きつけられ、時折雷の轟音が遠くに聞こえてくる。

「どうすっかな」

 考える素振りをしながら、プロデューサーはいそいそと財布を取り出し、中からお札を一枚引き抜いた。


452: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:54:35.50 ID:Ae62FiCR0

「付き合わせてすまなかった。今日はもう遅いし、外もこんなだから、タクシー呼ぶよ」

 そう言って、プロデューサーは一万円札を私に差し出した。

「あの、タクシーなら事務所と契約してる会社をそこから呼べますけど」
 チビさんがこそっと横からプロデューサーに進言すると、「あそっか」と彼は頭を掻いた。


「あなた――この期に及んで、またそうやって――!」

 あくまでも、私に対する接し方を変えようとしない彼に、また怒りがこみ上げてくる。

「あぁ――自分の事を仲間外れにするなとか、そういう話?
 そうは言っても、本当に遅くなっちゃったし、帰らせないと君の親御さんが」
「そういうのもあるけれど、そうじゃなくて!」


「あなた――私達のプロデューサーを、辞めるつもりなの?」


 アリさんも、黙ってプロデューサーの次の言葉を待っている。

 当人は、鼻でため息をつき、視線をもう一度外に逸らした。
 大方、私を言いくるめるための言葉を選んでいるのだろう。

「そんなに私達が、鬱陶しい?」


453: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:58:00.07 ID:Ae62FiCR0

「片や大事な仕事はすっぽかす」

 外を見やったまま、プロデューサーは思い出したようにポツリと呟いた。

「片やメンバーの頬をひっぱたき、片や遅刻の常習犯。何かにつけて噛み付いてくる、君のような子もいる。
 実害の少なさから、強いてまだマシと言えるのは塩見さんくらい。極めつけは今回のこの騒ぎだ」


 私に向き直り、プロデューサーは肩をすくめた。
「これ以上振り回されるのは、正直ウンザリでな。
 その手綱を上手く操るのがプロデューサーの本分だろうが、俺には君達は荷が重すぎる」

「無責任な事、言わないでよ」

 気づくと、私はプロデューサーの腕を両手で掴んでいた。

「私には、私達には――!」


 ――過去の事を思い出し、思わずキュッと口をつぐんでしまう。
 そんな私の様子を見て、プロデューサーも、どこか悲しげに首を傾げた。


「あなたが必要なのよ――あの時の事、謝るわ。
 だから、こんな中途半端な所で、私達を置き去りにしないで」

 謝るから、などと――よくもそんな勝手な事が言えたものだと、自分が恥ずかしくなり、俯いてしまう。


454: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:59:54.90 ID:Ae62FiCR0

「いや、いいんだ。速水さん」

 プロデューサーが少し屈んで、私の両肩に手を乗せた。
 顔を上げると、今まで接してきた中で、一番優しい彼の姿がそこにあった。

「君には謝る必要が無いどころか、俺の方こそ君を苦しめた。今まで、すまなかったな」
「そんな事――」


「いいんだ。速水さんとの話がきっかけだった訳じゃない」

 肩から手を離し、屈んだ姿勢を起こすと、プロデューサーは室内に置いてある電話台へ向かい歩き出した。
 会議室内には、ゲストを早急に案内するため、契約しているタクシー会社の番号を記した電話帳が掛かっている。

「元々、自分からやりたいと思って飛び込んだ業界でもないしな。良い機会だよ」


 受話器を取り、淡々とボタンを押していく。
 やがてそこに掛かったらしい電話に向かい、事務的な依頼と応対を終えると、十数秒ほどで彼は受話器を置いた。

「あと5分くらいしたらエントランスに来るから」


「お願い、これだけ教えてもらえる?」
 私は、これ以上この人の事を理解できていないままでいるのが、我慢ならなかった。


455: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:02:16.50 ID:m6szqZZ10

「あなたは、どうしてプロデューサーになったの?」



「――後はアリさん、LIPPSをよろしく頼む」

 彼は私の質問には答えず、それだけ言い捨てると、逃げるように出口の方へ向かう。

「待ってよ!」


 そのままプロデューサーは、ドアの向こうに消えて行った。



 なぜ、あの人は私達と向き合おうとしないのだろう。

 思えば今日、駅でアリさんを捕まえる直前、あの人が言った言葉――。
 確か、本当は私達のステージを台無しにしようとした、と。

 それがもし本当なら――あなたは、本当に私達の事が、嫌いなの?


「あの人――どんな過去があったんですか?」

 部屋にいる人達に、聞いてみた。
 だけど――答えてくれる大人は、誰もいなかった。


 外の豪雨は、未だ収まる気配を見せない。
 まるで私を脅すように、稲光が絶えず瞬いては、世界が割れるほどの轟音が空っぽの胸の中で暴れ回る。


456: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:04:16.65 ID:m6szqZZ10

【9】

 (♪)

 シキちゃーん! シキちゃーん!


457: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:07:54.21 ID:m6szqZZ10

 (♡)

「――フレちゃん」

 振り返ると、案の定いつもと変わらない満面の笑みの彼女がそこにいた。

 携帯を握りしめていない方の手を思い切り挙げて、人目も気にせず大きく振りながら近づいてくる。


「ひさしぶりー元気してた? 一日ぶり? ん、何持ってんのソレ?」

 フレちゃんは、アタシの手の中にあったミカンを興味津々そうに上から、横から、下からも見つめる。

 この子はいつもそうだ。どんなにくだらない事でも大事件にしなければ気が済まない。

「んー、これー? にゃはは、何のヘンテツも無いオーゥレンジだよー♪」


「ワァオ♪ チョー奇遇じゃないシキちゃん?
 アタシもほら、この通りでっかいミーカンをボンボヤーだよー!」

 そう言うと、フレちゃんは手提げのバッグからサッと、タネも仕掛けも無いと嘯く手品のように得意げに取り出してみせた。

「どうしたのそれ? 買ったの?」
「それよりシキちゃん、外すんごい雨だよ? 何て言うんだっけこういうの、ゴリラ雷雨?」


458: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:09:51.10 ID:m6szqZZ10

 アタシの問いなど歯牙にもかけず、フレちゃんは外をチラッと見たので、アタシも一応それに倣う。

 途端、ピカッと空が光り、それを照らしたでっかい白熱電球がそのまま落っこちてきたような凄まじい轟音が鳴り響いた。

「うひゃあっ、ホントに雷鳴っちゃった! おヘソ隠しておヘソ!
 あ、でもだいじょーぶ♪ なぜならフレちゃん服着てるから。しかもヘソ出しじゃないんだなーコレが☆
 シキちゃんはどう? ゴリラにおヘソ取られてない?」

 今日もフレちゃん、飛ばしてるなー。

 元々彼女は、アタシが言うのもなんだけど、頭のネジがどこか飛んでいて、予想もしない角度から話題を提供してくれる。

 それが彼女の魅力であり、退屈を忌避してきたアタシにとって快い時間を絶えず提供してくれる人。

 でも――。


 今のアタシには、フレちゃんの存在は鬱陶しい事この上ない。

 なぜなら、アタシにはやるべき事があるからだ。

 そして、フレちゃんにはそれを知って欲しくないし、決して知られてはならない。


459: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:14:27.20 ID:m6szqZZ10

 フレちゃんのくだらなくて楽しいフリには答えず、アタシは踵を返して駅の改札に向かおうとする。

「お待ちください、一ノ瀬さん」


 振り返ると、フレちゃんはおかしいくらい真顔になって、慎ましくその場に立っている。


「一ノ瀬さん、貴女は――とても、大いなる事を、されようとしているのではありませんか?」

 おフザケなのに、言い得て妙な台詞だ。Hmmm……乗っかってあげよう。

「はい、そうなのです――私の大事な人を守るため、この一ノ瀬、巨悪を討って参ります」


「やはり、そうなのですね――それでは、これをお持ちください」

 そう言って、フレちゃんは手に持っていたビニール傘を厳かに差し出した。

「宮本さん。これは――?」

「これは、ビ・ニールの傘。
 予言者フジ・リーナの神託に従い、この宮本が、先ほどコンビニで、500円で買ったものです」


460: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:16:31.00 ID:m6szqZZ10

「まぁ――そのような、貴重な傘を、この私に?」

「はい。ですが――この傘を扱うには、ある条件が必要となります」

「それは、一体何でしょう?」

「私を、貴女の旅に、一緒にお供させてほしいのです」


「――ありがたいお申し出ですが、危険な旅になります。お連れすることはできませんわ」

「そうなると、私は、自分の傘が無くなってしまうのです」

「まぁ、それは難儀なこと。ですが、コンビニで買えばよろしいのでは?」

「この宮本、今月がそこそこにピンチなのです」

「私が、買って差し上げますわ。そこのコンビニまで、一緒に参りましょう」

「ホント!? やったー!」

「おーい、フレちゃん素になってるー♪」


 やはり、いつものフレちゃんだ。彼女のペースで振り回されるのは心地が良い。

 ただ――何故だろう。普段通りのはずなのに、今日のフレちゃんには、どこか違和感が拭えない。

 今のアタシが、正気ではないから?
 それとも、昨日の今日で、フレちゃんもアタシに気を遣っているからだろうか。

 ――――。


461: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:18:21.10 ID:m6szqZZ10

「シキちゃん千円ありがとー! んじゃ、ちょっと待っててね☆」

 二人で傘を差し、駅前から見えたコンビニにたどり着くと、フレちゃんは楽しげにそこへ吸い込まれていく。

 アタシは特に用も無いので、お店の前で傘を差してボーッと待つことにした。

 電車はちゃんと動いているだろうか。多少ダイヤに遅れはあるかも知れない。

 だが、高架に雷が落ちるでも無い限り、目的地までの経路に大きな支障は生じ得ないはずだ。

「シキちゃーん!」


 ――?

「シキちゃんヘンタイ! あっウソ、タイヘン! 傘無かった!」
「えっ?」

「売り切れちゃってたの! 次のコンビニまでトゥギャザーレッツゴー♪」

「あ、ちょ、ちょっと」

 傘の中にスイッと入り、携帯を持っていない方の手で傘の柄をアタシの手の上から掴み、フレちゃんはニコッと笑った。


 おかしいな。さっきチラッと見た時には、出入口の辺りにそこそこ陳列されていたように見えたけど。


462: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:19:57.45 ID:m6szqZZ10

 その次も、その次のコンビニでも――。


「シキちゃーん! 次行こ、次っ!」

「シキちゃーん、三度目! 三度目の正直! おフランスの顔も三度まで!」

「んー、残念っ! いやー残念デリカだよー☆」


 明らかにおかしい。

 敢えて指摘をしていないが、確かにコンビニに傘は置いてあるのだ。

 それを、悉く売り切れだの予約完売だの、テキトーな理由を付けてフレちゃんはそれをはぐらかす。


 ただ一つ分かることは、明確な意志で以てフレちゃんは、こんなふざけた振る舞いをしているということ。

 駅からも、どんどん遠ざかっていく。



「フレちゃん」


463: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:21:13.04 ID:m6szqZZ10

「ン?」

 このまま騙されたフリをして付き合ってみるのも、悪くはない。

 でも、生憎今のアタシには余裕が無いのだ。

 要点を、結論をさっさと教えてほしかった。


「ひょっとして、どこか行きたい所、あるの?」



「うん」

 フレちゃんは、静かに、優しく笑って、一緒の傘を持った。


464: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:25:39.64 ID:m6szqZZ10

 土砂降りの雨の中、連れられた場所――。

「ここは――」

 公園だった。それも、サマーフェスを行った所。


 何も言わず、ステージが設営されていた場所まで、アタシはフレちゃんの歩みに従った。

 フレちゃんも、何も言わなかった。ただ、その表情はとても柔らかかった。


 やがて、一応の目的地らしい東屋にようやくたどり着き、フレちゃんは傘を閉じた。

「いやーすごいねこりゃ。あの日も雨だったけど、今日はトビキリだね。
 まー何も無いけどゆっくりしてってよ☆」

「あれ、ここフレちゃんち? にゃはは」

 フレちゃんに倣い、中央のベンチに腰を下ろした。


 長い間歩かされて、靴だけでなくスカートも袖もビショビショ。髪はシナシナだ。

 それはフレちゃんも同じなんだけど、彼女を見るとどうやらそれを鬱陶しく思っている節は無さそう。


465: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:27:24.81 ID:m6szqZZ10

「アタシね? あのフェスが終わった後、結構ココに来てるんだ♪」

 東屋の手すりを掴み、広場の方を見やりながら、フレちゃんが語り出した。

 アタシは、ふっと顔を上げ、黙ってそれに耳を傾ける。


「天気の良い日は、ココじゃなくて、ほら、あそこにベンチあるでしょ?
 あそこに座ってボーッとしてたり、緑道をフラフラ歩いてみたり」

「散歩してるワンちゃんにコンニチハしたり、池にプカプカ浮かんでるカモ先生を、女の子と一緒にボーッと眺めたりするの」

「たまに男の子達から、キャッチボールとか、フリスビーに誘われることもあってね?」

「でもフレちゃん、ノーコンだからあっちこっちに投げちゃって、その子達から怒られてもータイヘンでさー☆」


 ケラケラと笑い声が聞こえる。

 ただ、フレちゃんは広場の方をずっと向いているから、どんな表情なのかは分からない。


「ここで出会う、全てのことが楽しくて、大好きで、愛おしいんだー。
 アタシにとって、きっと人生で一番ステキな瞬間を手に入れた場所だから」


466: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:29:28.50 ID:m6szqZZ10

「――フェス、楽しかったね」

 一応、同調してみせた。

 いや――一応ではない。疑いなく、それはアタシの本心だった。


 彼のナンセンスな提案を反故にして自前の計画を決行し、見事結果に結びつけた事が痛快だったのもある。

 しかし、それ以上に、こんな賑やかで愉快な仲間達と一緒に切磋琢磨して、その喜びを共有できた事が、アタシにとって何より得難いものだった。

 ここは確かに、アタシにとっても、特別な場所だったのだ。


 フレちゃんは、思い出したように鞄を漁り、先ほどのミカンを取り出した。

「――さっき、このミカンどうしたのって、シキちゃん聞いたじゃない?」

 クルッと振り返ると――あぁ、良かった。


 フレちゃん、やっぱりいつもの笑顔だ。

 いつもの――?


467: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:32:49.72 ID:m6szqZZ10

「このミカンね? ――通りすがりのおばーちゃんから、もらったの」


 その一言に、アタシはハッとした。全てを合点した。

「たぶん、シキちゃんも、おんなじ人からもらったんじゃないかなって。
 ヘンな喋り方した、おばーちゃん」


「――フレちゃん」

 やはり、そうだったのか。

 あのおばあちゃんに、アタシが美嘉ちゃんはじめ、皆に申し訳ないなんて吐露していた事も、フレちゃんは知ってしまっている。

 詳細な事実は知る由も無いはずだけど、彼女はアタシの事を心配して、引き留めたかったのだ。



 ダメなんだよ。それは。それ以上、知ってはならない。


468: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:38:11.43 ID:m6szqZZ10

 どんなに得体の知れないものでも解明できるという、根拠の無い驕りがあったのだと思う。

 だがそれは、アタシの想定以上に取り留めが無く、それでいて大きい、怖いものだった。

 アタシの愚かしいことには、それに気づくのが遅すぎたのだ。


 どうにかならないのかと、アタシは彼にすがった。

 ケミストの端くれでありながら一切の提案も打ち出せず、こんな漠然とした情けないお願いを人にするのは初めてだった。

 彼は、苦しそうに首を振るしかなかった――そうであろう事は、知っていたはずなのに。



 島村卯月ちゃんが、アタシに話したい事があると言って、コンタクトを取ってきたのは一月ほど前。

 にゃるほど、誰がどうやって音声プラグを引っこ抜くのかは知らなかったけど、そういう事だったのねー。

 泣きながら胸の内を吐露して謝る卯月ちゃんに、努めてアタシは冷静に、穏やかに声を掛ける。

 彼女も、大人の都合に振り回され、苦しい役どころを強いられた犠牲者なのだ。

 さらには、仲間達に――未央ちゃんや凜ちゃん達にも打ち明けられず、一人で抱え込んできた苦しみは、如何ばかりか。

 そして――。


 こんなに理不尽な事があって良いのか――!


469: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:40:30.89 ID:m6szqZZ10

 アイドルとは、まさしく虚像だ。

 彼女達は、夢を見て、夢を生き、夢を信じている。

 それが活力となり、輝きになる。理屈も捉え所も無いものが彼女達の糧であり、生きる道理なのだ。

 それを手の平の上で転がす輩がいると知った時、彼女達はどうなる――?


 現実を見せる訳にはいかないんだ。

 それを覆い隠すための虚像がアタシ。

 皆には、どーしようもない女が好き放題やって騒がしてくれたもんだと、そう思ってもらいたかった。

 あんな始末に負えないコがいなくなって清々した、と。

 だから――。


「柑橘系のあの爽やか~な香りの正体、フレちゃん知ってる?」

 誘い笑いをしながら、アタシは全然関係の無い話を始める。まずは話題を逸らすべきだと判断した。


470: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:43:00.57 ID:m6szqZZ10

「シトラスの香り、なんてよくシャンプーのCMとかで使われるよね。
 まさにシトラスってのが柑橘類を指す言葉なんだけど、それらの皮に含まれる代表成分がリモネンって言ってね?
 これを嗅ぐことでリラックスできたり、ドパミンとかの神経伝達物質をドバドバ出してくれたりするんだよねー♪」

 ズラズラとくだらない事を並べ立てながら、アタシは手元のミカンの皮に指をかける。

 若いとはおばあちゃんも言っていたが、思いのほか固い上に、手が悴んで上手く剥けない。

 フレちゃんの方へ視線を向ける事ができなかったから、首を傾げながらミカンに集中するフリをした。

「ただ、香りの元となる成分は? って話だと実はリモネンじゃなくって、オクタナールっていう脂肪族アルデヒド――」

 その時。


 ビカァッ!!

 と先ほどまで文字通り鳴りを潜めていた雷が、真っ暗な空間をアタシ達ごと追い出すかのように照らし尽くした。

「キャ――!」

 堪らず小さく悲鳴をあげてしまう。遅れて聞こえる轟音。



「シキちゃんはさ」

 一方でフレちゃんは、どこか淡々としている。


471: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:43:43.89 ID:m6szqZZ10



「雷は、好き?」




472: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:45:41.41 ID:m6szqZZ10

「えっ?」

 思わず顔を見上げる。

 相変わらずフレちゃんの表情は、とても穏やかで、優しい笑顔だった。


「す――」

 好きとか嫌いとか、そういう次元で雷を考えたことなんて無かった。

 自然現象だから、当然にアタシ個人の好みでどうこう出来るものでもない。

 空と地上の電位差による放電現象を、いつかは正確に予知し、あるいは意のままに操る事も出来るだろうか。

 そうなれば、それは恐怖の対象でなくなる。だけど――。


 テキトーそうに問うたフレちゃんの、そのテンションに合わせた回答をするなら、

「嫌い、かなぁ? だって当たったら死んじゃうでしょ?」


「アハハ、だよねー☆」

 フレちゃんはニッコリと満足げに笑った。彼女がアタシに何を期待したのか、分からない。


473: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:48:40.17 ID:m6szqZZ10

「でもね?」

 フレちゃんは、広場の方へ向き直った。


「アタシは、好きになりたいなって、思うんだ」


「好きになりたい?」

 どういう事だろう。

 好き嫌いは感覚であり、そうでありたいと努めようとして自身の感情をねじ曲げるのはおかしい。


「アタシもね。怖いよ、雷。
 あんなにビカビカーッ! って光って、ドドーッ!! ってもの凄い音が鳴ってさ。
 この世の終わりかってくらい、ホントにおヘソ取られちゃうんじゃないかって」

「フレちゃん――?」


「雷は、どう考えているのかな?」

「は?」


474: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:50:49.64 ID:m6szqZZ10

「たとえばさ――実は、雷も、友達が欲しいんじゃないかな、って、思うときがあるの」


 真っ白い世界が瞬間的に訪れ、先ほどよりも激しい轟音が、東屋を切り裂いていく。

「ホントは、ゴリラみたいにイカツい顔をした神様かも知れない。
 触れた人をみんな傷つけてしまうから、余計に怖がられちゃってるのかも知れない」

 フレちゃんは、東屋の外に向けて右手をサァッと挙げ、それを握ったり閉じたりしてみせた。


「でもさ――ホントは、握手をしたいだけなんだとしたら?」

「握手?」


「不器用だけど、友達がほしくて、お空の上から地上に向けて、一生懸命手を伸ばしているんだとしたら――」


 手すりを掴んでいる方の手をギュッと握りしめる。

「そうやって、勇気を出して伸ばしてくれた手を、たとえ怖くても、アタシは拒みたくはないの」

「自分が雷に当たって死んじゃうとしても?」


475: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:52:57.14 ID:m6szqZZ10

「その子の気持ちには、応えてあげられるからね。
 なーんて、フレちゃんカッコつけすぎ? アハハ!」

「フレちゃん」

 言わんとしていることが、分からない。

 一つ言える事は、フレちゃんは未だにアタシに好意を持ってくれている。

 アタシを引き留めようとしてくれている。

 それがありがたくて、それ故に苦痛で仕方が無い。


「アタシ、もう行くね? 傘ありがとう、フレちゃん」

 元々びしょ濡れだし、その辺でタクシーでも捕まえよう。風体を気にしてる場合じゃない。


 さようならだ。フレちゃんにも、ちゃんとアタシの事を嫌いになってほしかった。



「怖がらないで、いいんだよ」


「――――えっ」

 フレちゃんは、いつの間にかこっちを向いていた。やはり、笑っていた。


476: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:57:45.77 ID:m6szqZZ10

「シキちゃんがどんな風に思っていたとしても、アタシは手を伸ばし続けるよー☆ びよーん♪」



「フレちゃん――違うんだよ。もういいんだよ」

 言うな。言っちゃダメだ。


「アタシはもうアイドルなんてどうでもいいの。ダルいし窮屈だし、メンドくさくて」

 嫌だ――。

「皆の事だってウンザリ。なんで思うようにしてくれないの? どうしてアタシに協調を強いるの?
 ユニットだからっていう短絡的な理由でアタシを束縛したいなら、もうアタシの取るべき行動は一つしか無いじゃん」

 もっと一緒に――。

「フレちゃんだって、こんな雨の中連れ回して、何を言うかと思えば――ホント呆れちゃうよ。
 友達なら何でも許されると思った? お願いだから放っといて。
 おバカな美嘉ちゃんにもよろしく言っといてよ、アタシ失踪するから」

 でも――。

「だから――だからっ!」

 もう一緒に、いられないから――。


「もう、やめてよ――アタシの事なんか、好きになろうとしないで――!」

 これ以上は、辛いだけだから――。


477: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:00:08.72 ID:m6szqZZ10

「シキちゃん、アタシね?」

 フレちゃんの声が聞こえる。顔を上げることができない。


「LIPPSって、すごいユニットだって思うの。
 だってシキちゃんだけじゃなくって、カナデちゃんもシューコちゃんもミカちゃんもいるんだよ?
 すんごく楽しいし、皆がいてくれるからアタシもやりたい事だけをやれて、良いカンジのバランスで成り立ってるLIPPSが大好き、でっ、さ」


 ゴトッ――!

 と、音が聞こえたので、フレちゃんの足元を見ると、携帯が落ちていた。

 疑いなく、それはフレちゃんのものだった。えっ――?


 フレちゃんの携帯――今まで、どこにあったの? 鞄から落ちたとは思えない。


「LIPPS、大好きなの、アタシ――だから、手を、伸ばし、たいのっ」


 声が絶え絶えになりつつあるのを不思議に思い、顔を上げる。

 フレちゃんは――。


 ――こんな、フレちゃんの顔を見るのは初めてだ。

 こんな、一生懸命な笑顔を見るのは。そして――。


478: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:09:11.50 ID:m6szqZZ10

 違和感の正体を探るため、自分の携帯を取り出した。

 案の定、皆からの着信がすごい事になっている。その内容は――。


 ――そうか。


 フレちゃんが、皆と一生懸命、連絡を取り合ってくれていたんだ。

 携帯にずぼらなフレちゃんが、皆とのつながりを確かめるように。その手が離れてしまわないように。


 おかしいと思うはずだ。

 今日出会ってから、フレちゃんはずっと携帯を握りしめていた。

 それが無くても皆と一緒にいられるという安心感から、普段の彼女は携帯に頓着を示さない。

 しかし今、彼女はその携帯で、LIPPSがバラバラにならないよう尽力してくれていた。

 皆とのつながりが途絶えてしまう事への不安を、彼女は懸命に押し殺すように、ずっと握りしめていたのだ。


「楽しいから――好き、だから」

 フレちゃんは、ぱっと東屋を飛び出した。


479: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:10:46.38 ID:m6szqZZ10

「ふ、フレちゃ――!」


 ザァザァ降りの雨に打たれ、天を見上げる。まるで雷を待っているかのようだった。

 やがて、それがしばらく経っても来ないのを認めると、彼女はアタシに顔を向けた。



「好き、ってだけじゃ――ダメなのかなぁ――!」



 顔をクシャクシャにして、それでもフレちゃんは笑った。

 泣いているのかどうかは、彼女の顔が雨に濡れているから分からない。


 アタシはフレちゃんのもとに飛び出した。

 今にも溢れ出てしまいそうなそれを、遠目に悟られたくなかったから。


480: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:16:03.63 ID:m6szqZZ10

「フレちゃん――」

「うわぁ――何してんのシキちゃん、風邪引いちゃうよ?」
「――それ、フレちゃんが言う? にゃはははー♪」

 笑いながら、フレちゃんはその場で踊りだした。

 あのフェスで披露した、アカペラアレンジバージョン――の、フレちゃんアレンジだ。

 鼻歌に促され、アタシも負けじとステップを踏んでみせる。

 抑えきれない感情を誤魔化そうと、幾分ムキになってしまうおかげで、存分に泥は跳ね、スカートはベトベトだ。

 すごいすごいと、フレちゃんが嬉しそうに手拍子をしてくれるから、すっかりその気になって、気づくと二人とも泥だらけだった。

 お互いに指を差し合い、ケラケラと笑う。

 先ほどまで渦巻いていた負の感情が、すごくちっぽけに思えた。


 同時に、大音量の雨音の合間から、パトカーのサイレンの音が遠くで微かに聞こえる。

 どこかで事故でも起こったのだろうか?



「志希ちゃんっ!!」


 ふと、アタシを呼ぶ声がした。

 フレちゃんが嬉しそうに手を振るので、振り返ってみると――。


481: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:20:44.40 ID:m6szqZZ10

 まさか――。


「志希ちゃん――志希ちゃぁん――!!」

 なぜ持っていたのか、ヘルメットをその場に投げ置き、美嘉ちゃんがアタシ達の元へ駆け寄ってくる。

 遠目からでも、この子の感情は本当に分かりやすい。どこまでも、呆れるほどに真っ直ぐだ。

「志希ちゃん、全部――全部聞いたっ!! 周子ちゃんから! プロデューサーや奏ちゃんからも、全部――!!」



「――そっか」

 アタシの計画は、全部――知られちゃったかぁ。


 年貢の納め時、っていうヤツかにゃ?

「そっかじゃないよ!! 何で、なんでアタシ達に、しら、せ、えっ――ぐ――!!」


 雨の中でもそれと分かるほどに大粒の涙を流しながら、美嘉ちゃんはアタシに抱きついた。

「ごめん、志希ちゃん。ほんとに、アタシ――ほんとに、ひどかったよね――!」


482: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:23:29.76 ID:m6szqZZ10

「苦しい、苦しいよ美嘉ちゃん。にゃははー」

 アタシの胸の中でわんわんと泣く美嘉ちゃんに、かける言葉が見つからない。


 困ったなぁ。割とホントに、苦しいんだけどなぁ。

 胸の奥が、苦しくて――。


「あはは、は、は――」

 強く抱きしめられると、こんなに温かいものなんだって、知らなかったから。


 行き場を失った感情が、溢れ出てしまうのを、もうアタシは堪える事ができない。



「ひ、いっ――う、うぅ、わああぁぁ――!」


 まだアタシは、皆と一緒にいて良いのかな――。



 脅し立てるように打ち付けていた大雨が、万雷の拍手に変わっていく。

 ようやく出会えた友達に、稲光が喜びを告げ、フレちゃんは笑った。


488: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:24:03.66 ID:m6szqZZ10

【10】

 (・)

「外ヤベーッスねー、雨」
「今日は会社に泊まりますかね」
「京王線は動いてるんじゃなかったでしたっけ? 確か、家は笹塚でしたよね?」
「まぁまぁアリさん、ヤボな事言いなさんなや。今日は皆でパーッと酒盛りしようぜ」
「や、ヤァさんあれだけ出血しといて、お酒なんて飲んだら」
「心配すんな、チビ太よ。酒はひゃくやくのチョーだろうが」

「それで、どうするんですか? 奏ちゃんもあれだけ言ってたでしょう」
「下まで送りに行った時、彼女、ずーっとプリプリ怒ってましたよ?」
「プリプリ屁こいてた?」
「いや、屁はこかないでしょ」
「ギャハハハ!」

「不必要な事を言いたくない、という気持ちも分かります。僕も敢えて言う必要は無いと思いますし。
 ただ、彼女達に不信感を与えるような態度をいたずらに取る必要も無いと思うんです」
「まぁ、そうですよね、うん」


490: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:26:37.30 ID:m6szqZZ10

「まーあれッスよ、あの子達に言いたくないんなら、オレ達が聞きまスよ」
「ヤァさんは酒の肴にしたいだけでしょ?」
「よく分かったな、寝る前の恋バナみたいでおもしれーじゃん」
「人の話を面白いって」
「まーまーアリさん! オレらにまず話してみればさ、ほら、この人も何つーか心のハードルが下がってあの子達に言いやすくなるかも知んねーじゃないッスか」
「――そりゃあ、そうかも知れませんが」
「でしょ?」

「いーから、とにかくさっさと乾杯しましょ乾杯。ほら、持って持って」
「じゃあ、とりあえずアリさん、音頭を」
「え、あ、あの――本日は、本当にすみま」
「ウェーイ、クソ野郎の円満退社にかんぱぁーい!!」
「あ、えぇぇ――」


「大丈夫ッス。オレらは誰にも言わないッスから、ねっ?」

「実際、俺らも興味ありますし。過去のお話」

「誰かに話して、楽になる事もありますよ」


「――――」


491: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:28:08.76 ID:m6szqZZ10

 小さい頃は、親父の膝の上が好きだった。

 彼がデカンタにワインを並々と注いでいくのを、特等席で見るのが楽しみだった。


 だが、それも直に見れなくなった。

 親父が仕事で干されたのだ。

 当時の職長を殴ったらしい。


 めっきり仕事が減った親父は家に居座るようになり、安い酒を大量に煽るようになった。

 俺や母さんに暴力も振るいだした。

 出過ぎた真似をすれば拳が飛んでくることを知ったので、俺は大人しいイエスマンに徹した。

 反抗するだけ無駄だと、母さんも気づいていたのだろう。黙って彼に従っていた。

 甲斐性無しの癖に偉そうにふんぞり返る親父を、俺は心の中で軽蔑していた。


492: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:30:00.76 ID:m6szqZZ10

 我慢して地元の高校を出て、東京の大学に進学する際、ようやく俺は上京した。

 奨学金で学費を賄い、バイトして金を貯めるだけの4年間だった。

 実家の援助は断った。


 最初の会社は、一年目は現場に張り付くことになった。

 職人さん達の怒号が一日中飛び交う中、彼らの施工状況をチェックし、時には是正を指示する。

 だが、大卒の青二才が指摘した所で、百戦錬磨の職人さん方が二つ返事で話を聞いてくれるはずもない。

 お前に何が分かると、無視して自主検査がパスされ、監理者検査で案の定そこを指摘される。

 どこ見て仕事してんだと、監理者に怒られた上司から俺は怒られる。


 職人さんが帰ってからが俺達の仕事で、先輩に怒鳴られながら次の日の工程を見直し、書類を整える。

 席を立ち、少しでもサボる時間を作るために、タバコを覚えた。


493: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:33:40.95 ID:m6szqZZ10

 二年目は現場から離れ、一転して本社の営業に回された。

 クライアントと設計部を行ったり来たりして、案の定その板挟みに遭う仕事だ。

「こんな事もできんのか」とクライアントにはどやされ、「何でも首を縦に振ってくんじゃねぇ」と設計部からは突き返される。

 俺は何のためにいるんだろうと、何一つ誰にも言い返せない自分がむなしかった。


 このままこの会社にいたら、俺は人の心を失ってしまう――そう思い、一度目の転職を考えた。

 安定性と仕事量のバランスを求め、狙いを付けたのは公務員だ。

 地方は暇らしいという噂は、何度か聞いていた。


 学校なんて通える暇も金も無かったから、参考書を買って、仕事の合間を縫って勉強した。

 人生最大の努力だった。

 これを逃したら俺はこの会社に殺されると思ったら、人間こんなにも頑張れるものなのかと、自分に驚いた。

 天啓があったのか、入社して三年目の夏、翌年度の俺の市役所入りが決まった。

 退職届を出し、会社の人達からは盛大に送別会を開いてもらい、意気揚々と4月から入庁した。


494: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:35:54.59 ID:m6szqZZ10

 努力した先に輝かしい未来が待っていると信じていた。

 期待に胸を膨らませる俺を待ち受けていたのは、クソのような現実だった。


 公共工事を発注する際には、業者に対し公平性が保たれるよう、一定の入札ルールがある。

 特定の業者に肩入れするような発注の仕方はできないのだ。

 ところが、入庁して早々、俺に課せられた仕事がまさにそれだった。


 早い話、俺の勤め先は、いわゆる“先生”と呼ばれる地元の有力者とズブズブの関係だったのだ。

 その先生が贔屓にしている業者が受注できるよう、俺達は入札ルールをねじ曲げさせられた。

 代わりに、俺達にも一定の飴がもたらされるのだが、それは俺の上司が根こそぎ回収していった。

 定年退職が決まっていたジジイ共が、最後の年になって先生共とグルになり、甘い汁を吸ったのだ。

 官製談合が横行していた昔の感覚そのままに汚職をしたジジイ共の尻ぬぐいをするのは、俺だった。


 それが優良な業者だったらまだ救いもあったが、残念な事にお粗末で、挙げ句の果てには事故まで起こした。

 管理責任を問われるのは、監督員である俺だ。ジジイ共は退職前の有給を使い切るため、職場に来ていない。


495: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:38:28.65 ID:m6szqZZ10

 デスマーチを経てなんとか工事は終わらせたものの、待っているのは監査と会計検査だ。

 タチの悪い事に、東京都や国からの補助金を充当している工事であり、発注方法から何から説明を求められる。

 ルールをねじ曲げた、と説明できるはずが無く、かといって合理的な説明もできない。

 俺だっておかしいと思っているのに、経緯を知らない新しい上司からは、当時の発注方法について責められる。


 どうやって無事にそれらを切り抜けたのか、覚えていない。

 たぶん、どこも似たような事をやっている手前、それを指摘して大事になれば自分達も藪蛇であると、検査員側も考えたのかも知れない。

 上手くいったと、安堵した上司が胸をなで下ろす。

 おかしな事を言いやがる。上手に不正を隠匿するのが俺達の仕事なのか?


 役所勤めの二年間で学んだことは、言い訳の仕方と、そのための資料や書類の作り方。

 そして、自分が原因者にならないための立ち回りを――責任は負うものでなく、押しつけるものだということを。

 性格は、とことん悪くなった。


496: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:44:32.01 ID:m6szqZZ10

 世の中にはもっと苦しい事もあるだろうし、俺の受けた苦しみなんて屁みたいなもんだと言う人もいるだろう。

 俺も、今振り返ってみれば、やりようはどうにかあったし、それに耐えた先の未来もあっただろうと思う。

 だが、人の幸不幸や苦しみは、定量的に、相対的に量れるものではない。

 誰かにとっては蟻に噛まれる程度でも、当時の俺にとっては象に踏み潰されるほどの苦しみだったのだ。

 期待は裏切られるもの――調子に乗った奴は叩き落とされる事を思い知った。


 すっかり乾いた眼に一つの求人を見つけたのは、出張先のコンサートホールだった。

 老朽化した公共施設の修繕工事を発注するに当り、現地を下見しに行った際、そこの掲示板にスタッフ募集のチラシが貼ってあった。

 おそらく、バイトみたいなものだろう。


 水が上から下へ流れ落ちるように、楽な方へ、楽な方へと自分の体を預けていく癖が、既に出来ていた。

 こっそりチラシを手にし、腹が痛いからと午後は早退して、その日のうちに電話をする。

 聞いてみると、俺がいた役所の外郭団体らしい。要するに、施設管理を役所から受託している法人だ。

 俺が役所の人間であることを伝えると、そのツテでトントンと話は進み、来春からの配属がすぐに決まった。

 年明けには、役所に退職届を提出した。


497: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:46:10.40 ID:m6szqZZ10

 給料は下がったが、民間時代に使う暇も無いまま蓄えたものもあったので、それほど切迫感も無かった。

 電話応対、施設使用者への鍵の貸し出し、設備や備品の点検、チラシの張り出し。

 同僚のおじちゃん、おばちゃん達と菓子を摘まみ、窓口の客と世間話をしながら、ゆっくりと時間が過ぎていく職場だ。

 今までの職場を思えば、植物のように張り合いの無いこの生活が、天国のように思えた。


 当初は非正規の雇用形態だったが、職員の一人が病気のため退職すると、直にその穴埋めのため、二年目には正職員となった。

 やることは変わらない上に、給料はちょっとだけ上がった。それでも民間時代の半分だ。

 このまま俺は、火傷も感動もする事の無い、つまらない人生を送っていくのだろう。



 転機が起きたのは、そこに勤めて三年目の冬だった。


498: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:49:05.58 ID:m6szqZZ10

 俺が勤めていた施設は、規模が中途半端であった分、その利用者も微妙に幅広かった。

 爺さん婆さん達で構成される生涯学習サークルの、音楽やら演劇関係の発表会。

 うさんくさそうな大学教授や某企業の社長さんによる講演会。

 芸人のライブや、オケもあったっけ。オーケストラ。


 地元の学校の生徒さん達による、合唱部の練習に利用される事もままあった。

 もちろん、合唱発表会の本番に使われる事も。

 何度も利用してくれる学校の生徒さん達とは、俺はそこそこ仲良くできていたと思う。


 そんな中、俺は一人の少女に出会った。


499: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:50:59.53 ID:m6szqZZ10

 その子は、小学校の合唱発表会で来ていたようだった。

 ただ、周りの子達と溶け込めておらず、一際目を引く青みがかった綺麗な長髪が、余計に異質な存在感を放っていた。

 他の子達も、露骨にイジメている訳ではないものの、明らかに彼女の事を煙たがっているようだった。

 本番前の練習で、他の子達から数歩離れた位置に一人ぽつんと立ち、ギュッと口をつぐんで頑なに歌おうとしないその子が、見るに堪えなかった。


 普段は余計な事に首は突っ込まないのだが、あまりに刺激の無い生活に、内心飽きていたのかも知れない。

 休憩時間、ロビーでやはり寂しそうに一人座っている彼女を見つけ、気まぐれに声を掛けた。


 歌は嫌いかい? お兄ちゃんもな、人前で歌うの恥ずかしいから、よく分かるよ。



 だが、少女は首を振った。歌は好きだという。


 ――――?


500: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:54:33.36 ID:m6szqZZ10

 学校の皆とは、一緒に歌いたくない?  ――少女は、頷いた。

 一緒に歌ったことは、あるの?  ――少女は、首を振った。


 他の子達は、歌に対して真剣じゃないから嫌い、という。



 そっか――。

 じゃあ、試しに一度だけ、一緒に歌ってみてあげたらどうかな?


 そう提案すると、少女は顔を上げて、不思議なものを見るように俺の顔をのぞき見た。


 一緒に歌ったことが無いのに、真剣じゃないなんて決めつけて、心を閉ざしたらもったいない。

 一度だけだよ。皆のことを嫌いになるのは、それからでも遅くはないと思うよ。



 ――発表会本番で、彼女は俺の提案通り、歌ってくれた。

 小さい体に秘められた声量もさることながら、驚くほど綺麗で美しく、力強くも繊細な歌声が、強烈に印象に残った。

 演奏後、彼女は興奮気味の同級生達に取り囲まれて当惑していた。


501: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:56:30.80 ID:m6szqZZ10

 柄にも無くキザったらしい事をしてしまったが、まぁ――これはこれで、良かったのかな。

 そう、一人客席の隅っこに立って物思いに耽っていると、後ろから肩を叩かれた。

 誰だ、館長か? やべっ、サボッてるのがバレ――た訳では無かった。


 俺の肩を叩いたのは館長ではなく、茶色いスーツを着た壮年の男性だった。


 曰く、近くアイドル事務所の立ち上げを考えているらしく、その中心的スタッフであるプロデューサーなる人材を探しているらしい。

 そして、彼は俺をそのプロデューサーとして、ぜひスカウトしたいのだという。

 なんでも、先ほどの少女とのやり取りを見て、ティンと来たらしい。原文ママ。


 渡された名刺を見ると、何ともヘンテコな名前だが、それ以上に心配なのが、新規立ち上げという点だ。

 安定性を是とする俺の価値観と異にするこのシチュエーションは、当然に忌避すべきではあるのだけど、このおっさんが思いの外しつこい。

 まぁ、半日程度話を聞くだけなら良いですよ、と渋々了承した。

 話を聞くフリだけして「やっぱ無理です、ごめんなさい」と断ってさっさと帰ってやろう。


502: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:57:18.43 ID:m6szqZZ10

 マルチ等の勧誘を断る際のセオリーは、その場でキッパリ断ること。

 話だけ聞く、という半端な対応は御法度であるという。


 後にして思えば、俺はここで道を踏み外したのだ。


503: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:59:26.38 ID:m6szqZZ10

 渡された名刺の住所から最寄り駅を調べ、当日、その駅からタクシーで向かった。

 運ちゃんに事務所名を伝えると、小首を傾げた後「あぁ、あそこね」と合点した様子で車を走らせる。


 ――何だか、やけに駅から遠いな、とは思った。


 出向いた先は、天にも届かんとばかりの、随分と立派な高層ビルだった。

 新規に立ち上げたとは思えない、格式高いエントランスをくぐると、配慮の行き届いた案内嬢が出迎えてくれた。

 社長に呼ばれて来た旨を伝えると、少し疑問符を浮かべながら、案内の女性は奥へと消えていく。


 ロビーで待つよう促され、とりあえず座ってみたものの、あまり綺麗な空間なもので落ち着かない。

 スーツを着るのも久しぶりだったので、肩が凝って仕方が無かった。


 こんな自社ビルを所有するとは、飄々としていながらあのおっさん、何者だ――。

 そう思いながら待つこと20分、おっさんがやって来た。


 だが、そのおっさんは、俺がこの間会ったおっさんとは別人だった。


504: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:02:02.71 ID:m6szqZZ10

 え――!?


 曰く、ここは961プロという別の事務所で、俺をスカウトしたおっさんは765プロの社長だという。

 そんなん知るかよ! いや、ロクに調べもせず、行先を正確に運ちゃんに伝えなかった俺が悪いけども。

 だが、数字3文字のヘンテコな名前した芸能事務所がそう何社もあるなんて、普通は思わねぇべ!


「フン、間抜けが――だが、良い機会だ。キミにはとっておきの転職先を用意してあげる事にしたよ」

 歳の割に派手でキザったらしく、どうにも高慢なそのおっさんが、俺に一枚の紙を差し出した。


 見ると、それは別の事務所――346プロダクションとかいう所のパンフレットだ。

 また数字3文字? 何なんだこれは。


「予定を取り付けておいたから、暇であればこれから出向いてみるがいい。
 もっとも、この話を反故にしたら、キミの身の安全は保障できんがねぇ。ン~~?」

 脅しとも取れる高圧的な態度で、おっさんはそのパンフレットを俺の手に強引に握らせ、そのまま背を向けて去って行った。


 後になって、彼が961プロの社長だと知った。
 あんなオラついた人が社長かよ、大丈夫?


505: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:05:26.67 ID:m6szqZZ10

 ここまで来て何もせず帰ったら、何のために今日有給を取ったのか分からない。

 そんなくだらない貧乏性から、俺の足はその346プロなる事務所へ向けられていた。


 着いてみると、これはまた趣向の違う立派さが漂う建物だ。

 とにかく超高層ビルだった961プロと違い、346プロの事務所は驚くほどという高さは無い。

 一方で、外観の装飾は煌びやかで、門塀も格調高い。外構の植栽も手入れが行き届いているようだ。

 いたずらに高層でない事が、逆に敷地内の容積を贅沢に使用していることの証左でもあるかのように思える。


 エントランスに入ってすぐそばの、一流ホテルを思わせる受付に用件を伝える。

 丁寧に会議室に通され、10分ほど待つと、白髪頭の壮年の眼鏡の男性が、秘書と思わしき緑の制服を着た女性と一緒に現れた。


 アイドル事業部の今西部長と、総務部管理課の千川さんだ。


506: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:07:22.49 ID:m6szqZZ10

 今西部長の口から伝えられたのは、俺にとって驚くべき内容だった。

「それでは、4月1日よりよろしく頼むよ。何か分からない事があれば、彼女に聞くと良い」


 ――?

 さっそく分からない。どういう事だ?

 聞けと言われたその千川さんに目をやると、彼女は穏やかな笑みをたたえながら俺の前に用紙を差し出した。

「ご住所と、通勤経路をこちらに書いてご提出ください。
 旅費等の経費は翌月頭の精算払いになりますので、申告は漏れが無いようにお願いしますね」


 い、いや――ちょっと待ってください。
 いつの間にか、こちらで働くみたいな話になっていませんか?

「ん、違うのかね?」

 ちげーよ! と声を大にしてツッコみたい所をグッと堪える。


507: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:11:24.24 ID:m6szqZZ10

 どうやら、961プロから346プロへは、俺のことは優秀な人材として紹介されたらしい。

 明日にでも働きたいと、アイドル業界の未来を憂う期待のプロデューサーである、と。

 何考えてんだ、あのおっさん。


 と、これは後で知ったのだが――。

 当然、961プロは本心でそう思っていた訳ではなかった。むしろ、俺を一見して能無しと判断していた。

 それを346プロに、紹介という形で押しつける。当然、346プロは俺の扱いに困るだろう。

 だが、これを蔑ろにした時、961プロはそれを逆手に取り、346プロのイメージダウンを謀っていたようだ。


 同業他社からの好意的なビジネス提案を反故にするばかりか、求人にも後ろ向きで閉鎖的。

 事務所協同による業界の隆盛を望まない346プロは、自分本位の城を築こうとしている、と。


 あの短時間の間にそこまで算段を付け、346側とも段取りした辺り、961プロ社長の判断力と行動力には目を見張るものがある。

 ただ、少し飛躍しすぎじゃないかと思う――が、そこは信用に過敏な346プロである。

 ここで俺を叩き出した場合の、961プロの出方もよく承知していたのだろう。

 なので、一応のゲスト対応、というか、入社を受け入れる姿勢は示してみせたという事である。

 だが、最終判断は俺に委ねた――入社しなかった場合の原因者が346側にならないよう、彼らも老獪に立ち回ったというわけだ。


508: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:13:09.08 ID:m6szqZZ10

 曲がりなりにもコンサートホールの職員という事もあり、一般の人間よりは芸能分野に精通しているとでも思ったのだろうか。

 とはいえ、俺には当然、今の仕事がある。

 本来であれば、二つ返事でノーを突きつけるところであるが――。


 今一度考えてみてほしいという、穏やかかつ妙に熱のこもった今西部長の、去り際の一言。

 そして――。

 事務所を出る前、千川さんに促され、案内されたレッスンルームで目の当たりにした、一心不乱に汗を流す少女達。



 彼女達は、何のために、何を求め、斯様に苛烈な環境に身を置くのだろう?

 翌日以降も、俺はそれが脳裏に焼き付いて離れず、仕事が手につかない日々がしばらく続いた。


 見かねた館長が俺に声を掛ける。


509: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:14:35.88 ID:m6szqZZ10

「君には、おそらくここの仕事は退屈なんだろう。
 若く未来のある人間が、自分の力を持て余してはいけない」

 体良く自主退職を促しているのかとも思ったが、この館長さんは良い人だ。


 当時の俺は、刺激も抑揚も無いあそこの仕事によほど飽きていたらしい。

 魔が差すには、十分すぎるほどに。


 館長には、年度内いっぱいでの退職届を受け取ってもらい、346プロに電話をした。



 俺の人生観が決定的となったのは、この346プロでの一年目の仕事が全てだった。


510: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:17:58.28 ID:m6szqZZ10

 一年目、本社の事業三課に配属された。

 そこで一緒になったアリさんとは、当時から先輩後輩の間柄だった。

 彼は真面目で、俺は不真面目だから、アリさんはさぞかし扱いに困っただろうと思う。

 ただ、同郷だし同世代というのもあって、先輩でありながら気兼ねなく話せることもあった。

 同期入社にはヤァさんやチビさんもいたが、アリさんの方が割と付き合いは多かったように思う。


 そして、俺達はとある候補生に出会った。

 既に成人していた彼女は、候補生の中でも落ち着きのある女性だった。

 悪く言えば、自己主張をあまりしない子だったように記憶している。


 一応は俺が担当になったが、一年目の俺に全権が託される訳では無く、アリさんが副担に就いた。

 分からない事は全てアリさんに聞いて処理していたから、実質俺なんてプロデューサーとは名ばかりの連絡係のようなものだ。


511: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:20:27.02 ID:m6szqZZ10

 その子は、優秀だったと思う。

 ビジュアルはもちろん、ダンスもボーカルも、水準以上のものは優に備わっていた。

 オーディションを受ければ、同時期にデビューしたアイドル達などは相手にならず、楽々と合格できてしまう。


 オーディションを合格するたび、アリさんは子供のように喜んだ。

 仕事にもアイドルにも情熱を傾けていたから、それが認められた時の喜びはひとしおだっただろう。

 俺は、仕事が増えるのはあまり面白くないのだけど――でも、その子も喜んでいるように見えたから、別に良いかと思っていた。


 それで、調子に乗ったんだろうな。

 もちろん、勝てる算段があった上でのことだったが、その子をよりランクの高いオーディションに受けさせたのだ。


 そして、初めて負けた。

 緊張に押しつぶされて、彼女が本来の実力を出し切れなかったのは明らかだった。


512: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:21:45.75 ID:m6szqZZ10

 アリさんは彼女を励ました。もちろん、俺もフォローした。

 次は上手くいくさ、頑張ろう――そう言うと、彼女も微笑みを返してくれた。


 その次も、ダメだった。

 普段の彼女からは考えられないミスを、本番で犯した。

 どうにも様子がおかしいので、俺はアリさんに、しばらくオーディションは止めにしようと進言し、彼も了承した。



 仕事先への送迎や現場立ち会い、関係先との調整は、主担当である俺の仕事だ。

 アリさんまで全て付きっきりという訳にはいかない。

 つまり、彼女の異変に気づいたのは、俺しかいなかった。


 とある仕事帰りの車内で、彼女はひどく陰鬱な表情をして、ジッと俯いていた。


513: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:23:49.26 ID:m6szqZZ10

 最初は、仕事が忙しくて辛いのかな、と思った。

 無理しないで、キツかったらいくらでも休んでいいぞ。

 たとえ一日二日休んだ所で、今の君ならそう信用を無くすような事も無いだろう。

 アリさんはドタキャンなんて許さないだろうけど、俺は別に何とも思わないし、何なら俺も一緒に怒られるからさ。

 そう言ったけれど、彼女は首を横に振った。

 仕事は楽しいから大丈夫、と――。


 それから幾日か後、久々にオーディションを受けさせた。

 成功体験を積ませるためのものであり、彼女の実力なら、まず問題は無いレベルのはずだった。

 彼女は、アッサリと負けた。


 本社で待機するアリさんに報告すると、もっとオーディションを受けさせろと、上層部から迫られているという。

 後でゆっくり相談させてくださいと通話を切り、彼女の楽屋を開けると、荷物だけが置いてある。


 外に出て、建物の陰を覗いてみると、彼女は一人で泣いていた。


514: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:25:44.47 ID:m6szqZZ10

 彼女は言った。

 プロデューサーは、「これなら出来る」と私に期待して仕事を託してくれるのに、私はそれに応えることができない。

 私なりに頑張れば頑張るほど、どんどん自分が見えなくなっていく。

 私は、なんてダメなのだ――と。


 あまりに優しすぎる彼女は、物事を上手に割り切れるだけの器用さを持ち合わせていなかった。

 俺達の夢と期待を一身に受けてきた彼女の心は、ついに決壊してしまったのだ。


 俺は、彼女に引退を提案したが、彼女は泣きながら首を横に振った。

 自分の勝手な都合で、事務所に迷惑を掛ける訳にはいかない、と。

 何が迷惑なものか、自分の身を優先しろと説得したが、真面目すぎる彼女は聞く耳を持たない。


 早々に彼女を自宅に送り届け、その足で事務所に戻ってアリさんと相談をした。

 だが、上層部は彼女に“より一層の成長”を強いるつもりらしい。


 このままでは、彼女は本当に壊れてしまう。


515: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:27:34.96 ID:m6szqZZ10

 とあるライブの日だった。

 単独ライブではないが、そこそこ宣伝に金を掛けてもらっていた、小さくない規模のものだ。


 その当日俺は、ステージ衣装が注文していた仕様と全然違うと、スタッフに対して盛大にキレた。


 実際は、衣装は注文通りのもので、キレたのは当然、演技である。


 精一杯騒ぎ、喚き散らし、挙げ句の果てにはその衣装をビリビリに引き裂いてみせた。

 突然訳の分からない言い掛かりで怒り狂う俺を見て、スタッフはもとより、彼女もアリさんも相当驚いたと思う。


 止めに入ったスタッフの胸ぐらを俺が乱暴に掴み、グラグラと揺らした所で、アリさんが俺を取り押さえた。


516: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:30:29.12 ID:m6szqZZ10

 その日の仕事は、当然キャンセルとなった。

 それどころか、培ってきた業界への信用が台無しになったとして、346プロは彼女の起用を当面見送るとした。

 アリさんは上層部へ直談判しに行ったが、無駄だった。

 一人のプロデューサーが訳の分からない暴走をしたせいで、彼女は事実上、引退に追い込まれたのだ。


 あまりに突然だった俺の行動を、彼女がどう思ったのかは分からない。

 やがて彼女は事務所を去り、アリさんは俺を責めた。

 だが俺は、これ以上道義に反することをしたくは無かった。


 上層部は、当然に俺をクビにするつもりだったのだろう。

 だが、アリさんはそれについても進言をしていた。

 彼は精神的にかなり参っている。休ませる時間を与えてやってほしい、と。


 かくして俺は、人里離れた奥多摩支社に転属が決まり、悠々自適な社内ニート生活を送る事になる。

 メンタルを壊して離職した社員が相当数いると知られたら、業界に対して都合が悪いのだろう。

 そこは面目と体裁を気にする346プロ。そういう社員を匿う部署も用意している辺り、なんとも周到な事だ。


517: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:33:41.48 ID:m6szqZZ10

 この会社は――というより、この国は良くない意味で優しい。

 落ちこぼれの尻ぬぐいを、他の優秀な奴がやらされるシステムになっているのだ。

 正直者が馬鹿を見る、というのであれば、尻ぬぐいさせる側に回った方が良いに決まっている。


 そして何より――この業界は、何と残酷なことだろう。

 夢を見た者は、いずれ相対する非情な現実を前に打ちひしがれる。

 見る夢が大きいほど、それを手に出来なかった時の挫折は、非常な苦しみとなって彼女達を襲うのだ。

 俺自身、それを経験し、よく分かっていたはずなのに――それを彼女に強いてしまったのは、弁解の余地も無い。


 問題は、人が手にできる夢は限られるということ。

 そして、俺達プロデューサーは、彼女達に対し際限なく夢を煽り立てる側だということだ。


 俺達が彼女達に期待をさせてしまえば、それはいずれ待ち受ける挫折において落差を付けるための持ち上げにしかならない。

 俺自身、期待を裏切られる苦しみを味わってきたから、それを年端もいかない女の子達に強いるのはまっぴらゴメンだった。

 だから、辺境の事務所でずっと、そういう仕事からは遠ざかっていたかったのだけれど――。


518: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:36:46.35 ID:m6szqZZ10

 奥多摩支社に配属されて三年が経とうとした頃、翌年度の本社入りが決まった。

 鬱になった社員の穴埋めで、事業三課に戻る事になったのだ。

 上手いことやりやがって、と思ったが、どうやらソイツの鬱は本物だという。


 事業三課に戻って与えられた仕事は、候補生である速水奏さんの面倒。

 そして、新しい候補生のスカウトだった。


 今いる速水さんの面倒は、仕方が無い。

 できれば辞めさせてやりたい所だが、彼女自身が高い意識でもってそれを望むなら、何も言うまい。

 一方、新しい子をスカウトする――すなわち、非情な将来を約束された被害者を、俺自身が新たに引き入れるというのは、抵抗があった。

 だが、今度の上司は口うるさく不寛容で、適当に理由をつけて無視する訳にもいかないらしい。


 まぁ、そりゃそうか。それが俺達の仕事なんだものな。


519: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:43:09.58 ID:m6szqZZ10

 渋々街に繰り出して、めぼしい子を探してみる。

 と言っても、これだけ人がいる中で、誰か一人を特定するというのは非常に難儀な事だ。


 理想は、あまりやる気の無さそうな子がいい。

 レッスンや仕事が思いの外キツいとか言って、すぐ辞めてくれれば、その子が受けるダメージは少ないだろう。

 変に熱を持って、狭い視野でのめり込んでしまうような子は、後が怖い。

 アイドルに重心を傾けなさそうな子を、率先してスカウトするというのは矛盾を感じるが――理想は、それだ。


 そして、一人の女の子が目に付いた。

 透き通るような白い肌、銀色の髪に、整った顔立ち。スラリと伸びる長い手足。

 だが、容姿はこの際どうでも良い。


 その子は、駅ビルをボーッと見上げながら、東京ばな奈をモグモグと頬張っている。

 いかにも上京して間もない地方出身者――それに、あの若さだと自立して働いているようにも見えなかった。

 つまり、彼女に仕送りをやれるだけの、経済力のある後ろ盾が彼女にはいるらしい。

 差し詰め実家が裕福なのだろう。


520: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:45:58.64 ID:m6szqZZ10

 適当に声を掛け、喫茶店に招き入れる。

 話を聞くと、どうやら彼女は京都の和菓子屋の娘らしい。

 アイドルにもさして興味は無さそうだ。


 何という僥倖だろうか。

 アイドルを辞めたとしても、彼女には実家の和菓子屋という確固たる滑り止めがある。

 俺はこの子をスカウトすれば、上司に対して一応の面目は立つし、後で適当な理由で辞めてもらっても、この子自身が受ける傷は心身共に浅い。

 俺が求める理想の人材そのものだった。


 その子から、何で自分をスカウトしたのかと聞かれ、しどろもどろになりながら、俺は――。

「ティンと来たから」

 と答えた。


 きっと、馬鹿にしてるのかと思われただろう。

 俺だって、あの社長から言われた時は「はぁ?」と、今目の前にいるこの子と同じリアクションを返していた。

 だが、不思議なもんだよな。そうとしか答えようが無かった。


521: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:49:18.71 ID:m6szqZZ10

 その後については、特筆すべき事は無い。

 いつの間にか城ヶ崎さんが合流し、間もなく連中の意向により宮本さん、一ノ瀬さんも仲間入りして、今に至る。

 俺は、LIPPSの傍にたまたま居合わせたに過ぎず、能動的に彼女達を導いてきた事なんてただの一度として無かった。


 なぜなら、彼女達は今すぐにアイドルを辞めるべきだと思っているからだ。

 いや、彼女達だけじゃない。ほんの一握りの、本当のトップアイドル以外のアイドル達は、舞台を降りるべきなのだ。


 過信と期待は、身を滅ぼす。

 夢を追う限り、それはいずれ必ずやってくる。

 ああいう苦しみは、もう誰にも味わってほしくない。

 まして、あの支社長のように、クソみたいな輩の都合で弱い者が簡単に振り回される業界だ。


 逃れられない挫折に怯えながら、この腐った世界に長居しなきゃいけない理由がどこにあるというのか。

 俺は――もう何も期待できないし、彼女達も、何も期待しない方が良いのだ。



 ――――。


522: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:53:22.78 ID:m6szqZZ10

「――ふーーん?」
「重たい話ですねー」

「そうですね――服部さんの事は、本当に残念でした」

「服部さん、っつーんスか」
「高垣楓とは同世代、かつ同期でした。
 順当にいけば、今頃は彼女と双璧を成していたかも知れません」
「本当ですか? そんな人が――」

「僕もあの時、彼女の異変にちゃんと気づいてあげられたら――お偉方を説得できていたらと、後悔しない日はありません」


「ただね――彼女に期待をした、夢を託した、そのこと自体は、僕は間違いだとは思っていないんです」


「夢や期待が人を潰す、というのは、確かにそういう側面もあるのかも知れません。
 ですが、彼女の挫折は、夢や期待のせいではない。もちろん、彼女自身のせいでも」

「あれはやはり、僕達の力不足だったんです。
 しっかり導く事が出来なかった責任は、僕達が受け止めなくてはならない」


「彼女達が恐れること無く、夢を抱き続けられるよう、導いてやることこそが、僕達の仕事なんだと思います」

「だって、アイドルは夢見てナンボだし、夢を見させてナンボじゃないですか」



「ねぇ、周子ちゃん?」


523: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:54:09.14 ID:m6szqZZ10

「んー、あたしはプロデューサーさんの言うことも正直、分からなくもないっちゃーないんだけどね」


「奏ちゃんや美嘉ちゃんなんかは、今の話聞いたら怒るやろなー」


524: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:57:06.38 ID:m6szqZZ10

 (◇)

 ソファーの陰からひょっこり姿を現したあたしに、プロデューサーさんは目を丸くしてる。
 あたし、ずーっと寝そべって聞いてたのに、全然気づかないんだもん。

 まぁあの人からは見えない位置だけどさ、分からないもんなんだねー。あははっ♪

「でもさー、あたしのあのスカウトの仕方? あれさー、やっぱあたし、無いと思うわ」


「何で、君がここにいるんだ」
「いやほら、仕事終わって事務所に戻ったらさ、すごい雨降ってきたから、止むまでココで寝てよーって」
「確信犯だろ、絶対」

 プロデューサーさんは、チビさん達をギロリと睨み付けた。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください。俺達は何もしてませんよ」
「そーそー、オレっち達は何も言ってないでしょ?
 たまたまここにいた周子ちゃんが、たまたまアンタの話を聞いちゃってただけっスよ。ねー周子ちゃん?」

「イェー♪」
 ヤァさんとピースサインを送り合う。
 いつの間にお前ら仲良くなってたんだ、とでも言いたげのプロデューサーさんの表情がすこぶる面白い。

 まー、同じ事務室にいるんだし、LINEくらいは交換するでしょ。
 プロデューサーさんのID知らんけど。ていうか教えてくんないし?


525: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:59:11.31 ID:m6szqZZ10

「とにかく、今タクシー呼ぶから、早く帰りなさい」
 そう言って、プロデューサーさんが受話器に手を伸ばすのを、チーフさんが制した。

「良い機会だと思いますし、彼女達と一度、向き合ってみてはいかがでしょう?
 周子ちゃんも、たぶん今の話を聞いて思う所もあるでしょうし、あなたも彼女が相手なら、比較的話しやすいのでは?」

「ちょうど酒も切れちまったしよォー」
「飲み過ぎっすよヤァさん、大丈夫ですか?」
「ひゃくやくのチョーっつってんべ」

 急にガタガタと席を立つチーフさん達に、プロデューサーさんが困惑の表情を浮かべる。
「あ、あの――」

「それじゃあ、僕達はこれで。どうぞごゆっくり」

 バタンとドアが閉まると、あたしとプロデューサーさん二人だけになった室内は、途端に静かになった。



「――仕事が終わって事務所に戻った、と言っていたけど」
 話題を選んだ風に、静寂を破ったのはプロデューサーさんだった。

「今日、塩見さん、何か仕事あったっけ? それとも、頼んでいた城ヶ崎さんへの伝令のことか?」


526: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:01:16.35 ID:m6szqZZ10

「んーん、ちゃんと仕事してきたよ? 美嘉ちゃんの代打でね」
「代打?」

「オーディション、あたしが代わりに受けてきたんよ。
 美嘉ちゃんを志希ちゃんのトコへ行かせる代わりにね」

 ムフフと笑ってみせたけど、反対にプロデューサーさんは頭を抱えてしまった。

「無茶苦茶だ――上手く行ったのか? というか、先方に迷惑はかけなかっただろうな」
「まぁー、飛び入り参加な上にあんな態度で、アレで合格しちゃったら、あたしは伝説になるだろうねー♪」
「勘弁してくれ」

 大きくため息を吐きながら、プロデューサーさんは缶ビールを流し込む。
「君達の相手は、本当に疲れるよ」


「プロデューサーさん、あたし達の担当を辞めちゃうの?」

 あたしが問いかけても、プロデューサーさんは黙って自分のデスクに向いたままだった。


「奏ちゃんから、その――メールで聞いてさ?」

「そうか」


「で――どうなのかなーって」


527: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:03:01.82 ID:m6szqZZ10

 プロデュ-サーさんは、缶ビールをもう一度煽って、それをデスクに置くと、頬杖をついた。

「塩見さんは――」

 そう言いかけて、プロデューサーさんは止まり、かぶりを振った。


「――何て?」

「いや――何でもない」
「いやいや、絶対何でもなくないやん、言ってよ」

「まぁ、その――塩見さんは、俺に続けてほしいのか、って、聞こうとしただけだよ」

 プロデューサーさんは、バツが悪そうに頭をクシャクシャと掻いて、またため息をつく。
「ただ、君達がどうとかじゃなく、俺が自分の勝手で担当を降りる訳だから、聞くだけ無駄だと思ってな」


「あたしがここで、続けてよ、って言っても、意志は変わらないってこと?」

「元々、俺には向いてない仕事だったんだ」


528: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:06:23.97 ID:m6szqZZ10

「あたし達のせい?」

 別に、無理に続けてほしいワケじゃない。ただ――納得したかった。

「言っただろ。君達のせいで降りる訳じゃないよ」
「本心とそうでないのを、あたしが見抜けないとでも思ってんの?」
「――――」

 プロデューサーさんの返答は、まだ、納得できるものじゃない。
 やっぱり、この人は隠してる――体の良い言葉で取り繕って、あたし達を躱そうとしている。


「自慢じゃないけどさ――あたし、LIPPSの中で、プロデューサーさんに唯一スカウトされた子なんだよね。
 美嘉ちゃんが教えてくれたんだけどさ」

「――自慢じゃないのか」
「まーまー。だから、って訳じゃないけど――っと」

 ソファーから立ち上がり、プロデューサーさんのデスクに、おざなりに腰掛けてみせる。
 プロデューサーさんは、驚いた表情であたしの顔を見上げた。


「あたしとプロデューサーさんの仲やん。
 ってことでさ。本音トーク、しちゃっていいんじゃない?」


529: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:09:50.22 ID:m6szqZZ10

「――もう君達が嫌いだ、顔も見たくない、だから辞める――と言えば納得するのか?」
「そーいう事じゃないってあーもー、ほんっと分かっとらんな」

 握り拳で膝をトントンと叩く。こんのオッサンときたら――。

「そういう、なんちゅーのかなぁ、打算的な返答は聞きたくないんだよね。
 本音を教えてよ。プロデューサーさんの本音をさ」
「本音」
「そう。あたし達、これでも割とけっこープロデューサーさんと仲良くしたいんだよ?
 よく分かんないまま降りてもらいたくないんよ。奏ちゃん達にも報告できんし」

「あっ――」
「報告?」


 げっ――いらん事言ったな、あたし。

「速水さん達に、ここでの話をバラすのは、勘弁して欲しいな」
「あはは、いやー少なくとも、奏ちゃんにはちゃんと話すべきだと思うよ?」

 何より、プロデューサーさんの情報を引き出せというのは、他ならぬ奏ちゃんからの厳命であったのだし――。

「奏ちゃん、未だに“君達には何も期待していない”発言を根に持ってるから、少しは誤解も解けると思う」


「何か、言い訳がましいから、いい」

 そう言って、プロデューサーさんは回転椅子をグルッと回して背を向けた。
 すかさずあたしもそっちに回り込んで、置いてあった空き椅子に座り直す。

「あたし、口軽いんだよね」
「だよなぁ」


530: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:12:46.09 ID:m6szqZZ10

「まぁ、悪いようにはせんて。で、話を戻すけど――」

「さっき話した通りだよ。俺は君達に、アイドルを辞めてほしいんだ。夢破れて苦しむ前にな」

 プロデューサーさんは、席を立ち、給湯器の方へ歩き出した。
「コーヒー飲む?」
「ううん、いいや」

「夢は破れるためにある。トップアイドルなんて、まさにそうじゃないか。
 それを目指したが最後、トップ以外の全てのアイドル達は敗者になるんだ。
 俺は、君達がそうなるのを避けたかった――それが望めないのなら、君達の行く末をこれ以上見届けたくはない」


 ははーん――こいつは、思ったより重症ですなぁ。随分とこじらせてはるようで。

「LIPPSは泥船だって言いたいワケ? リアリスト気取りのプロデューサーさん的には」

「LIPPSだけじゃなく、およそ夢を目指す全ての盲目的な人は、沼に片足突っ込んでると思うよ」


 カチャカチャとカップの中身をかき混ぜ、一口啜る。
 ホッと息をつくと、少し落ち着いたのか、プロデューサーさんはあたしの方に半分だけ身を向けた。

「――結構俺、酷いことを言ってるよな。気分を悪くさせて、すまない」
「いいって、あたしが本音言えー言ったんやし、それに」


531: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:15:12.92 ID:m6szqZZ10

「プロデューサーさんが思ってるほど、あたし達、そこまでヤワじゃないしさ」

 二口目を啜ろうとした手を止めて、プロデューサーさんはあたしの顔を見る。


「たぶんだけどね? 今度の『アイドル・アメイジング』であたし達、勝てなかったとしてもさ。
 志希ちゃんは、きっとそれを敗北だとは考えないと思う。アイドルを通して得るもの全てが、彼女の望む成果だから。
 フレちゃんだってそう。そもそもあのコ、勝ち負けなんて概念無いんやないかな?
 何でも楽しめちゃうコやし、きっと優勝したライバルを誰よりも盛大にお祝いしてると思う」

 自分で言いながら、その光景が目に見えるようで、思わず笑いが零れてしまう。


「美嘉ちゃん――美嘉ちゃんはたぶん、相当悔しがるんだろうね。
 でも、歯を食いしばって割とすぐに立ち上がると思う。そんな素振り見せないけど、色んな苦労乗り越えてそうだし。
 奏ちゃんはまぁ、ヘコみそうやなーあのコ。割と気張ってるトコあるし、それが報われなかった時は、ずーんってなりそう」

「俺も、速水さんにはそれが心配でな。城ヶ崎さんも、案外簡単にポッキリいくんじゃないかと」
「あはは、まぁそんな時はあたしやフレちゃんで上手くフォローしとくから、心配いらんて」


「塩見さんは?」
「ん?」


532: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:18:54.57 ID:m6szqZZ10

「君は、次のステージでもし勝てなかったら、どうなるんだ」

 恐れを隠すように、ひどく神妙な面持ちでプロデューサーさんがあたしに問いかける。
 そんなさ、大袈裟に構えんでもええのに。

「あたしは、うーん――分かんないな。その時になってみないと」
「玉虫色の回答だな。塩見さんらしい」
「あはは、そんなんじゃないよ。ホントに分かんないの。ただ――確かめたい、かな」
「確かめたい?」

 プロデューサーさんが小首を傾げる。

「まぁね。ほら、いつかプロデューサーさん、言ってくれたでしょ?
 あたしはあたしの仕事をすれば良いってさ。
 あの言葉、今でもあたしは正しいと思ってるし、これからもそれに従おうと思ってる。けど」

 グイッと椅子から立ち上がってみる。目線はまだまだ、プロデューサーさんよりも下だ。


「あたし、まだアイドルってなんなのか、よく分かってないんだよね。好きなのかどうかすら。
 適当って、それはそれで立派な処世術なんだけど、結局は一生懸命になってみないと、それの本質って分かんないのかなって思う。
 だからさ――」

 ふふ――あたしが本音を話す事になるとはね。まぁ、ギブアンドテイクか。

「お生憎様だけどあたし、今日のプロデューサーさんの話を聞いて、もっと一生懸命になろうって思ったよ。
 少なくとも、アイドルがあたしにとっての夢なのか、それだけは今度のフェスでハッキリさせたい。自分の中で。
 あたしにとっての負けがあるとすれば、それが分からなかった時だね、きっと」


533: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:22:10.37 ID:m6szqZZ10

 プロデューサーさんは、しばらく黙ってあたしの顔を見た後、思い出したようにコーヒーを啜った。

「――興味深い話をありがとう。参考になったよ」
「おっ、手厳しいねー。
 プロデューサーさんなら、もっと素直に「随分とよく喋るな」とかって皮肉ると思ったのに」
「自重した」
「そりゃどーも」

 ゆっくりと、プロデューサーさんがあたしの元へ歩み寄ってくる。
 何となく、緊張してしまうのを堪え――ようとしたけど、やっぱりやめた。

 この人も、たぶん相当緊張してるんだろうし。


「君達に、一つ話しておかなければならない事がある」
「ほぉ?」


「この間のサマーフェスで、俺は、君達のステージの最中に、音源プラグを抜こうとしていた。
 島村さんがたまたま同じ事をしてくれたけれど、本来LIPPSのステージを台無しにしようとしていたのは他でもない、俺だったんだ」


「――――」
「いくらでも軽蔑して、なじってくれて構わない。
 俺は、勝手な都合で君達を振り回そうとした支社長を殴ったけれど、俺の方こそ、自分の都合で君達を酷い目に遭わせようとした」


 手近のデスクにコップを置き、プロデューサーさんはあたしに頭を下げた。

「道義に反することだった――すまなかった」


534: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:25:14.55 ID:m6szqZZ10

 ――意外っちゃあ意外だけど、さっきまでのこの人の話を聞いてたら、そうですかぁという感じだ。
 肯定できないけど、理解はできるっていうか?

 ふふっ――。

「あたしの負けかねこりゃ♪」
「は?」

「納得できる答えを引き出すつもりが、予期せぬ形で納得させられたからね」


 ソファーの方へ向かい、ドカッと腰掛けると、そこに置いていたバッグから携帯を取り出した。

「納得、って――俺ならそれくらいの事はするだろう、と?」
「うん」
「手厳しいな。いっそ怒ってくれた方が遙かにマシだ」
「あたしはプロデューサーさんと違って、言葉を選ばないんで」
「そりゃどうも」


 メールを打ち終わった所で、あたしは膝にポンッと手を置き、立ち上がった。

「んじゃ、あたし帰るね」


535: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:28:00.94 ID:m6szqZZ10

「タクシー呼ぶよ」
「いい。雨も少し弱まってるみたいだし」

 でも、と言ってプロデューサーさんが反論しかけるのを、あたしは指で制してニカッと笑ってみせた。
「昼間にもらったタクシー代の残りもあるしさ?」

 そう言って手を振り、ドアノブに手を掛ける。


 このドアを開けて、バイバイしたら――もう、この人はあたし達の担当からは外れるのかぁ。


「何で、プロデューサーさんのお父さん、上司の人を殴ったんかな?」
「はぁ?」


 ノブに手を置いたまま、あたしは後ろを振り返った。
 プロデューサーさん、こうして見ると随分疲れた顔してんなぁ。

「あたし達、これでもプロデューサーさんには感謝してるんだよ。
 プロデューサーさん、頑張らなくていいみたいな事を言いながら、何だかんだあたし達に良くしてくれたし、それに――」

 ぷくくっ――と吹き出してしまったあたしを、プロデューサーさんが怪訝そうな顔で見つめている。


「意外と、蛙の子は蛙なのかも知んないよ?
 LIPPSのことでお偉いさんにどついてくれるような人が、LIPPSに一生懸命でないワケ無いやんな?」


536: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:33:09.74 ID:m6szqZZ10

「――風邪、引かないようにな」
「プロデューサーさんも、あんま夜更かししないようにね」

 そう言って、あたしはプロデューサーさんに別れを告げ、部屋を出た。



 エントランスまで行くと、奏ちゃんが待ってくれていた。

 プロデューサーさんが呼んだタクシーで一人帰るフリをして、あたしが来るまで停めてくれていたのだ。

 無言で手を挙げる奏ちゃんに、あたしも何となく無言で頷いて、二人で乗り込む。


 奏ちゃんは何度も頷きながら、あたしの話を熱心に聞いてくれた。
 夢や希望を持とうとしないあの人の背景を、奏ちゃんはすごく気にしていたから、さぞ興味あったんだろうね。


 ひとしきり話し終えると、奏ちゃんはジッと目を閉じ、椅子にもたれかかった。

「ありがとう、周子」
「奏ちゃんも、今日はお疲れさんやね」
「生憎だけど、明日からはもっと忙しくなるわ」

 確かに、プロデューサーさんがあの人から、美嘉ちゃんの担当だったあのチーフさんに変わるんだもんね。
 シャキシャキしてそうだもんなぁ。上手くサボれるかなぁ。


537: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:38:15.31 ID:m6szqZZ10

「いいえ、そういう意味じゃなくて」
「えっ?」


 奏ちゃんは、目を開けて、あたしに顔を向けた。

「映画のレビューを見ててもよく思うのだけど、私、自分の価値観を他人に押しつける人って好きじゃないの。
 夢が破れるものだと、勝手に決めつけて、頼んでもいないのにあの人は私達にそう信じ込ませようとしているんでしょう?」

「――見返してやろう、って話?」


「プロデューサーは、言わば私達の夢が叶わない事を期待している。
 だけど、期待を裏切るのは、LIPPSにとって最も得意な分野の一つじゃないかしら」


 フッと、奏ちゃんが得意げに鼻を鳴らし、妖しく口の端を歪めてみせる。
 やっぱこのコ、熱血屋さんで、反骨心メガ盛りやなー。

「だよなぁ」

 咄嗟にプロデューサーさんの口癖を真似してみせると、奏ちゃんはプッと吹き出し、あたしもケラケラと笑った。



 そう――“ジョーク”でLIPPSの右に出るものなどいないわな。


538: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:42:05.72 ID:m6szqZZ10

 (♪)

 うーん、風邪デリカ。

 だいぶ寒くなったこの時期にあんだけ雨に降られたらそりゃそうだよねー。

 でもシキちゃんとミカちゃんは大丈夫だったの。よっ、さすがっ!

 それで、シキちゃんちであの日、ミカちゃんも一緒に看病してくれたんだけど、もうビックリ!

 何がって、どういうワケか、あのおばーちゃんがいたんだよね!

 お互いビックリしちゃったんだけど、息子さんが帰って来ないっていうからシキちゃんが部屋に入れて、で、一緒に泊まったの。

 濡れタオルしておかゆ作って、おばーちゃんが他にも何か、えーと何か色々してくれて、本当助かったよー。

 それでもう一つビックリしたのがね? おばーちゃんが朝帰った後、入れ替わるようにプロデューサーが来たんだよー!

 こんな大事な時期に風邪なんて引きやがってー、って怒るプロデューサーに、シキちゃんとミカちゃんがすごい反論してて。

 アタシは一生懸命寝たフリしてたけど、バッチリ聞いてたんだー☆ アハハ、あいあむそーりーしるぶぷれー♪

 でも、やっぱ嬉しかったんだよね。

 シキちゃんとミカちゃんはもちろんだけど、プロデューサー、初めて怒ってくれたから。

 自分の事を気遣ってくれる人がいるの、すごく嬉しいから、ちゃんとしなくちゃって思えたの。

 チャチャッと治してレッスン復帰するね。ごめんなさい。ありがとう。おやすみー♪


539: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:43:57.91 ID:m6szqZZ10

【11】

 (♡)

 それじゃあ。


540: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:46:37.54 ID:m6szqZZ10

 (★)

「どういうこと――!?」

 しぃんと事務室が静まりかえった。
 チビさんが、見ていないフリをするようにパソコンに齧り付いているけど、聞き耳を立てているのは見え見えだった。

 部屋の中には、チーフ――つまり今のプロデューサーと、謹慎が明けたばかりの前のプロデューサー。
 そして、奏ちゃんと、周子ちゃん。

 フレちゃんの風邪はインフルだったらしく、もう少し復帰に時間がかかるというのは聞いてる。

 今、この部屋には、彼女が足りないのだ。


「志希ちゃんが、LIPPSを抜ける、って――」


 チーフは、ひどく苦しそうに顔を歪ませて、俯いた。

「――火の無い所に煙は立たないのなら、火元を取り除けという、上層部の意向でね。
 僕達も上に掛け合ったんだが、どうしようもなかった」
「どうしようもなかったって!!」

 バンッ! と目の前のデスクに両手を叩きつける。
「簡単に言わないでよっ!!」


541: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:48:50.36 ID:m6szqZZ10

「美嘉ちゃん――君の言うことはもっともだ。本当に、これは――僕達の力不足という他は無い」

 ただ頭を下げるチーフに、アタシは声を荒げるだけだ。
「何にも悪いことしてないのに、噂が立っただけで切り捨てるの!?
 無視すれば、堂々としてればいいじゃない! こんなっ!! こんな理不尽なこと――!!」

 自分でも何を言ってるのか分からなくなってきた時、ふと――。


 隣のデスクに座っていた前のプロデューサーが立ち上がり、アタシ達の前に歩み寄った。


「――すまない。本当に――これは俺の責任だ」

 そう言って、彼は頭を下げた。
 固く握りしめた拳と、震える肩、奥歯を強く噛みしめているであろうその表情からは、この人の悔しさが痛いほどによく分かる。


 アタシの肩に、ポンッと後ろから手が乗せられた。

 振り返ると、奏ちゃんが、やはり残念そうに首を横に振る。
 周子ちゃんも、普段からは考えられないほど暗い表情だ。

 そのまま黙って、アタシ達は部屋を出た。


542: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:50:32.29 ID:m6szqZZ10

『アイドル・アメイジング』まで、もう2ヶ月を切っている。
 本当なら、とっくに新曲が決まっていて、それに向けた5人でのレッスンが本腰を入れて行われているはずだった。

 でも今、レッスン室にいるのは3人だけ。
 フレちゃんが復帰したとしても、アタシ達は4人だ。

 そして、結局アタシ達は既存の曲である『Tulip』の練習を行っている。


「何をボサッとしている! 城ヶ崎、ターンが遅れているぞ!」

 トレーナーさんが檄を飛ばしてくれるけど、アタシのダンスは精細さを欠くばかりだ。

 奏ちゃんと周子ちゃんも、やっぱり同じで、涼しい顔でこなしているように見えても、どこか今ひとつだった。

 様子を見に来てくれた、プロデューサーの顔も暗い。



 ――アタシのせいだ。

 アタシが、志希ちゃんを追い詰めて、追い出したんだ。


543: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:53:16.83 ID:m6szqZZ10

 だから、アタシが――。

「美嘉ちゃん、しっかりな」
「トーゼンッ! じゃ、行ってくるね★」

 アタシが、皆を盛り上げて、引っ張っていかなきゃ。


 今日は、本当は志希ちゃんが出る予定だった音楽番組の収録。
 問題発言を度々してしまう志希ちゃんへの配慮からか、用意されてたトークの時間は短めだったけど、存在感は出せたと思う。

 そして、歌ったのは『TOKIMEKIエスカレート』ではなく――『秘密のトワレ』。
 志希ちゃんの持ち歌だ。


 彼女の存在を、無かった事にさせてたまるもんか。

 アタシが歌えば、それなりに話題性はある。
 一ノ瀬志希はどこに行った? と、皆に思ってもらいたかった。

 プロデューサーも、アタシがそういう意志でこの曲を歌うのを了承してくれた。

 志希ちゃんのいないLIPPSは、LIPPSじゃない。


544: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:55:04.87 ID:m6szqZZ10

 その日の収録が終わった後の事だった。

 スタッフさん達に挨拶して、プロデューサーともハイタッチを交わして、楽屋に戻る。

 さて、私服に着替えるかと、ロッカーを開けて中を漁って――。

「――――えっ」


 下着が無い。

 服を一枚一枚取り出して、中のどこを見渡しても、バッグの中を見ても、あるはずのそれが見当たらない。

「ちょっ、え――何コレ、何で」

 ふと、奏ちゃんから聞いた話を思い出した。美城常務が忠告していたという、あの話――。


   ――今後はおそらく187プロが何かしら妨害工作をするだろう。


 まさか――今思い出すと、見知らぬ女性スタッフが楽屋を出入りしていたのが見えた気もする。

 あの人が、ひょっとして187プロの差し金か何かってこと――?


545: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:57:06.00 ID:m6szqZZ10

 コンコン、とドアをノックする音がして、プロデューサーが外から声を掛けてきた。

「おーい、そろそろ準備できた?」

「あ、ううん! もうちょい待って、ごめんね」
 慌てて取り繕い、とにかく下着は諦めて急いで服を着替える。

 うぅ、胸元がスースーするなぁ――!


「お待たせ★ ゴメンゴメン、ちょっと部屋ん中にでっかい虫がいてさ? それで――」

「――何か、変な事でもあった?」


 プロデューサーが不審がって掛けてくれた一言に、アタシはドキッとした。

「美嘉ちゃん、ウソついたり、隠し事をしようとする時って、すごいうわずいた声で話すからさ」

 ――やっぱ、この人は誤魔化せないか。


 正直に話すと、彼は優しくアタシの肩にポンッと手を置いて、「今日はサッサと帰ろう」と言ってくれた。


546: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:59:33.16 ID:m6szqZZ10

 帰ってから奏ちゃんと周子ちゃんにも一応聞いてみると、二人も似たような事があったみたい。

 周子ちゃんは、自分のラジオで嫌がらせとしか思えないハガキばかり来てたと憤慨していた。
 奏ちゃんはグラビアのお仕事で、セクハラっぽい事をやたらと現場の人から言われたみたい。

 よくよく調べると、奏ちゃんがその日行ったスタジオは、187プロの事務所のすぐ近くだった。


 ふと気になって、ネットの掲示板を調べてみる。

「お姉ちゃーん、ご飯できたよー」

 ――これは。


   ・塩見周子をこの間街中で見かけた話をする(176)
   ・【悲報】速水奏終了のお知らせ(338)
   ・【えるしっているか】城ヶ崎美嘉スレPart41【みかたんはすごい】(288)
   ・俺達の文春、城ヶ崎美嘉の交際相手を暴露wwwwwww(227)
   ・【フレデリカ】アイドルを思い浮かべてスレを開いて下さい【フレデリカ】(190)
   ・一ノ瀬志希が干された理由の闇が深すぎる…(609)


 なるほどね。こういう狡い所で印象操作をするワケだ。
 明らかにいかがわしい話題を焚きつけて、イメージダウンを図っているみたい。

 まぁ――気にするだけ無駄か。こんなものは無かった、やめやめ。

「お姉ちゃーん、ご飯ー!」
「はーいー!」

「お姉、おわっ!?」
 莉嘉がたまらずドアを開けてくるのを見越して、ドアの前で仁王立ちしてみせる。
 開けた瞬間、莉嘉は驚きのあまり尻餅をついたので、思わず笑っちゃった。


547: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:01:17.43 ID:m6szqZZ10

「お姉ちゃん、そういやさ」
「ん?」

 夕食が終わった後、莉嘉の部屋でくつろいでいた時だった。
 新しい漫画を買ったというので、ベッドの上で呼んでいると、ふと声を掛けられた。

「お姉ちゃんのツイッター、見たよ」


「アンタ、そういうのやっちゃダメってあれほど」
「あ、アタシはやってないってば! 友達がやってて、それでお姉ちゃんのを見せてもらっただけだよ!」

 あぁ、見たってだけか。
 莉嘉にはあえて教えてないけど、別にやってなくても、ネットで検索すれば誰でも見れるんだけどね。鍵も掛けてないし。

「それで、さ――結構お姉ちゃん、大変なんだね」
「何が?」

 急に莉嘉が声のトーンを落とし、神妙な面持ちになったので、漫画を閉じて顔を覗き込む。


「いや――何か、お姉ちゃんに、エッチぃっていうか――ヘンな事ばっか言う人、こんなに多いんだ、って――」


548: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:03:20.90 ID:m6szqZZ10

「――へ?」

 慌ててアタシは携帯を手に取り、自分のアカウントを確認してみる。
 いつもは興味津々そうにアタシの携帯を覗き込みに来る莉嘉は、それを見ようともしない。


 ――通知をオフにしていたから、気づかなかった。

 なるほど、こんな所でも誹謗中傷してくるのか。
 結構辛辣で、エグい事をリプしてる人達もいるみたいだ。


「――莉嘉」

 携帯を置いて、莉嘉に向き直る。莉嘉は今にも泣きそうだった。

「ありがとう、教えてくれて。お姉ちゃんは、全然大丈夫だよ。
 こういうの慣れてるし、言ってる人達だって、どうせアタシと向き合う気のない連中だもん」


549: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:06:54.14 ID:m6szqZZ10

「お姉ちゃんは、平気なの?
 こんなヒドいこと、言ってくる人がいるなんて、アタシ、信じらんないよ――!」
「アハハ、心配無いって★ 今見たら、ほら、みーんな捨てアカでリプしてる人ばっかりだよ。
 つまり、自分で自分のコメントに責任持とうとしない人達ってこと。
 そんなのにいちいち構ってあげる必要無いじゃん、ねっ?」

 ベッドから立ち上がり、莉嘉の頭に手を置く。
 莉嘉は肩を縮こませ、少しベソをかいて俯いている。
 アタシへの心無いコメントを、怖くて、悔しいと思ってくれているのかな。

「心配してくれて、ありがとね」
「お姉ちゃん――」


 どうせまた変なコメントが付くかもだけど、更新を止めて、こういう荒らしの人達に屈したと思われても癪だ。
 一切無視して、いつも通り、仕事の報告とファンの人達への感謝を伝えるツイートをして、携帯を閉じた。

 まっ、思いがけずだけど、妹にネットの怖さを教えてあげられた事には、ある意味感謝してやらないでもないか、な?


550: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:09:15.57 ID:m6szqZZ10

 その日は、奏ちゃんと二人でイベントのお仕事だった。

 全米No.1とかいうアクション有り、ラブシーン有りの新作ハリウッド映画の上映初日で、その宣伝に呼ばれたのだ。
 映画関係だから、奏ちゃんがメインで取ってきたお仕事で、アタシはおまけみたいなもん。

 と思っていたら、アタシ達以外にも、そのイベントに出席していた他事務所のアイドルがいたのだ。

 まさかと思ったら――予感していた通り、それは187プロだった。
 小悪魔系デュオとして最近売り出し中の、ちょっと目つきの悪い子達だ。

 プロデューサーは、今回はアタシ達に同行していない。


「気にすることは無いわ、美嘉。
 たかが15分程度、笑顔で看板の前に立ち、映画についてコメントしていれば良いだけよ」

 出番前の舞台袖、奏ちゃんが小声でアタシにそっと忠告してくれる。
 そんなこと、言われなくても分かってるよ。


 司会者の人達にコールされ、笑顔で壇上に上がる。187プロの子達とも一緒だ。


551: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:13:02.36 ID:m6szqZZ10

「映画通としても知られる速水さんですが、この作品の見所と言えば、ずばりどういった所でしょう?」

「そうですね――まずはやはり、スタントやCGに頼らない派手なアクションシーンが挙げられると思います。
 この監督は、“本物を撮る”という事に強いこだわりを持っていて、それを感じ取ってもらえるのではないかなと。
 それと、この撮影がきっかけで交際に至ったという主演の二人の、濃厚なラブシーンも、大きな見所と言えるんじゃないかしら」


 さすが、奏ちゃんはこういうのに慣れているんだなぁ。
 たまに不意打ちで、台本に無い質問もあるんだけど、それでも微笑を浮かべながら、気の利いたコメントがスラスラと出てくる。
 知識はもちろんだけど、肝が据わっているのをすごく感じる。

「なるほど~、私も予告シーンしか観れていないのですが、かなりラブシーンは熱々のようですねー。
 ところで城ヶ崎さんは、何かそういう、憧れる恋人とのシチュエーションというのはありますか?」

 おっ、来たな。答えにくい質問だけど、これは台本通りだ。

「んー、アタシとしてはやっぱ、サプライズ的なものがあると嬉しいかなーって思います。
 ドキドキを味わいたいっていうのもありますけど、そういう何というか、アタシを楽しませようとその人が苦労して考えてくれたーっていうのが、ありがたいっていうか? ですかねー」

「おっ、経験者は語る、ですか?」
「アハハ★ いやいやそんなんじゃ無いですよー!」

 笑いながら大袈裟に手を振る。これくらいの質問なら、こういう応対で大丈夫だ。


「でも、この前男性と二人でお忍びデートをしていたんじゃなかったんですかぁ?」


552: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:14:54.46 ID:m6szqZZ10

「えっ――」

 いきなり、アタシの横に立っていた187プロの子達が割って入ってきた。

「人から聞いた話なんですけどぉ?
 海が見えるオシャレな公園で二人が散歩してるのを見たって、ネットでも話題だったんですよぉ」
「えー、マジ!? それホントだったらすっごいスキャンダルじゃない!?
 ただでさえさーほら、もう一人のコがお騒がせしてる時に、すごいよねLIPPSってさっすがぁ!」

 間延びした声の子の隣で、ちょっとチャラいカンジの子が派手に驚いてみせている。

「そうそう、一ノ瀬志希ちゃん! そういう一線越えちゃったから謹慎してるって、そういうウワサってホントなんですかー美嘉ちゃんっ?」

 そう言って、ひどく意地悪そうな笑みを浮かべ、アタシの顔を下から舐め上げるように覗き込んできた。


 ――――。


「お、アハハ、ちょっと映画の話題とはズレて来ちゃいましたけど、世間の皆さんにとっても関心深い事でしょうねぇ。
 さて、実際の所どうなんでしょう城ヶ崎さん?」



 ――――――。


553: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:18:21.93 ID:m6szqZZ10

 ――美嘉。


 アタシの手を、奏ちゃんがキュッと掴み、小声で囁いた。


 アタシは、そんな奏ちゃんに横目を向けてフッと鼻を鳴らし、小さく首を振る。

 大丈夫だよ。これくらい、なんともない。



「いやー、それなんですけど、実はそれアタシのプロデューサーなんですよね」

 笑顔でアタシは質問に答えた。

「でも、仕事の一環だったんですよ? 食レポや街頭レポのお仕事が近かったので、二人で予行練習してたんです。
 アタシのツイッターにも、実際に収録された食レポのお仕事風景が見れたりするので、ぜひチェックしてみてくださーい★」

 サッとスマホを取り出し、カリスマポーズを決めてみせつつ、アタシは続ける。


「それと、志希ちゃんは確かに、困った事ばかりするコなんですけど、人が本気でイヤに思う事はしないコなんです。
 どんなウワサかは知らないですけど、彼女は根はとっても誠実で、ファンを大切に思う気持ちはアタシ達の誰にも負けません。
 ただ、アタシにセクハラばっかりするのは勘弁してほしいんですよねー」


554: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:21:06.35 ID:m6szqZZ10

「ほう、セクハラとは?」

 司会者の人が、興味津々といったカンジで質問を続けてきた。

「んー、まぁアタシの胸を触ってきたり?
 後はそのー、何か変な香水作ってきて、その実験台にしようとしたり。
 おかげで本番前なのにメイクが崩れて、すっごく慌てちゃった事もあったんですよ」


 あの日、アタシが前のプロデューサーと二人でぶらぶらした事について、追求される事もあるかも知れない。
 そう思い、プロデューサーとも予め相談して、用意していた回答だった。

 それと――まぁ、胸を触られるとか、結局イヤらしい話題にはなっちゃったけど、しょうがない。
 志希ちゃんに、もっといかがわしいイメージを持たれるよりは、イタズラで済まされるレベルの話の方がよほどマシだ。



 笑いながら躱しているうちに、無事イベントが終わり、涼しい顔でアタシと奏ちゃんは壇上を降りる。

 後ろで、187プロの子達が舌打ちをしたのが聞こえた。

 伊達に芸能界長くいないし、あの程度で動揺させられてたまるかってーの。


555: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:24:29.02 ID:m6szqZZ10

「やるやん、美嘉ちゃん」


 待ち合わせていたいつものファミレスに着くと、既に来ていた周子ちゃんとフレちゃんが手を振ってアタシ達を呼んだ。
 フレちゃんは、ずっと咳が取れなかったみたいだけど、ようやく快復したみたい。元気そうで本当に良かった。

「スープバーだよー☆」
 もはやお決まりとなった、フレちゃんによるスープのチョイスだ。
 今日のアタシは、中華スープとのこと。


 二人ともオフだったので、アタシと奏ちゃんのお仕事を一緒に見に来てくれていたのだ。

「今日のコら、一緒に上がってみてどんなカンジだった?」
 周子ちゃんが、フレちゃんのスープに手を伸ばしながら、ふと尋ねてきた。
 今度、二人もあの子達と一緒に合同レッスンに参加する予定なのだという。

「まぁー、見たとおりってトコかな? 対策さえ間違えなければ、なんて事は無いよ」
 そう言ったけど、フレちゃんは聞いてもいない様子で、奏ちゃんのスープを引き寄せて美味しそうに啜っている。

 仕方が無いので、アタシは自分のスープを奏ちゃんに渡して、周子ちゃんのを手元に引き寄せた。
 ちょうど、反時計回りにスープがそれぞれ隣に渡った形だ。何だこれ。

「しかし、187プロの嫌がらせも、いつまで続くのかしら」

 頬杖をつき、奏ちゃんが窓の外を見やって軽くため息をつく。


556: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:26:37.01 ID:m6szqZZ10

「差し当たり、『アイドル・アメイジング』本番までは続くと思っといた方がええんちゃう?
 一応、節目っちゃあ節目だし、それ以外にやめるきっかけも向こうさんとして無さそうだしさ」

 まるで他人事のように、周子ちゃんがスープを口にしながら答えた。
 チラッと見ると、早くも中身が空になろうとしている。

「それもそうね――ところで、あの人はどうしているのかしら?」
「あの人って?」

「前のプロデューサー」

 奏ちゃんの一言に、アタシと、周子ちゃんも手が止まった。


「なんか――新しく誰か、担当を受け持ったワケじゃあないんよね?」
「新たにスカウトを命じられてる、って聞いたけど」

「あの人が素直に新しい子をスカウトしてくるとは、とても思えないわ」

 奏ちゃんの一言に、アタシも周子ちゃんもウンウンと強く頷いてしまう。
 何せあの人は、奏ちゃんや周子ちゃんの話によれば、アタシ達に対してさえ、アイドルである事を快く思っていないのだ。


「でも――なんか最近、忙しそうにしてるっぽくない?」

 アタシは、ふと前のプロデューサーの近況を思い返してみる。
 あれは、本当に偶然だったけど、彼を街中で見かけたのだ。

 ネクタイをビッと締めて、バッグを片手に携帯で誰かと話しながら、足早に人混みの中を歩いていくあの人の姿があった。
 見間違えなんかじゃない。


557: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:28:29.42 ID:m6szqZZ10

「就活してんとちゃう?」
 周子ちゃんがスプーンを振りながらケラケラと笑う。

 なんか台無し――と思ったけど、確かに、あの人は今の仕事を辞めたいみたいな話を結構してた気がする。

「ただ、デスクにいる間も、結構せわしなくパソコン叩いてる気がするけど」
「何か焦燥感があって、話しかけづらいというのはあるわね」

 心機一転して、真面目にスカウトをしているのか?
 それとも、今の事務所など放っておいて、次の仕事に鞍替えする準備を進めているのか――。


「それよりさ、ねー、次の秘密特訓の日、いつにする? フレちゃん明日と明後日空いてるよー♪」

 フレちゃんがニコッと笑って、アタシ達に話題を振ってきた。

「フレちゃん、秘密特訓って言っちゃあ秘密じゃないよ」
「あそっか。でもイイじゃん、アタシ達しかいないんだからさ☆」
「あーごめん、シューコちゃん明日はパス。187プロの皆さんと合同レッスンやわ。
 ていうかフレちゃんもやん」
「ワォ、ホントだ! ゴメンゴメン」


 秘密特訓というのは――まぁ、あえて説明するまでもないかな。言葉通りの意味だ。


558: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:30:25.94 ID:m6szqZZ10

「明後日は――夕方からならアタシ、行けそう。奏ちゃんは?」
「私も問題無いわ」

「じゃあソレで☆ フンフンフフーン♪」

 フレちゃんが嬉しそうに携帯を手に取り、操作していく。
 彼女は、本当にLIPPSが好きなんだなぁと、見てて微笑ましくなる。


 でも、だからこそ、不安にもなる。
 LIPPSが大好きなフレちゃんが、LIPPSに対する悪意に直接触れてしまった時、彼女はどうなってしまうんだろう。
 怒るだろうか。それとも、ショックを起こしてしまわないだろうか。

 いずれにしても、良くない事が起こる気がしてならない。



 ただ――何があろうと、志希ちゃんや皆のために、アタシは頑張らなくちゃならない。

 志希ちゃんが抜けてしまったのは、プロデューサーじゃなく、アタシのせいなんだから。


559: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:32:44.24 ID:m6szqZZ10

 (■)

 久しぶりに、映画を一本借りてきた。

 不祥事のために芸能界を一時退いていた、かつて一世を風靡した男性アイドルの、久々の主演作。
 それは――自らの私利私欲のために、短絡的な犯行を繰り返す、サイコパスの話。

 女を襲い、人を殺し、狂言を繰り返し、そのような精神状態に陥った背景を、取って付けたようなお涙エピソードで脚色した作品。

 悩むまでも無く、C級映画と呼んで差し支えの無いものだった。


 私も、何かのきっかけで失脚してしまったとしたら、この元アイドルのように、芸能界復帰作でも酷い役を仰せつかるのだろうか。

 そして、あるいは志希も――?


560: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:35:30.77 ID:m6szqZZ10

 ネットでのLIPPSの評価は、どうやら二極化されていた。

 最近降って沸いた、いわゆるアンチと呼ばれる勢力に、以前からのファンと見られる勢力がそれを押し返す。
 アンチはそれらを、信者とか社員とか呼んで煽る図式だ。

 おそらく、どちらの勢力にもつかず、ただ騒ぎを大きくして楽しむだけの連中も相当数いるのだろう。

 うわ――やだ、私のいかがわしい話題もいくつかあるみたい。


「はぁ――」

 気にするな、とは美嘉やプロデューサーをはじめ、皆から言われる事だし、私だって気にする筋合いなど無いのは分かっている。
 そして、実際気にしていないという素振りを外面には見せている。

 ただ一方で、全く気にしないというのはなかなか難しい。
 アイドルというのは、人気を売り物にする側面もあり、人からどう思われているかというのは大きな関心事だ。


 割り切って、器用に立ち回るというのは、なかなか難しいものね。
 それが自然とできる美嘉や周子は、同じメンバーながら羨ましく、尊敬の念も覚える。

 フレデリカは、どうなのかしら――。


561: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:37:14.17 ID:m6szqZZ10

 ただ、これは少し不思議な事なのだけれど――。

 ここ最近は、187プロからの嫌がらせはネットでの攻撃のみに留まっており、一緒の仕事場での面と向かった攻撃は鳴りを潜めている。

 どういうつもりなのかしら。
 私達がそれに屈しない姿勢を見せるから、もう諦めた?
 それとも、一旦私達を油断させ、周到に準備を整えた上で、何か大きな事をしでかそうとしているのだろうか。

 気味が悪いというのが、正直な所ね。
 いずれにせよ、油断しない方が良いでしょう。


 皆も、それは重々承知しているようで、187プロに対する警戒を解く事はしていなかった。

 ただ一人を覗いて。


「ヤッホー☆ 見てみてー、ドリンク持ってきたよーどれにする? フレちゃんコレー♪」


562: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:39:47.25 ID:m6szqZZ10

 レッスンの休憩中、いつものように、フレデリカがクーラーボックスからドリンクを取り出し、皆に手渡していく。

 いつもと違うのは、その相手が私達だけでなく、187プロの子達に対しても行っているという点だ。

「あ、み、宮本さん私――」
「はい、私、宮本です」
「いや、急にマジメ口調になられても――私、そっちの水でいいです」
「水ですね? かしこまりました、では、宮本の、命の水でございます」
「ちょ、これいちごミルクですよ! 何でこんなものが!?」
「ありすちゃんの、チョイスでございます。宮本のせいではございません」

 私達に対してのそれと同じ、普段と変わらないトーンで彼女は誰に対しても接していく。


「前の時もそうだったんだよね、フレちゃん」

 隣に座る周子がふと、私に話した。

「あの187プロとの合同レッスンっていうから、どんな事してくるか分からんって、あたしでさえ一応身構えてたんだけどさ。
 フレちゃんときたら、自分からあぁして相手さん達にグイグイ接していって、もう終始ずーっとフレちゃんのペースよ」


 なるほど――攻撃は最大の防御、ということか。

 187プロの子達をタジタジにさせるフレデリカを見て、最初はそう思った。

 ――けれど、どうやら違うらしい。


563: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:42:19.99 ID:m6szqZZ10

「うわぁっ! サヤちゃん今のステップどうやったの!?
 魔法だよ魔法、フレちゃんにも教えて? こう、右足? 右足を左足にするカンジ? えっ、魔法!?」


「ミナちゃん、すっごい声キレイだねー! そうだ、カナデちゃんもそうだったけど、腹筋すごかったりする!?
 ちょっと見せて、うわっ、やっぱりそうだー! 腹筋職人☆ミナデリカ」



 フレデリカは、レッスン中も気づくと187プロの子達の良いところを見つけ、褒めたり、悪戯したりする。
 それは決して打算的であったり、不快感を与えるものではなく、心から相手を楽しくさせるものだった。

 私自身、それを受けてきたからよく分かる。

 187プロの子達は――なるほど、すっかり毒気を抜かれて、戦意を喪失してしまっているわね。


「あぁいうのは、フレちゃんならではだよね。アタシにはとても出来そうに無いや」

 美嘉が両手に腰を当て、心から感心した様子でその様子を眺める。

 確かに――すぐに対抗意識を燃やしてしまう私や美嘉には、あんな振る舞いは出来ないだろう。


 それはフレデリカの、隠された才能に発揮されていたという事を、私達は先日、ボーカルレッスンのトレーナーから聞いた。



「相対音感?」


564: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:49:59.20 ID:m6szqZZ10

 レッスンが終わり、着替えてレッスン室を後にしようとした矢先、プロデューサーの声が聞こえた。

 中を覗くと、プロデューサーがトレーナーさんと何やら話をしている。
 私と周子と美嘉は、こっそり聞き耳を立てた。フレデリカは、ジュースを買いに行くと言って先に出ている。

「絶対音感ではなくて、ですか?」
「はい、相対音感です。彼女は、類い希なその才能の持ち主です」

 絶対音感というのは、私にも何となく分かる。
 どのような音でも、ドレミの音階に聞き分けられるというのが、絶対音感。

 それに対し、相対音感とは――?


 どのような音にも、快いハーモニーを奏でる音――すなわち、ピッタリとハモれる音という。
 つまり、音の高低的な関係性を正確に把握し、曲調に応じ、相対的に快くハモれる最適な音を見つけられる能力を、相対音感というらしい。

 そして、フレデリカの場合、それはただの相対音感に留まらない。
 曲調だけでなく、一緒にいる人の呼吸や距離感等、調子や特性を見出し、その時の相手にとって最も気持ちの良い音や空気感を表現できる才能がある、というのだ。


「彼女は、LIPPSのスタビライザーであり、無くてはならない存在です。どうか大切にしてあげてください」

 支離滅裂でありながら、フレデリカといて不快に思えなかったのは、そういう理由もあったのね――。

 トレーナーの話を盗み聞きしながら感心していた私達の後ろから、当の本人が全員分のいちごミルクを持って襲いかかってきた。


565: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:51:49.70 ID:m6szqZZ10

 187プロの子達の、フレデリカに振り回されながらも打ち解けてしまっている様は、演技とも思えない。

 どうやら187プロによる嫌がらせは今後、ネット上のそれを重点的に警戒していくのが良さようね。

 となると、残る当面の問題は、私達が当日までにしっかり仕上がるかという事だけ。

 こればかりは私達次第であり、誰かの助けに頼ることもできない。


 その日のレッスンは、珍しく前のプロデューサーが見学に来ていた。

 理由を尋ねると、気分転換に、とのことだった。

 邪魔さえしないのなら、もはや関係の無い人がたかが気分転換で私達を見に来る事に、何も言う筋合いは無い。


 ただ――そのだらしない姿を見せる事に、いくらかの後ろめたさを感じるのは何故かしらね。



「ストップだ! ――速水、やる気があるのか。キレどころか覇気も無い、ここへ何しに来ている?」


566: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:54:02.80 ID:m6szqZZ10

 ここ最近、同じ事をトレーナーさんから言われている。
 他の子達も、順風満帆とは行かないようで、美嘉でさえ「候補生からやり直せ」などと叱られるほどだ。

 あくまで私の場合は、だけれど――トレーナーさんの指摘は、本当だった。
 私は、手を抜いている。
 フレデリカはよく分からないけれど、周子もたぶん私と同じだろう。

 美嘉は違う。
 彼女は、この“表のレッスン”であっても本気の全力で取り組むのを信条としている。
 だが、それが逆に過度の疲労と、パフォーマンスの低下に繋がっているようだ。

「本気でやるのが、アタシの役だからね★」

 そう言って美嘉は滝のように流れる汗を拭い、震える膝を叩いてニカッと笑ってみせる。


 レッスンの壁にもたれながら黙って見ていたプロデューサーは、気づくと既にいなくなっていた。



「さぞ、ガッカリしたろうねぇ。あたしらのやる気の無さを見てさ」

 美嘉ちゃんは別として――と付け加えながら、出口の方を差して周子はニヤニヤと笑っている。


「えぇ――そうね」


567: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:56:22.99 ID:m6szqZZ10

 レッスンが終わり、軽い夕食を取った後で、再びレッスンルームに集合する。

“秘密特訓”の時間だ。
 私の体力は、この時のために取っておいてある。

 そのつもりで、温存していたのだけれど――情けないものね。


「2,3,4――――くっ」

 苦痛に顔が歪み、たまらず膝を落としてしまう。
「奏ちゃん、大丈夫!?」


「平気よ――もう大丈夫、さぁ、始めましょう」
「でも」
「この程度で音を上げている暇は無いわ。そうでしょう? さぁ、皆、配置について」

 心配そうに見つめる皆を、逆に私は精一杯鼓舞してみせる。


 正しく怪物達と呼んで差し支えない連中と、一緒に私はユニットを組んでいる。
 リーダーである私が、足を引っ張る訳にはいかない。


568: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 22:59:08.51 ID:m6szqZZ10

「はぁ、はぁ――――!」

 時計の針は、夜の11時を回っていた。
 仕事の合間を縫い、普段のレッスンとは別に行うものだから、どうしてもこういう時間帯になる。

 美嘉の終電も近いので、惜しみながらも切り上げて、更衣室でシャワーを浴びる。

「――――ッ!」

 そろそろ、足が限界かしら――。


 心配させまいと、先に皆を帰してから、ゆっくり準備を整えて更衣室を出て、出口に向かっている時だった。



 喫煙室で、物憂げにタバコをふかしているプロデューサー――そう、前のプロデューサーが目に入ったのだ。


 こんな時間まで、何をしているのかしら――。

 そう思ったのは、こっちに気づいた彼も同じらしかった。


569: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:01:12.45 ID:m6szqZZ10

「皆はもう、帰ったのか?」
「美嘉も、終電だったし」
「ふーん」

 プロデューサーは自販機にお金を入れ、けだるそうにボタンを二つ押した。

「私、コーヒーで良かったんだけど」
「そうか。悪いな」

 ジュースを私に手渡して、プロデューサーはため息を吐きながら隣に腰を下ろした。
 缶コーヒーをパコッと開けて、一口煽るその横顔には、疲れがありありと見てとれる。


「プロデューサーは、最近どうなの?」

 気にならないと言えば、それは嘘だった。
 担当を持たず、候補生のスカウトだけを任されているにも関わらず、彼はこの様子なのだ。

 疲労している中、この時間まで残っている辺り、彼が今の私達と同じ、何かに傾注しているのは明らかだ。


「最近、ねぇ――」

 隣に座るプロデューサーは、そんな私の質問には答えようとせず、ハハハと力無く笑って誤魔化した。


570: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:05:59.82 ID:m6szqZZ10

「だから、プロデューサ――」
「新しいプロデューサーは、どうだ。良い人だろ?」

 私の言葉を遮って、彼は逆に質問してきた。
 どうやら、私の聞きたかった事は、彼にとってあまり都合の良くない話らしい。

「――そうね。誰かさんと違って、チーフは親身に話を聞いてくれるし。
 今日は来れなかったけれど、レッスンにも顔を出してくれるわ。
 美嘉なんか、口にはあまり出さないけれど、やっぱり彼の事を好いているみたい」
「だよなぁ」
 コーヒーを啜るプロデューサーの横顔は、満足そうな笑みをたたえている。


「やっぱり、君達にはあの人の方が合ってる」


 不意に、言いようのない寂しさが、私の心にまとわりついた。
 その一言で、彼が急に遠い存在に思えてしまい、それを彼が心から望んでいるかのように感じたのだ。

「プロデューサー――」

 ジュースの缶をギュッと握りしめる。
 11月も中旬に差し掛かろうという時期に、プロデューサーのチョイスしたそれは、私の体温を刻々と奪っていく。


571: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:08:06.10 ID:m6szqZZ10

「ところで、足、大丈夫か?」 


「――えっ?」
 急に聞かれ、私の体が跳ねてしまう。

「どうして、分かったの?」
「足、引き摺ってただろ」
 コーヒーを傾け、それが空っぽなのを確認すると、プロデューサーはそれを椅子の脇に置いた。

「靴擦れか? それとも、指の爪でも死んだか――まさか、骨って事は無いだろうが」
「――――」


 私の方に向き直り、彼は先ほどまでの疲れ切ったそれなどまるで見る影も無い、真剣な顔つきで言う。

「見せてもらってもいいか?
 場合によっては、君のレッスンを止めるよう、俺はアリさんに進言しなくてはならない」

「それは――!」
「たとえ俺でなくても、プロデューサーなら誰もが取るべき判断だ」
「! ――――ッ」


「俺が言っても説得力無いのは分かってる。
 だが、やる気があれば何をしても良いなどと考えているのなら、それはマジで改めろ」


572: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:10:20.85 ID:m6szqZZ10

 時間を掛けて、革靴を慎重に脱ぐ。
 靴下がそれにかかる時、息が詰まりそうになるのを必死で堪えながら、私は何とかそれをプロデューサーに曝け出した。


「――爪か。捻挫とかは、内側は痛めてないか?」
「ううん、たぶん」
「たぶんとか言うな――ここ、押されると痛いか?」
「痛くないわ」

 真っ黒になっている爪の指辺りを触れられると、本当は泣きたくなるほどに痛い。
 それ以外は、足首を回されようが、付け根とかを押されようが、特に何ともなかった。


 それを知って、プロデューサーは小さく頷くと、片膝を立てた状態からゆっくりと立ち上がり、軽く伸びをした。

「現役女子高生の生足を思う存分触れて、満足かしら?」

 フッと笑い、精一杯の虚勢を張って茶化してみせると、プロデューサーは小首を傾げた。
「あぁ、堪能した」
「馬鹿」
「どっちが馬鹿だ」

 そう言って見下ろすプロデューサーの顔からは笑みが消えていて、私は思わず息を呑んだ。


573: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:14:42.29 ID:m6szqZZ10

「しかし、あの程度のレッスンでも、こんなひどい怪我を負ってしまうものなのか?」

 彼にとっては何気無い、いつものようにデリカシーの無いその一言は、私を大いに動揺させた。
 秘密特訓の事を、彼には知らせていないからだ。

 冷や汗を掻きながら、ポーカーフェイスを必死で続ける私を尻目に、彼は続ける。

「本番前に体を壊してしまっては本末転倒だ。無茶だけはしないでほしい」

「無茶はしない。でも、無理はするわ」
「そういうのを屁理屈っつーんだよ」

 クシャクシャと頭を掻いて、プロデューサーはハァ――と、どこか満足げなため息を吐いた。

「本当、君はクールに見えて、年相応に幼稚で負けず嫌いなんだな」


「リーダーには不向きかしら?」

 鼻で笑いながら、私がそう聞き返すと、彼は洋画の俳優のように大袈裟に肩をすくめてみせた。

「今のアメリカの大統領を見ていれば、そうでもない」

「何それ」
 不意に飛び出した妙なユーモアに、私は思わず吹き出してしまった。
 それを見たプロデューサーも、珍しく無邪気に笑っている。


574: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:15:55.43 ID:m6szqZZ10

「さて――付き合わせて、悪かったな」

 ふぅ、と息をついて、プロデューサーは手を差し出した。
「ジュース」
「えっ? ――あぁ」
 まだ空になっていない缶を渡すと、プロデューサーはそれを面倒くさそうにクッと飲み干し、ゴミ箱に捨てた。


「寒くなってきたから、風邪とか引かないようにな。体は大事にしろよ」

 そう言って、プロデューサーは踵を返し、あくびをしながら通路に出て行く。

「プロデューサーも」
「うん」

 後ろ手に手を振りながら、ノソノソと歩いていく。


 ――人にはそう言うくせに、自分はまだ仕事をして、体を酷使するつもりなのね。

「まったく――何考えているのかしら」


「だよなぁ」


575: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:18:07.75 ID:m6szqZZ10

 ケラケラと、背後の柱の影から、すっかり板についた彼のモノマネをする声が聞こえる。

 先に帰って、って言ったのに――本当、物好きね。

「ま、言ってもあの人なりにさ、奏ちゃんやあたしらを心配してくれてるって事で、許してやんなよ」
「えぇ、そうね」


「許してやれって、そんな上から目線な――まぁいっか」

 心配してそうな声が、また後ろから聞こえた。
 終電近いって言ったの、この子なのに――。

「でもさ、アタシがチーフさんに気があるみたいに言うの、やめてくんないかなぁ」
「だって、本当でしょう?」
「見え見えやんな?」

 振り返らず、クスクスと笑う私の後ろで、彼女はおそらく腰に手を当て、ため息を吐きながらかぶりを振っているのだろう。

 まったくもって、愉快なメンバーに恵まれたものだと、心から思う。


 突拍子も無く、観葉植物の影に隠れていたフレデリカが、いちごミルクを手にプロデューサーの前に踊り出す。

 驚きのあまり、彼が仰向けにもんどり打って倒れるのを見て、私達は腹の底から笑い転げた。


576: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:22:50.60 ID:m6szqZZ10

 (・)

「いや~ご多用の中お時間いただきましてありがとうございます~。えぇ、私、お電話でお話させていただきました――!」


 公務員というのは、営利目的で業務を行う事は無い。

 非営利に舵を振れるというのは民間企業には無い強みとも言えるが、同時にいくらか困った話にもなる。


「えぇ、そうなんですよぉ~私共の方ではですね、他社さんと協同でこういった一大イベントを企画してございまして――」


 詰まるところ、彼らの業務にはノルマが課せられない事が多いため、自ら進んで仕事を取りに行く事を、通常は考えない。

 やむを得ない本来業務以外は、行政サービスというお題目が立たない限り、極力排除するのが基本だ。

 給料が公金である以上、無駄な執行をしないために業務を最適化し残業をさせない、というスタンスはそれなりに正しい。


「あぁ~いえいえ! 仰る事はよく分かります、私共もお役所様とお仕事をさせていただくのは初めてではございませんでして――」

 そんなお堅い連中を相手に――。


 何をやってんだろうな、俺は。


577: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:25:21.09 ID:m6szqZZ10

「えっ――他の自治体でも、このような事業に参加した事例があるのですか?」

 窓口で鬱陶しそうに俺の話を聞いていたハゲ面の中年職員が、少し反応した。

「そうなんですよぉ~意外でしょう? 例えば東京都さんですとか、あとは23区ですと千代田区さん、中央区さん――」


 彼らが特に恐れるのは、自らが先駆者になることだ。前例の有無を極端に気にする。

 自分の裁量で物事を決定できず、何かしら寄りかかれる判断基準が無いと彼らは動かない。

 そう――逆に言えば、前例があると知った時、彼らのハードルはかなり下がる。

 そのための業界研究は予め行ってきたが、どうやら少しは効果があったようだ。


「ウ~ム――ただですね、やはりこちらとしては、特定の業者さんに肩入れするというのは出来かねるんですよねぇ」

 中年職員は、俺が持ってきたポスターを指差して言った。

 いくら『アイドル・アメイジング』の宣伝ポスターとはいえ、このデザインだと露骨に346プロのLIPPSをアピールする格好である。

 もちろん、その返答も想定通りだ。

「あぁ~、そうでしたか、大変失礼を致しました。そうしますとですね、うーん――例えば、こういった体裁だといかがでしょうか?」

 少し悩んだフリをしつつ、用意していた別のデザインを提示する。


578: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:27:27.56 ID:m6szqZZ10

「こちらですと、出演者をというより、会場をより強調してご案内する形になろうかと存じます。
 ご指摘いただきました、公平性という面においても、宣伝の主題を会場とするこのレイアウトであれば、解消されるのではないかと」

 と言いつつ、下部に寄せた出演アイドルの写真は、ちゃっかりLIPPSが真ん中だ。


 このポスターやチラシの作成に当り、俺は課長の許可を取っていない。

 彼にいちいち決裁を求めていたら、回る仕事も回らないというのもある。

 しかしそれよりも、近いうちに辞めてやると開き直れば、案外何でも出来てしまうものである。

 ただ、広報課や営業課の助けは必要だった。


 彼らは、一にも二にもなく俺の話を聞き入れて、協力してくれた。

 どうやら、奥多摩支社長を殴って辞めさせた事件が、社内ですっかり広まってしまったらしい。

 気骨のある奴と思われたか、それとも逆らうと何されるか分からないと思われているのか。

 とにかく、これは俺の独断で進めている事なのだから、何かあったら俺の責任にするよう、よく伝えてある。

 かつて俺がこっぴどく言ってしまった営業課の若い社員は、笑ってそれを承諾してくれた。


579: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:29:20.14 ID:m6szqZZ10

 握り拳を口元に当て、少し唸った後、職員はとりあえずと言った様子で渋々頷いた。

「他の自治体にもヒアリングをして、こちらとして支障が無いと判断できましたら、いただいたチラシと併せて掲示しておきます」

「ありがとうございます。その際は、お手数ですが私にもご一報いただければ幸いです」

 満面の笑みで、慇懃とした姿勢をこれ見よがしに強調させ、俺は深々と頭を下げる。


 最初から後者のデザインを見せても、たぶん先方の了承は得られなかっただろう。

 交渉というのは、お互いの妥協点を探ることであり、いかにこちらの譲歩を相手に認識させるかでもある。

 故に、まず無理であろう提案を先にして、そこからあたかも譲歩したかのように、こちらの要求レベルに相手を引き込むのがセオリーとなる。


 成功したかどうかは分からないが、やるだけの事はやった。次の営業先へ向かわなくては。


580: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:32:01.86 ID:m6szqZZ10

 課長からは、新たなアイドルをスカウトしてこいとのお達しを受けている。

 だが、当然に俺はそれをする気などサラサラ無かった。

 一方で、俺が今行っているのは、俺が最も嫌いな仕事でもあるというのが、どうにもままならない。


 最初に行ったコンサートホール――5年前、俺が元いた職場は、俺の事を温かく出迎え、親身に話を聞いてくれた。

 実際にそこが会場になる訳でもないにも関わらず、ポスターを掲示し、チラシを置いてくれるというのにはさすがに驚いた。


「私の方から、他の施設や自治体さんにも連絡を取っておくから、営業に行くならそれからにすると良いよ」

 かつての上司である館長さんは、そう言って俺の名刺を大事そうに受け取り、ニッコリと笑う。

 自然と、頭が下がった。


 一件目の営業先で勇気と助力をもらえた俺は、リストを手に片っ端から売り込みを掛けていく。


 俺は――なぜそうしようと思ったのか自分でも不思議なのだが――『アイドル・アメイジング』の宣伝を各所にしている。

 それも目についたもの。手当たり次第にだ。


581: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:34:45.82 ID:m6szqZZ10

 数年おきに転職を繰り返してきた俺には、培ってきたスキルなど何一つ無い。

 あるとすれば、色んな業界を渡り歩く中で得た、各方面の浅い知識と、浅い人間関係。

 それだけが俺の武器だった――いや、今はそれを武器にしなくてはならない。


 だが、さすがに役所は効率が悪い。

 その特性は十分に理解していたはずだが、しかし曲がりなりにもかつて自分が同業だった手前、遺憾ながら親近感があったのかも知れない。

 自分がかつていた役所にも一応顔を出したが、知っている人間はほとんどいない。

 もう7、8年になるか。それだけ経てば、大抵の職員はさすがに異動するだろう。


 乾いた心でテンプレ通りの営業をかけ、想定通りの受け答えをして、その庁舎を後にしようとした時だった。

 後ろから、思いもよらぬ人物が俺に声を掛けてきた。



「おー、誰かと思ったら、ピー君。ピー君じゃないか」


 振り返ると、俺がここに勤めていた時の上司――。

“先生”とグルになり、汚職まがいの事をして悠々と退職したはずの、爺さんがいた。


582: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:37:24.67 ID:m6szqZZ10

「――その呼び方はやめてください」
「ハッハッハ、水くさいことを言うな、元気にしていたかね?
 ん? 君はもうここの職員じゃないのか」

 その爺さんは、何かの契約のための印鑑証明を取りに来ていたらしい。

 近況を話しつつ、渋々差し出した俺の名刺を、彼はとても感心した様子で眺めていた。

「そうかー。確かにピー君には、我々の行った事で随分と面倒を掛けたようだね。あれはすまんかった」

 慣れ慣れしく俺の肩をポンポンと叩き、ワハハと笑ってみせる。ふざけやがって。


「ただ、そういう事であれば、私にも一肌脱がせてくれないかね? 営業先を探しているのだろう?」

 LIPPSファンだという彼が提示したのは、おそらく現役時代、彼がお世話になり、お世話したであろう業者の数々。

 そして、付き合いのある“先生”方の名前だった。

 俺が毛嫌いする人種ばかりだが、その中で気になるものが一つあった。


 俺が最初に勤めていた会社が、爺さんが挙げた業者の中に含まれていたのだ。


「先生方に会う時は、私も同席するよ。馴染みの店でないと、ヘソを曲げる人も多いからね」

 業者連中は気にしなくとも良いが、と付け加えて、彼はまた笑った。


583: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:41:36.14 ID:m6szqZZ10

 ――――。

 まさか、またここに来ることになるとは――。


 俺は――もう10年以上前になるのか――俺にとって最初の会社の、玄関前に立っていた。

 何も感慨が無いと言えば、さすがに嘘になる。


 いつの間にか新調されたエレベーターで上がり、かつての上司がいるというそのフロアへ向かう。


「――おーっ! 待ってたぞおい、ピー! 元気そうじゃねぇか、エェ、こっち来て座れや!」


 入って一年目の時、現場で青臭い俺を散々怒鳴りつけていた作業所長は、本部の重役になっていた。

 白髪の増えた頭を掻き上げ、しかしあの時と変わらないデカい声で、俺を見つけるなり手を振って呼びつける。


「そのあだ名は、勘弁してもらえませんか?」
「ガッハッハ、久しぶりに会ったってのになーに言ってんだお前は! エェ、腹の調子はいい加減マシになったのかよ、ピー!?」

「おかげさまで、はい」
「シマさんには挨拶行ったのか? あの人も寂しがってるからよぉ顔見せてやれよ、エェ!? ワッハッハ!」
「えぇ、はい」

 取り繕いながら、何となく古傷が痛むのを感じて、俺は知らず腹をさする。


584: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:43:51.27 ID:m6szqZZ10

 ピーというあだ名は、この人が付けたものだった。

 配属されて三ヶ月ほど経った頃、現場にてバーベキュー大会が催されたのだ。

 てっきり、車を出せる人ので数台乗り合わせて、どこかの河原か山で行うものとばかり思っていたが、全然違った。

 バーベキューは、現場で行われたのだ――工事現場の、普段はトラックの搬入経路として開かれているヤード内で。


 先輩と一緒に買い出しに出かけ、戻ってみると、既に会場がセットされていた。

 腰の高さほどに積まれた廃材のALC板が両端に添えられ、その上に一枚のデカい鋼板が置かれている。

 その周りに、おそらく椅子代わりであろう、逆さにしたU字側溝がグルリと配置されていた。

 鋼板の下には、木の廃材と新聞紙、木炭がたっぷりと放り込まれている。


 まさか、コレの上で焼くのか――?


585: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:48:16.99 ID:m6szqZZ10

「よーく洗っといたから心配すんな、ワハハ!」

 いや不衛生にもほどが無いっすか!? という俺の心の叫びは当然無視されて、宴会が始まった。


 訳が分からないまま、先輩方にお酌してまわり、余った肉を口に詰め込まれ、浴びるほど飲まされ――。


 漏らしてはいない。断じて、漏らしてなどいないが――。

 ケツと腹を押さえ、青い顔をしながら現場のトイレに駆け込んだ俺にあらぬウワサが付いた。


 ピーとは、すなわちそういうピーだった。断じて1ミリたりとも漏らしていないのに、だ。

 おまけに、役所に転職した直後、この人達が俺の新しい職場に冷やかしに来たものだから、そこでもあだ名が広まってしまった。


 ちなみに、さっき所長が言ったシマさんというのは、当時俺を可愛がってくれたベテランの職長だ。

 俺の悩みを度々居酒屋で聞いてくれたし、酒とタバコも彼から教わったようなものだった。

 言われるまでもなく、ここに来たからには挨拶に行かなきゃな、とは思っていた。


「しっかし驚いたなぁ、お前役人になったと思ったら今度は女の子達のえーと、何だっけ?」
「プロデューサーです」


586: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:50:56.72 ID:m6szqZZ10

「そうそう! はぁ~~女っ気の欠片も無かったお前がなぁ、さぞかし楽しいだろ毎日、なぁ? ワハハハ!」

 扇子を扇ぎながら、その人は豪快に笑う。

 俺は閉口した。彼が思うほど華やかな世界ではない事を、彼に知ってもらう必要も無いように思えた。


 LIPPSの事を話すと、所長――いや、統括部長殿は一層上機嫌になった。

「今年入ってきた若ぇヤツに、何か芸やれって言ったらよぉ、あの何だっけ? ピンクの、あーっと――そう、城ヶ崎美嘉!
 あれのよぉ、カリスマポーズってのか? それをキレキレにキメやがってよぉ、あー知ってる知ってる」

 他にも、社員の中には、速水さんの映画コラムや、塩見さんのラジオ、宮本さんのバラエティ番組での無双ぶりを楽しんでいる人が大勢いるらしい。
 一ノ瀬さんの曲の名前まで、部長の口から出たのには驚いた。

「当然、チケットくれんだよな?」
「えっ? あ、えぇとまぁ、あの――」
「ワッハッハ! 真に受けてんじゃねぇよマジメかお前は!
 今動いてる現場全てに貼っとくよう指示するよ、下請けで世話になってる業者にも言っとく。ポスター寄こせよ、大量にな」

 彼から口利きをしてもらえる業者のリストをもらった。膨大な数だ。

 これらに一件一件出向かなくてはならない。嬉しいという気持ちよりも、正直気が滅入る。


「ところでピー、お前今日空いてんだろ?」


587: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:54:05.76 ID:m6szqZZ10

 本来であれば、事務所に帰らなくてはならなかった。

 以前、役所で会った爺さんに紹介してもらった先生との約束が、明日にセッティングされていたのだ。

 対応を誤りたくはない厄介な相手なだけに、その準備はなるべく念入りに行っておきたかった。



 だが、結局俺はその人からの誘いを断りきれず、彼の部下大勢と居酒屋に来ている。

「何だお前、ピーお前、あんなトコにいりゃあ取り放題だろうがよ。これまで何人仕込んだんだ、エェ!?」

 彼女達には決して聞かせられない、下品な話がバンバン飛び交う。

 俺は「そっすねー」なんて、白けさせない程度にはぐらかす事に徹しなければならなかった。


「お待たせしました、ジンジャーエ――」

 若い男の店員が口を滑らせようとして、俺がギロリと睨む。

「あっと失礼しました、ジンジャーハイボールでーす、こちらですねー」

 今この場でバラしたらぶっ飛ばすぞてめぇ。


588: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:56:40.15 ID:m6szqZZ10

 とにかく、今日はできる限り酒を飲まず、早く事務所に帰らなくてはならない。

 かと言って、ウーロン茶しか頼まない俺をこの人達が許すはずが無い。

 なのであの店員には、先ほどトイレに行くフリをした際、こっそりお願いしている事がある。

 今後俺には、ジンジャーハイボールと称してジンジャーエールを持ってくるように。お代はハイボールの方で良いからと。

 若い頃、下戸の先輩を連れて合コンした際、先輩に見栄を張らせるために使った手を、俺自身が行使することになるとは。


「おうピーなんだお前、ハイボールだぁ? チャカついたモンばっか飲みやがって、飲めバカヤロウコノヤロウ!」

 すっかり出来上がった部長と、やはり重役らしいその部下の方々が、一升瓶を持って俺を囲んだ。

 俺の試みは、どうやら意味無かった。


 しかも、その後二次会に連れて行かれた。キン肉マンを3回も歌わされた。

 3回目はまともに歌えなかった。部長が俺にパロスペシャルを決めてくれたからだ。

 そこまでハマッた世代でもないから、ぶっちゃけ良く分かんねぇよ。くそ。


 最悪だ――全部奢ってもらえたけど、体力といい思考力といい、失ったものはでかい。


589: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 23:58:45.52 ID:m6szqZZ10

「――あれ?」

 フラフラになりながら事務室の扉を開けると、ちょうどアリさんが退社する所だった。

「お疲れ様です。ひょっとして、これから残業ですか?」
「うん、まぁ」

 コートを応接スペースのソファに放り投げ、バッグを隣のヤァさんのデスクに置き、俺は自分の席に腰を下ろした。

 ケツが椅子と同化したかのようだ。どうやらもう、立ち上がる事はできそうにない。


 アリさんは、心底グロッキーな俺を見てフッと笑い、羽織っていたコートを脱いでコーヒーを作ってくれた。

「申し訳ない」
「いえ、大変ですね。彼女達のために動いてくれているんでしょう?」

 それは分からない、と、俺は正直に答えたつもりだったが、アリさんは否定も肯定もせず黙って自分のコーヒーを啜った。


「アリさんこそ、こんな時間まで残業? 終電あったっけ?」

 時計はもう、明日の時刻になっている。


590: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:00:52.98 ID:taHfCPeM0

「まぁ、僕達の仕事は、あまり暇なようでは困りますしね。彼女達のためにも」

 そう言って、彼は肩をすくめて、ニコッと笑う。

 聞くと、今日は外部のライブコーディネーターと当日の演出について協議した後、彼女達のレッスンに付きっきりになって、トレーナー達と今後の調整方針についてミーティングしていたらしい。

 偉いなぁ。俺はそういうの、やった事が無かった。


「人のこと、言えないですよ」

 彼は笑って、さっさとコーヒーを流しに置いた。さすがに終電がヤバイらしい。

「俺、洗っとくから、そのままでいいよ」
「すみません。それじゃあ、あまり無理しないように」

 無理はしない。無茶はする。


 ――以前、速水さんが言っていた言葉が、何となく心の中で反芻される。


591: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:02:57.90 ID:taHfCPeM0

 アリさんがコートを羽織り、マフラーを巻いて出て行くのを、ボーッと後ろから眺める。

 マフラー――?



 ――――あぁ~~~~くっそ!!

 マフラー忘れた!!


 どうりで首元がスースーすると思ったわ。

 どこで無くした? 居酒屋か? カラオケか? 電車の中かも知れない。


 あーあ、いつどこで買ったっけアレ。それとも、誰かにもらったんだっけな。

 これから冬も本格化するってのに――くっそマジでふざけんなよ。

 もういいや、新しいの買うか。買う暇があればの話だが。



 本当、何がしたいんだ俺は――胸の奥にこびり付いていた自問が、目の前に横たわる。


592: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:06:37.97 ID:taHfCPeM0

 こんな事をして、何になる。

 彼女達のためになるかどうかなんて、まるで分からないし、逆に足を引っ張っている可能性すらあるのだ。

 注目度が高まる事自体は悪くないが、必ずしもLIPPSを好いてくれる人の目にばかり留まるとも限らない。

 まして、俺は仕事が嫌いで、自らの仕事を増やす営業という仕事は、もっと嫌いだった。

 現に俺は、自分でさえ気持ち悪いと思う猫なで声で営業先に尻尾を振り、自分の仕事をいたずらに増やし、ストレスを溜め込んでいる。


 何でこんな事をしているのか、疲れ切った体は、逆に俺に考える時間を与えたらしかった。


 パッと思いついたのは、贖罪かとも思った。

 一つとして彼女達のためになる事をしてこなかった、その罪滅ぼし、という――。

 いや、違うな――外向けの義務感だけが行動原理だとしたら、俺の場合、何か理由を付けて今頃とっくに逃げている。


 それか、怒りか?

 一ノ瀬さんをはじめ、LIPPSを弄ぼうとしたあの支社長――アイツや、アイツと同じ事をしようとした俺自身への。

 俺はアイツとは違うのだ、という――やはり贖罪かも知れないが、自分本位な理由としては、たぶんあながちそうズレてはいない。

 だが、大正解とはどうしても思えなかった。


593: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:09:37.02 ID:taHfCPeM0

 ――納得かな。

 そうだな、たぶん納得が欲しいんだろうなと思う。自分なりの。

 俺はできる限りの事をしたのだ、それでも上り詰めることが出来なかったのならしょうがない、と言える――そう、言い訳が欲しかった。

 言わば、胸を張って諦めるための、今はそのシチュエーションを作り上げる過程にあると言えなくも無い。


 いつぞや見た昼間のレッスンを見る限り、どうせお粗末な『Tulip』を披露するしかないんだろう。

 結果はどうやら見えている。なればこそ、彼女達と共に、しっかりと夢破れた現実を受け止められるよう――。

 そう、ベストを尽くし、悔いを残さず、だ。

 なんだ、随分と常識的な結論に帰着したなぁ。



 ――何を言ってるんだ俺は。相当酔ってる。

 彼女達と共に、だと? 馬鹿め。


594: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:13:13.13 ID:taHfCPeM0

 コーヒーをグッと飲み干し、パソコンを立ち上げる。

 明日の営業先は、午前中2件、午後が3件。

 うち、午後の最後は例のお偉方。強敵だ。だが、味方にできれば最も心強い相手とも言える。


 今、午前1時。資料の進捗具合は、せいぜい15%程度といったところ。

 ――他のトコで使った資料の使い回しでもいいか?

 いや――しっかりそこの業界研究がされていると滲ませるものでないと、先方のハートは掴めない。


「やりゃあいいんだろ、クソッタレが」

 一人ごちつつ、Wordファイルを開いた。6時までには寝よう。


 この世は腐ってる。なぜ俺がこんなにも苦しまなくちゃならない?

 その不条理に対する答えとして、俺はLIPPSという秩序を求めたのかも知れない。

 彼女達を理由にしなくてはやってられない、か――そうかもな。


 何せ、本番では俺なりに、一応考えておいたサプライズが――“ジョーク”があるのだから。

 彼女達も、上手くやってくれるといいのだが。


595: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:16:25.09 ID:taHfCPeM0

 (◇)

「ジョークだって?」

 チビさんが大きな声を上げた。
 こうなると思ったから、駅の裏側にあるお客さんの少ないカフェの店内で待ち合わせたのだ。

「まーね、言っちゃダメだよ? それで、プロデューサーさんは今どんなカンジ?」
「アリさんなら、結構忙しそうにしてるけど」
「チーフさんじゃなくて、ウチらの前のプロデューサーさん」

「あぁ」
 チビさんは頷きながらコーヒーを傾ける。
「もっと忙しそうにしてるよ。死んだ目しながらデスクに着いたり、出張したり帰ってきたり」

「何してんのかね?」
「さぁ、どうしてんだろうなー」

 チビさんは大袈裟にのけぞり、両手を頭の後ろに回してこれ見よがしに欠伸をしてみせた。


 ウソつくのヘッタクソやなぁ、チビさん。白々しいったらないねー、アハハ。

 あたしの視線に気づくと、彼は手を解き、ポリポリと頭を掻いた。

「君達には言うなって、あの人から口止めされてるんだけどな」


596: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:19:06.26 ID:taHfCPeM0

「心配せんでええって、あたし口軽いから」
「白々しい事言ってんじゃ――って軽くちゃダメでしょ!」
「アッハッハ」

「ギブアンドテイク、って、チビさん知らん?」

 そう言ってあたしがニッコリと笑ってみせると、チビさんは盛大なため息を床に向けて吐く。

「――確かに、君達のネタも聞いちゃったしなぁ。しょうがない、俺が言ったって言わないでよ?」


 彼は身を乗り出し、幾分声を落として語った。

「なんか、LIPPSの営業を各所にして回ってるとは聞いてる」
「営業?」
「要するに、ポスターとかチラシとか、そういうのを置いてください掲示してくださいっつってお願いしに行くのさ」

「何で?」
 あんまり興味深い話なんで、ついこっちも身を乗り出してしまう。
「そりゃあ、LIPPSはこんな良いユニットなんですよーって、色んな人に知ってもらいたいからなんじゃないかな?」


 とてもじゃないけど、信じられなかった。
 あの人は、自分の担当じゃない仕事は頑なにしようとしない人のはずだ。
 今聞いた話だって、本来なら営業課さん? ――よく知らんけど、そういう人達がやるもんやないの?


597: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:25:07.35 ID:taHfCPeM0

「そうそう、思い出した」
 チビさんは、何やら愉快そうに手を叩いた。

「ヤァさんがあの人にさ、タバコを使った営業トークっていうか、一つのテクとして伝授したのがあったみたいでさ」
「ふーん?」


 聞くと、営業先の喫煙スペースにいる偉そうな人を狙って売り込みをかけるのだそうだ。

 閉鎖空間だし、タバコを手に取った状態なので、相手にとって逃げづらい。
 仮にタバコを揉み消してそこを出ようとしたとしても――。

「まぁまぁもう少し!」

 なんて言いながら、胸ポケットからタバコをスッと一本差し出してしまえば、相手はなかなか断りづらいらしい。

 勧められると断れない性質を利用したこの営業方法は、タバコの数少ないメリットの一つだとはヤァさんの弁らしい。


「勧めるタバコの種類は何でも良いのか、ってあの人は気にしてたっけな。
 まぁセッターとかで良いんじゃないッスか? ってヤァさんは適当に答えてたけど」

 そう言えば、最近プロデューサーさん、なーんか臭うなぁとは思ったんだよね。
 なるほど、確かにあれはタバコの臭いだ。

 そういう点でも、最近ますますあの人は不健康になっていってるワケか。


598: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:27:01.01 ID:taHfCPeM0

「ところで、187プロはどう? 何か最近イヤな事してきてんの?」
 思い出したように、チビさんはジュースを飲みながら聞いてきた。

「いや、最近は普通。この間、前話した子達とLINE交換したよ」
「え、187プロの連中と?」
「そっ。まー話してみると結構普通よ、もちろんあたしらを油断させようとしてんのかも知らんけどさ」

 へぇぇ~、と何だかチビさんは感心した様子だった。
「周子ちゃんはすごいなー。敵じゃん、あの子達って。よく仲良く出来るなぁ」

「あたしはすごくないよ。フレちゃんのおかげ」


 そう。結局、フレちゃんがシッチャカメッチャカにして、よく分かんないウチにあたしらと彼女らを友達にしてしまったのである。

 敵味方、分け隔て無く愛し愛されるフレちゃんは、まるで本当にアイドルのようだ。

 さっき言ったように、それも187プロの子達の作戦かも知れないけど――でも、あのカンジは、演技とは思えないほど楽しい空間だった。


599: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:29:46.75 ID:taHfCPeM0

「その子達から内情を聞いてみても、187プロの中でも、346を潰せと躍起になってるのはお偉方だけみたいだね。
 実際に働いてるプロデューサーとか、アイドルの子達は、なんかもうそういうの面倒くさい風潮になってるみたい」
「へー、そうなんだ」

 両手を頭の後ろに組みながら、チビさんは背もたれに寄りかかり天井を仰いだ。
「後は本番当日に何かしでかすかどうか、か――うーん、そこは出たとこ勝負にしかならないよなぁ」

 まぁ、今から心配したりドタバタしたってしょうがないもんね。

 それはそれとして――あたしはチビさんに、あるお願いをした。


「あぁ、なるほどね。いいよいいよ、俺も正直何とかしたいなーとは思ってたんだ」
「さすがチビさん。伊達に苦労人やっとらんね」
「分かってくれる?」

 チビさんは酒もタバコもやらないから、特に飲み会の時とかは皆さんの面倒を見る役回りなのだそう。


 しかし、あの人ってホント不器用やなー。あたしらがこうしてお節介やかないとダメなん?


600: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:34:20.64 ID:taHfCPeM0

「私が、ですか?」

 事務室の応接スペースで、間の抜けたプロデューサーさんの声が響いた。
 あたしはフレちゃんと一緒に、彼らの隣で素知らぬ顔でゲームしてる。

 チーフさんは、いつものようにとても穏やか~な顔と声で、懐疑的な表情丸出しのプロデューサーさんに語りかけた。

「やはり、これまでLIPPSを引っ張ってきたという実績を考えると、当日はあなたにプロデューサーをお願いしたいんです。
 もちろん、それまでの調整は全て僕の方で済ませますけど――どうも、ね」


「どうも、何ですか」
「いや、どうも彼女達は、あなたの事が恋しいようで」
「アリさ――」

 コホン、と咳払いをして、プロデューサーが改める。
「チーフが彼女達の世話をしたくないから、とか、そういうのは無しですよ」

「元はと言えば、そちらが押しつけてきたんでしょう?」
 言葉は刺々しいけど、チーフさんの表情はどこまでも穏やかだ。

「責任を持たない、というのは、あなたの言う道義に反することではないでしょうか?」

 おっ、イイこと言うやんチーフさん、言ったれ言ったれー。

「あぁっ! ちょっとフレちゃん、今のナシ、ナシ! あぁーっ!!」
「あー死んじゃった☆ ゴメンねシューコちゃん、爆弾の置き方違った?」
「あれは無いわー、もーまたやり直しやん」


601: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:36:54.03 ID:taHfCPeM0

「――騒々しいぞ」
「ははは、まぁまぁ」

 プロデューサーさんをなだめつつ、チーフさんは話を続ける。

「それと、あなたの方で今されている業務について、ちょっと他課の人達にも応援を頼んでおきました」


「えっ?」
 さっきよりも幾分大きな声を上げ、プロデューサーさんはチーフさんの顔を見た。

「我が社を代表して出場するユニットの監督者ですし、当日まであまり負担をかけて倒られたりしたら大変ですからね。
 他課のプロデューサー達も、喜んで協力すると言ってくれましたよ」

「い、いや――あの、課長は?」
「あぁ、僕の方から話しておきました。勝手な行動を取った事については、不問にすると」


 話の流れが一部読めなかったけど、要するに、プロデューサーさんがやってた膨大な数の営業を、他の人達が肩代わりしてくれると。

 そりゃそうだよねー。346を代表して出るっていうのに、346が会社全体としてバックアップしないのはおかしいやん?


 いまいち釈然としない様子だったけれど、プロデューサーは頭をクシャクシャと掻いて、結局は了承してくれた。

 その様子を見てあたしは、やはり素知らぬ顔してデスクにいたチビさんと、こっそりピースを交わし合う。

 ふふふ、奏ちゃん喜ぶかな?


602: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:39:08.78 ID:taHfCPeM0

 それからというもの、レッスンにはチーフさんと一緒に、プロデューサーさんも立ち会う事が増えた。

 と言っても、口出しするのは専らチーフさんで、プロデューサーさんはつまんなそうに黙って突っ立ってるだけ。


「あのさ――やっぱ、こっちのレッスンも、少し本気っぽいカンジでやっといた方が良くない?」

 休憩時間中、美嘉ちゃんがあの人達の見えない所で、あたしらに提案した。
「何というか、申し訳ないっていうかさ。せっかく事務所全体で応援してくれてるのに、ガッカリさせちゃわないかなって」

「それは逆よ、美嘉」
 奏ちゃんがかぶりを振った。

「せいぜい今のうちにガッカリさせておいた方が、本番でのジョークの効果も上がるというものでしょう?」

「あたしも奏ちゃんに賛成。フレちゃんは?」
 そう言って振り返ると、フレちゃんはあたしらの会議そっちのけで携帯を楽しそうに弄ってる。

「フレデリカ」
「ンー? あ、カナデちゃんゴメンね、今シキちゃんとラインやってるんだー♪」


 見ると、レッスン室の風景を撮ってLINEに上げていて、それに志希ちゃんがスタンプで返事していた。

 おっ、あたしのセクシーショットあるやん。いつ撮ったん? 高いよ?


603: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:41:46.57 ID:taHfCPeM0

 ま、美嘉ちゃんは心配性で気ぃ遣いだからしょうがない、ってカンジで方針は結局変わらないまま、レッスンはつつがなく終わった。

 次の用事まではちょっと間があったので、テキトーに中庭でブラブラしてたら、プロデューサーさんがいた。

 で、一緒にどっか散歩でも、ってなって、今事務所の外の公園のベンチにボーッと二人で座ってる。



「チビさんから聞いたよ」

 タバコを吸いながら、プロデューサーさんは空を見上げた。
 何というか、冬っぽいカンジの曇り空で、さっきから木枯らしが吹きつけるもんだから実は結構寒い。

「塩見さんが、俺の仕事を皆に分散させるよう提案してくれって、チビさんにお願いしたんだろ?」

「それと、またプロデューサーやってくれ、ってね?」
 足をプラプラさせてみる。あ、ダメだ余計寒いわ、閉じよ。



「実はな――こんな事を君に言っても、しょうがない事だとは思うけど」

 煙を吐きながら、プロデューサーさんは頭をクシャクシャと掻いた。

「この間、高垣さんと少し話をしてな」


604: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:44:02.73 ID:taHfCPeM0

「ほぉ、楓さんと?」

 あたしの楓さんの呼び方が、思った以上に随分親しげに聞こえたらしい。
 プロデューサーさんは、目を丸くしてあたしを見てる。

「アハハ、そりゃ一緒にお茶くらいするよ。他の子達も結構仲良くさせてもらってるよ?」

「そうなんだ」
 何となく思案する風な顔で目の前に向き直り、プロデューサーさんはタバコを吸う。


「まぁ、俺も、何話したって訳でも無いが――エントランスで偶然、バッタリと会って」
「会って?」
「何か色々、聞きたかった事があった気がしたんだけどな」

 ククッ、と笑いながら、煙を吐く。

「あの人、すっげぇ美人だから、なんか緊張しちゃって、結局俺の方からは何も話せなくてさ」
「アハハハ、だっさ」
「うるせぇな」

 ていうか、あたしらは美人じゃないんかい。
 ホント、この人ときたら――でも面白いからスルーしてあげよう。

 プロデューサーさんの、こういうリラックスしたカンジの笑顔は、久々というか、初めて見るかも知れないし。


「で、まぁ世間話だけして、じゃあって別れようとした時に、彼女が言ったのは」


605: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:45:47.39 ID:taHfCPeM0

「当日は、服部さんと一緒に、LIPPSのライブを見に行こうと思います――ってさ」


「服部さん――って、あの、プロデューサーさんが最初に担当してたって人?」
 そして、優しすぎて、背負いすぎて、辞めてしまった人。

 いや――プロデューサーさんに、半ば辞めさせられた人。

「同期なのは知っていたが、まさか未だに交流があるとは思わなかったから、驚いた」


「それで、プロデューサーさんは何て?」
「何、って――別に、そうですか、って」
「いやいや、それは無いでしょ~」

 呆れて笑ってしまう。
「もっとリアクションしてあげた方が、楓さんも服部さんも喜んだでしょうに」

「そうなのかな」

 プロデューサーさんは、一際長い煙を吐いた後、黙り込んでしまった。



「――プロデューサーさん?」


606: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:50:16.35 ID:taHfCPeM0

 口元に寄せたタバコが、すっかり短くなっていた事に気づくと、プロデューサーはそれを携帯灰皿に落とした。

「――俺を恨んでいるかな、って」
「えっ?」

「自分の事は大成させずアッサリと辞めさせておきながら、新しい子達を平然と大舞台に立たせようとしている俺を、彼女はどう思っているのか。
 それを考えると、怖くなって、何も言えなかった」


「バーカ」
「ん?」

 なっちゃいない。なっちゃいないよ、プロデューサーさん。

「会いたくもない人がいる所に、わざわざ行こうと思うはず無いやん。
 そんな風に思う事自体、服部さんに対して失礼って、思わない?」


「失礼――か。すまん」
「何であたしに謝んのさ。まったく、逆の意味でとことん自意識過剰だねープロデューサーさんは」

 そう言って、ぷっ、とあたしは吹き出した。

 怪訝そうな顔をしながら、プロデューサーさんは新しいタバコに火を付ける。
「何だよ」
「いや、失礼と言えばさ?」

「奏ちゃんや美嘉ちゃんには気を遣うクセに、あたしの横でタバコを吸う時は全然、何の断りも無くスパスパ吸ってんなこの人、って」


607: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:52:26.04 ID:taHfCPeM0

「あっ」

 タバコ持ってない方の手で、急に慌てて胸ポケットをパタパタ探し出す。
 携帯灰皿なら、さっきコートの左ポケットから出してなかったっけ?

「ご、ごめん」
「いや、いいよ。面白かったし。あぁ、気にせずどーぞ最後まで吸って、もったいないやん」

 どうやら本当に気づかなかったみたい。
 すっかり恐縮してしまっているプロデューサーさんを尻目に、あたしは笑いながらベンチを立った。


「そろそろ用事あるから、あたし行くね?」
 いい加減寒いし、ここ。

「プロデューサーさんは?」

「俺は、まぁ、もう少しここで――」


 少し言葉を選んでいたようだけど、タバコを吸いながら、結局開き直った。

「もう少しここでサボってる」


608: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:53:53.89 ID:taHfCPeM0

「アハハ、りょうかーい。チーフさんによろしく言っておくね♪」
「あぁ」

 後ろ手に、ヒラヒラと手を振って、その場を立ち去る。


「塩見さん」

「ん? 何」

 振り返ると、プロデューサーさんはとても物憂げな――でも、とても柔らかな笑顔であたしを見つめていた。


「君には、世話をかけたな」



「――――ハハッ!」

 何で過去形やねん。

 踵を返し、あたしは何となく足早にその場を後にした。


609: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:55:18.68 ID:taHfCPeM0

 そしてあたしはプラプラと、事務所からちょっと離れた所――この前チビさんと行ったカフェに立ち寄った。

 待ち合わせていた人は、もう既に来ていて、優雅にお茶を飲んでいた。


 本当、今さらながら思うけど、この人とあたしが二人でお茶をするなんて、ちょっと前までの自分なら想像できなかっただろうなー。



「ふぃー寒い寒い。お待たせしてごめんね楓さん。何飲んでるんですかー?」


610: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:57:09.49 ID:taHfCPeM0

「それで、楓さんと何話したの?」

「あ、美嘉ちゃん、そっちの方早くしないと焦げるよ?」
 お箸で美嘉ちゃんのそばにあったそれを差すと、彼女は慌ててお皿に取り、口に入れた。

「ぅあっつ!! あふぁ、あっふあ!!」

「そんな慌てて食べなくてもいいのに。はい、お茶」
 呆れて笑いながら、奏ちゃんがコップを美嘉ちゃんに差し出す。

「あふっ、あ、ありがと――ぶふっ、ってこれコーラ!?」

「アッハッハッハ!」
 面白いように弄ばれる美嘉ちゃんに、皆で盛大に笑った。
「もうっ! またそうやってアタシをからかうの止めてよね!」
「ミカちゃんミカちゃん、見てコレ。ミンティア5段積みに成功したよ、すごくない?」
「どうでもいいわ!!」


「そんな事より、周子ちゃん! 楓さん」
「あーはいはい、楓さんね」

 頷きながら、新しく焼けたヤツをお皿に取った。

 うげっ、しまったこれミンティアやん。


611: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 00:59:23.08 ID:taHfCPeM0

「別に、そんな大した話してないよ?
 今度のフェス頑張ってね、とか、あぁありがとうございます、とか」

 そーっと、奏ちゃんのお皿にミンティア入りのそれをお箸でパスする。

 奏ちゃんはそれを黙認しつつ、話を促してきた。
「それだけじゃないでしょう?」


「んーと――後は、服部さんってどんな人ですか、とか?」

 奏ちゃんは、ほう、と呟きながら、さらにそれを隣の美嘉ちゃんに渡した。
 美嘉ちゃんはソッコーでフレちゃんに回した。

 さすがカリスマギャル。往時のアルゼンチンサッカーのそれを彷彿とさせる、流れるようなパス回しですね。
「実際、どんな人?」

「とっても大人なカンジで、美人でおしとやかで、髪が長くてキレイな美人だって。
 ちょっとあたしも会いたくなっちゃうよねー」
「美人二回言ったわね」


 フレちゃんは、回ってきたそれを見て「ワォ♪」と感嘆の声を上げ、何やら悪戯をし始めた。
 青のりとカツ節、さらにはタバスコを振っているのを見て、あたしはニヤニヤしてしまう。

「絶対、当日は会場で服部さんとプロデューサーさんが鉢会うのを影ながら見てみたくない?」
「見たい見たい!」
「楓さんと相談してみましょうか。私達との待ち合わせと思わせて、実際に来たのは服部さんとか」
「カナデちゃん、それグッドアイデリカ☆」


612: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:02:25.80 ID:taHfCPeM0

「ところで、楓さんはどこまで知ってるんだろうね?」

 彼女の言葉に、美嘉ちゃんがふと手を止め、天井を仰いだ。
「そういや、楓さん――自分がそういう、偉い人達の思惑に振り回されようとしてたの、知ってたのかな」

「さすがに、何も知らないという事は無いんじゃないかしら」

 さっきまでとは打って変わって、奏ちゃんも至極真面目な顔になっている。
「仮にも当事者だし、トップアイドルにまでなる人が、周囲の思惑に気づかないほど鈍感で賢くないとも思えないわ。
 あの人、底知れない何か、オーラみたいなものも感じるし」

「オーラって、奏ちゃんの口からそんな抽象的なワードが飛び出すとは思わんかったな」

 感心しつつ、あたしは別のヤツをお皿に取った。
 これは確かチーズやったな。色的にも間違いない。

「プロデューサーさんも、その当りは相当気になってたみたいだけど、結局は今の奏ちゃんと同じ意見だったね」
「最近本人と話してみた感想は?」

「いやー、それが楓さん、それとなしに聞こうとしても全然、「ふふっ」って笑うだけで、教えてくれんのよ」

 ソースとマヨネーズをかけ、半分に割って口に放った。
「ミステリアスというか、あの人もたぶん、あまり話したくない事なんかなーって。だから、深くは突っ込まなかった」
「ふーん」

 残念だけど納得した風に腕組みをする美嘉ちゃんの横で、フレちゃんは未だにタバスコを振ってる。
 さては今の話、聞いてなかったなこのコ。


613: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:05:38.65 ID:taHfCPeM0

「ちょっとフレちゃん、さすがにそれかけ過ぎじゃ」
「いーよいーよ、楽しいし♪」
「だって見てよ、すごい事になってるよ? 血の海みたい」
「美嘉ちゃん、それこれから食べようっていうアタシに言う?」
「う――ご、ごめん、そんなつもりは」

「じゃあミカちゃんのもアタシ作るねー☆」
 そう言ってフレちゃんは手際よくタネを入れて、先ほど5段積みしてたミンティアを放り込んだ。

 おっ、と言いながら彼女は手元にあったタバスコをサッと取り、それにドバドバと振りかける。

「わーっ!! な、何してんのちょっと、それアタシ食べないからね!?」
「まーまー、苦楽を共にすることで固い契りを交わそうではないか美嘉ちゃん。まりーみー、らいとなう」
「無理だって!! 大体苦しいのアタシだけじゃん、この場合!」
「うーわ、これはエグい色してるわ。美嘉ちゃんご愁傷様」

「なんて人達なのかしら。ちょっと私、トイレに行ってくるわね」
「奏ちゃーん、今トイレに立つ事がどれだけ危険な行為か、分からない?」
「それもそうね。美嘉、先に行ってきていいわよ」
「何でよっ!!」

「アッハッハ、おーいフレちゃん、そろそろそっち焼け――」



 声を掛けようとして、あたしはふと止まった。


614: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:07:49.51 ID:taHfCPeM0

「――周子?」
「どうしたの、周子ちゃん?」


「なんか、不思議やなって――こんな風に、当たり前のように皆で楽しく集まって、あーだこーだしてるのがさ」

 自然と笑みが零れて、ニヤニヤが止まらない。
 奏ちゃんが怪訝そうな顔をしてる。最高に気持ち悪いんだろうな、今のあたし。

「東京来ていきなりね? 宗教の勧誘かと思ったわ。
 変な人に声かけられて、気づいたらアイドル候補生になって」


 皆の顔を順番に見ながら、あたしは続ける。

「最初に会った奏ちゃんとだって、何このいけすかない子、って――絶対友達になれないし、なりたくないって、正直思ってた。
 美嘉ちゃんも、あたしにとっては雑誌やテレビの中にいた人で、それがこうして普通に一緒にご飯食べて、家族よりも長い時間を共有してる。
 フレちゃんや志希ちゃんは――アハハ、まーアバンギャルドな非日常を絶えず供給してくれるっていうか?
 何であたし、この子らと当たり前に一緒にいるんだろう――いられるんだろう、って、ふと思っちゃってさー」


615: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:11:43.23 ID:taHfCPeM0

「周子ちゃん――」
 美嘉ちゃんのでっかい瞳は、心なしか潤んでいるように見える。
 なんか、しんみりさせちゃった?

 フッ、と鼻で笑いながら、奏ちゃんがコップを置いた。

「センチメンタルになるなんて、周子らしくないわね」
「そうなんよ、何かなー。本番近づいて、シューコちゃんも緊張しちゃってんのかね」

「私も、思い出すわね――初めてステージに立った時も、緊張で全身がパニック状態だったわ」

「そうなの?」
「えぇ。同時に、涼しい顔でそつなくこなした誰かさんが憎らしくてね――。
 その後のライブでも、周子だけでなく私以外の皆が、どんな不測の事態に見舞われても器用に立ち回る事に、嫉妬を覚えたものよ」

 奏ちゃんは、手元のコップに視線を落とし、かぶりを振る。

「そんな連中のリーダーに、どうして私が務まるのかって、それを任命したあの人にも腹が立ったし――。
 でも、思い返すと、楽しかったなぁ――皆がいてくれて、私もその一員になれた事実が、今でも信じられないのが本音よ」

 あたしは、奏ちゃんの美貌とグラマーっぷりは、軽くチートなんじゃないかと思ってるけどなー。
 意外と、この子は賢そうに見えて自分のポテンシャルに気づけていない節がたまにある。


616: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:14:50.76 ID:taHfCPeM0

「ちょ、ちょっと! 楽しかったなぁって、奏ちゃんなんかもう終わりみたいな雰囲気出してない?」

 美嘉ちゃんが慌てて手を大きく振る。
「一員になれたどころか、奏ちゃんにしか出来なかったよ、アタシらのリーダーは。
 周子ちゃんだって、すごい子が来たなーって、アタシの方こそ焦って自主練しまくっちゃったしさ」

「あー、それそれ。あれ何であんな必死だったん? あたし一回だけコッソリ見たけど、美嘉ちゃん死ぬんやないかって思ったもん」
「し、死ぬってそんな大袈裟な。って、見てた!?」
「あーそれアタシも思ったねー。美嘉ちゃん十分すごいのに、けっこー完璧主義者で融通聞かない子なのかなーって最初思ったよ?」
「同意ね。私も、負けてられないって思ったから」

「ちょ、み、皆見てたの!? それ言ってよ、恥ずかしいよ!」
「フレちゃんは毎回写メ撮ってたよー♪ 見る?」
「げぇーっ!? ほ、放送事故じゃん何これアタシ、消してっ!!」

 アハハ、やっぱ美嘉ちゃんはLIPPSの中心やね。
 アイドルとしての実力はもとより、包容力っていうか、人を嫌な思いにさせないよう振る舞う気遣いと優しさに溢れてる。
 だから、皆から安心して弄られる。なんまんだぶなんまんだぶ。

「あ、ちなみにフレちゃんのスマホに入ってた写真は全てクラウドに保存されてるから、今さら消しても無駄なのだー♪」
「何ぃっ!?」
「シキちゃんとシューコちゃんに手伝ってもらったんだー☆ いやー持つべきものは天才博士と和菓子屋の娘だねー」
「和菓子要素ゼロやん」


617: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:18:51.51 ID:taHfCPeM0

「はいっ、焼けたよミカちゃーん☆」
 必死にフレちゃんの携帯を取り上げて写メを消してる美嘉ちゃんに、フレちゃんがおもむろにお皿を差し出した。

「えっ? な、あっ――!」

 真っ赤に焼けたそれを見て、分かりやすい拒否反応を示す美嘉ちゃんの顔を、フレちゃんが覗き込む。
「ミカちゃん、そんなに食べたくないなら、アタシ食べよっか? ちょっとだけ」

「えっ? い、いや、それは――」
 美嘉ちゃんが言うが早いか、フレちゃんは4分の1くらいにそれを割り、マヨネーズを付けてパクッと一口。

 ――途端、フレちゃんの大きな目から大粒の涙が零れた。

「ふ、フレちゃん!? 大丈夫フレちゃん!?」
「おお、おおぉぉぉぉ――」
「お、オームみたいな声出てるわよフレデリカ!」
「ヤバい! 皆の者フレちゃんに水を持てーい!」
「水を持てーい!」
「水を持てーい☆」
「フレちゃん自分で言ってる! 意外と元気じゃん!」

 フレちゃんもね、言動はハチャメチャだけど、絶対人が嫌がる事をしないし言わない。
 今までも、誰かを疑ったり、悪く言ってしまいそうな噂話に参加した事は無かったし、ずっと彼女は周囲の調和を取り持つ事に努めてきた。
 トレーナーさんが言っていた通り、フレちゃんはLIPPSを陰日向に支えてきたスタビライザーだったんだよね。

 今のは、さすがに悪ふざけが過ぎたのを反省して、自分で食べようとしたんだけど、どうやら想像以上にヤバかったらしい。


618: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:23:05.77 ID:taHfCPeM0

「城ヶ崎さん。これを食べる事は、おすすめはしません」
「当たり前だっつーの」

 フレちゃん、めっちゃ真顔になってる。アハハハ。


 そして――。

「ですが、宮本さん――私は、その逆境に立ち向かい、皆の期待に応えるのが、城ヶ崎さんであると信じております」

「なぁっ!?」

「はい、仰る通りです。
 私も、心のどこかで、城ヶ崎さんならできると――その想いを、抑えることができません」

 アッハッハ、始まった始まった。
 たまに見られるこの二人の即興漫才。やっぱ楽しいねー。

「つまり美嘉ちゃん。「食べるなよ!? 絶対に食べるなよ!?」ってヤツやね」
「食べるか!! 本当に食べないからね!? アタシ辛いの苦手だし!」
「あーあ、アタシと一緒にこの激辛たこ焼きを食べてくれる人がいないなんて、ショックで失踪しちゃいそうだよぉ。およよ」
「そ、そんな事言わないで!」


 忘れちゃいけない――あたし達の絆を深めるきっかけを、もたらしてくれた子。

 テキトーに立ち回っているように見えて、自らを犠牲にしてまでLIPPSを守ろうとした子。


「はい、お水」
「ありがとう。って奏ちゃん! 何普通に食べさせようとしてんの!?」


619: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:29:56.02 ID:taHfCPeM0

「あぁ~、美嘉ちゃんがアタシの曲を歌ってくれたの、すごく嬉しかったよぉ。
 感謝の印として美嘉ちゃんと一緒にたこ焼き食べたいよぉ。およよ」
「~~~~ッ!!」

 観念したのか、美嘉ちゃんは正座に座り直し、腕をまくって鼻からフンスと息を吐いた。
「いよぉし、あーもう! 食べりゃいいんでしょ!!」
「よっ、美嘉の字! 城ヶ崎屋!」
「周子ちゃんうっさい! そこ、動画撮るな!」
「あ、ゴメンゴメン☆ じゃあ写真にしとくね♪」


 これからもこうして、あたし達は変わらずたこ焼きパーティーを行っていくんだろう。

 もちろん、4人ではない。彼女も一緒だ。

「それじゃ、カンパーイ♪ サルーテー♪」
「たこ焼きで乾杯、って――い、いただきます!」

「――んむぅぁぁぁあああああああっ!!!!」
「大丈夫か、美嘉の字!」

 ていうか、あたしらメンバーの中でたこ焼き器持ってるの、この子の家しかないやんな?


「おやおや、大惨事だねー。奏ちゃん雑巾取ってきてー」
「あら、何だかデジャブね?」
「安心してよ、もうそういうの無いからさ。のーもあくらい。ねー美嘉ちゃん?
 あれ、聞いてないか、にゃははー♪」
「ひいぃぃぃぃっ!! ひいぃぃぃっ!!!」
「ミカちゃん! ミカちゃんこっち向いて☆」

 カメラを向けられれば、いかなる状況下でもカリスマポーズをキメる美嘉ちゃん、さすが。
 パブロフの犬かな? アッハッハッハ。


620: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:30:36.86 ID:taHfCPeM0

 (★)

 アタシは、志希ちゃんのために身を粉にしてこのフェスに臨んだ。

 彼女の分まで、アタシが結果を残すのだと、そういう覚悟でもって立ち向かうのだと。

 そう、皆に思わせる必要があった。


 それで、良かったんだよね?


621: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:31:38.59 ID:taHfCPeM0

 (■)

 リーダーらしい役目など、まるで何一つできた事なんてなかった。

 それでも、皆が私を必要としてくれた。

 報いるのが筋だということは分かっている。


 ムキになる理由なんて、それで十分でしょう?


622: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:33:13.41 ID:taHfCPeM0

 (・)

 調整しておくとか言いながら、アリさん全然調整できてねぇじゃねぇか。

 だが、当日の担当者が直接進めるべき話が出てくるのは、当然っちゃ当然か。

 やっぱ、安請け合いしなきゃ良かった。今回は裏方に徹するべきだったな。


 いいか、諦めよう。どうせこれで最後だ。


623: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:34:27.75 ID:taHfCPeM0

 (◇)

 奇妙としか思えない巡り合わせで、何とも個性的な人達ばっかり、よくぞ揃ったもんだよね。

 呆れちゃうよホント。おかげで今日まで退屈せずに済んだけどさ。

 でもそういう、あたしはともかくさ? すごい人達だらけのユニットによるステージが、面白くならないワケがない。


 そう、すごいんだよホントに。一筋縄ではいかない怪物達による、老若男女もビックリメガ盛りのオンリーワンユニット。


624: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/21(木) 01:35:35.00 ID:taHfCPeM0

 (♡)

 それが“LiPPS”――でいいんだっけ、フレちゃん?


628: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:06:45.65 ID:vQzT5qlo0

【12】

 (・)

   ――もっと、あの子達に、期待してあげてください。

   ――あの子達を、愛してあげてください。


   ――それだけで、きっとあの子達は、今以上に輝けるのだから。



 馬鹿を言うな。


 俺がした事を、忘れろと言いたいのか?

 過信や期待は、人を潰すんだ。もう、まっぴらだよ。



   ――ふふっ。それならどうして――。

   ――あなたは、そんなにも彼女達に尽くしたの?


629: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:09:04.49 ID:vQzT5qlo0

「俺はな――」



 ――――。


 ――自分の寝言で目が覚めた。

 外が暗い。時間は――6時か、意外とちょうど良い時間だな。


 向かいのソファーを見ると、ヤァさんが毛布に包まり、豪快ないびきを掻いている。

 よせばいいのに、前祝い会をしましょうなどと彼が言い出したおかげで、俺もこの有様だ。

 アリさんとチビさんは、昨日は普通に帰った。何時まで飲んでたんだっけか。頭が痛い。


 1階のシャワー室へ行って――まだ替えのシャツ、あったよな?

 さすがに、ヒゲは剃っておこう。

 だが、目の下のクマは、どうにも誤魔化しようがない。


 ――いつぞや城ヶ崎さんに買わされた、このグラサンでもしていくか。無いよりはマシだろう。


630: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:11:12.59 ID:vQzT5qlo0

 行きがけのコンビニで朝飯を買い、車の中で食べながら会場へと向かう。

 彼女達とは、現地で落ち合うことになっていた。

 普段は流れているのに、休日の国道は朝っぱらから悉く渋滞していて、何でこんな混んでいるんだとイライラさせられた。

 やがて、それが会場まで続くものだと知ると、渋滞の原因はまさに今日のフェスだったのかとようやく気づいた。


 だいぶ焦らされたが、誘導員にスタッフ専用の駐車場に案内され、どうにか予定時間ギリギリに現地に到着した。

 会場の外は、まだ設営中にも関わらず、物販目当てのお客さん達が大勢待機している。

 各事務所を代表するアイドル達が一同に会するビッグイベントだから、グッズもそれなりに価値ある物なのだろう。


 名札を見せ、専用口から会場に入り、楽屋を確認する。

 中に入ると、彼女達はもう既に来ていたようだが、荷物だけが置いてある。

 どこかで本番前の最終練習でもしているのだろうか。

 そう思っていると、入口のドアがガチャッと開き、速水さんが現れた。


631: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:14:06.06 ID:vQzT5qlo0

「あら、おはようプロデューサー――ふふ、グラサン似合うわよ」

 少し驚いた様子で、彼女は俺を一瞥すると、自分の手荷物の所へ向かっていった。

 他の子達について聞くと、速水さんは携帯を弄りながら、どこか雑な仕草で指を差す。

「会場の裏にいるわ。皆で最後の通し練習」



 彼女に案内され、一応顔を出してみると、この寒空の下、Tシャツ一枚で皆が早くも軽い汗を流していた。

 分かってはいたが――一ノ瀬さんは、そこにいない。


 邪魔をするのも悪いと思ったので、軽い挨拶のみに済ませ、早々にその場を後にする。

 ステージリハがそろそろ始まる時間だった。

 元々、リハは希望制であり、サプライズを持ち味とする我がLIPPSはエントリーしていない。

 でも、会場の雰囲気を見ておきたい俺の足は、自然とそこへ向かっていった。


632: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:15:45.05 ID:vQzT5qlo0

 (187)

 チッ、くそ野郎が。

 せっかくLIPPSをダシにして346の急進派を唆して、ようやく出し抜けると思っていたのによ。

 あと一歩の所で、余計な真似をしてくれやがって。
 そうか、やはりアイツが邪魔したんだな。


 ハハハ――何だ、イキがってグラサンなんかしてやがる。
 似合ってねーんだよバーカ。

 ネットでの書き込みもどういうワケか出来なくなったし、ウチのアイドルやプロデューサー共も懐柔されちまったが――。

 俺達が諦めたと思ったら、大間違いだぜ。



 既に会場には、俺達の“ジョーク”を仕込んである。
 ちょうど、LIPPSのステージでそれが起こるようにな。

 ククク、ざまぁみやがれ。
 この187プロを敵に回したことを、イヤってほどに後悔させてやる。


633: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:18:35.43 ID:vQzT5qlo0

 おっと、携帯が――。


「兄貴、こっちは準備が出来ました」
「おうご苦労さん」

 どうやら、首尾良く手筈は進んでいる。


 照明を落としてやる――いつぞやの、おたくらのサマーフェスのようにではなく、物理的にな。

 怪我をさせるつもりまではねぇが――手元が狂っちまったら、そいつも保障できねぇなぁ? ヒヒヒッ。


 部下の報告を聞いて、満足して携帯をしまう。

 と、そこへ、誰かが俺の肩をトントンと叩いた。


 あぁん? 何だ今イイトコなんだから邪魔すん――。



 ――ッ!? えっ――?


「187プロの方、ですね?」


634: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:20:52.75 ID:vQzT5qlo0

 振り返ると、俺の目の前には、いつの間にか男が二人立っていた。


 一人は、髪をオールバックにしてグラサンをかけ、黒シャツに青地のネクタイを締め、テカテカの黒いダブルスーツを来ているシックな男。

 もう一人は、角刈りで死ぬほど恐ろしい眼光、いかにもという傷が頬にあり、金糸のシャツの上から紫のスーツを粗雑に羽織ったノーネクタイの大男だ。

 共通して言える事は、二人とも、どう見てもカタギではない。


「おう、ニイちゃんよぉ。面白そうな事しとるそうやんけ、ワシらも混ぜてくれんかのぅ?」
 紫金糸の大男がポケットに手を突っ込み、グイッと上から俺を見下ろした。

「ひ、ひぇ――」
 何なんだコイツらは――いや、この人達は。
 およそアイドルのイベントにはこれっぽっちもそぐわないオーラを、これでもかと俺に向けている。

 声にならない声が俺の口から漏れ出た時、ふと俺の携帯が鳴った。


「あっ、あ――」

「構いません、どうぞお取りください」
 黒スーツが紳士的に俺に促す。

 その言葉に倣い、俺は努めて恐縮した姿勢を強調させながら、おそるおそる電話を取ると、モニターには本社の番号が映っていた。


635: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:27:53.98 ID:vQzT5qlo0

『おい、お前今どこにいる!?』
「しゃ、社長!?」

 電話口の先は、てっきり俺の同僚か直上の上司かと思っていたから、俺の心臓はさらに飛び上がる。

『非常に恐ろしい事態になった。落ち着いて聞いてほしい。
 今日、お前のいる会場に、萩原組と、村上連合会の直系組織が乗り込んでくるらしいのだ』


「は、萩原組!? そ、し、しかも――村上連合会って、あの広島のですか!?」

 それぞれ東京、広島を本拠地に置く、裏社会の枢軸としてその名を轟かせる組織だ。
 な、何故そんな連中がこんなイベントなんかに――!?


 ふと、俺は目の前の男達を改めて観察した。

 見た目の迫力に気圧されたため、気づかなかったが――。
 黒スーツの襟には、クロスさせたシャベルの上に白金で縁取られた“萩”の字の白い紋章。

 そして、紫の大男の襟には、登り龍を象ったゴテゴテの仰々しい金縁のバッチ。


 この人達――まさに萩原組と村上連合会じゃねーかよぉぉ!!


636: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:30:57.27 ID:vQzT5qlo0

「しゃ、社長、あの」
『いいか、絶対に連中と顔を合わせるな。
 鉢会うような事があれば、何をされるか分かったものではない。
 もし万が一、出くわしてしまったなら――』


 急に、社長の言葉が途切れてしまい、俺の不安はますます膨れあがる。
「しゃ、社長――?」

『その時は、その――適正に対処することだ、いいな』
「そ、そんな、ちょっと適正にって何――!」

 一方的に切られ、通話の終了を告げる無情な電子音が俺の耳にこだまする。


「おう、終わったんか? あぁ?」
 紫金糸が俺の様子を見て取り、高圧的な態度でもって俺の前に詰め寄った。

「お嬢のおる事務所が出るっちゅー晴れの舞台によぉ、なーんかキナくさいネズミがチョロチョロ走り回っとると聞いてなぁ?
 まさかそんな命知らずがおるとは、オヤジ殿も思っちょりゃせんが、万が一っちゅー事もあるでのぉ」


「ニイちゃん――舞台裏の照明装置、あの辺におった連中。あれ、ニイちゃんのお友達だって?」


637: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:33:44.19 ID:vQzT5qlo0

「ふぇ――」

 ニッコリと笑って、紫金糸が、そのでっかい手でスマホを取り出し、画面を操作した。
「ほれ、見てみぃ」

 おそるおそる覗き込むと、そのテレビ通話画面には、先ほど報告してきた俺の部下が映り込んでいる。
 よく見ると、その後ろには、この紫金糸にそっくりな怖ーいお兄さん方が大勢取り囲んでいた。


「ち、違います! 俺は、じゃない、わ、私はこんな事をしようなんて――!」

「“こんな事”ぉ?」

 紫金糸が、目にも留まらぬ速さで俺の胸ぐらをガシッと掴み、グラグラと揺さぶる。
「何がこんな事じゃおどれコラ!! 泣いて謝って済む問題とちゃうぞ、おおっ!?」
「ひっ、ひぁっ!!? ちょ、ごめ、助け――!」


「こんな事、とあなたが仰る内容は、そこの画面にいる方から、既にお聞きしております」

 黒スーツの男が、紫金糸とは対照的に、ひどく丁寧な言葉で蕩々と語り出した。


「私共のお嬢が出演するステージに、直接影響がある訳では無い、とのお話でしたが――。
 とはいえ、お嬢の出るフェスです。いかなるミソが付く事も、我々として到底承服できるものではない」


638: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:38:29.79 ID:vQzT5qlo0

「あっ――あ――?」

 コツコツと、ピカピカの革靴の底を鳴らし、黒スーツが俺に近づく。
 紫金糸は、俺の拘束を乱暴に解いて、黒スーツに俺を委ねたようだった。


「悪いことをしたら、謝らなければならない。
 照明装置を舞台の上に落とす事は、悪いことだ。
 人が怪我するかも知れないし、関係者にも迷惑がかかる。そうだね?」


 ニコッと一瞬だけ笑った後、黒スーツの男はグラサンを取った。

 異様としか言いようのない眼光だった。
 目の黒い部分が以上に小さく、最初何かの病気かと一瞬思ったが、そんな心配などしている余裕は無かった。

 黒スーツは、グラサンを胸ポケットにしまいながら首をゴキゴキと鳴らし、俺に顔を近づけた。


「なぁ、お兄さん――こういう時、どう落とし前を付けたらいいのか、あんたも大人なら分かるよなぁ?」


 あぁ、終わったな。
 俺はもう、五体満足で――生きてこの会場を出る事は無いのだなと悟った。

 あれかな、東京湾に沈められるのかな?


 膝から崩れ落ちそうになった俺を、紫金糸がにこやかに支えた。


639: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:54:04.37 ID:vQzT5qlo0

 (・)

 会場は、国内外の著名な楽団や、様々なトップアーティストが好んで使うというだけの事はあった。

 3階席まである客席の数は4,000席を超え、グルリとステージを見下ろす格好となっている。

 形式こそオーソドックスな扇型のプロセニアムステージではあるが、広さも客席の数も天井の高さも、規模はこれまでに見たものの比ではない。


 数組しか予定されていなかったリハは、着く頃には既に終わっていた。

 慌ただしくステージの上で準備を進めるスタッフに紛れて、俺は素知らぬ顔でその中央に立ってみた。

 ステージは一方向にのみ開けているにも関わらず、客席があまりに広すぎて、視界にはその半分ほども収まらない。

 どっちを向いてパフォーマーは観客を楽しませれば良いのか、俺には見当もつかず、目眩がする。

 試しに何となく、手を大きく一度、叩いてみた。


 パァンッ! という乾いた音が、叩いた後もしばらく会場中に響き渡る。

 規模にもよるが、こういうステージは、残響時間は2秒ほどが最適だという話を記憶している。

 俺の叩いた音は、感覚的には、3秒ほど経ってもまだ響いていたように思えた。


640: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 20:56:02.90 ID:vQzT5qlo0

 スタッフの人達が一瞬俺の方を向いて、また作業に戻った。

 偉そうな態度かつ我知り顔で、堂々と手を叩いてみせたグラサン姿の俺を、たぶんどこぞの敏腕芸能関係者だと勘違いした人もいたかも知れない。

 本当は、うだつの上がらない一介のアイドルプロデューサーに過ぎないのに。

 そう考えると、彼らの事が何となく滑稽に思え、知らず笑みがこみ上げてくる。


「おや、これは」


 ふと、俺の横で声が聞こえたので、振り向くと、思わぬ人物がいた。

「あの時会った青年が、随分とたくましくなったものですな」


「高木社長」

 グラサンを取り、反射的に深々と頭を下げた俺を、765プロの高木社長は笑って労った。

「いやいや、そんな畏まらなくても――しかし、この会場で再会することになるとは」


642: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:00:56.74 ID:vQzT5qlo0

 ウンウンと、満足げに何度も頷き、高木社長はなぜか、どこか誇らしげに俺を見つめた。

「やはり、私の目に狂いは無かったようだ。キミは、プロデューサーとして立派に、担当アイドルを導いたのだな」

「滅相もありません」

 俺は首を振った。
「たまたま私は、私のアイドルに連れられ、ここに来ただけです。実際、最初に担当したアイドルは――」

「高木社長っ!」


 話の途中で、また声がしたなと思うと、舞台袖の方から一人の青年が走り寄って来た。

「ここにいらっしゃいましたか。先ほど、346プロの美城常務、今西部長らが会場にお見えに――あっ!」

 彼の事は覚えている。765プロの、新人プロデューサーだ。


「346プロの、LIPPSのプロデューサーさんだ。以前、少し面識があってね」

「そうでしたか、社長も――。
 あの、またお会いできて光栄です。俺の、じゃなかった、私の事、覚えてくれていますか?」
「えぇ、もちろんです」

 元気が良いだけの軽い男だと思っていたが、今の彼からは、それなりに苦楽を経験してきた者の確かな厚みを感じる。


643: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:03:07.62 ID:vQzT5qlo0

「LIPPSと一緒に戦える事を、私だけでなく、ウチのアイドル達もすごく楽しみにしているんです。
 あいつらは、あの高垣楓さんを破ったLIPPSを、ある種の目標としてこれまで頑張ってきましたから」

 そう言って彼は、彼や彼のアイドル達が、いかにLIPPSの一人一人に魅力を見出しているのかを熱く語った。

 他社のアイドルなのに、すごい熱意だと思う。いっそ彼が担当になれば良いのにとも。


「それでは、私はこの辺で失礼するよ」

 話が長くなりそうだったので、内心辟易したのだろう。

 ちょうど良い頃合いを見計らい、高木社長は踵を返し、ホールへ向かう劇場のメインエントランスへと歩き出す。

「後でキミに会わせたい子がいる。如月千早という子だ。会ったらきっと分かると思うよ」


 ――俺に向けて言った言葉だと、一瞬分からなかったので、俺は返事をし損ねてしまった。

「千早に? ――お知り合い、ということでしたら、後でご紹介しますね」

 彼も社長の真意は分かりかねたらしく、少し首を捻ったが気を取り直し、彼はなおも俺に向けてその熱い想いを語った。

「ですから、俺もあいつらも、今日は全力でぶつからせていただきます。
 だから、あなた方も全力でお相手してください。そうでなきゃ、ここまで上がってきた甲斐が無いんです。
 ここでしか味わえない経験を、どうか俺達にさせてください」

 そう言って、彼は手を差し出した。


644: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:07:46.00 ID:vQzT5qlo0

 俺は返答に困った。

 なぜなら、俺が見てきた限り、ウチのLIPPSは練度の低い『Tulip』を披露する事になるのだ。

 今の彼の期待に応えられるものかは、保障できかねる。

 第一、今日のために他の事務所は新曲を用意して臨んできている中、ウチのは散々使い古してきた曲であり、新鮮味など皆無だ。


「買い被る必要は、ありません」
「えっ?」

 せっかくの彼のテンションを萎えさせないよう、注意して言葉を選び、俺は彼に答えた。


「ステージに立つ前から、格や優劣が決まっている訳ではありません。
 それに、私共のアイドルは、ユニットとしてまだまだ未成熟です。
 こちらこそ、今日は大いに勉強させていただきたい」

 そう言って、俺は彼の差し出した手を握り返した。

「お互いの健闘を祈ります」


「――ありがとうございます。こちらこそ」

 俺の目を真っ直ぐ見ながら、改めて彼は強い決意をその顔に滲ませている。

 真に受けんなよ。大丈夫かよ。


645: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:11:09.67 ID:vQzT5qlo0

 固い握手を交わした後、俺は彼に案内され、ロビーにいるという765プロのアイドル達を見に行った。


 そこはさながら社交界の様相を呈しており、一般人はシャットアウトされているとはいえ、すごい人だかりだった。

 そこかしこで名刺交換が行われるほか、アイドル同士も銘々に世間話をしたり携帯の番号を交換し合ったりで、交流を深めているようだ。


「う、うわぁ――」

 彼も、初めてだろうから仕方が無いのだが、このような状況は想定外で、明らかに面食らっていた。

 自分も名刺交換に繰り出すべきだったと、スタートに出遅れた事を後悔していたのかも知れない。

 劇場外の通路の手すりから、吹抜けの階下にて繰り広げられる社交界の様子を見下ろし、しばらく呆然と立ち尽くしたのち、彼は正気を取り戻し、指を差した。

「あ、あそこ。彼女が、如月千早です。あの青い髪の子」

 俺は、注意深く彼の指が差す方向を確認し、その先へ正確に目を凝らした。


 青い髪というのは、この人だかりにあってそれなりに判別しやすかった。


646: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:13:03.29 ID:vQzT5qlo0

 あの、赤いリボンをした子――天海春香さんといったか。

「あのリボンの子の、隣の子ですか?」
「えぇ」


 ――なるほどなと思った。

 随分と成長していたので驚いたが、あの社長の言葉から察するに、何年か前、あの合唱発表会で会った子に間違いないだろう。

 あの時は、とても暗く固い顔をしていたが、今の彼女は、まるで別人のように柔らかな表情をたたえている。

 良い友達に巡り会えたのだろうなと思う。


「会って行かれますか?」

 彼が提案してくれたが、俺は断った。

 せっかく楽しそうに話しているから、邪魔するのも悪い。

 彼自身も、いち早く挨拶に行きたい人がいるようで、ウズウズしている様子だった。

「私も、ちょっと、ご挨拶しておきたい人がいるもので」


647: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:15:09.36 ID:vQzT5qlo0

「あっ、そうでしたか。それじゃあ、一旦ここで。またお会いしましょう!」

 慌ただしく俺に一礼すると、彼はサッと階下へ走り出していった。


 熱心な事だと、心から思う。

 無論、挨拶しておきたい人がいるなどというのは、嘘である。

 俺はせいぜい、ここから人々の様子を見下ろし、それを観察しているので十分だった。



 あれ? 宮本さんがいる。

 765陣営と思われる金髪の子と、何やら親しげに話しているようだった。

 誰とでもフレンドリーに接する子ではあるが、明らかに面識があるようで、相手の子もすごく楽しそうだ。


 あっちには、塩見さんと城ヶ崎さんが――あれは、187プロではなかったか?

 敵とも称していいはずの子達と、普通にお喋りをしているように見えるが、嫌味でも言い合っているのか?

 だが、彼女達の表情を見る限りでは、刺々しい会話をしているようにはとても思えない。

 友達同士の世間話のそれそのものだ。


648: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:17:13.71 ID:vQzT5qlo0

 速水さんは、どこだろうな――お、いたいた。

 相手は――おいおい、あれって確か、武田さんっていうめちゃくちゃ偉い音楽プロデューサーじゃなかったか?

 さすがに俺も一緒に付いた方が良いだろうか。

 いや――あれだけの大物を相手に、速水さんはあんなに堂々と会話できている。

 大したもんだ。この大舞台に立とうというだけの事はある。彼女をリーダーにしたのは正解だった。


 ふと、視線を外すと、明らかに周囲と異質の空間が見える。

 護衛と思われる黒服の男達に囲まれ、白いスーツでキメている男と、仰々しい和装姿の老人が向かい合っていた。

 ここからでは良く見えないが、彼らの服の襟元には、白とか、金縁のバッジが見えている。

 およそアイドルのステージには似つかわしくない関係者だ。ヤクザでもやっていた方がよほどしっくり来る。


「あ、あのぅ」


649: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:19:49.82 ID:vQzT5qlo0

 階下の喧噪にかき消されそうな声が、後ろから聞こえた。

 気のせいかと思えたが、振り向くと――187プロの、プロデューサーか。

 何しに俺に声を掛けてきやがった。また何か企んで――。


 ――? こんなに老け込んでたっけ?

 この間会った時より、頭髪も明らかに減っており、頬もゲッソリとこけている。

「きょ、今日は、お日柄も良く――あ、あの、お元気そうで」

 何とか笑顔を作ろうとしているその表情には、覇気どころか生気が感じられない。


 怖い上司から、こっぴどく怒られたりでもしたのだろうか?

 分かるよ。所詮、俺達はサラリーマンだし、組織の中で働く以上、そういうストレスは憑きものだ。

「あ、ぐ、グラサン――とてもよくお似合いで。えへ、えへへ」

 馬鹿にしてんのか。グッと拳を握りしめる。


650: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:21:48.00 ID:vQzT5qlo0

 結局、あー、とか、うー、とか、要領の得ない言葉ばかり繰り返した後、そいつはその場をフラフラと去って行った。

 何がしたかったんだ、あの野郎。俺をイライラさせるのが目的か?

 これだけで、187プロの報復が終わるとは思えない。気を引き締めるべきだ。


 そう思っていたが、しばらくして美城常務と会った際、彼女の口から発せられたのは、意外な一言だった。

「187プロの事は、もう心配は要らない。既に手を打ってある。
 予期せぬアクシデントが起こる事は無いだろう」


 俺は、常務の言葉を信じる気にはなれなかった。

 現に俺は今、奴らからの――まぁ取るに足らない嫌がらせレベルではあったが――先制攻撃を受けたばかりなのだ。

 第一、組織のトップが、そんな楽観的な見解を軽はずみに口にするべきではない。

「その筋の組織に協力を求めてある。彼らが仕事を誤る事は無い」

 だが、常務は依然としてその見解を崩す事は無さそうだった。


651: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:24:34.03 ID:vQzT5qlo0

「その筋の組織というのは、どのような人達なのですか?」
「君が知る必要は無い。君の仕事は、LIPPSのステージを成功へと導くことだ」

 俺が尋ねても、まるでとりつく島も無い。

 まぁ、美城さんがそこまで言い切るのなら、俺も反論する理由など無いが――。

 知らぬが仏というか――確かに、知らなくて良い情報なら、敢えて聞くことも無いか。


 隣にいた今西部長から激励の言葉をもらい、その隣の課長から小言を言われ、彼らと別れた。

 ホールの様子を見ると、まだ社交界は続いている。今のうちに昼飯を食いに行こう。



 会場内に併設されているレストランは案の定高いし、外の屋台も人が多すぎてウンザリする。

 この分だと、周囲の飲食店も激混みかとも思ったが、適当に検索して見つけた蕎麦屋に足を運ぶ。

 店内に入るとガラガラで、失敗したなと後悔した。


 だが、そうだな――思えば今日は、勝負の時だ。

 チビさんに倣って、俺も戯れに験を担いでみるとしよう。店の親父に声を掛ける。



「すみません。カツ丼セットみたいなものがあれば、それの大盛りをください」


652: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:26:32.45 ID:vQzT5qlo0

 俺は激しく後悔した。

 何を勘違いしたのか、親父はカツ丼の大盛りと、せいろの大盛りを別々に持ってきたのだ。

 しかも料金はしっかり二つ分取られるという始末。

 何とか完食したが、腹の中でカツ丼の油を吸った蕎麦が大蛇のように暴れ狂っている。

 会場に戻ったら、速攻でウンコに行かなくてはならない。二度と行くかあんな店。

 この先二度とこの会場に来ることも無いだろうが。


 ようやく会場が見えてきた。トイレはどこだったっけ?

 どうやらマジでヤバイ。ヤバイ――!

 焦りながらキョロキョロと辺りを見回していた俺の目が、とある一点に留まった。



 そこには高垣さんと、服部さんが立っていた。

 二人とも、俺の方を見てどこか微笑んでいるように見える。


653: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:29:00.85 ID:vQzT5qlo0

 立ち尽くす俺に向かって、服部さんは、その場で会釈をした。

 俺も、軽く頭を下げた。

 何と言って声をかけるべきか、かけざるべきか迷っているうちに、彼女はやはりその場で、控えめに手を振った。

 俺も、手を振った。これではオウムだと、心の中で一人ごちる。



 彼女に以前、何か言われていた事があったような気がしてならない。

 そう――今日見た夢に、彼女が出ていたらしい事を唐突に思い出した。

 彼女は俺に、何を言っていたんだったか――。



 何の言葉のやり取りも無い、その挨拶だけで彼女は満足したらしく、もう一度お辞儀した後、高垣さんと一緒に会場へと歩いて行く。


 俺はしばらくその後ろ姿を見つめていたが、やがて腹の調子に気づくと、早歩きで彼女達とは別の入り口へと向かった。


654: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:33:41.03 ID:vQzT5qlo0

 トイレから出ると、一般客の入場門も開放したらしく、会場のホールにはさらに大勢の人でごった返した。

 これは敵わないと思い、足早にそこを立ち去ろうとしたが、元職場の部長に呼び止められてしまった。

 見ると、どうやら傘下の会社連中にまで声を掛け、連れて来れるだけ連れて来たらしい。

 中には、サマーフェスで世話になった業者のおっさん達もいて、思わず声を上げてしまった。

 しかも館長やそのお仲間、役所の爺さん、先生まで――おいおい、節操の無いメンツだな。


 頭が地面にくっつくのではないかと思わせるくらい、サマーフェスの業者さんはペコペコと恐縮そうに俺に頭を下げる。

 俺に恥を掻かすわけには行かないとか、よく分からない事を言っているが、こんなに大騒ぎしている時点で正直ありがた迷惑だ。

 そんな俺達の様子を見て、部長は大いに愉快そうな声を張り上げて笑いまくった。

 色んな人に囲まれて、誰に対してどんな顔をすれば良いのか分からない。あちこち振り向きまくって首が痛い。


 肩やら背中やらケツやらをバンバン叩かれ、ようやく解放されたのは30分ほどしてからで、結構時間がタイトになってきた。

 早々にアリさん達と落ち合い、今日の段取りについて改めて念入りに最終確認をする。

 衣装も先ほどようやく着いたとの連絡が入った。


655: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:38:25.74 ID:vQzT5qlo0

 LIPPSの出番は、最後から二番目との事だった。

 出番前の待機場所、ステージ入りする方法、持ち時間、捌ける方向等について担当スタッフから説明を受ける。

 事前に打ち合わせた内容と変更点が無い事を確認して、俺は了承した。


 現在、午後2時。本番までは、まだ1時間以上あった。

 もっとも、イベントは二部構成であり、第一部はエントリーした各所のアイドル達の紹介映像が2時間延々と流れるだけである。

 実際に彼女達がステージに立つのは第二部からであり、それから優勝セレモニーがあるのだから、結構長い間拘束される。

 今のうちに、煙を吸っておく必要があることに気づき、俺は喫煙スペースを探した。


 いや――屋内だとまた誰かに鉢会う可能性がある。外がいい。



 たどり着いた先は、メインエントランスの真裏にある、うすら寂しい二階の勝手口だった。

 荷捌きトラックが時折通過するのが、階下に見える。


656: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:40:54.02 ID:vQzT5qlo0

 誰も通らない通路の手すりにもたれかかり、ようやくタバコに火を付けた。

 遠くに見える高層ビル群とその手前の公園の木々をボーッと眺めながら、煙をブハーッと無遠慮に吐く。

 あまり調子に乗って勢いよく吸い過ぎたので、少しむせてしまった。

 はぁ――。


 そういや、彼女達はどうしているかな。

 まだ、練習しているのだろうか。あまり根を詰めすぎるのもなぁ――。



「プロデューサー」


 ドキッとして振り返ると、噂をすれば影だ。



「担当のくせに、私達に声をかけに来てくれないなんて、つれないにも程があるんじゃないかしら?」


657: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:43:15.38 ID:vQzT5qlo0

「あぁ――ちょうど今、行こうかなと思ってた」
「いやいや、蕎麦屋の出前じゃないんだから」

 ケラケラと、塩見さんがからかうように笑う。

 見ると、彼女達は既にステージ衣装に着替えていて、上にガウンを羽織っていた。

「寒くないか? 出番までまだ時間はあるんだし、もう少しゆっくり」
「そ、寒いから早く済ませて」
「えっ?」

 塩見さんは、肩をすくめてみせた。
「本番前のアイドルに対して、担当プロデューサーとして何か言うべき言葉の一つや二つ、あるでしょうよ?」


 塩見さんの言葉に、隣の速水さんも、城ヶ崎さんも頷いた。

 城ヶ崎さんは――どこか、表情が固いようだ。
 百戦錬磨と言っていい彼女のキャリアでも、こういう大舞台はやはり緊張するのだろうか。


 言うべき言葉、か――。

「まさか、何も考えて来なかったの?」

 呆れるように、速水さんは俺の顔を覗き込む。

 俺は首肯する代わりに、タバコを吸った。


658: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:45:56.83 ID:vQzT5qlo0

「何も、気の利いた説教を聞きたいワケじゃないよ」

 城ヶ崎さんが声をかけた。

 いつか、俺が彼女に言った言葉に似ている――言う人間が違うだけで、こんなにも優しく聞こえるものなんだな。

「ただ、聞きたいだけ。プロデューサーの言葉を、声を――ねぇ、お願い」


 俺は、宮本さんにチラッと目を向けた。

 彼女は、いつも通りの笑顔で、何も言わずその場に立ち、俺を見守っている。


「――生憎だけど、何も言うことは無いんだよな」

 俺は苦笑しながらかぶりを振り、タバコを吸った。

 そうさ、ここまで来て、今さら彼女達に何かを言った所で、何になるというのか。


 そう――。



「俺は君達に、何も期待をしない」


659: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:49:12.36 ID:vQzT5qlo0

 煙を吐きながら、俺はチラッと彼女達の顔色を伺った。

 特に速水さんは、またヘソを曲げるかと思ったが――どうやら、今日の彼女は冷静だ。

 それに、城ヶ崎さんも――彼女は、どこか感情を抑えるようにして、唇をキュッとつぐんでいる。

 塩見さんは、いつも通りニヤニヤ顔を絶やさず、宮本さんは前髪を弄るのに夢中で、俺の話を聞く気があるのかさえ疑わしい。

 まぁ、いいや。構うもんか。


「君達は、明日はどうするんだ?」

 携帯灰皿に灰を落とし、俺は続ける。


「俺はさ――最近忙しくて、切る暇無かったから、明日の休みで、予約していた美容院へ、髪を切りに行こうと思う」

「その後は、近所でちょっと豪勢なランチでも食いに行って、ツタヤで映画を何本か借りて――。
 帰って、一通り家の掃除を済ませたら、ビールでも飲みながらグダグダしてようかなって」


「んーと、つまり――その」


「今日が全てじゃない、って事を言いたい――アイドルでいる時が、君達の全てではないんだ」


660: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:51:03.56 ID:vQzT5qlo0

「むしろ、そう。アイドルでいる間より、アイドルを辞めた後の人生の方が、遙かに長いんだ」

「アイドルを引退した後、君達は、もしかしたら誰かのお嫁さんになっているかも知れないし、どこかのOLになっているかもしれない。
 あるいは、芸能関係者になっているか、まかり間違ってプロデューサーになるのか」

「いずれにせよ、アイドルとしての名声は、君達は十分に得た。
 LIPPSを知らないアイドルファンはもうどこにもいない」

「醒めない夢は無いんだ。
 ここで満足せず、下手に今以上を求めてしまったら、それを達成できない苦しみがきっと来る。だから」

「ここで、最後にしよう」


「心配するな。今すぐアイドルを辞めろとまでは言わないよ」

「ただ、現状を見つめて、細く長く生きていく方がずっと幸せでいられる。今のままでいいんだ」

「既に皆が今の君達を愛している。皆が今の君達を認めている」

「苦しみながら、走り続ける必要なんてどこにも無い。君達は、もう十分に――」



「君達は――――」


661: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:54:33.00 ID:vQzT5qlo0

「――――」



 タバコの灰が、ポトリと靴の上に落ちて、慌てて蹴っ飛ばした。

「すまない――何を偉そうに、こんな事説教してんだろうな、俺」


 すっかり短くなったタバコを未練がましく最後に吸って、俺はそれを携帯灰皿にしまった。

「終わったら、どこか美味い飯でも食いに行こう。
 さっき調べたら、駅前に評判の高級焼肉店があるそうだ。
 もちろん、俺の奢りだ。終わったらさっさと抜けて、パーッと腹一杯食って、なっ? 楽しみだろ?」



 ――同意を求めたが、彼女達はしばらく無反応だった。

「あ、あれ?」


 やがて、塩見さんが腹を抱え、クックックと堪えきれない笑いを吐き出した。


「何も言うことは無い、なんて、よくもそんな嘘を平然と言えんなー、この人ったら。
 早く済ませろっつったのに、一体いつ終わるんやろって思ったわ」


662: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:57:10.74 ID:vQzT5qlo0

「えっ、あ――」

 グスッ、と鼻を啜る音がしたので、ふと見ると、なぜか城ヶ崎さんが目に涙を溜めていた。


「お、おい、城ヶ崎さん」

 まさか、今の話で?

 どういう事だ。今の俺の話の、どこに泣く要素があったのかがまるで分からず、狼狽する。

「あーあー、美嘉ちゃんそうね、泣いちゃうよねー。
 ごめんプロデューサーさん、美嘉ちゃんってば何か感情が昂ぶっちゃうとこうしてワカランチンになるんよねー」

 そう言って、塩見さんが城ヶ崎さんの背中をさすると、それを皮切りにとうとう城ヶ崎さんが泣いてしまった。

 悲しかったり、悔しくて流す涙ではなく、安堵のそれのようにも思えた。

「ミカちゃんミカちゃん、フレちゃんの鼻セレブ使って? お鼻チンしよ、お鼻チーン♪」

 すかさず宮本さんが彼女にティッシュを差し出すと、城ヶ崎さんはそれを取り、鼻をかむ。


「グスッ――ありがと、周子ちゃんフレちゃん」


663: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 21:59:45.76 ID:vQzT5qlo0

 ようやく落ち着きを取り戻した城ヶ崎さんは、目尻に溜まった涙を指で拭う。

「もう、せっかく時間かけてメイクキメたのに、またやり直しじゃん」

 呆れるように笑いながら彼女は言うが、呆れてるのはこっちだ。俺のせいかよ。

「でも――ありがとう、プロデューサー。本番前に、プロデューサーの話聞けて、ホントに良かった」

 彼女達にとっては、ネガティブな事しか言えてなかった気がするけど、喜んでもらえたのなら何より――。

「それと、後で説教だね」

 ――ん?


「未だにアタシ達に、やれ夢を見るのはやめろとか、アイドルを辞めた後の幸せがとか、お門違いにも程があるよ。
 それがプロデューサーなりの優しさなのは知ってるけど、アタシ達はまだ半分も満足できちゃいないんだから★ ね、奏ちゃん?」

「えぇ、美嘉の言う通りよ」


 速水さんは組んでいた腕を解き、片方の握り拳を口元に寄せ、忍ぶように笑った。

「いかに自分がおかしな事を言っているのか、それを分からせてあげる必要が、あなたにはあるようね」


664: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:01:35.61 ID:vQzT5qlo0

「おかしな事を、か――」

 否定も肯定もしないが、俺には君達にこう言うより他に仕方が無い。

 言っても無駄か――確かに、夢に燃える10代の女の子達に、消化試合しか残されていないおっさんの説教など、ナンセンスかもな。

 今は分かり合えないが、いつか君達にも分かってもらえる日が来るだろうか。


「ところで、プロデューサーさん」

 唐突に、塩見さんが俺に歩み寄ってきた。

「何かさ、さっきステージ裏の通路でこんなの拾ったんだけど?」

 彼女が見せたのは、一枚のCDだった。それは――。


 おいおい。これ、今日本番で使うLIPPSの『Tulip』の音源じゃないか。

「音源室っていうの? そこの部屋から盗まれたんかな?」

 そう言いかけて、ハッと塩見さんが口元を手で押さえる。


「まさか、こんな事をするのって――」


665: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:03:55.89 ID:vQzT5qlo0

 塩見さんのお察しの通り、187プロの仕業と見て間違いないだろう。

 常務め、何が心配は要らないだ。危うくステージが台無しになるところだ。だから言ったのに――。

「ありがとう。俺が責任持ってスタッフに渡しておくよ」

 CDを受け取る俺は、187プロよりも、どちらかというと我が社の危機意識の低さに怒りを覚えていた。

 まぁ、もう一度チェックするタイミングはあったので、どちらにせよ気づいたとは思うが。


 それにしても、本当、こういう狡い真似ばかりするんだな、187プロというのは。

 やはり、油断は禁物だ。今後も何が起こるか分かったものでは無い。


 だが、渡されたこのCDに、妙な違和感があるのは何故だろう?

 表紙の筆跡は速水さんによるもので、それは別に変わりないはずだが――何かが違うような――。


「じゃあ、あたし達はこの辺でね」


666: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:05:37.88 ID:vQzT5qlo0

 訝しげにそれを見つめる俺に塩見さんが声をかけ、俺はようやく顔を上げた。

「あ、あぁ――あ、最後に」

 そういえば、一つ言い忘れていた事があったのを思い出した。

 皆がはたと立ち止まり、俺を見つめる。


「怪我だけはするなよ。くれぐれも無茶はするな。それが、俺が君達に望む唯一の事だ」


 速水さんは、それを聞いてクスッと笑い、手を振った。

「善処するわ」

 俺は、特に君に言ったつもりだったんだがな――いや、それを理解した上での返答か。



 今まで彼女達を蔑ろにしてきた俺に、どれだけその筋合いがあるのかは分からない。

 だが――彼女達が去っていった勝手口のドアを見つめながら、俺は、無事に終わる事を祈るしかなかった。


667: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:13:41.95 ID:vQzT5qlo0

 舞台裏に行き、スタッフに事情を説明すると、やはりLIPPSのCDだけが紛失していたらしい。

 平身低頭して謝るスタッフをなだめ、不審者にくれぐれも気をつけるよう依頼をして、俺は会場に向かった。


 予めアリさんと相談し、本番の第一部では俺が会場に、彼が楽屋で彼女達の御守をする事になっていた。

 延々と映像を観させられるなど退屈でしかないが、その間彼女達のご機嫌取りをしているのも、想像するだけで冷や汗が出る。

 これも仕事だと割り切り、イベントの経過を見守る意志を固め、俺は会場の立ち見席に着いた。


 観てみると、意外とそれはそれで楽しめるものではあった。

 何せ各事務所のエース級アイドルが集まる祭典だから、デモ映像も大方プロフェッショナルな内容だろうと思いきや、俺みたいな素人でも十分親しめる内容だった。

 出演アイドルについて、その事務所の沿革から、各々のプロフィール、練習風景、過去のライブ映像、さらには個別のインタビューまである。

 研修の一環として、新人のプロデューサーなりアイドルにこれを見せても良いのでは、という気さえする。



 あれ――そういえば、俺この映像チェックしてたっけ? してないな。

 どんな映像なんだ――さすがに、アリさん内容チェックしてくれてるんだよな?

 大丈夫だよな――?


668: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:15:20.05 ID:vQzT5qlo0

 346プロのターンになった。

 さすが最大手だけあり、事務所の規模は、先ほどまで紹介された他社とは頭二つ以上違う。

 そんな事はどうでも良い。問題は――お、アイドル紹介だ。


 ふむ――携帯でコッソリ、我が社のHPをチェックしながら映像と見比べる。

 プロフィールはHPに掲載されている内容の通りだな。当然、改ざん等も無し。

 こうして見ると、やはり城ヶ崎さんのバスト80は無理があるか。


 ――4人分だけでプロフィール紹介が終わり、シーンが切り替わると、会場がどよめいた。

 やはり、一ノ瀬さんが出演するかどうかは、今日の観客にとってもそれなりに関心事だったらしい。

 346プロが用意したその後の映像にも、一ノ瀬さんが映っているシーンは周到に軒並みカットされていた。


 そして、さぁ来た――インタビューだ。

 どうやら、俺が謹慎明けてから外回りをしていた時期に、レッスン室で各々撮られたものらしい。

 これまで流れた他事務所のアイドル達が実に品行方正だっただけに、ウチのが心配で仕方が無い。


669: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:19:57.35 ID:vQzT5qlo0

 最初は、塩見さんか――彼女は心配無いだろう。どうせ内容の薄い事しか話さない。

 ほら。彼女は意外と保守派で、必要以上の事はしないものだ。

 次は、城ヶ崎さんか――あぁ、彼女も問題無さそうだ。愛嬌も良いし、さすがにソツが無い。

 ――いや。

『あと――今日は志希ちゃんのためにも、アタシ達は必ず勝ちます。
 あのコの想いも、アタシ達は一緒に連れて、あのコが感じられるステージにしたいなって、思うんです』

 またしても会場がどよめく――一ノ瀬さんの事を話すのは、やや冒険しすぎではなかったか。

 芸歴が長い彼女なら、事務所が隠匿しようとしている子に言及する事の重みも、よく理解しているはずだ。

 そこまで彼女の事を想っていたのかと、改めて思い知らされる。


 で、宮本さんか――最も危ない子だ。

 流れている間、何度も会場で笑いが起こる。

『そうなんです! この間たこ焼きパーティーやったらミカちゃんがボンバーしちゃって☆』

 話の内容は、ともすればスキャンダル一歩手前のものもある。

 お客さんに喜んでもらえるのはありがたいが、監督者としては冷や汗ものである。


 そして最後に、リーダーの速水さん――良かった。普通だ。

 まるで映画のコメンテーターのような、やや客観的すぎる受け答えではあるが、シメとしては十分だろう。


670: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:21:30.85 ID:vQzT5qlo0

 346の番が終わり、次の事務所に映像が移ったのを見て、俺は思わず深いため息を漏らした。

 心臓に悪い――まだ出番でもないうちからこれでは、本番のステージではどうなる事か知れない。


 第一部と第二部の間に休憩を挟むので、もう一度煙を吸っておくとしよう。

 短いようで長い第一部が終わり、客席が明るくなったのを確認してから、俺は喫煙所に向かおうとした。


「すみません」

 その俺を呼び止めたのは、アリさんだった。


「ちょっと、困った事になりまして――」


671: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:24:34.63 ID:vQzT5qlo0

「舞台袖に一人しか立ち会えない?」

 唐突な説明に、思わず大きくなった俺の声が舞台裏に響いた。

「事前に申請いただいた方のみ、本番中の舞台袖での待機をご案内しておりますが―一。
 原則はご担当のプロデューサーさんをはじめ、監督者の方は一名のみとさせていただいておりましてぇ」

「今回は、私が担当プロデューサーとしてこちらに来ているのですが」

 要領を得ない、融通の利かなそうなスタッフに対し、俺は苛立ちを隠せない。


「それがですね」

 アリさんが、バツが悪そうに頬を掻き、俺とスタッフの間に割って入った。

「申請の際、どうも手違いがあったようで、私が担当プロデューサーとして扱われたみたいなんです」

 どうやら、346側のチョンボらしい。そんな事か、と思った。


「これはお願いなのですが、彼の他に、私の立ち会いをお許しいただく事はできませんか?」

「うーーん――一応、他の事務所さんにも平等にご案内している事ですしぃ」

 スタッフが、困った様子で頭を掻く。どうやら望みは薄そうだ。

 頭かてぇな、お役所かよ。


672: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:31:16.99 ID:vQzT5qlo0

「仕方がありませんよ、セキュリティ上の問題もあるようですし」

 しつこく食い下がろうとする俺をなだめるように、アリさんが手を振った。

「現に、先ほど我々LIPPSの音源CDが紛失したという事件もありました。
 裏方の関係者を極力絞るというのは、不正を未然に防ぐ上では適正な措置とも言えます」


 確かに、彼らからしてみれば、俺も容疑者の一人にはなり得るという事か。

 だが、俺には一応、この場を預かる身として、彼女達を守る義務がある。

 証拠こそ無いが、187プロによるものと思しき犯行を目の当たりにして、その場にいられないというのは、気持ちの良い話ではない。

「まぁ、不本意なのは分かりますが、こうなった以上、僕に任せていただけないでしょうか?」

 俺の意を汲んでくれたらしいアリさんが、気を配りつつ俺に同意を求めた。

「――どうにもならないというのなら、私もこれ以上何も言いません。ですが、私はどうすれば」


「あっ、どうも、失礼します!」

 元気良くその場に入ってきたのは、チビさんだ。


「あの、先ほどアリさんから聞いたんですけど、俺、客席のチケット二つ持ってるんです。
 抽選で、同期と一緒に申し込んでたヤツがそのまま通っちゃって、でもソイツ今日来れないから」


673: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:34:28.63 ID:vQzT5qlo0

「私が、その余った客席に?」

 つまり、一般客に紛れて観てろってことか?

「良いんじゃないですか? こう言ってはなんですが、他にどうしようも無いんですし。
 関係者席はお偉方で埋まってますし、仮にそこが空いてたとして、そっちへ行きたくもないでしょう?」

 ――立ち見席も満員だったしな。せっかくの申出でもある。

 アリさんの言う通り、ここはお言葉に甘えて、観客側から舞台を見守るというのが、俺が出来る唯一の事のようだ。


「了解しました――チビさん、チケットを一枚、もらってもいい?」

「あ、はいもちろん――っと、違った。こっちですね、はいっ」

 別にどっちでも良いのに。チビさんに何かこだわりがあるのだろうか?


 まぁ、タダで――いや、業務で来ているのだから、今日の俺にはむしろ給料が発生している。

 金をもらってアイドルのライブを観れるというのは、一種の役得だと思えば良いか。

 もちろん、187プロへの警戒は怠らずに、だが。


674: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:47:13.21 ID:vQzT5qlo0

 客席に行って自分の席を見つけた瞬間、俺は恣意的な何かを強く悟った。


「――おっと、こりゃ失敬。あっためておきましたぜ」

 俺の席で、我知り顔で隣の人と談笑していたヤァさんが、俺の姿を認めてやおら席を立つ。


「――あっ」

 そして、彼がどいた先、俺の隣にいたのは服部さんだった。


 そのさらに隣を見ると、高垣さんが手を振っている。

「奇遇ですね」

 何が奇遇なものか。絶対これ、皆で仕組んだなと確信した。

 そして、今の高垣さんの一言から察するに、彼女も仕掛け人の一人だったようだ。


「じゃあ俺、チビ太と立ち見席に行ってまスんで、ごゆっくり」

 ごゆっくりじゃねぇよ。何考えてんだ。


675: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:55:13.58 ID:vQzT5qlo0

「――座ったら?」

 服部さんに促され、俺は渋々その席に腰を下ろした。


 ――あ、後ろの方、ニュージェネの子達が手を振っている。

 ていうか、シンデレラプロジェクト総出か。よく見たらクマさんもいた。


 彼には大きな借りが出来てしまった。今回の件で、人一倍熱心に営業活動を手伝ってくれたのだ。

 年明け以降に予定される彼のプロジェクトのライブに当っては、俺も出来る限り協力させてほしい旨を伝えてある。



「――グラサン、するようにしたのね」

「あ、あぁ――今日だけな」


 そうだった。そういや彼女は丁寧語ではなくて、普通にタメ口だったな。

 たぶん、今日の夢に出てきた人は丁寧語だったと思うから、やはり服部さんではなかったらしい。

 しかし、俺の知らない人だというのに、なぜこんなにも夢の内容が気になるんだろう。


676: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 22:57:43.70 ID:vQzT5qlo0

 それにしても、あまりに居心地が悪い。

 アリさん達も高垣さんも、どういう気の回し方か知らないが、余計なお世話も良いとこだ。

 彼女と久しぶりに、しかもこんなシチュエーションで顔を合わせた所で、お互い気まずくなるだけなのに。


「始まるわ」

 壁にあった電光時計をチラリと見て、彼女が独り言のように呟いた途端、会場内が暗転した。



 ――さすがに、どの出場者も素晴らしいパフォーマンスを見せるものだと、感じざるにはいられない。

 この会場の音響効果もあるだろうが――あのサマーフェスでの高垣さんと同等かそれ以上のものを、出てくるアイドル達全員が発揮している。

 素人目で観れば、どのアイドルが優勝してもおかしくはないと思わせるステージが続いていく。

 あの187プロのアイドルも――内心、侮っていた事は認めるが――とても良い表情で、観る者に元気を与える愉快な空間を演出してみせた。


 沸きに沸く観客席。立ち上がって声援を送る人達も少なくない。

 そして、彼女達の出番が近づいていく。


677: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:01:05.43 ID:vQzT5qlo0

「担当プロデューサーでは、なかったのかしら」


 独り言のように、服部さんはポツリと呟いた。

 俺が顔を向けて、彼女がフッと笑ったのを見て、ようやくそれが俺に向けられた言葉だと気づいた。

「ここにいていいの?」


「追い出されたんだ」

「追い出された?」

 さすがにその返答は想定外だったようで、彼女は少しだけ身を起こし、俺の方を見る。

「俺はプロデューサーとして登録されてなかったんだと。だから、しょうがなくここへ――いや」

 フフッ、と今度は俺が笑った。


 ステージでは、次のアイドル達が舞台の上に集まった――765プロだ。

 デモを観た時にまさかと思ったが、本当に、所属アイドル13人全員で出場するとは。

 しかも、そのうちの一人は、確か秋月さんという、プロデューサーではなかったか?

 プロデューサー兼アイドルとか、すごいな。そんな事できるのか。


「元々、俺はプロデューサーとしてふさわしくない人間だったんだ。
 君になら、分かってもらえると思うけど」


678: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:03:28.15 ID:vQzT5qlo0

「そうね」

 気の無い返事をして、彼女はステージの方へ向き直った。

「でも、現にこうして今日、あなたのアイドルはこの舞台に立つのよ」

「俺の力ではない。彼女達が、勝手に俺をここに連れて来てくれたんだ」

 曲が始まった。

 申し合わせているはずの無いクラップが、自然と会場中に広がっていく。

 これまでに繰り広げられたハイレベルなパフォーマンスのおかげで、観客達は既にヒートアップしていた。

「静かに。今はこの曲を聞かせて」


 765さんの曲は、いかにもアイドルである彼女達の集大成という印象を与える雄大な曲調だ。

 明るく楽しく、そして力強く、夢見る事の尊さと誇りを、彼女達の言葉で歌っている。

 如月さんの笑顔も眩しい。以前会った時からは、考えられない姿だった。


 5分半に渡る壮大な曲が終わり、観客達が万来の拍手を彼女達に送る。

 13人もいると何となくボヤけそうな気がしたが、一人一人がしっかりと個性を主張していて、それが見事に調和していたと思う。

 完成度を高めるための練習量もうかがえる。素晴らしいステージだった。


「皮肉なもんだよな」


679: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:06:51.15 ID:vQzT5qlo0

 次が、いよいよ346プロの――LIPPSの出番だ。

「頑張れ頑張れと、励まし続けたことで君を潰した上、辞めさせてしまった――。
 そして、もう止めろ夢を見るなと、足を引っ張りまくれば今度はこの有様だ」

 フッと鼻で笑う。本当、ままならないとしか言いようがない。

 思うように育たないのが子育ての常とは聞いた事があるが、おそらく似たようなものだろう。


 だが――。

「彼女達のおかげで、分かった事がある」

「何?」

「自分の事――自分がどれだけしょうもない人間か、って事を」


 彼女達と接して、あれこれ訳も分からず奔走する中で、一つ言える確かな事は、自分の変化だった。

 俺はたぶん以前と比べ、自分自身に幾らか興味を持つようになったと思う。

 それまでは自分の思考や言動に興味なんて無くて、誰かから言われた事に対するリアクションしかしてこなかった。

 だが今では、なぜ自分がそう考えるのか、自分の言葉がどう相手に受け止められるのかについて、少しずつ意識を傾けるようになっている。

 能動的に発意しないのはあまり変わらないが、こうしてナルシシズム的に自分を見つめ直すようになったのは、彼女達のおかげだろう。

 彼女達に言わせれば、まだまだ積極性が足りないと、怒られそうだけれど。


680: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:09:41.43 ID:vQzT5qlo0

 そして――まだ暗いままだが、シルエットで誰が誰かは何となく分かる。

 まさに今、舞台の上に姿を現した彼女達の姿を見て、ようやく気づいた。


 俺は、彼女達に寛容であろうとした――それは、嫌われるのを恐れたとか、人に厳しくできるほど自分は大した人物ではないという後ろめたさも、確かにあった。

 だが、何よりも俺は、そうする事で彼女達に対し、精神的優位に立ちたかったのだ。

 破天荒な子達ではあるが、出来る限り許容する事で、俺は心のどこかで“許してやってる”という優越感に酔っていた。

 歩み寄っているようで、その実俺が行ってきた譲歩は、彼女達の理解の放棄に他ならなかったのだ。


 気位の小さい俺の、自分本位でしょうもない欲求のために、俺は――。

「俺は、どれだけ彼女達を不快な思いにさせてきたのかと、つくづく思う」



「私は、良いと思いますよ」


 そう言ったのは、どうやら高垣さんのようだった。

「えっ?」



「だって、そうしたかったんでしょう?」


681: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:14:42.23 ID:vQzT5qlo0

 急な横槍に呆気にとられる俺を尻目に、高垣さんは舞台の上を見つめたまま続ける。

 どうやら、彼女達は配置に付いたらしい。


「人は誰でも、自分の思うようにしたいものですし、それをぶつけ合う事で生まれるものも、きっとあると思います。
 私は、今回はこのステージに立てなかったけれど、こうして服部さんと一緒に観客の側で楽しませてもらえますし、それに」


 こちらに顔を向けて、高垣さんはニコッと穏やかに微笑んだ。

「自分で手に入れるだけじゃなくて、人から与えられる夢もありますから。ね?」



 ――俺には、トップアイドルさんの仰る事は難しくて、良く分からないな。

 人から与えられる夢、か――。


「レッスン、たまに覗きに行ったりしましたけれど――彼女達、本当に楽しそうだったんです。
 今日のこのステージも、どうか彼女達と一緒に、楽しんであげてください」

 舞台に向き直り、どこか誇らしげに、彼女は背筋を伸ばした。



「期待してあげてください」


682: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:15:30.97 ID:vQzT5qlo0

 ――彼女だったか。俺の夢に出てきたのは。



 楽しむ、か――。


 確かに、今回のステージで楽しみな事が一つある。

 そろそろ動く頃だろう。


683: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:18:36.76 ID:vQzT5qlo0

 舞台上の背面に設けられた反響板の裏手には、作業用の通路がある。

 予めステージを下調べしておきたいと、謹慎が明けてのち会場側に相談したら、快く応じてくれた。

 彼女から頼まれた事でもあったが、前職の手前、個人的な興味もあり、そこそこ楽しく見させてもらった。


 その中で、俺はその作業用通路に、人一人入り込めるスペースがあるのを発見した。

 3分間しか興味が持続しない自分に、本番中ずっとここで待機できる訳がないと彼女は駄々をこねるが、贅沢を言うな。


 ただ、ルートが難しい。

 ここから舞台に出るには結局、反響板を回り込んで下手か上手のどちらかからコソコソ出てくるしかない。


 インパクトに欠ける登場にしかならないため頭を悩ませていると、彼女は涼しい顔で提案した。

「下は?」

 下?


「だから、この上から吊ってる反響板っていうの?
 これをもうほんの少しだけ上に持ち上げてくれたら、アタシここの下に潜れるよ」


684: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:24:57.56 ID:vQzT5qlo0

 スタッフに打診してみると、反響板の下に潜る事は危険であり、許可できないとのことだった。

 確かに、もし反響板を吊ってる装置が不具合を起こし、落下して下敷きにでもなったら大惨事である。

 それでも俺は、何かあっても346プロが全責任を負うと、上司への相談も無しに単独パワープレイで押し切った。

 どうせ俺は辞めるのだからと、半分ヤケもあったが、とうとう先方は折れてくれた。


 しかし、使用者の希望に合わせて反響板の位置を可変できる仕組みになっているとは、さすがにデカい会場は違う。

 数十センチ上に上げてもらい、クリアランスを確認する。どうやら何とかなりそうだ。

 念のため2階席、3階席から俯瞰した時の見え方も確認したが、メンバーの配置に気を配れば問題は無いだろう。


 しかし、さっきはじっとしていられないとか言ってたくせに、適当なヤツだな君は本当。



「まーまー、他ならぬ美嘉ちゃんのためなら是非も無し。あいはぶのーちょいす。にゃははー♪」


685: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:27:46.35 ID:vQzT5qlo0

 ――会場がどよめく。

 いつの間にか、舞台の上にいるのは4人だけではない事に、観客が気づき始めたようだ。


 そして、舞台が照らし出されると、会場にはより一層のどよめきと、やがて歓喜の声援が挙がった。

 それは当然、反響板の下を潜り抜け、何食わぬ顔でメンバーに加わっている彼女に対し向けられている。


686: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:30:30.06 ID:vQzT5qlo0

 (♡)

 いつだってアタシは鼻つまみ者だった。

 優位に立つ度、一緒にいる人を不快にさせる事しかできなくて、だから、テキトーぶってた。

 そうやって、予防線張ってたんだよね。マジョリティーから外されてもヘーキだよーって。


 でも――。

 拒まれる事を恐れて、それを得る機会を自ら放棄してきたけれど、アタシは――。

 いつだってアタシは、心を触れ合える友達が欲しかったんだ。


 巡り合えた皆――巡り合わせてくれた人達には、感謝してもしきれない。

 ありのままのアタシを求めてくれるなら――それで皆が喜んでくれるなら。

 どうしたいのかだけを、図々しくやったもん勝ちというのなら、アタシのやる事は決まってる。


 それがアタシの希望――皆と一緒に、その道を志して良いのなら。



 ――にゃははー♪ なーんだ、すごい声援!

 やーっぱアタシがいないと始まんないのかにゃ? ねー美嘉ちゃん?


687: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:35:51.67 ID:vQzT5qlo0

 (・)

 舞台の上、城ヶ崎さんは、交差させていた両手の影に隠した顔を俯かせ、やがて肩を震わせた。

 背後に現れた彼女の気配を悟ったのだろう。ポージングしたまま、泣くのを必死に堪えているようだった。

 他の子達は、ポーズを崩さないまま視線だけを彼女に送り、優しい笑みを浮かべている。


 一ノ瀬さんがサプライズで登場するのは、城ヶ崎さん以外の皆は既に知っていた。

 そう。今回俺が仕組んだ“ジョーク”のターゲットは、城ヶ崎さんだったのだ。



 実際、一ノ瀬さんは本当にアイドルを辞めさせられる所だった。

 だが、今辞めさせると、世間に流れる悪い噂を346プロ側が肯定してしまう事になる。

 俺とアリさんで美城常務にそう強く説明し、彼女の解雇を考え直すよう頼み込んだ。

 俺達の説得により、美城常務にも一ノ瀬さんの解雇が得策ではない事を理解してもらえた。


 一方で、城ヶ崎さんにだけはそれを内緒にしていた。酷な事だったとは思う。


688: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:40:25.57 ID:vQzT5qlo0

 もっとも、レッスンは5人編成のままの配置で行われたから、城ヶ崎さんには実際バレバレだったのかも知れない。

 だが、もしやと思っていたとしても、実際その場に立ってみるまで確信を得る事は出来なかっただろう。


 城ヶ崎さんは、一ノ瀬さんが抜けてしまった責任の一端が自分にあると思い込み、自分を責めていた節があった。

 だから、今日この場で一ノ瀬さんが一緒に立ってくれる事を、誰よりも喜ぶのは彼女だろうと俺は踏んだ。

 こういうジョークなら、きっと許されるはずだ。いや、どうか許してほしい。



 さて――初めてプロデューサーらしい事ができた気がする。

 後は、ウチの『Tulip』を見て、残りのアイドル達のを見て、優勝セレモニーを見て、で、終わりだ。

 あえて言わなかったが、彼女達のレッスンを見る限りでは、まるでやる気が感じられなかった。

 トレーナーさんが怒るのも頷けたし、今日の他のアイドル達を見ても、それ以上のステージになるとは思えない。


 だが、それでいいんだ。

 高垣さんは、彼女達はレッスンしている間、楽しそうだったという。

 君達さえ良ければ、それでいいよもう。

 あ、やべっ、そういや今日日曜か。焼肉屋さん、さっさと予約しといた方が良さそうだな。


689: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:44:34.80 ID:vQzT5qlo0

 そんな事を考えていた。


 城ヶ崎さんの震えていた肩が、ピタッと止まった。

 そうかと思うと、俯かせていた顔が上がり、彼女の白い歯がニカッと見えた。

 何だ――? 妙に、悪戯っぽい笑みだな。

 そう不思議に思った次の瞬間、会場が再びどよめいた。舞台が急に暗転したのだ。


 な、何だ――!? こんな演出は聞いていないぞ!?

 !! し、しまった! まさか、187プロの仕業かっ!?
 なんてことだ、油断してはダメだと、あれだけ気をつけようとしていたはずなのに。くそっ!


 しかし――どうやら、そういう訳では無いらしい。

 反響板に映し出された映像には、彼女達がこれから歌う曲が示されていたようだった。


 そして、俺は違和感に気づいた。塩見さんからCDを受け取った際に感じた違和感だ。



 ユニット名が違う――LIPPSではなく、“LiPPS”。

 おそらく、誤記ではない。CDに書かれた速水さんの字でも、確かに“i”が小文字だった。


 明確な意思があるはずだが――どういう意味なんだ。


690: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:47:40.94 ID:vQzT5qlo0

 (♪)

 それ、アタシが考えたんだー♪


 なんか、外歩いてたら看板があってね?

 ケーキ屋さんなんだけどその書いてるアレがさ、うーん、お店の名前忘れちゃった☆

 でも、覚えてるのが、全部大文字なのに、お店の名前の「i」だけ小文字だったの。

 何でだろ、不思議だなって思って店員さんに聞いたら、「甘いアイはあえて控えめに」ていうアレがあるんだって。奥ゆかしさ的な?

 ワーォ♪ それすっごくステキだねーって、その日はケーキも買わずに出ちゃったんだけどさ。

 後でシキちゃんとも行ったよー☆ ガトーショコラみたいなの美味しかったよねー♪


 でね? 話変わるけど、LIPPSって、5人で5文字で、しかも5画なんだよね。

 最初はそれ、すっごい偶然だねーなんて思ってたんだけどさ。アタシ気づいちゃったの。

 5画だと、プロデューサーがいないんだよね。


691: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:51:36.21 ID:vQzT5qlo0

 だから、フレちゃんの提案により、LIPPSはアイを控えめにしました☆

 そうすると、ほらっ! 「I」が「i」になって、点が1個増えて、6画になったでしょ?

 LiPPSは5人で5文字だけど、プロデューサーの点が、アタシ達の中心で見守ってくれてる。

 点はプロデューサーなの。だから、アタシ達はプロデューサーがいてこそのLiPPSなんだー♪


 ん? それなら1文字増やして6文字の6画にすれば良かったんじゃない、って?

 ンー、アタシは、LiPPSはLiPPSのままがいいかなって思うの。だってLiPPSが好きだから。


 好きってだけじゃ、ダメかなぁ?


692: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:53:20.06 ID:vQzT5qlo0

 (・)

 暗転したままの舞台がよく見えないので、グラサンを取った。

 そして、映し出された曲が、俺の全く知らないものであるのを見た時、俺はようやく悟った。


 彼女達は、すり替えたのか。そして――。



 今回のジョークのターゲットは、どうやら俺だったのかと。

 何となく、そんな気がした。


693: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:54:18.79 ID:vQzT5qlo0




   LiPPS 【 MEGALOMANIA 】




694: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/22(金) 23:58:49.51 ID:vQzT5qlo0

   握手を求める 雷のように
   いつだって私 手を伸ばすよ
   焦がれるものが そこにあるから


 一ノ瀬さん、こうして聞くと本当に歌上手いな。

 洗練された、澄み渡る歌声が響き渡り――これは、シンフォニックデジタルポップス、みたいなヤツか?

 やたらと激しい曲が始まった。ゆったりした歌いだしから一転、凄まじいハイテンポだ。


   卑怯な事だと思わない? 本当の姿を出さないの
   燻ぶらせるのは罪でしょう 自分の胸に聞いてみて

 美しいアカペラからハードな曲調に移るのは、トラプリの『Trancing Pulse』に似ている気がしなくもない。

 それか、どことなく挑発的で攻撃的な雰囲気は、他社さんだけど、『オーバーマスター』ってのにも通ずるものがあるな。
 プロジェクト・フェアリー、だっけか。

   拙くて深い愛を 今まで尽くしてくれたクセに
   それでもあなた 期待しないと言い張るの?

 しかし――何というダンサブルな曲だろう。

 クインテットの隊列が目まぐるしく変わっていく様は、見た目にもダイナミックで忙しい。


695: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:07:01.61 ID:qh1EHTqN0

 凄いな――あぁして至近距離で配置を入れ替えるのって、相当難易度高いんじゃないか?

 正しくお互いがすり抜けたのではと思わせるくらい、彼女達のダンスには迷いが無く、まるで5人が一つの生き物であるかのようだ。

   届かぬ恐怖に身がすくもうとも 求める想いを失わぬよう
   宿す勇気を メガロと呼ぼう

 気が遠くなるほど厳しい練習を積んだのは間違いない。速水さんの足があのようになるのも頷ける。

 そしてサビになると、5人はV字に並び直り、キレのあるダンスを5人共がピッタリシンクロさせて見せた。

   ミカンを欲しがる ゴリラのように
   いつだって私 手を伸ばすよ
   100個を望んだとしても 悪く思わないで
   求めるレベルが高いほど ブレーキ踏まなくて済むでしょう


 ――デタラメな歌詞だな。

 ん? そういや、ミカンを100個求めて10個しか手に入らない不幸とか、そういう話を以前、城ヶ崎さんにしたな。

 これは、彼女達で作った歌詞なのか。だとすると誰がゴリラやねん。


 しかし――本当に、立派になったんだな。

 速水さんは、足の具合は平気なのか? あのまま練習を続けて、あれが悪化していないとはとても思えない。

 曲が転調した。半音上がって、ボルテージをさらに引き上げていく。


696: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:09:33.75 ID:qh1EHTqN0

 見た目は笑顔で楽しそうでも、あんなに激しく踊っていれば、相当に苦しいはずだ。俺は――。

 いや――やはり俺は、君達の無事を祈るしかない。

 君達とまともに見ようとしなかった俺が、何を今更と思うだろうが、でも――。


   いつまで続けるつもりなの?


 ――え?


 ステージの上の速水さんが、俺を見てニコッと笑った。

   見えないフリをしていても


 次いで、城ヶ崎さんがその位置に代わり、やはり俺を真っ直ぐに捉えて指を差す。

   私に夢中になってるの とっくに気づいてるんだから


 他の子達まで、歌いながら、俺の方を見てニコニコと笑っている事に気づいた。



 ――俺?


697: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:13:15.38 ID:qh1EHTqN0

   こんなに素敵な時間を 今まで与えてくれたクセに
   それでもあなた 夢を見るなと悟れるの?


 MEGALOMANIA――確か、誇大妄想狂とか。

 意訳すると、自意識過剰なヤツ、という感じの言葉だったと記憶している。
 あまり良いニュアンスで使われる事は無かったはずだ。

 しかし、なるほどな――激しい曲調とダンスに圧倒されて、気がつかなかった。


 この気持ちを、あえて自意識過剰とは言うまい。
 実際、俺の席はちょうど客席のど真ん中で、嫌でも彼女達は真正面の俺と目が合う格好になる。

 しかし、それでも確信を持って言える。

   灰色の予感が付き纏おうとも 極彩色の未来を描けるよう
   抱く希望を メガロと呼ぼう


 これは、俺へのあてつけだ。
 この曲は、俺にあてたものだったのだ。

 百歩譲って違うとしても、俺のような誰か。

 ひょっとすると、彼女達自身にあてたものであるのかも知れない。この曲は――。


   握手を求める 雷のように
   いつだって私 手を伸ばすよ
   遠慮する理由を探すのは もう止めよう
   自分の力を過信して イキがったっていいでしょう


 自分本位になりきれない、自分を信じられない者達への、応援歌だ。


698: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:14:53.15 ID:qh1EHTqN0

 間奏パートに入ると、宮本さんがいきなり前に躍り出た。

 変顔をしながらゴリラのドラミングのような仕草をして、鼻歌を盛大に歌っている。

 あぁ、これはおふざけだな。明らかに、彼女のアドリブによるおふざけだと分かる。


 なぜなら、他の子達が皆笑っているからだ。宮本さん自身も、それを見て心から楽しそうに笑う。

 宮本さんだけが感じ取れる、今この瞬間、最も快いタイミングと仕草で――皆が、笑っている。



 そうか――でも、やはり俺は、君達のようにはなれない。

 君達のように、俺は強くない。自分を、夢を、未来を信じる事はできない。



 Cメロは、ソロパートらしい。まずは塩見さんが舞台の中央に躍り出た。


699: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:18:41.35 ID:qh1EHTqN0

   意外と何とかなるもんだって、教えてくれたのはそっちでしょう

 それは違うよ。君がバランス感覚良すぎるんだ。


   アタシの夢の賞味期限を、アタシ以外の誰が決められるの?

 その通りだが、城ヶ崎さん――本当の挫折は、あっという間に夢を腐らせる。


   シャレにならないほど予測不能な未来、紡いでいくのはこれからー♪

 大人のドロドロに塗れる恐怖を知ってなお、まだそんな事を言うのか君は。


   何となく好きってだけでサイコーだよー☆ 皆はどうかなー!?

 本当にコミュニケーションお化けだ。魅せられた観客達が、諸手で宮本さんに答えている。


 俺はな――いい加減にしてほしいんだ。頼むから――!

 夢と現実は違う。
 現実は、思い通りにいかないから現実なんだ。そして、醒めない夢は無い。

 いい加減に、目を覚ませ!


   厳しい現実の只中であろうと 決してそれが冷めやらぬよう
   私が信じる人の手と 信じてくれる人の手で

   育む夢を メガロと呼ぼう


700: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:20:37.84 ID:qh1EHTqN0

「ハハハ」

 呆れた――ここまで、俺を全否定してくるとはな。


 大サビに入って、また転調した。随分と忙しくて、欲張りな曲だ。

 光が差し込む中、彼女達が手を差し伸べてくれるような、未来への勝利を感じさせる曲調に変わっていく。


   100個のミカンじゃ 足りないくらい
   いつだってあなた 手を伸ばしてよ

「やめろよ、もう」

 そういうのはダメなんだ。辛いんだ。眩しすぎて――。


   自分本位であり続けるの きっとそれが
   あなたを信じた私の 誇りになるから

「やめろ――」


 本当か?

 誇りと思ってくれるのか――俺のことを?


701: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:27:35.52 ID:qh1EHTqN0

   握手を求める 雷のように
   これからもずっと 手を伸ばそうよ
   焦がれるものに 手当り次第

「やめてくれ――」

 予防線を張りたかっただけなんだ、俺は――。
 しかし、君達を追い詰めまいと、期待していないフリをする事で、むしろ君達を傷つけていた。

 期待して、良かったのか――そうなのか?


   そうして 愛していきたいの
   私達で築き上げるメガロを――!


 俺の周りの観客は、皆総立ちだった。
 座ったまま、しかも両手で顔を覆っている今の俺には、ステージの様子など見えようもない。

 カツ丼セットもロクに食えないほど小さくなった俺の胃袋では、彼女達の与える夢はあまりに大きすぎた。
 キャパを優に超えた俺の感情は堰を切り、それが溢れ出てしまうのを堪える事が出来ない。

 あまりに有難くて、申し訳なくて、情けなくて――俺、ダメだなぁ――。


 どうやらステージが終わったらしい。会場中、気が狂った地鳴りで揺れている。


「勘弁してくれ――」

 抑えきれない俺の嗚咽は、雷に打たれた観客達による土砂降りの拍手と大歓声に飲まれ、泡と消えた。


702: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:30:13.94 ID:qh1EHTqN0

【終】

 (親)

『――いやぁ~、とうとう最後のユニットが終わってしまいましたぁ』

『いずれのアイドル達も、非常にハイレベルなパフォーマンスが目白押しでしたね!』

『そうですねー。さぁそれでは! いよいよCMの後、アイドル・アメイジングの覇者が誰――!』

 ピッ!

 キュルキュルキュル…


 ピッ!

 キュルキュル…

 ピッ!



「アッハ! これ、ここヨ見て見て。これ、あなたヨネ?
 あなた会場にいたノネェ、それも座りっぱなしで、泣いてタノ? オホホホ」


703: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:34:54.33 ID:qh1EHTqN0

「もう消せよ、飯の時間だろ」

 せがれが東京から帰ってきた。

 連絡すら寄越さなくなり、久しぶりにどの面下げて来たと思ったら、軟弱な仕事に手を付けやがって。

「ていうか何、この量」
「伊勢丹行ったラ、お肉が美味しそうだったからネェ~。年の初めだし、奮発したかったノヨ」
「伊勢丹の肉は高ぇから買うなっつったべ」
「あなたがゼンジロウさんのお肉買うって知ってタラ、あたしだって買わないワヨォ」


 アイドル何とかという、先月やった生放送の歌番組を、家内がビデオに録画していた。
 たまたま東京で出会った女の子達が、その番組に出るのだという。

 そうして俺も付き合わされたのだが、偶然その中に、俺のせがれが映り込んだのだ。

 てっきり俺と同じ職種に就いたとばかり思っていたら、こいつは転職を繰り返していたという。
 一つ所で我慢もできず、五年と経たずに音を上げるなんざ、だらしねぇにもほどがある。

 肉ばっか食ってるせがれに酒を差し出すと、ムスッとしたままコップを突き出してきた。


「故郷へ錦を飾ったつもりか?」
「何す?」

「女の子達に囲まれた仕事は、さぞ楽しいだろう。軟弱なお前に合ってんのかもな」


704: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:39:06.12 ID:qh1EHTqN0

「馬鹿言え、ロクに知りもしねぇ癖に」

 せがれは乱暴に酒を煽り、ため息をついた。
「親父こそ、いい加減仕事辞めたら? 慎ましい生活してりゃ、年金でも十分暮らしてけんでしょ」

 家内から、俺の様子を聞いたらしい。
 右手が痺れ、だんだん箸を扱う事すら困難になってきた俺を、コイツは偉そうに。
「それとも、俺が仕送りしてやろうか? 最近、使い道が無くてさ」

「さっさと所帯を持て。何ならその、アイドルの子達がいるじゃねぇか」
「ボケてんのか。俺をいくつだと思ってんだよ」


 家内がなおも楽しそうに操作するビデオを、せがれがボーッと眺めながらコップを傾ける。

「大体、俺はもう、この子達の担当から外れる事が決まっているんだ」

「あら、そうナノ?」
「まだ正式な内示は出ていないけどね。高垣楓って、知ってる? 彼女の担当になる」
「へぇ~、あの綺麗な子デショ~? とっても歌上手いワヨネェ、あら、そう、あの子のネェ~」

 どうやら有名なアイドルらしい。俺にはさっぱり、顔が浮かばない。

「なんか、前任のプロデューサーが、鬱か何かやっちゃったみたいでさ。その後釜って事で」
「そんなすごい子の担当になるのって、出世って事でいいノ?」
「んー。まぁ一応、チーフ級っていうのになるから、一つ昇級する事にはなるのかな」

 猿のように手を叩く家内とは対照的に、せがれは浮かない顔をして酒を飲む。


705: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:43:50.10 ID:qh1EHTqN0

「今の子達は、どうなるんだ」

 注ぎながら俺が聞くと、せがれは表情を変えず、グラスを置いた。

「たぶん、鬱から回復した奴が入れ替わりで就くと思うけど――実際上は、俺の先輩が面倒見ると思う。
 ていうか、俺もあと一年したら、今の仕事辞めるよ」
「エー、そうナノ? 何で?」

「俺には、向いてないよ。今の仕事、一番向いてないかも知れない」


 ハハハ、と自嘲気味に笑いながらせがれは酒を煽り、ため息をつく。

「だってよ。その大会だって、自分の担当アイドルが本番で何を歌うのか、把握できてなかったんだぜ。
 そんなヤツが監督者であっていいと思う?」
「んー、そうネェ」

 自分が聞いたにも関わらず、家内はさほど興味も無さそうに聞き流しながら、リモコンを操作している。
 せがれも、そう意に介していないようだ。

「彼女達は、今が大事な時期だ。そんな彼女達を導くべき人は、俺よりももっと適任がいる」


「この曲は、そういう意味で歌われたものじゃないだろう」
「えっ?」

 俺の一言に、せがれは驚いた様子で顔を上げた。


「リップス、というのは、お前も必要とされていたんじゃないのか?
 俺はこの、メガロマニア、という曲は、そういう意思を大いに感じるんだがな」


707: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:47:26.91 ID:qh1EHTqN0

「――トンカチしか持った事ない親父に、何が分かんだよ」

 ヤケを起こしたように、半分以上入っていたグラスを一息に飲み干す。
 さすがに応えたようで、せがれは一際大きなため息を吐いた。

 黙って注いでやる。

「あまり飲みすぎないデヨ~」

 そう言って家内は席を立ち、残っている皿以外を片付け、台所へと消えていく。



「親父」

 二人だけになった食卓で、せがれが急に改まって俺の方を向いた。

「母さんから聞いたよ――昔、親父が職長を殴ったって話の、理由というか」

「それが何だ」
「いや――」

 バツが悪そうに、頬を掻いて、せがれが笑った。

「俺も、今の職場で、似たような事をしてさ――母さんに聞いたら、親父も、似たような理由だったんだな、って」


 あの時は、俺も若かった。
 体の弱いせがれを馬鹿にする職長など、無視してしまえば、それ以上は何も無かっただろうに。

 コイツも、まだまだ青いんだな。

「今まで、あまり良く思ってなくて――軽蔑してて、ごめん、親父」


708: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:52:28.15 ID:qh1EHTqN0

 今更何を言うかと思えば、くだらねぇ。
「お前が俺を軽蔑しようなんぞ身の程知らずにも程がある。俺を超えてすらいねぇ分際で」

「子は親を超えられないんだよ。子が親を超えるのが当たり前なら、世界は今頃もっと平和だべ」

 またよく分からん戯言をほざきやがるので、黙って酒を突き出すと、せがれは先ほどまでのムスッとした表情に戻った。
「まだ入ってんだろ」

「いいから飲め」
「さっきから俺ばっかり飲んでない?」
 釈然としないながらも、グイッと飲んでグラスを差し出す。

「医者に止められてんだよ」
「してぇのかよ、長生き」
「孫の顔を見るまで死ねるかよ」
「今際の際に見せてやるよ、うるっせぇな」
「あぁ? 何すや」

 頬杖を突き、笑いながらせがれは、小馬鹿にしたように俺に語りかける。
「さっさと死んで天国に行けば、大好きな酒も好きなだけ飲めるべな」

「お父さんが天国に行けるワケ無いデショ~?」

 布巾を持って、家内が奥から出てきた。
 さっさと片付けろとでも言いたげに、邪魔くさそうにテーブルの上を拭いていく。

「――ハッハッハッハッ!」

 俺の横暴に、これまで散々耐えてきた家内の一言が、コイツにはよほど滑稽だったらしい。
 これまで終ぞ聞いた覚えが無いほど大声で笑いながら、せがれは俺の酒を奪い取り、それを突き出してきた。

 俺は黙ってグラスを空け、せがれに向けた。


709: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 00:59:08.30 ID:qh1EHTqN0

 (♡)

 いやーユカイユカイ!

 何が楽しいって、プロデューサーが面白すぎ。普段はクールな奏ちゃんも大はしゃぎだったねー。


 あの後、プロデューサーが宣言したっていう焼肉屋さんに、ヤァさん、チビさん、アリさんと皆で行ったけど、笑いすぎて死ぬかと思ったよ。

 ヤァさんがどんどん頼んで、周子ちゃんも結構健啖家なんだよね、美味しそうに食べて。
 それ見て美嘉ちゃんが値段見ながら焦りまくるんだけど、結局フレちゃんが食べさせるからまんざらでもなくて。

 いつの間にか大人達は大宴会が始まって、プロデューサーは他の人達からいっぱい飲まされて、もうベロンベロン。
 冗談でキスを誘った奏ちゃんのおっぱい触って引っぱたかれたの、フレちゃん動画撮った?

 すっかり羽目を外したアリさんが、「じゃあ僕も」って美嘉ちゃんに迫って、顔真っ赤にして「何バかなこと言っち」とかどもってたのもチョー可愛かったねー。

 アタシが合法スパイスをそっとチビさんのお皿に振りかけたのが可愛いくらい、皆がはっちゃけるから、ついてくだけでシキちゃんタイヘンだよー。にゃははー♪


 もうホント、それだけで十分楽しいんだけど、さらに嬉しい誤算がもう一つ。

 何とプロデューサー、アタシと同じマンションだったのだ!

 すっかり酩酊したプロデューサーとタクシーで帰ったら、偶然発覚したもんで、深夜にも関わらず周子ちゃんと大はしゃぎ。

 散々遊んで帰っちゃったけど、さーて、今度は何してあげよっかにゃー?


710: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:03:49.32 ID:qh1EHTqN0

 (・)

 実家から新幹線で帰ったその足で、都内の墓参りに行く。

 部長から聞いた話を頼りに、どうにかそこへ着いたはいいが、肝心の墓が見つからない。

 そもそも、よく考えたら俺はシマさんの本名を正確に覚えていなかった。


 二週くらい墓地をグルグル回った所で、ようやくそれらしい墓に辿り着き、とりあえず一通り済ませる。

 彼は日本酒が好きだったので、慌ててコンビニで買ったワンカップを置いておく。

 東北まで行ったのに地酒を買うのを忘れたと知ったら、シマさん怒るかな。
 まぁ、こうしてご機嫌伺いに来ただけ大目に見てやってほしい。

 俺の親も、いつかこうしてお墓に入るわけで、その面倒をすると思うと気が滅入る。

 とりあえず、仁義を果たした所で俺は立ち上がり、そこを立ち去ろうとした。


 目の前に現れたのは、意外な人物だった。

 如月千早さんと、その母親と思われる人が、二人並んで立っていたのだ。

 彼女達も、ご親族の墓参りで来たのだろうか。


 あっ、と小さく声を上げる如月さんに、俺は一応軽く会釈をして、そのまま通り過ぎた。

 アレかな――優勝おめでとうございました、とでも言っとくべきだったかな。

 いや、そんな事を言っても変な空気になるだけだろう。気にせず俺はタクシーを捕まえる。


711: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:08:03.71 ID:qh1EHTqN0

 LIPPS――もとい、LiPPSは『アイドル・アメイジング』にて敗北した。

 いや、勝ち負け以前の問題だ――彼女達は、失格扱いとされたのだ。


 そりゃそうだよ。事前に申請されてない、プログラムに無かった曲を歌ったんだから。


 例えば、100m走決勝の舞台、スタートを切った瞬間、とある選手がいきなりレーンの外に飛び出した。

 そして、予めその辺に置いてあった棒を担ぎ、バーの置いてない棒高跳びのマット目掛けて猛然と走り、跳んだとしよう。

 その跳躍がどんなに見事であったとしても、記録を残すバーはそこに無く、レーンの外に出た時点でその100m走選手は失格なのだ。

 彼女達の行為は、例えるならそんな所だ。


 つまり――彼女達は、そして楽曲を用意したアリさんは、全て分かっていたんだ。

 分かった上で、過酷なレッスンを自分たちに課し、評価される事の無いステージの練度を高めた。

 最終的には、346プロの総力を挙げて宣伝活動を行ったにも関わらず、だ。

 全ては俺に仕向けたジョークのためだけに、346プロに与えられるたった一枚の切符を、彼女達は台無しにした。

 これをクレイジーと言わずして、何と言えばいいのか。


712: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:12:35.53 ID:qh1EHTqN0

 ただ、世間の評判はそういう訳でも無かった。

 大会終了後、なぜLiPPSが失格扱いになったのか、という問い合わせが運営側に殺到したらしい。

 ツイッターのトレンドでは、LiPPS関連のワードが数日間ずっと残っていたし、ネット掲示板でも抗議スレが1~2時間に1スレ消化される始末。

 中身を見てみると、署名活動を行おうなどというトンデモ意見が結構あって、俺は頭を抱えた。


 この間のサマーフェスでも、俺は大会関係者を装って――実際関係者だけど――当時のLIPPS過激派に苦言を呈するレスをそれとなくした。

 すると、そのたった1レスを彼らは袋叩きにしたものだった。お前にLIPPSの何が分かる、と。

 俺、一応プロデューサーなんだけどな。


713: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:13:12.92 ID:qh1EHTqN0

 あの時は確か、三回くらい殺害予告された。

 今、同じ事をこのスレで行ったら、俺は2、30回は殺されているだろう。

 ありがたいと言うべきか、何というか――。



 ――――。

 ん?



 いや、待て――――ちょっと待てよ。これは――。


 もしかして――いや、もしかしなくても、良い話なんじゃないか?


 すごく良い話なんじゃないだろうか!? おぉっ!


714: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:16:10.26 ID:qh1EHTqN0

 LiPPSはフェスで勝てなかったものの、その話題性と期待感からより一層の注目を浴びた。

 一方で、彼女達は346プロのたった一枚の切符を、ふざけた理由により台無しにした。

 そして、俺は彼女達のプロデューサーだ。当然、事務所側からの追及は避けられないだろう。

 という訳で、俺はその責任を問われ、この業界を去る。

 当初、サマーフェスで想定していた俺の計画が、図らずも時間差で成就した事になるのだ。

 改めて、何とよく出来たWin-Winだろうか。素晴らしいクリスマスプレゼントを彼女達は俺にもたらしてくれた。


 休み明け、俺が出社すると、常務が俺をお呼びだとのお達しが課長から伝えられた。

 意気揚々と常務室に向かう。伝えられるのは当然、先日のフェスでの“大失態”による処分だろう。

 俺は神妙な面持ちでそれを肯定するだけだ。

 喜び勇んで強くノックしすぎないよう気を付けて、俺はそのドアを開けた。


715: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:18:44.84 ID:qh1EHTqN0

「先日の一件だが」

 椅子に腰かけたまま、美城常務は机の上で手を組み、俺を睨み上げた。

「あのLiPPSのステージは、担当である君の責任によるものと解釈して構わないのだな?」


 こみ上げる気持ちを必死に堪えながら、俺は厳粛な表情を取り繕い、深々と頭を下げた。

「はい――私の責任です。申し訳、ございません」



「謝る必要は無い」

 意外な一言に、俺は思わず顔を上げると、常務の口元が少し歪んだような気がした。


「早急に、彼女達の活動計画書を、課長を通して私に提出する事だ。私は気が長い方ではない」


716: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:24:27.43 ID:qh1EHTqN0

 困惑しながら事務室に戻ると、アリさんがにこやかに手を振って俺を出迎えた。


 やられた――彼は、全て知っていたのだ。

 俺が今回の一件を機に辞める気でいる事を――そして、美城常務が今回の一件を肯定的に捉えている事をも。

 だから、実質的に今回のステージをプロデュースしたのは彼なのに、その功績と責任を全て俺に押し付けた。


「来年度はおそらく昇級でしょうね。お互い、頑張りましょう」

 穏やかに笑いながら、ポンッと俺の肩を叩く。あんたはつくづく仕事が出来る人だな、畜生。

 課長が足を引っ張るおかげで、休み明けにも関わらず、活動計画書の作成は終電ギリギリまでかかった。



 それと、俺は引っ越した。

 あの日の焼肉の会計は、俺の全奢り。すなわち“全アリさん”だったが、それは別に良い。

 絶対に彼女達にはバレないようにと注意していたのに、俺は泥酔し、彼女達に家まで介抱されるという大失態を犯したのだ。

 それからというもの、一ノ瀬さんは毎日のように俺を訪ねてくるし、他の子達もたこ焼きセットを持って来たり、全然休めない。

 こういう時、マンスリーは便利である。電車も違う沿線にした。

 さすがにここまでくればバレないだろうが――以後気をつけなくてはならない。


717: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:26:11.93 ID:qh1EHTqN0

『アイドル・アメイジング』が終わって直後、LiPPSの世話は熾烈を極めた。

 話題が話題を呼び、あらゆるメディアからインタビューや番組出演のオファーが殺到したのだ。

 その対応だけでも大変だったのに、年始のアイドル大運動会なる特番では、その年最も世間を沸かせたユニットとして、やはりお呼ばれされた。

 それも案の定、LiPPSにとっては鬼門となる生放送だ。


 事務所混合のペアで臨む競技では、765プロの我那覇響さんと組んだ宮本さんが彼女をいじりたい放題。

 しかも一ノ瀬さんに至っては、同じくペアの萩原雪歩さんに対し、放送ラインギリギリのセクハラ三昧ときた。

 菊地真さんと組んだ城ヶ崎さんが、空気を読まずにガチすぎる得点を叩き出したのが一番空気になる始末である。


 ミーティングの段階から放送終了に至るまで、俺の胃はずっと痛みを増すばかりだった。

 だから、もう辞めたいと言ったのに――。



 辞める事は無理か――なら、せめてもう一つの希望は通させてもらおう。

 部署の異動だ。それはもちろん、彼女達の元を去る事でもある。


718: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:28:38.35 ID:qh1EHTqN0

 今西部長に根回しをしたところ、それが耳に届いたのか、直接常務に呼ばれる事になった。


「私も、考えていたスポットが無い訳ではない」

 その一言は、俺を驚かせた。総務の人事担当部長ならともかく、常務ともあろう人が、一介のプロデューサーの転属先を――?

「高垣楓のプロデューサーが、精神的な病により休職中だ。その後任を探している」


「私に、彼女の担当になれと?」
「君さえ良ければの話だが」

 我が社のトップアイドルの担当プロデューサーに、常務から直々に言い渡されるとは、おそらく名誉な事だろう。

 どうせ、長くてもあと一年で辞める仕事だ。それに、今の担当から変わるのなら、俺に断る理由など無い。

「よろしくお願い致します」


「うむ――しかし、私には理解しかねるな」


 常務は椅子から立ち上がり、後ろにある窓の外を眺めた。

「君は、彼女達を――LiPPSを――」


 そう言って、彼女は言葉を止めた。俺に背を向けたまま、眼下に広がる街並みをただ見つめている。


719: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:29:46.54 ID:qh1EHTqN0

「愛していないのか、ですか?」

 俺は、美城さんの次に続く言葉を予想し、尋ねた。

 彼女はその姿勢を崩さぬまま、沈黙を貫いている――どうやら当りらしい。



「冗談でしょう」



 俺はその場で一礼し、部屋を後にした。


720: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:34:17.68 ID:qh1EHTqN0

 十中八九、ヤァさんから漏れたのは容易に想像できた。

 そして案の定、最も反対の意を示したのは城ヶ崎さんだった。

 俺のデスクを悔しそうに何度も叩くので、その上にあるコーヒーが零れてしまったが、彼女は意に介さない。

「アタシ達がどれだけプロデューサーの事を想ってきたのか、分かってるでしょ?
 LiPPSのユニット名の意味だって、フレちゃんがあんなに――あんなに言ってくれたのに!」


 たまたま、事務室には他の子達も全員来ていた。

 宮本さんは、給湯器の方から心配そうに俺達の様子を見つめている。あんな顔もするんだな。

 塩見さんと一ノ瀬さんは、応接室のソファーに座り、静観する姿勢を決め込んでいるようだ。

 一方で、速水さんはそこから立ち上がり、城ヶ崎さんを制するタイミングを窺っている。

「イヤだよ――プロデューサーのおかげなんだよ? こんなに頑張れたの。
 何で、それを分かってくれないの?」


 実際、担当が変わる時、こうして担当アイドルから懇願されるシーンがある事を、俺は先輩達から聞かされていた。

 そういう子達への、テンプレ的な対応――例えば、学校の先生が変わるのと同じだよ、とか、とりあえずそういう話をまずはする。

 しかし、相手は芸歴の長い城ヶ崎さんだ。こういう時のプロデューサー側の立場も、彼女は重々承知した上で、それでもここまで食い下がってくる。


721: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:36:51.39 ID:qh1EHTqN0

 今の彼女を納得させるのは難しい――しかし、反論を封じるのは、それほど苦ではなかった。


「意外と何とかなるもんだって、教えてくれたのはそっちだろう。心配するな」

 あの歌で、塩見さんが歌ったフレーズをそのまま借りて、俺は笑い飛ばした。

 さすがに塩見さんも黙っていられなかったらしく、彼女もその場で立ち上がる。

 だが、それよりも早く、城ヶ崎さんの平手が飛んだ。

 築き上げるのは大変だが、それを壊すのは何とも容易いものだと改めて知った。



 以降は、つつがなく時が流れていった。

 寄せられてくる仕事の量があまりに多すぎて、それを捌く事に追われていたというのもある。

 だが、俺も彼女達も、別れが決まってからというもの、割とドライな関係になれた気がする。

 出会いと別れは付き物で、彼女達はまだそれに慣れていないだけだ。


 そして、今後の俺の将来設計は概ね決まっている。

 まずは残り一年ここに務めている間、早々に961プロと話を付けておく。

 当初の予定通り、用務員として俺を雇ってもらうのだ。


722: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:42:09.08 ID:qh1EHTqN0

 765プロも考えたが、あそこは規模も小さいし、おそらく職場の人間同士の距離感も近い。

 ウェットな人間関係というだけでも辛いが、何より聞き捨てならないのは、近く所属アイドルを100人単位で増員するとの噂があるのだ。

 あの事業規模で、潤沢なプロデューサーの増員がそう出来るとも思えない。

 今あそこに務めたら、猫の手も借りる勢いでプロデューサーに駆り出されるのは目に見えている。

 下手をすれば、今よりも激務でかつ給料も下がるだろう。確実に地雷だ。


 そして、最近315プロというのも出来たらしいが、新規立ち上げも地雷率が高い。

 事務所のHPを見たが、典型的な体育会系ワンマン社長の精神論丸出しで、見るに堪えなかった。

 絶対ブラックじゃんこれ。除外だ。


 876プロは、事業規模があまりに小さいのか、そもそも求人が無い。

 187プロもなぁ――あれだけ喧嘩してしまったら、今更身を寄せる事はさすがに難しいだろう。


 となると、961プロが最も適当という結論になる。

 元々、俺と黒井社長は、印象はともかく、あっちが覚えてさえいれば知らぬ間柄ではない。


 給料は下がるだろうが、そこに転職している間、俺は資格の勉強をする事にした。

 というか、今も少しずつ進めてはいる。


723: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:44:07.90 ID:qh1EHTqN0

 親父の後を継ぐつもりは毛頭無いが、少しは自分に馴染みのある土俵で、何かしら資格は取っといた方が良い。

 俺は、ようやく手に職を持つ事の重要性を感じた。

 今から国試の勉強をして、いつか受かる日が来るのかと聞かれれば、それは分からない。

 だが、この歳だ。何かしら資格を持っていないと、これからは安定した職に就けないだろう。

 強いて言えば、これが俺の目標であり、夢だ。


 夢を持つ事は素晴らしい。その通りだ。

 だが、彼女達が目指した夢は、俺のそれとは違った。だから別れる。

 それだけの事なのだ。


 ――えぇー、384EI分の5ωl四乗って何だよ。384ってどっから出てきたんだ。

 あーあ、これも暗記かよ。

 俺、役所に受かった時どうやって勉強してたんだっけ?


724: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:49:00.20 ID:qh1EHTqN0

 寒さも少しずつ和らいできた3月、正式に俺の事業一課への転属が決まった。

 その日は、近しい間柄であるいつもの三課のプロデューサー陣でヒッソリと祝ってもらったが、話題はLiPPSの事ばかりだ。

 もう俺が面倒を見る事の無い子達の話など、したってしょうがないのに、殊更に彼らはその話題を変えようとしない。

 今後の5人の役割分担、新曲に新番組、城ヶ崎さんの3サイズ更新、卒業する高校生組のケア、一ノ瀬さんの親御さん対応――。


 俺は、気づけばそれらについて熱く語ってしまっていたらしい。


 話題を変えて、俺の後任の話をしてみたが、どうやら詳しく決まっていないとのことだった。


725: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:54:19.70 ID:qh1EHTqN0

 速水さんを担当してた俺の前任の鬱が回復したっていうから、そいつが俺のデスクに戻るんじゃないのか?

 で、俺が一課の高垣さんのプロデューサーになって、ヒゲさんが奥多摩に行くという玉突き人事だと解釈していた。

 だから、後任は必然的にそいつになると思っていたんだけど、どうやら違うようだ。


 不可解な話だが、そろそろ決まってくれないと俺も引継ぎができないので困る。

 モヤモヤするが、とりあえず引継ぎ書の作成だけは進めておくことにした。


 本来業務の合間に少しずつ進めたが、引継ぎ書の作成は困難を極めた。

 いずれの子達も、改めて個性が強すぎるあまり、留意点も多すぎるのだ。

 前の奥多摩支社なんて、昼飯マップくらいしかまともに作った記憶が無いほど引継ぎ事項が少なかったのに。

 それと、ここのヤマダ電機は見回りも来ないから車を停めて昼寝し放題だぞ、とか。



 事務室に残り、その作成に没頭する俺を見る彼女達の視線は、どこか冷たく、悲しそうにも見えた。

 思えば、彼女達と仕事以外のことで最後に会話をしたのは、いつだっただろう?


726: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 01:59:21.85 ID:qh1EHTqN0

 そして、ようやく――。

 ようやく? ――そう、ようやくだ。

 その日がやってきた。


 結局俺は、誰が後任になるのか知らされないまま、この日を迎えた。

 徹夜明けで迎える朝日はすこぶる眩しく、疲れた体に爽やかな達成感をもたらしてくれる。

 俺は、作成した引継ぎ書一式を出力している間、タバコを取り出して火を――付けようとして止めた。

 危ない危ない、その前に煙感知器を外さなくては。



 前職で、サボってタバコを吸って煙感を発動させてしまい、大目玉を食らった際、先輩からこっそり教わった。

 シャッター連動式でない電池式の煙感知器は、電球を入れ替えるのと同じくらい簡単に取り外せるのだ。

 もっとも、排煙や煙感知の設備にも一定の規定があるから、全てがそうとは限らない。

 施行令126条の2だっけ、3だっけ? いや、消防法か?

 この間勉強したのにもう忘れてる。

 なお、タバコ仲間であるヤァさんには、このテクを教えると部屋が余計にヤニ臭くなるため、教えていない。


727: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:00:53.91 ID:qh1EHTqN0

 改めて、タバコに火を付け、プカーっと天井に向けて吐いた。

 ゼムクリップで留めた一式をパラパラと捲ってみる。

 インデックスも付けておくべきだったが――もういい、諦めよう。


 さて、内容の最終チェックだ。



 ――――。



 随分と、分厚くなったなぁ――。





 ――――。



 ――――――。


728: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:07:14.69 ID:qh1EHTqN0

 ――やだー! お願いプロデューサーさん、あのコとは一緒に組ませんといて!


   ――アイドルのフォローをするのがプロデューサー、でしょう?

  ――プッロデュ~サ~♪ 見てよコレー、この志希ちゃんすーっごく扇情的じゃなーい?


 ――ねぇ聞いてー、プロデューサー、アタシ達のために頑張ってくれてたんだってー! 業者さん、カンドーしてたよー☆


  ――アタシは簡単に折れない。たとえ折れても立ち直る。叶えるまで何度でも。


    ――信じたいだけ。あなたを信じようと思った、私自身を。

 ――LIPPSのことでお偉いさんにどついてくれるような人が、LIPPSに一生懸命でないワケ無いやんな?


   ――どうしようもなかったって!! 簡単に言わないでよっ!!

  ――ありすちゃんチョイスのいちごミルクだよー♪ お疲れのプロデューサーにドーン☆


 ――まーまー、他ならぬ美嘉ちゃんのためなら是非も無し。あいはぶのーちょいす。にゃははー♪


729: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:08:36.62 ID:qh1EHTqN0

「プロデューサー?」


 ? ――何だ、速水さん。と、城ヶ崎さんだった。

「どうしたの? タバコの煙でも、目にしみたのかしら?」

 そう言って、速水さんはクスクスと笑った。

 ふと、目元に手を伸ばすと、なぜか頬が濡れていた。慌てて袖で拭う。


「どうしたんだ? 随分と早いじゃないか」

 まだ朝の8時半だ。今日は彼女達はレッスンしか予定されておらず、それも午後からのはずだった。

「それは、まぁ――こういう日だもの、ね?」

 そう言って、速水さんは隣の城ヶ崎さんに同意を促す。


 だが彼女は、一言も喋らず俯いたままだ。

「――しょうがないわね」

 小さくため息をつくと、速水さんは肩に下げたバッグからゴソゴソと、一つの小包を取り出した。



「ご栄転、おめでとう。プロデューサー」


730: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:11:35.45 ID:qh1EHTqN0

「? ――俺に?」
「他に誰がいるの?」

 あんなひどい態度を取った俺に、まさかプレゼントがあるとは思わず、面食らってしまった。

 断りを入れ、俺はその場で小包を解いた。中には小箱があり、それを開けると――。


「いつまでも、百円ライターじゃ格好がつかないかなって、美嘉と私で見繕って来たのよ」

「――この色は、城ヶ崎さんのチョイスか?」
「ううん、ラインで写真を送って、最終的にはフレデリカのチョイスよ」

 中に入っていたのは、どギツい真っピンクのジッポライターだった。

 大の男がこんなの、恥ずかしくて使えねぇよ。サマンサ・タバサのジッポなんてあったのか。


「ありがとう――大切にするよ」

 そう言ってみても、城ヶ崎さんはずっと、俯いたままだった。

 ――辛いなら、来なきゃいいのにな。


「ところで、それは?」

 速水さんが、俺の持っていた引継ぎ書を指して問いかける。

「あぁ――読んでみるか?」

 そう言って渡すと、速水さんは興味深げにパラパラとめくり、各メンバーの留意事項を示したページで手が止まった。


731: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:13:33.87 ID:qh1EHTqN0

「――随分と、私達への評価が高いのね」

 先ほどまで微笑を浮かべ続けていた彼女の表情は、それを閉じた時には真顔になっていた。

「俺はそうは思わない」

 背を向け、デスクの携帯灰皿に置いたままだったタバコを手に取った。

「君達を担当するからには、それだけの覚悟を後任にもしてもらいたくてな。
 生半可な事では、君達の世話役は務まらない――変な意味だけじゃなく、心からそう思う」


「変な意味って、何よ」

 速水さんがフッと鼻で笑うが、目は笑っていなかった。

 それを目にした事で、彼女もいよいよ別れの時が来たことを悟ったのだと思う。

 そして、俺も――。



「君達には、本当に世話になったな――速水さんも、失礼な事ばかり言って、すまなかった」

「謝らないで――私の方こそ」


「――城ヶ崎さん」

 何も言う前から、彼女は俯いたままきつく目を閉じ、首を大きく横に振った。


732: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:18:16.04 ID:qh1EHTqN0

「本当に、ありがとうな――俺は、君の強さに助けられた」

 ユニットのエースとして、その肩にかかる荷の重さは、時にはリーダー以上だっただろう。

 城ヶ崎さんは、肩を震わせた。まだ顔を上げられずにいた。


「他の子達は――別にいいわよね?」
「あぁ」

 まぁ、ああいう性格の子達だからな、と俺は気楽に思った。

 それに、何も今生の別れという訳ではない。同じ事務所にいるのだから、会おうと思えばいつでも会えるのだ。



 さて――そろそろ行くか。

 引継ぎ書は、もうしょうがないから、俺のデスクの上に置いておこう。



 事業一課の事務室は、三課があるフロアの二階上にある。

 台車を転がしてそこへ向かう間、エレベーターホールから吹抜けの階下に臨む1階のロビーに、リクルートスーツを着た若い集団を見かけた。

 事務所棟1階のホールで、今日入社式があるらしい。

 すごい人数だな。何人が辞めていくだろうか。

 余計な事を考えつつも一課にたどり着き、俺はその扉を開いた。


733: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:22:16.59 ID:qh1EHTqN0

 話には聞いていたが、事業一課はチーフ級のプロデューサーのみという特殊な部署で、各々のデスクも全て個室だった。

 中央にはフリースペースがあり、そこに一課所属のプロデューサー陣と課長が俺を出迎えた。

 シンデレラプロジェクトを所管する、あのクマさんもいる。

 皆さんの前で簡単な挨拶を済ませると、さっそく俺は課長にお呼ばれされた。

「プロデュースは各々の判断に任せてるから、ちょっと大変かも知れないけど頑張ってね。
 何かあったら、僕の判子はここに置いてあるから好きに使っていいからね」

 比較的若くて飄々とした課長さんは、割と適当な感じで課の仕組みを1、2分で紹介して、俺を解放した。


 クマさんによると、課長は対外的な業務で不在である事が多く、いちいち課内で協議する暇が取れないのだという。

 だから、各々が単独で適正な判断を取れるよう、事業一課はチーフ級のプロデューサー達によるスタンドプレーで業務を回すのだそうだ。

 なるほどな。政治的な調整を行う機会も必要性も、事業部の花形たる一課の課長は多いのだろう。


 つまり、全部俺の裁量で仕事を回して良いって事でしょ?

 高垣楓なんて、黙ってても仕事のオファーが山ほど来るんだから、それを回してるだけで日々の業務は終わってしまう。

 能動的に俺が動く必要は無いと解釈すれば、たとえ仕事量は増えようと、その点はマシだ。


734: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:24:45.12 ID:qh1EHTqN0

 そして――ここが、俺の個室か。

 やや緊張しながら、俺はドアを開けた

「おっ、来た来た。おっはよー、プロデューサーさん♪」


「なぜ、君がここにいるんだ」

 部屋には、先ほど荷物を運んでくれた速水さんと城ヶ崎さん。そして、高垣さんと――。

 なぜか、塩見さんが俺の新しいデスクの椅子に、悠々と座っていた。

「いや、ほら、アレよ――温めておきましたー的な?」

「もういいから、そこをどきなさい。速水さん達も、今日はありがとう。帰っていいぞ」

「まーまーそう固い事言わずに、ほら、担当として楓さんとまず挨拶しといたらどう?」

 俺の話などお構いなしに、塩見さんは頬杖をつきながら手を高垣さんに向けて振っている。

 ――少し釈然としないが、彼女の言う通り、俺はこれから担当する高垣さんと相対した。


 高垣楓――こうして対峙すると、何というオーラ溢れる佇まいだ。

 穏やかな笑みをたたえたその美貌は優美そのもので、高身長かつ均整の取れたボディラインに、絹のような長い手足。

 これで歌も踊りも抜群に上手いというのだから、チートという他は無い。

 先ほどまで楽観視していたが、俺は彼女をしっかり面倒見切れるのだろうか?


735: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:27:18.96 ID:qh1EHTqN0

 いや、せっかく美城常務――今は専務か。

 とにかく美城さんが、名ばかりチーフという最後の花道を俺に用意してくれたのだ。

 最後のお勤めくらい、しっかりしないとな。346プロに恩義があるのは事実だ。


「本日より、高垣楓さんの担当プロデューサーを務めさせていただきます。よろしくお願い致します」


「どうか、そう畏まらないでください」

 なるべく丁寧にお辞儀をした俺に、高垣さんはやはり優しく微笑みながら声を掛けた。

「あなたの事は、周子ちゃん達から良く聞いています。
 私の方こそ、困らせる事が多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いしますね」

「いえ、そんな」

 トップアイドルというのは、もっと高飛車な感じでもおかしくは無いはずだが、彼女は至って謙虚だ。

 いや、逆にこういう姿勢が業界人の好感を――。

「畏まられると、私も最近、ついお菓子を食べすぎて菓子困る、なんて。ふふっ」



 ――――は?


736: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:30:19.33 ID:qh1EHTqN0

 な、何だ、今のは――?

「あら――ごめんなさい、お気に召しませんでした?」


「あぁ――楓さん、どうか気にしないであげて。
 ウチのプロデューサー、高垣さんがそういう人だとは思っていなくて、気が動転しているのよ」

 速水さんがフォローを入れると、高垣さんの顔がまるで子供のようにパァッと明るくなった。

 というより――ちょっと待て。

「“ウチの”プロデューサーだと? 君達はもう、俺の担当では」

 急にドアがガチャッと勢いよく開いたかと思うと、中に入ってきたのは――。


「お待たせ楓さーん! 言われたの志希ちゃん達買ってきたよー♪」

「ありすちゃんのいちごミルクもー☆」

「あら、ありがとう、志希ちゃん――フレデリカちゃん、いちごミルク、あげますね」


 一ノ瀬さんから喜んでそれを受け取ると、さっそく高垣さんがそれのプルタブに指を――。

「ってちょっと待て!」

 缶ビールじゃねーか! 何でそんなの買ってんだよ、そして何普通に飲もうとしてんのこの人!?


737: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:33:36.97 ID:qh1EHTqN0

「あら?」

 キョトンとした顔で、高垣さんが俺を見つめる。

「あらじゃないですよ、朝っぱらから。
 一ノ瀬さんと宮本さんも、こんなの未成年が買っていいものじゃないぞ」

「ん、そうだっけ? あっちだとフツーに皆買ってたしねー、アタシは飲まなかったけど」

「あ、フレちゃんこの間ハタチになりましたー、イェー♪ 売店のおばちゃん優しかったよ?」

 ここの売店で買ったのか。

 売店のおばちゃんって、あのムスッとした、サッカーの大久保みたいな顔したおばちゃんか。

 あの人、俺が買う時は不愛想の癖に、アイドルには露骨に甘いからムカつくんだよな。

 ていうかアイドルに酒売ってんじゃねぇよ。


 そして――誰か、この状況を説明してほしい。

 高垣さんと俺しかいないはずのこの部屋に、何でLiPPSの面々が全員集合しているんだ?

 嫌な予感しかしない。


738: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:37:51.28 ID:qh1EHTqN0

「あ、そうだそうだ、常務ちゃんからプロデューサーに伝言頼まれてるんだー♪」

 宮本さんが、俺の不信など無視するように極めてフレンドリーに声を掛けてきた。

「えー、オホン――私は君を、プロデューサーとしてそう高く評価してはいない」
「おおっ、フレちゃん常務のモノマネ上手いねー!」

 塩見さんが囃し立てる。そんなのどうだっていいんだよ。あと専務な。

「だが、君の持つ多方面の業界へのコネクションは、我が社の外交戦略において貴重なものだ。
 有事におけるワイルドカードとして、君の働きには期待をしるぶぷれしている」


 あの女――俺が好きで営業に回っていたとでも思ってんのか。

「まーね、あれだけの営業活動をして、しかも結果的にアタシら売れっ子になっちゃったもんねー」

 次第に顔が強張る俺を、一ノ瀬さんがさも興味深そうに観察しながら俺に講釈を始めた。

「あの時アタシらをPRしたキミに、ギョーカイの方々は大層恩義を感じてるそうだよ?
 346のプロデューサー殿のおかげで、良いものを見させてもらったってさ。
 常務としても、そうして得たキミの太いパイプをみすみす逃すつもりは無いんじゃないかにゃ?
 という訳で、おめでとうプロデューサー。キミはめでたく出世コースだねー♪」


 こ、コイツ――まさか、全て計算づくで俺を手の上で躍らせたんじゃないだろうな?

 俺を容易に辞める事ができなくさせるために、俺にそうさせるよう仕向け、ステイタスを構築させ――。


739: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:41:12.33 ID:qh1EHTqN0

「あ、でさー、聞いてるプロデューサーさん?」

 塩見さんがタイミングを見計らい、ニヤニヤしながら切り出した。

「確かにプロデューサーさんはここに異動になったけど、あたしらも事業一課に転属になったんよねー。
 しかもそれが開けてビックリ、何と偶然にもこの部屋に♪」

「何すやっ!?」

 あの女、俺の希望を何一つ聞き入れてねぇじゃねーかっ!! 何考えてんだ!


「ぷっ、くくく――!」

 今度は俺の背後で、噴き出す声が聞こえる。

 振り返ると、腹を抱え、とうとう堪え切れず笑いだしたのは、城ヶ崎さんだった。

「ぷっふ、あは、アハハハハッ!! こんな、ふふっ! サイコー★
 全然気づかないもんなんだね、プロデューサー! アハハハハッ!!」


 彼女が堪えていたのは、泣く事ではなく笑う事だった。

 気づくべきだった――あの『アイドル・アメイジング』でも、彼女はそうだったじゃないか。

「君は良い女優になれるよ、城ヶ崎さん」


740: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:47:40.25 ID:qh1EHTqN0

「ホント? カリスマJKを卒業して、今度は華麗に女優に転身、ってのもアリかな★」

 そう言って腰に手を当て、髪をふぁさっと掻き上げてみせる城ヶ崎さん。

 そういう路線も悪くない、だが――今の彼女は、普段にも増して憎たらしい。


「ふふ――そういう訳よ、ピーさん」

 速水さんが、デスクに腰かけながら俺を見てニコッと笑う。

「あなたくらい変人でないと、私達のように一癖も二癖もあるアイドル達のプロデューサーは務まるはずがないって、そう思わないかしら?」

 その隣で、塩見さんがようやく席を立った。

「マイナスとマイナスはプラスっちゅーかさ、まーそんなとこ? ね、ピーさん?」


 ――言い得て妙だ。

 宇宙人の世話は、宇宙人にしかできないと言いたいらしい。


「だよなぁ」


 塩見さんがケラケラ笑う

「アハハ、出た、本家本元。ところでさ、ピーさんのピーって、プロデューサーのP?」

「どちらかと言えば、そうありたいね。ところでそのあだ名、誰から聞いたんだ」

 掘り下げたくもない話が続きそうな折に、突然俺のデスクの電話が鳴った。


741: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:50:54.24 ID:qh1EHTqN0

 聞き慣れない呼び出し音に、一瞬体が固まる。

 しかし、気を取り直し、急ぎ塩見さんがどいて間もない席に着き、受話器を取った。

「はい、事業一課です」

『座り心地はどうですか?』

「チーフ」

『あなたももうチーフでしょう? 普段通りでいいですよ』

 電話は内線のアリさんからだった。俺へのご機嫌伺いで掛けてきただけではないらしい。


『実は、ウチに新しいアイドル候補生が配属される事になったんです。
 スカウトではなく、自ら346の門戸を再び叩いて来てくれました』

「再び?」

 俺の嫌な予感は、残念ながら的中した。



『服部瞳子さんを、ウチで預かる事にしました。それを、あなたにも一応お知らせしたくて』


742: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:56:17.25 ID:qh1EHTqN0

 何となく、そんな気はしたんだ。

 あのフェスが終わった後、彼女の瞳は、どんどん輝きを取り戻していくようだった。

 カムバックを決意した彼女の担当が俺でなかった事に、まずは安堵するべきだが――。


「しかし、正気なのか? 彼女は夢を叶える難しさと、夢が破れる恐ろしさを知っている」

『ですが、夢を与える尊さも、彼女は知ってしまいました。もう、僕では止めようもありません』

「サマーフェスで、彼女は再び現実を思い知る事になるぞ」

『生憎、服部さんにその気は無いようですよ。今日もさっそく息巻いてレッスンに行っています。
 もう誰にも負けないと――僕も、彼女をそこまで育て上げたい』


 ダメだな、彼女は――イイ歳して、夢見やがって。

「――上等だ。ウチの高垣とLiPPSが相手になろう。
 今のうちにメソメソ泣いて逃げておけと、俺が言っていたと彼女に伝えてほしい」

『ハハハ。かしこまりました。それでは、サマーフェスで』

「あぁ」


 ――どいつもこいつも。ままならない連中ばかりだな。


743: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 02:59:09.47 ID:qh1EHTqN0

「服部さんがどうしたって?」

 俺の方からは、彼女の名前を一言も発していないのに、塩見さんがヌケヌケと俺に声を掛けた。

 とっくに、この部屋にいる俺以外の皆は、知っていたのだろう。



「皆――改めて言っておく」

 俺は椅子から立ち上がり、皆を見回した。


「俺は、君達が今後もアイドルを続けていく事を、決して快く思ってはいない」

「だが、それでもなお君達の意思が、揺らぐことは無いのだとしたら――」

「せめて、夢を諦めさせる側に立ってほしい。
 圧倒的な強者の立場で、凡人に格の違いを見せつけてやってほしい」

「ちょうど、哀れな子羊が事業三課に迷い込んで来たらしい。
 どうか彼女の目を、覚ましてやってくれ。俺からお願いしたいのは、それだけだ」


「却下に決まってんでしょ、そんなの」

 呆れ顔で城ヶ崎さんが手を振った。そう言うだろうな。

「大体、プロデューサーが服部さんに見せた夢でもあるんだよ? あのステージは」


744: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 03:06:15.19 ID:qh1EHTqN0

「馬鹿言え」

 今度は俺が手を振る番だった。しかし――。


「プロデューサー――私は、瞳子さんとまた同じ舞台で競い合える事が、本当に嬉しいんです」

 そんな俺を、またもゆったりと優しい声が包んだ。

「私もこの子達も、瞳子さんも、プロデューサーの期待があればこそ、輝けます。
 私は、自分一人ではなく――皆で一緒に、階段を上っていけたらいいなって、思うんです」



 ――結局、見解の相違だな。

 トップアイドルへの道は狭き門で、大渋滞だ。蹴落とさなきゃ上れないのは、俺にだって分かる。

 なのに、彼女の言ってる事はまるで違う。俺はこの先、彼女達を理解する事は出来ないのだろう。


 ――だけど、それでいいのかもな。

 分からないからこそ面白い、という考え方もある。



「あと一年だけだ」


745: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 03:14:59.55 ID:qh1EHTqN0

「あと一年?」
 宮本さんが不思議そうに首を傾げる。

「一年は面倒を見よう。その後は、君達を別のプロジェクトに預けようと思う」


 俺は、顎でクマさんがいる隣の部屋を差した。

「シンデレラプロジェクトって、知ってるだろ? そのプロデューサーが大変有能でな。
 俺も一時手伝ったが、とても雰囲気の良い所だ。新規参加者もいつでも募集しているらしい」

「にゃるほどー、その人にアタシ達を押しつけるってこと?」

 一ノ瀬さんは、人を食ったような表情を未だに崩さない。俺も毅然とした態度で答えた。

「押しつけるなんて言っていない。彼の方がよほどまともにプロデュースしてくれるという話だ。
 彼には話を通しておくよ」

「手を抜きたい、って言ってるようにしか聞こえなーい」
 塩見さんは、俺を見て飽きずに笑っている。もういいだろ、放っといてくれ。

「いいから、レッスンにでも行ってきなさい」

 そう言って、ため息を吐きながら椅子に座り直し、パソコンを立ち上げる。

「はい、どうぞ」

 手近にあったジュースを渡される。ちょうど良かった、喉がカラカラだ。

 そういや朝飯もまだ――。

「!? ッ、げふ、げふっ!!」

 こ、これ――さっき高垣さんから没収したビールか!? うっかり飲んでしまった。


746: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 03:20:12.90 ID:qh1EHTqN0

 プシュッ!

 と、俺のそばでプルタブが開く音がしたので、見ると、高垣さんだった。

 俺に缶ビールをさり気なく渡したのは彼女であり、彼女は俺を共犯に仕立て上げたのだ。

 プロデューサーが飲んだのなら、私も飲んで構いませんよね? という感じの、期待に満ちた顔を俺に向けている。


 後で知る事だが、前任のプロデューサー、通称ヒゲさんは、彼女との飲みにしばしば付き合わされたらしい。

 元々強くない彼は、その無理が祟ってしまい、あえなく休職する羽目になったのだそうだ。


 この人は――なるほど、勝手に真人間だと思っていた俺が馬鹿だったな。

 まぁ、かえって箔が付くというものだ。配属初日から、アイドルと酒を飲むプロデューサー。

 素行の悪さを理由に、お偉方に俺を解雇させるなら、この行いもそう悪くない。

 事業一課長の判子の置き場所は、既に先ほど教わっている。


 しめやかに乾杯し、景気づけにグイッと一飲みすると、俺は改めてパソコンに向き直った。

 ここでの俺の最初の仕事は、俺を解雇または転属させるための、人事課宛て事業一課長名での意見書の作成。

 そして、LiPPSらの移籍に向けた、クマさん宛ての引継ぎ書の修正だ。


 初日から、忙しくなるな。


747: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 03:24:34.99 ID:qh1EHTqN0

 (♡)

 にゃははー♪ やっぱりこのメンバーは志希ちゃんの想定の遥か上を行くねー♪

 これだからやめられないよ、アイドルってのはさ。アタシも皆も楽しくて仕方ないもん。

 彼の強情っぷりも実に興味深いけど、もはやアタシ達に振り向くのは時間の問題かにゃ?

 プロデューサーが自分の思いにいつ気づくのか。アタシ達がいつ気づかせるのか。

 それを見届けるまでは、この観察記録もまだまだ続けていかないとねー。

 Nice to meet you, our Amazing Future !

 本当に、ありがとう。皆。


 (★)

 まったく! この人ってホンットに、頭でっかちの分からず屋なんだから。

 アタシ達の『MEGALOMANIA』をちゃんと聴いてたのかな?
 いや、何度でも聴かせてあげなくちゃ。

 プロデューサーが自分の凄さに気づいてくれるまで、アタシ達は何度でも。

 アタシももっと頑張らなくちゃ。
 こんな凄いメンバーと一緒にいても、恥ずかしくないくらいにもっと。

 ていうか、アタシくらいしかまともなのいないじゃん、この面子!
 もうっ、面倒見てあげるのは莉嘉だけで手一杯なのになー。何でこうなっちゃうんだろ。


748: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 03:29:45.83 ID:qh1EHTqN0

 (・)

 早急に、転属または解雇されたし、と――よし、意見書のたたき台はこんな所か。

 あぁ高垣さん、二本目はダメですよさすがに! 当たり前でしょう。

 そうですね、分かりました。今日のレッスンが終わったら飲んでいいです。はい。

 ――さすが、トップアイドルだよな。まともな人間であるはず無いものな。

 クソゲーかよ。これ以上宇宙人の面倒など見切れるか。一年と言わず、早急に異動を――。

 あー高垣さんごめんなさい、行きます行きます! お腹痛い。


 (■)

 フフッ、哀れなものね。

 判子が誰でも押せる分、事業一課長名の文書にそこまで重みは無いって、専務が言っていたわ。

 あえて教えずに、そのまま動向を見守るのもまた一興かしら?
 散々私達に無礼を押し付けて来たもの。一度お灸を据えたあげた方が良いでしょうね。

 図らずもこんなメンバーのリーダーに、力不足ながらもなってしまった私だけれど――。
 凡人代表として、凡人の目から天才達を見守る事について、これ以上の適任はいないとも思うの。

 だから、もう少し――いいえ、私の気の済むまで、皆には私と一緒にいてもらうわよ。ねっ?


 (♪)

 ンー? あれー、ねーアタシのケータイ知らなーい?


749: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 03:33:02.65 ID:qh1EHTqN0

 (◇)

 たぶんさ、一年後も同じ事言ってると思うよあの人。
 あと一年だけだー、なんてさ。

 ま、ちょうど良いんじゃない?
 イイ歳してこじらせちゃってるプロデューサーと、始末に負えないアイドル達。

 何だかんだで、バランス取れてると思うんだよね、あたし達。
 深淵を覗いてる方も大概深淵っちゅー事かな。知らんけど。

 しかし、個性豊かな人達がこんな一つ所によー集まったなホント。楓さんまでいる。
 せいぜい色が白いだけのあたしなんてまるで空気。笑っちゃうね、アハハ。

 そんな訳で、一筋縄ではいかないメガロメガ盛りのお騒がせユニットLiPPSを今後ともどうぞよろしゅー。
 あ、あと楓さんもね。お後がよろしいようで。



 ん? 携帯鳴ってる。フレちゃーん、携帯ー。

 ってあたしのやん。ごめーんフレちゃん、やっぱなんでもなーい。


 ――おっ? ふふっ。


 はいはい、どうしたの?

 ん、あたし? 元気でやっとるよ。


750: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 03:36:26.61 ID:qh1EHTqN0

 いやだって、あたし以外の皆、本当すごい子達ばかりやもん。退屈せんわそりゃ。

 うん――うん、それはね。全然、こっちは心配いらん。

 そうそう、あのオーディション受かったよ。この間言ったヤツ。美嘉ちゃんも一緒。

 まーね。美嘉ちゃんはともかく、あんな飛び入りで、しかも失礼丸出しなあたしまで採用するなんてさ?
 あのお偉いさん、ちょっと奇特なお人だよね。アハハ。


 あ、ところでさ、ばあちゃん元気? まだ生きとる?


 いや、だってさ? あたしが東京出るとき、言ってたやん。
 周子がテレビに出るまで死ねんねぇ、って。

 すっかり売れっ子になっちゃったシューコちゃんを見て、ばあちゃん満足してポックリいってないか心配でさ?



 ――アハハハ、だよねー♪


751: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/23(土) 03:38:01.05 ID:qh1EHTqN0

 怪物達による、怪物達を観察した記録の一端。


  LiPPS「MEGALOUNIT」 ~おしまい~


転載元:LiPPS「MEGALOUNIT」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1513384979/
SS速報VIPのSS紹介です。

スポンサーリンク

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメント一覧

    • 1 名無し春香さん
    • 2017年12月29日 14:04
    • 5
      超長篇だったけど面白かった
      地の文がいいSSは苦なく読める
    • 2 名無し春香さん
    • 2017年12月31日 05:07
    • ええやん...ええやん...
    • 3 名無し春香さん
    • 2018年01月09日 07:30
    • えがったよー 俺、やっぱリップスのこと好きだわ
    • 4 名無し春香さん
    • 2018年03月26日 03:01
    • すげーわやっと気づいた
      それで(・)だったのか
    • 5 名無し春香さん
    • 2018年05月04日 01:45
    • 翌朝、誰よりも早く出勤したプロデューサーは、真新しい執務室の窓を叩き割って飛び降り、自殺した。
       
      遺書は発見されなかった。
       
       〜True End.
    • 6 名無し春香さん
    • 2018年07月30日 01:44
    • 5
      長いけど確かに面白かった
コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
米や※または#の後に数字を入力するとコメント欄へのアンカーが表示できるかも。