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トップページモバマス > 【モバマスss】雨の日の午後、夕暮れにかけて。【北条加蓮】

1: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:34:46 ID:a1l

北条加蓮のssです。体調を崩して今月はあんまりかけていないため久しぶりの投稿ですが、よかったらぜひ。
よろしくお願いします。



2: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:35:03 ID:a1l



───目線を上に傾けると、雨雲が折り重なるところが見えた。
目線の途中からピアノの音が聞こえる。まとまりを欠いた、粒だけの色。
原色をそのまま叩きつけたかのような音は、やがて雨の中に消えていく。


3: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:35:18 ID:a1l

曲はまだ終わっていない。歌ならば、Cメロからラスサビに入るあたり。ダンスならば、最後のステップへ入る前の、タメの部分。スポーツならば、今まさに決定打が出た瞬間、なのだろうか。少女漫画ならば、主人公がキスされた瞬間。そうだ。これに違いない。

でもそんな、ありきたりなクライマックスを今か今かと迎えようとしているピアノは、尻切れトンボに終わってしまって、いくら待てども、次の音は聞こえてこない。色は、見えてこない。


4: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:35:36 ID:a1l

───なぁんだ、結局、ダメなんじゃん。

そうやって、届かないって。
そうやって、無理なんだって。
そうやって、諦めちゃいなって。
そう、だから───楽になっちゃいなって。

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5: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:35:50 ID:a1l

そんなことを、冗談でもなく本気で───躊躇することなく思ってしまうようになったのは、いつからだろう。
きっと、最初は違った。そうだ、最初は違ったはずだ。
外で遊ぶ彼らを、羨ましいと思いこそすれ、妬むなんてことはなかった。
優雅に過ごす彼女たちを、美しいと思いこそすれ、蔑むなんてことはなかった。
誰かが幸せに過ごしている瞬間を───憎むなんてことはなかった。


6: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:36:22 ID:a1l

だから、最初は確かに違ったのだ。生まれたその瞬間から悪人だったら諦めもつくかもしれないけど、でも私はそうでなかったはずなのだ。
人並みに喜んで、人並みに楽しんで、人一倍そういったことを楽しみにしていたはずなのだ。


7: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:36:43 ID:a1l

灰色の空が、影さえ飲み込んでいく。彼女の少し焼けた肌は、決して健康的なものではなく、幾つもの”もしも”の積み重ね。
その”もしも”に憧れ、夢見て、信じていたあの時の私は、いつからか磨耗して原型は失われてしまった。


8: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:36:55 ID:a1l

私には、何より私がない。
いや、違う。私は確かに私なのだ───それがどんなに認めたくなくとも、受け入れたくなくても。


9: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:37:10 ID:a1l

だから、正確に言うとこうだ───私には、肯定すべき私がいない。肯定できる私がいない。肯定したい私がいない。


10: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:37:25 ID:a1l

辺りはやがて黒味を帯びてきた。雨に打たれてはいけないのだけど、少しくらいは感傷的な気分に浸らせて欲しいと思う。
そのくらいのわがままは許して欲しい。それ以上の制約が私には課されているのだから。


11: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:37:47 ID:a1l

今ここで私が”楽”になったら、お父さんとお母さんは悲しんでくれるかな。主治医さんも。綺麗で優しい、あの看護師さんも。
でも、私にそんな勇気はない。そもそも、そんなこと本当は、ちっとも思っていない。
ただの思考実験、というやつだ。


12: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:37:59 ID:a1l

何度目かの思考実験も、前回と同じ結果に終わった。なんとこの思考実験、第1回から結果が変わっていない。ならきっと、次だって同じ結果になるんだろうな。?わかりきった空白感をどこかで埋めようと思い立ち、右足を前に一歩進める。


13: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:38:11 ID:a1l

突然、後ろで、色が見えた。
粘り気のある、薄黄色。
手に張り付いて離れない、ぬめりのある感触。
傘を持つ右手の代わりに、空いた左手を握っては離し、握っては離す。
そのうちに掌が重く感じて、雲の向こうのお月様まで私を嘲笑しているかのように思える。


14: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:38:23 ID:a1l

おかしいな。音になんて、触れっこないのに。
おかしいな。私の左手は、何も掴んでなんかいないのに。
おかしいな。ようやく16時になろうかという、夏の初(はじ)まりなのに。

信じらんない。そうやって、また私を一人だけ除け者にするのか───!


15: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:38:32 ID:a1l

あ、さっき言ったこと、やっぱり違うかも。
もしかしたら、私は最初から悪人だったのかもしれない。それも、多分結構確かな確率で。


16: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:38:43 ID:a1l

ま、いっか。どうでも。


17: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:38:53 ID:a1l

もう少しすると木々は緑に生い茂り、刺すような光と灼けた笑顔が交差する季節になるというのに、今日はどうしてかよく冷える。
しかし、背中にじっとり、汗をかく。
髪の毛が張り付いているのいは、汗のせいなのか雨のせいなのか───どちらにせよ、鬱陶しいことこの上ない。


18: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:39:04 ID:a1l

少し離れた校舎の二階に位置する音楽室を一瞥する少女。その行為に何の意味があったかは、おそらく彼女自身が最も理解の外にある。

彼女が学校を後にする時、今日何度目かとなるピアノの旋律が孤独に響いていた。


19: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:39:19 ID:a1l




「アイドルに、なりたい気持ちはありませんか?」
「はぁ?アイドル?私が?」
「はい。お話だけでも、いかがでしょうか。私は、こういうものですが……」

1ヶ月後。街を独りで歩いていると、見知らぬ男から声をかけられた。


20: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:39:47 ID:a1l

こういった行為自体は別に珍しいことではない。
これまでに何度かナンパされたことはあるし、でもそういう声をかけてきた男は例外なくどこか軽薄で、心の底が透けて見えるようだった。
心底興味がない、というそぶりをしていても諦めずに何度も声をかけてこられることがあったので、こういう時はとにかく「不快だ」という気持ちを前面に出すほうがいい───まったく、こんな知識ばかり豊富になっていく。
私の知りたいことに関しては何にも知識がアップデートされていかないのに。
もっとも、私の知りたい何かなんて、私だってわからないんだけど。


21: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:39:58 ID:a1l

でもその日話しかけてきた男は、第一印象からどこか違ったように思う。


22: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:40:26 ID:a1l

かといってそれが良い印象だったかと問われれば、答えはノーだ。
男としてはかなり細身の体。貧相という言葉が似つかわしいひょろりとした身体だが、そのくせ身長だけは高い。
夏真っ盛りだというのにきちんとネクタイを締めている。流石に背広は脱いでいるが、綺麗に丸められて片手に抱えられている。
病気みたいな青白い顔色だが、それには似合わない、煌々と光る瞳。
雰囲気も背格好も完全に頼りない大人のそれなのに、目だけは子供みたいな情熱を宿している男だった。


23: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:40:52 ID:a1l

私が交差点で信号待ちをしている時、彼が同じく後ろに立っていたのを覚えている。どうして覚えているかは私にはわからなかったが、今になって思えばあれはやはり運命だったのかもしれない
───理由がないことに無理やり意味を求めるなんて無粋だろうけど。


24: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:41:04 ID:a1l

「アイドルに、なりたい気持ちはありませんか?」

男は再び同じ質問を繰り返す。
差し出された名刺の電話番号を見ると、どうやらこの男は本物の事務所の人間らしい。たしか、高垣楓とか、輿水幸子とかが所属していた事務所のはずだ。


25: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:41:22 ID:a1l

「……ふぅん。確かに本物のスカウトの人なんだろうけど、お生憎様。私にはアイドルなんて全然関係ないし。雲の上の話、みたいな。」
「そんなことはありません。あなたのその立ち振る舞い、仕草、何よりそのオーラ。アイドルになれば必ず輝ける素材です。いえ、輝かせてみせます。まちがいなく、必ず。」
「はぁ?あんた大丈夫?」
「いえ、私が直接レッスンをつけるわけではないので……優秀なトレーナーは揃っていますが」
「誰がそんなこと言ってんのよ!頭大丈夫かって言ってんの!!」


26: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:41:33 ID:a1l

これもやはり今になって思うことだが、いかに怪しい声かけをしてきたとはいえ、目上の人にこういう態度を取るのは本来良くないことだろう。今だったらそんなこと絶対にしない───きっとね。


27: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:41:44 ID:a1l

「あんたさ、ちょっとおかしいんじゃない?そもそも街中で一回りくらい年下の女子高生捕まえてアイドルはどうだアイドルはどうだって、正直ちょっと引くよ。」

しかしそんな不躾な少女の威圧にひるむことなく、その男はより一層瞳を煌めかせて私に同じことを言う。

「───アイドルに、なりたい気持ちは、本当にありませんか?」


28: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:41:58 ID:a1l

今度こそ私は言葉に詰まる。なぜこの男がそこまで執念深く私にアイドルを勧めてくるのかが理解できない。
こんなことでは本当に、私にアイドルが向いているみたいではないか。私にアイドルができると言われているみたいではないか。


29: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:42:12 ID:a1l

あの液晶テレビの向こうに。
電磁波が運ぶ情熱と共に。
あのステージの彼方に。
私たちが手に取る雑誌の中に。
あのペンライトの海の上に。

あの輝かしい舞台に、私が立てると。立ってもいいと言われているようではないか。


30: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:43:02 ID:a1l

でも、しかし、やっぱり、だって。


31: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:43:11 ID:a1l

そんなことはない、そんなことあるはずがない。そんなことあってはいけない、そんなことあっていいはずがない。


32: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:43:51 ID:a1l

だって私は悪人だもん。ずっとずっと前に、走ることすら馬鹿らしくなって、スタートを切ることさえ諦めてしまった怠け者だもん。
そんな私が報われていいわけない。
アイドルって、もっと笑顔が綺麗で、歌が上手くて、ダンスが上手くて、気立てが良くて、面白くて、誰にだって優しくて、それから…それから。

それから。


33: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:44:16 ID:a1l

もっと可愛い女の子がなるものだもん。私なんかが、なっていいはずないよ。


34: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:44:29 ID:a1l

だから。そんな”もしも”は起こらない。


35: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:44:40 ID:a1l

「───ないよ。アイドルになりたい気持ちなんて、これっぽちも。」
「それは、嘘です。」

は?

今、何と言ったのだ、この男は?


36: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:44:51 ID:a1l

「それは嘘です、と申し上げました。」

まずい、声に出ていたみたいだ。もしくは、声も出してないのにわかってしまうくらい、顔に出ていたかな。

「それは嘘です。私にはわかります。」
「わかるって、どうして?」
「どうしてはわかりません。でも確かな確信をもってわかるのです。」


37: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:45:11 ID:a1l

私の頭に血が上っていくのが、自分でもわかった。
本当に何を言っているのだこの男は。
いきなり私がアイドルに向いているなどわけのわからない話をし始めたと思ったら、今度はその根拠はないだと?
人を馬鹿にするのも大概にしてほしい。
はぁ。なんだって私がこんな夢物語みたいな話を聞かせられなければならないのか。


38: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:45:22 ID:a1l

「どうしてかわからないってさ……私のこと馬鹿にしてるの!?」
「そんなことはありません。でも、わかるのです。間違いありません。」
「こんの……っ!」


39: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:45:39 ID:a1l

私は思わず右の手のひらをその男に向けて放とうとして、すんでの所で留まった。
こんな怪しいことを言ってくるやつだ、ここで私が怒りのままに手を出してしまったら、今度はそれを理由に付きまとわれるかもしれない。


40: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:45:52 ID:a1l

「信用していただけないのは、おっしゃる通りだと思います。」
「わかってんなら、なんか少しでも根拠になることを言ってよ。アンタは私のどこを見て、何を感じで、アイドルとしてやっていけるって思ったわけ?どうしてそう思ったのか、聞かせてよ。」
「強いて申し上げるならば、私の勘がそう告げているのです。」


41: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:46:00 ID:a1l

私は今度こそあんぐり開いた口がふさがらず、呆れてものも言えない。次にどう罵倒してやろうかコンチクショウ、二度と話しかけられないようにしてやろうと思案して、そして───


42: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:46:11 ID:a1l

「ふ、ふふふ…っはは、あっはっはっは!」


43: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:46:30 ID:a1l

私の口から出たものはまず笑い声、そして次から次へと、最後まで笑い声だった。
全く不思議なことだ。だって私は確かにこの男に怒りを覚えていたはずなのに。適当なことを言って、根拠のないことを言って、いつかの私が諦めたあの光景を無造作に思い出させてくれたこの男に。
いつか叶えたいと願った、小さな私の大きな夢を配慮なく掘り起こしたこの男に。
私はひどく腹を立てていたはずなのに、なぜだか今はおかしくてたまらない。それどころか、どこか清々しくすらある。


44: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:46:43 ID:a1l

『そうか、そうだったんだね。』

自分でもわからなかったこと、いや、わかろうとしなかったことを、こんな見ず知らずのヒョロヒョロした頼りないおじさんの一言で気づかされるなんてことがあるんだな、と自分で感心する。


45: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:47:01 ID:a1l

対してそのおじさんは───急に笑い出した私を不思議に思っているのだろうか、先ほどよりやや目の輝きが収まっている。
しかしその口角は上がっていて、自信に満ち溢れている。そのように見えてしまう。
あんなにも頼りない風貌だったのに、悔しいけれど私の一連の行動の何もかも、この男の掌の上なのか。


46: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:47:14 ID:a1l

「わかった。うん、興味あるよ、アイドル。」
「ええ。詳しい話をしたいので、涼しい場所へ移りましょう。」
「あーじゃあ、あそこのスタバで良い?私喉渇いちゃってさー。冷たくてあっまーい奴、飲みたい気分なんだよねー。」
「承知しました。それでは……」
「あ、そういえば、ちょっと待って!」
「はい、いかがなされましたか?」
「名前。」
「はい?」
「だから、名前。アンタの。いつまでもアンタじゃ感じ悪いでしょ、私。」
「ああ、私は特別気にしませんが……」
「私が気にすんの。いいから、ホラ。」
「はい、では私のことは───Pとお呼びください。」


47: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:47:27 ID:a1l

何の気ない会話だった。でもその会話が終わって、二人並んで向かいのスタバへと歩いているときに、私は思ったんだ。
この人となら、この人と一緒なら、きっとトップアイドルになれるって。
冷静に考えてみれば、まだこの段階ではアイドルの素質があるって言ってもらっただけだし、その言葉だって聞く限り根拠のあるわけじゃなかった。
だから、というわけじゃないけど。私も根拠なく、こういう確信を持ったのだ。
でも、”何故”はきっといらない。
───理由がないことに無理やり意味を求めるなんて無粋だろうけど。
きっと運命とか奇跡とかってものは、そうやって生まれたのだ。きっと、たぶん。


48: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:48:02 ID:a1l

少なくとも、私の───北条加蓮の場合はそうだった。


49: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:48:26 ID:a1l

店の中はクーラーがよく効いている。
店のガラスに太陽が反射していて、ギラつく光が街ゆく人を刺している。
首元に少しかいた汗はやがて温度を奪って渇いていく。
でもきっと、私の熱を奪い去ることはできない。
こんなにも大きい熱浴につながった私のエネルギー、奪えるものなら奪ってみろ。


50: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:48:53 ID:a1l




それから、約一年。

私はアイドルとして順調にキャリアを積み、多くのファンに応援してもらっている。
もちろん、努力はした。これまでの私なら考えられないくらい、たくさん、たっくさん努力した。
何度レッスンを最後まで受けきることができなかったかわからない。
ダンスを踊りきる前に転んで立てなくなったかわからない。
せっかくもらった歌の一番を歌いきる前に声が枯れたのは本当に情けなかった。
宣材写真すら満足に撮れず、何度取り直しをしてもらったのだろうか。


51: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:49:16 ID:a1l

隣のあの子はあんなにうまく踊れるのに。
あんなにうまく歌えるのに。
あんなにうまく笑えるのに。
どうして私はできないんだろうと思ったことは一度や二度ではない。
百回?いや、それでもまだまだ足りない。


52: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:49:34 ID:a1l

でも、諦めたことは一度もなかった。途中で投げ出したことも、ここまででいいと限界を決めたこともなかった。私は全ての課題を、すべて要求以上に成し遂げた。ただの一つも例外なく。
だから本当は、もっと褒めてくれたっていいはずなのだ。実際、多くの人はそうしてくれた。お父さん、お母さん。お世話になった病院の先生、看護師さん。クラスにできた数少ない友達。
だけど、意外にもあの人は───Pは、私を褒めて伸ばしてくれるわけではなかった。むしろその逆だ。まだできるはずだ、もうダメなのかと。
ヘトヘトで今にも倒れそうな私に”もう一回”を要求してくるのだ。


53: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:49:46 ID:a1l

その”もう一回”を、何度だって超えてきた。
だから今日だって、私はその”もう一回”を超えられる。


54: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:49:56 ID:a1l

負けたくない。
何よりも自分に。あの頃の自分に、昨日の自分に、そして明日の自分に。
私は今、一番輝いている。
明日来る今だって、私はきっとそうだ。


55: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:50:16 ID:a1l

だって、そうじゃないか。

私が私を超えられなかったら、隣の二人になんて、勝てるわけないじゃないか。


56: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:50:26 ID:a1l

渋谷凛と神谷奈緒───私が所属するユニット、『トライアド・プリムス』のメンバーの二人。
凛は息をのむほど鮮やかな黒髪をすらりと伸びた綺麗な長身にまとわせ、右に出るもののない抜群の歌唱力で、会場の、画面の向こうのファンを魅了する。
奈緒は切れの良いダンスをバックダンサーと一糸乱れず踊り、そして踊りながら何の音ズレもなく、伸びやかな高音で見る人すべての心を熱くする。


57: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:50:35 ID:a1l

親友、なんて言葉はちょっと恥ずかしいし、何かちょっと適切じゃない気がする。言うならば───戦友。そうだ、これに違いない。


58: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:50:43 ID:a1l

私たちはきっと、アイドルユニットとして最高峰まで辿り着く。これは奢りでも慢心でもなく、でも必ずそうなる。前も言った、”根拠はないけど”ってやつだ。


59: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:51:05 ID:a1l

でも、それが達成されたところで終わりじゃない。それがゴールじゃない。
私たちが最高のアイドルユニットになった後は、『私』が最高のアイドルになる───!
凛だって奈緒だって同じ気持ちに違いない。私たちはいつだって同じ方向を見ている。でも、走るのはいつだって自分自身だ。


60: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:51:27 ID:a1l

私たちは互いの手を取り合う。拳をぶつけ、声を合わせ、蒼く輝くステージを作る、最高の仲間だ。
凛が友達でよかった。
奈緒が友達でよかった。
きっとあの二人も、私が友達でよかったって思ってるよ、絶対。


61: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:51:46 ID:a1l

だからこそ、私はあの二人にだって負けない。最高の友達を、最高のライバルを超えて、最高のアイドルになる。
そしてそうなった暁に言う言葉は決めてあるんだ。「ありがとう」と「これからもよろしく」。
うん、この二つがシンプルでいいよね。


62: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:52:03 ID:a1l

私は私に負けない。凛にも、奈緒にも、誰にだって負けない。
最高のアイドルになって、叶えたい夢を毎日アップデートして、私を見るすべての人に喜びを届けたい。笑顔を、パワーを、夢を届けたい。

いつか思い出した”最初”の気持ちは、そうだ。こうだった。


63: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:52:12 ID:a1l

「私もキラキラしたい!」


64: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:52:33 ID:a1l

単純だって言われてもしょうがない。
だって私はあの時囚われのお姫様で───憧れの舞踏会だって、その様子を読み聞かせられるくらいしかなかったのだから。
でも、その囚われのお姫様は、自分で舞踏会までたどり着いたんだ。
ほら、光はもう見えている。これまでの私はその光をまぶしがって、その光を黒く塗りつぶしていたんだ。


65: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:52:42 ID:a1l

見えているはずの光を見えないようにしていたのは、自分だった。
灰色の雲の壁の向こうには魔法があると信じていた自分をバカにしていたのは、自分だった。


66: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:52:59 ID:a1l

でも今はもうそうじゃない。
声が聞こえるんだ。私たちを呼ぶ声が、私を呼ぶ声が。今、あのステージの先に───!


67: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:53:18 ID:a1l

歓声が耳を走り抜ける。人の笑顔が、あちらこちらに満ちている。
私たちの歌に合わせて、踊りに乗って、大きなかけ声をかけてくれる。
隣を見れば凛が額に汗を浮かべてファンのみんなに手を振っている。
奈緒は顔中涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして、でも最高に可愛い笑顔で「ありがとーーーーー!!!」と最後の力を振り絞って叫んでいる。
ファンのみんなもそれに答え、一層大きな声援を私たちにくれる。


68: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:53:32 ID:a1l


そうだ。私は今、最高にアイドルをしている───!


69: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:53:41 ID:a1l

私の周りは180度、ペンライトで埋まっている。白色、赤色、黄色。青色、桃色、紫色、橙色。薄緑のペンライトの数が、一番多いかな?ちぇっ、まだそうじゃないかも。


70: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:53:51 ID:a1l

ふと、天井を見上げる。コンクリートの屋根に設置された照明が会場のあちらこちらを照らして回転している。今はまだ180度だけど、いつか360度、ぜーんぶ光るステージを見せてあげる。
あの日の自分に。隣に立つ戦友に。私を育ててくれた、頼りないおじさんに。
夢みたいな話だけど、でもいつか夢じゃなくしてあげるよ。


71: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:54:06 ID:a1l

だから、あの言葉を。
ファンのみんな、これ以上ないくらい大きな声でお願い。
今日のステージの最後の最後だから、もう残りの体力なんか気にしなくっていいから、だから一番大きな声で───!


72: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:54:18 ID:a1l



”もう一回!!”


73: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:54:29 ID:a1l



───夢は夢で終われない。


74: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:54:42 ID:a1l





───目線を上に傾けると、雨雲が折り重なるところが見えた。
目線の途中からピアノの音が聞こえる。まとまりを欠いた、粒だけの色。
原色をそのまま叩きつけたかのような音は、やがて雨の中に消えていく。


75: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:54:58 ID:a1l

先日のライブの感想を友達から聞かせてもらって気分が良くなった私は、久しぶりに仕事がない今日の午後を自分へのご褒美のために使うと決めた。
華の女子高校生の放課後の時間だ、有益に使わなければならない。


76: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:55:14 ID:a1l

凛は近いから誘えるけど、奈緒は千葉だからなぁ。ちょっと遠いけど、呼ぶか。きっと来てくれると思う。だから今日は、ギガポテトを超えてテラポテトにチャレンジしよう。
今日の私ならいける気がする。たぶん。まだ注文すらしていないのに、充足感で心が躍り、浮くように右足を前に一歩進める。


77: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:55:28 ID:a1l

突然、後ろで、色が見えた。
小さな弱い、今にも消えそうな緑色。
鼻をくすぐる薄荷の匂いが、川の流れとなって私の脳を揺らす。
傘を持つ右手をぎゅうと握りしめて、左手で少しだけ濡れた前髪を直す。
私は次の音を待つ。外へと傾きかけた私の意識は、再び校内のある場所へと向けられる。


78: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:55:37 ID:a1l

そして音が紡がれる。雨音に共鳴し、粒の音が線になり、そして寄り添うように流れ出す。
雲の向こうのお月様が、少しだけ笑った気がした。


79: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:55:48 ID:a1l


そうだね。そうだよ。


80: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:55:59 ID:a1l

木々は緑に生い茂り、刺すような光と灼けた笑顔が交差する季節だというのに、今日はどうしてかよく冷える。
しかし、背中にじっとり、汗をかく。
髪の毛が張り付いているのは、汗のせいなのか雨のせいなのか───どちらにせよ、こうやってこの夏の一日が静かに、艶やかに終わっていく。


81: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:56:12 ID:a1l

少し離れた校舎の二階に位置する音楽室を一瞥する少女。
その行為に何の意味があったかは、おそらく彼女自身だけが知っている。


82: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:56:21 ID:a1l


───今日みたいな日は、雨が振っていてもいい。


83: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:56:32 ID:a1l


少女の夏が、傘とともに街中に消えていく。流れる雨の雫が、彼女たちの時間をともに運んで。


84: 名無しさん@おーぷん 19/06/15(土)20:59:19 ID:a1l

以上です。

他には最近こんなものを書いていました(最近の3つです。自分本当は美優Pなんですが)。
こちらもよろしければぜひ、よろしくお願いします。
【モバマスss】First of all【フレデリカ】

【モバマスss】前川被害者事件簿 その1

【モバマスss】水面の月


転載元:【モバマスss】雨の日の午後、夕暮れにかけて。【北条加蓮】
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1560598486/

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    • 1 名無し春香さん
    • 2019年06月17日 02:29
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