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トップページモバマス > 【モバマスss】雨色伝導【高垣楓】

2: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:42:21 ID:UW0

【雨】



 起き抜けに昨日の残滓を感じる。
 華やかな眩しい舞台の成れ果て。

 机の上に琥珀色の夢が満ちている。
 それに口付けて、空気と共に一口だけ、口に含む。

 遠く、遠く。
 重く、重く。

 赤く色づいた葉が水に打たれ、ひと時の湖へと落ちていく。

 窓の向こうに揺蕩う景色。
 霞みがかって、雲がかって、霧がかって。
 追い縋っては溶けていく。手に取っては抜けていく。

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3: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:42:35 ID:UW0

 掴んだその手を離したくなくて。私は必死にその記憶を反芻し、頭の中であの時の情景を再現する。生産性という観点で見れば、それは極めて無価値な行動ではあるが、私を突き動かしているのはそういった使命感なんかではなく、ただひたすらに、自らの純情と欲望であった。

 もっとも、その子供じみた行為が自らの心の底からふつふつと湧き上がる感情によるものだと気づいたのは、全てが終わってから──終わりかけていた時のことだ。当然だ。もしもっと早くに気づいていたのなら───私とあの人が、あんな別れ方をすることはなかっただろう。
 後悔が心を満たすと、何度も何度も何度も何度も、同じ場面がフラッシュバックする。これは自らの意思による反芻とは異なり、外部からの刺激による強制的な巻き戻し。
 喉が渇く。目の奥が熱い。鼻がつんとし、首筋の後ろが妙に張っている。
 私はグラスに残っているウィスキーを一気に飲み干し、樽の香りで前頭葉を満たす。何も考えられないように。


4: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:43:14 ID:UW0



 寝室から出ると、昨日着ていた服が脱ぎ散らかしてある。玄関の電気はついたままだ。冷蔵庫は誰に聞かせるでもなく低い音を唸り上げ、新たな一日への参加を強いる。
 冷蔵庫の中身を確認すると、同僚のアイドルからもらった人参のしりしりしかない。それと、350mlのビール缶。賞味期限を確認すると、1ヶ月程過ぎている。
 
 「空気には触れていないわけですから……」

 誰に言い訳するわけでもないが、一言断ってから缶を開ける。ぷしゅう、という小気味良い音の後、泡が噴き出てくる。しまった。これは運んでくる途中かどこかで落としたんだっけ。


5: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:43:52 ID:UW0

 「いけません、楓さん。あなたはもう、アイドルなのですから……」

 などと、あなたの声が聞こえてくるようだ。それを聞いたのは。あなたが私を怒ってくれる時の笑顔を見たのは、もう一年も前に遡る。目を閉じると昨日のことのように、あの日の記憶が蘇ってくる。
 周回して現れる不連続点のさらにその先。意識的に追いかけるのをやめていた、でも無意識のうちに何度もリフレインしたあの時のことを。確かに幸せだったあの時間を。壊れてしまった、その時を。

 ───そうだ、あの日も今日と同じ。冬の初め、雨水が雪の結晶に変わる相転移線上の一日。


6: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:44:18 ID:UW0

【雨色】



 「高垣さん、お疲れ様でした。早速で申し訳ありませんが、次のお仕事なのですが……」
 「はい。……歌のお仕事をいただけたのですね。」
 「……断ることも、できますが……」
 「どうして? 私、このお仕事をいただけたこと、とても嬉しいです。何より、あなたが私のために取ってきてくれたお仕事、ですから。」
 「……そう仰ってくれるのは幸いですが、あなたならばもっと──」
 「いいえ。……いいえ。お仕事、させていただきたいです。よろしいですか?プロデューサーさん。」
 「……承知しました。それでは、先方にそのように連絡しておきます。」

 最後の言葉を言い切る前のタイミングで、彼は電話を構え、楽屋を後にする。
 その後ろ姿を見送って数秒。ゆるく作動したエアコンの音。今時珍しい、アナログ時計の針の音。ごとり、と冷凍庫で氷が生成されたようだ。


7: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:44:57 ID:UW0

 彼の目から情熱という名の光が失われたように見えたのは、34日前だ。もっと突っ込んで言うと、彼の目から情熱が失われたのは、33日前だ。
 よくこんなことを覚えていると思われるかもしれない。自分でもそう思う。でも、自分が意図するかしないかに関わらず強く心に刻まれる出来事というのは往々にしてあるものだ。
 私が思うに、そのための条件は二つ。一つは、単発であること。時間軸が離散的に区分された、ある一点であること。もう一つは、強く、強く心を揺さぶられること。
 例えば、先週の土曜日の夕ご飯はなんであったか覚えているだろうか。それでは、そのまた前の週は。さらにその前は。しかし、十年も前に三日だけ過ごした修学旅行の記憶は、強く心に残っている。それは、その非日常性と非現実性によるものだと思う。


8: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:45:29 ID:UW0

 だから私は覚えている。34日前のあなたの顔を。33日前のあなたの姿を。それからの、あなたのことを。
 忘れたい。でも忘れられるはずもない。強く大きいあなたの、わななく唇。押し殺した声。薄く濡れたワイシャツの袖。その姿を前にして、あなたを救うことができなかった私。


9: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:45:56 ID:UW0



 ……彼の帰りがずいぶんと遅い。単にお仕事を受けると言う電話ならばそうはかからない。もしかしたら挨拶回りだろうか。それなら、自分ひとりで行けるから大丈夫。……相変わらず、人見知りはするし。たくさんの人に囲まれるのは、あまり得意ではないけど。
 
 彼を追って、楽屋を出る。途中、たくさんのスタッフさんに出会った。皆一様に、私たちを──彼のことを心配して、声をかけてくれた。私はこみ上げる熱いものを押さえながら、ありがとうございます、またお願いしますと小さく返しつつ、テレビ局内を歩き巡る。

 その実態は彼を探してのことだが、回る回る挨拶をこなす。しかし彼の行方は知れない。最後に、今日出演したバラエティ番組のプロデューサーの元に向かう。
 彼の風貌は無造作に蓄えられた口髭に、黒色のサングラス、そしてデニムのマリンキャップというステロタイプのテレビマンという感じだ。
 「お疲れ様です」と挨拶をこなした後、「待ちな」と声をかけられる。サングラスに蛍光灯の光が反射している。しばしの沈黙の後。彼は深いため息をつき、こう話した。
 「楓ちゃん、悪いことは言わないから、彼を休ませてやんなよ。」
 私はその言葉に何も返すことができす、一礼だけして、その場を後にした。


10: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:46:17 ID:UW0



 回れるところは回りきったはずだが、彼の行方はいまだに知れない。少しの焦りを感じ始めたまさにその瞬間。
 廊下の窓の奥。左目の端に煌々と輝く光群が見えた。いくつものビルの黄色い灯り。赤く聳え立つ電波塔。ビルの明かりは星のようにも見えるが、後者は流石にそうは見えない。しかし、赫く(つよく)、心を惹かれてしまう。
 すでにその塔の役目は失われているというのにその存在は人々を惹きつけてやまない。皆に愛され続けたその姿は、今も、これからも、変わらぬ愛を注がれていくのだろうか。それともこう思えるのはそれが確かに象徴だと知っていたその時代の人々だけなのだろうか。

 一瞬。心が、空(す)く。

 はたと我にかえる。そうだ、彼を探していたんだ──忘れてしまうなんて、どうかしている。
 しかしここまで探しても会えないならば、もしかして行き違いで楽屋に戻っているのだろうか。だが何度もかけた電話に気づいた様子はない。

 「──────」
 
 プツリとスマートフォンの電源を切り、意を決して屋上に向かう。最初からわかっていたようで、でもきっとそれは勘違いで。そして確かに、避けていた場所だ。

 彼女は気づかない。窓にはポツリ、ポツリと水滴が付着し、真夜中に一つ、音が増える。
 彼女は気づかない。温度は必要以上に降下し、赤い塔の頂上は遮られて見えなくなる。
 彼女は気づかない。コンクリートの森に、土の匂いが運ばれてきたことを。


 しかし、彼女は気づけない。


11: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:47:18 ID:UW0



 「プロデューサーさん。ここは冷えますよ。」
 「──────。」

 呼吸が熱い。息を吸ったはずなのに、体の力が抜けていく。差し出した左手の掌がじわりと濡れる。

 「プロデューサー、さん。」
 返事などしてくれなくていい。あなたはあなたのことだけを考えていてくれればいい。もういい。もういいから。私たちのことは、もういいから。

 「だから……っ!」

 初めて見たあなたの笑顔が、終わりを告げるかのように悲しかった。何かの歯車が狂ったように空回りしている。雨に打たれながら微笑むあなたのもとに駆け出し、強く強く、抱きしめる。
 壊れても知らない。むしろここで壊してしまえば、これ以上あなたは心を砕かなくて済むのだろうか。ならばいっそ──

 「──楓さん。」

 彼が絞り出したその日最後の言葉を、忘れることはないと思っていた。夜空の海の向こうで、赤が溶ける。あなたの背中の向こうに、滲んでいく。

 「────私は、何を間違えてしまったのでしょうか?」


12: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:47:36 ID:UW0



 次の日。彼の担当していたアイドルが事務所に呼び出され、部長さんから担当替えを告げられた。彼は、少しの休暇を取った後、新人育成の統括を任されるという。……事実上の左遷であることは、火を見るより明らかだった。
 しかし、「本当に申し訳ない」と見たことがない部長さんの表情と、顔を伺うこともできないくらい深くなされたお辞儀がその場全ての人間の言葉を奪った。

 誰しもが泣いたわけではない。誰しもが悲しんだわけではない。……それはきっと真実だ。だけど、声を上げて泣く子はいたし、表情には出なくとも彼のことを思う子はいたのだと思う。
 体が大きくて。口下手で、少し顔が怖くて。何を考えているかちょっとわかりづらいところがあって。──優しくて。安心できて、頼りになって。あなたの夢を見ると、次の日の朝、少し幸せで。おはようの後に、なんて会話しようと考えて。

 「遅すぎるなんてことは、ありません。」

 と。躊躇う私をアイドルに誘ってくれたあのとき。そう教えてくれたのはあなただったけど、でも、どうでしょう。

 今回ばかりは、少し、遅すぎたのかもしれません。気づくのも──気づかなかったのも。


13: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:48:05 ID:UW0

【雨色伝導】



 雨の街は人通りも少なく。舗装された道路にたまる水はスルリと流れ落ちていく。ふと立ち止まると、アパレルショップのガラスに自分の姿が映る。───あの頃より、優しい顔になっていると感じる。
 別人であるわけはない。私はあのときの自分とずっと地続きだ。あの日の後悔をずっと抱えたまま生きているはずなのに、この変化はどうしてだろう。

 時間が解決する。時薬。そんな言葉がある。でも、いざ自分がぬぐいきれない後悔を抱えた身になると、良薬は口に苦しというべきか──その間はずっと苦しんでいた気がする。でも確かにあの時と今の自分の表情は違う。効いているのに気づかなかっただけ、なのだろうか。


14: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:48:23 ID:UW0

 傘に雨粒がぶつかり、ぽしゃり、ぽしゃりと音楽を歌う。靴底にわずかに水が染みる。なんとなしに歩いてきた先には、ライトアップ前の東京タワー。その真下に来ると顔をあげないとてっぺんが見えない。自然と顎が上がる。
 空は分厚い雲に覆われ、雨粒が目視できる。雨が少し髪にかかるが気にならない。


 ねえ、プロデューサーさん。プロデューサーさんは間違ってなんかいませんでしたよ。もちろん、あの子もそうです。誰も彼も間違っていなかった。ただ、どうしようもなかった。理不尽なことかもしれませんが、でもきっとそうなんです。
 みんなが幸せで、みんなが笑って、そんな未来が来ればよかったけど。でもあなたはその未来のために、力を尽くしてくれたのでしょう? わかっているなんて言葉は、無責任かもしれません。……でも、わかりたかった。私たちを支えてくれるあなたの事を、笑顔にしたいと思った。
 
 あなたが教えてくれた、何事をも乗り越える方法を、私はずっと続けていますよ。
 そうすれば、私はいつも、あなたと一緒にいられる気がするから。今でも、あなたと共に歩んでいる気になれるから。……私って、少し重い女なのかもしれませんね。


15: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:48:55 ID:UW0



 雨はだんだんと弱くなり、すれ違った小学生の男の子たちは、傘をささずに横断歩道で信号待ちをしていた。信号が変わると、男の子たちは示し合わせたように走りだす。
 水溜りに足を踏み入れ、水が跳ねる。ズボンが濡れたことも気にせず、笑いながら走り続ける。そんなことすらただ楽しい日々の一瞬として記録されていく。

 信号の向こう側に、犬の散歩をしているお婆さんがいた。犬が歩くのを渋っているせいか、横断歩道の途中で信号の色が変わりかけている。私は思わず駆け寄り犬を持ち上げ、お婆さんと共に向こう側へ渡る──すなわち戻ってきたのである。


16: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:49:25 ID:UW0

 道を渡りきった先で犬を優しく地面に下ろした途端、ブルリとふるえ、水を弾く。飼い主さんが「申し訳ない、申し訳ない」としきりに謝るものの、申し訳ないことなんてない。「大丈夫ですよ」と返すと、声で素性がわかってしまったようだ。
 私は何も言わず唇に人差し指を当てる。それでお婆さんも察してくれたようで、少し安心した。
「ワンちゃんに触ってもいいですか」と声をかけると、快く了承してくれたので、背中をゆっくりと撫でる。最初は緊張した面持ちだった彼(彼女?)の表情が弛緩したことに手応えを覚えたので、そのまま喉の下、そして頭へと掌をシフトさせていく。
 「この子、ウチの人以外にゃあんまり懐かないんだけどねぇ……」という言葉にそこはかとない満足感が湧き上がる。誰に勝った訳でも無い。何かを成し遂げた訳じゃ無い。こんな、なんでもない出来事で私の心は満たされていく。

 「きっと、心が優しかったからだろうねぇ。」

 とおばあさんが優しい言葉をかけてくれる。

 「いえ。……私も、もしかしたら私のことだけを考えて生きてきたのかもしれません。」
 「そうかい。でも、きっとおばばの言うことが正しいと思うさね。」
 「ふふ。ありがとうございます。そうだったら、嬉しいですね。」
 「ほらさ、その笑顔。テレビで見たときも別嬪さんだと思っちょったけど、本当に会うと、アイドルさんっちゅうのはほんとに綺麗だもんさ。……でもね、綺麗だけじゃないんさ。」


17: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:49:37 ID:UW0

 「悲しくても笑おうって。でも、きっとそれが楓ちゃんのしたいことだったんずら?」


18: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:49:49 ID:UW0

 目を数回見開きした後、また信号が変わった音がする。「ほら、おばばはもう行くから、楓ちゃんも行けし。ありがとうねぇ。ありがとうねぇ。」と握手を繰り返した後お婆さんとワンちゃんとは別方向に歩き出す。

 横断歩道を渡る足が軽い。少し大股で、跳ねるように渡っていく。
 口角が自然と上がってしまう。同時に、涙が流れてしまう。嬉しいのに、悲しくて。辛いけど、幸せで。
 ねぇ、プロデューサーさん。プロデューサーさん。褒められるのって嬉しいですね。わかってもらえるって、嬉しいですね。

 あなたの言っていたことが認められたみたいで、とても嬉しいんです。

 笑顔の力はすごいって、本当ですね。それが伝わるのって、幸せなんですね。


19: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:50:01 ID:UW0


 
 初冬の空が顔を出し、世界から音が消える。

 もしかしたらまた降り始めるかもしれないけど、降り出したら広げて、晴れたら閉じればいい。そんな簡単なことをとかく忘れがちになる。
 もしくは、分かっているはずなのに、というべきか。雨が止んでも、傘をさし続けてしまう。心に弾力がない時は、そういうことが起きてしまう。珍しいことじゃない。誰にだって、どこでだって、いつだって、そんなことはあり得るのだ。

 空を見上げ、月の巡りとともに弱くなる太陽に挨拶をしよう。
 迷った時にはこうやって、目を薄く開いて、小さく微笑って。傘をしまって、足を進めて。

 今日も笑顔で、あなたと一緒に伝えよう。


 平和の空は、青色。


20: 名無しさん@おーぷん 19/11/17(日)23:52:24 ID:UW0

以上です。
なかなか文章を書けていなかったのでまとまりに欠けている部分がありますが、でも頑張って書きました。満足です。
そういえばAmazonプライムにデレアニが来ましたね。また見返そうかな……


他には最近こんなものを書いていました(最近の3つです)。
これらも含め、過去作もよろしければぜひ。
よろしくお願いします。


【モバマスss】腹ペコシスターの今日の一品;肉じゃが

【モバマスss】城ヶ崎家(見守り隊)は大変なのです。【LiPPS】

【モバマスss】Ms.Moonlight【かこほた】


転載元:【モバマスss】雨色伝導【高垣楓】
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1574001717/

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