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トップページCo > 飛鳥「川辺にて」

2: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:41:03.82 ID:v1UJmOTK0

ふと傘を頭の上からどかしてみれば、曇天の星空が広がっていた。

いつの間にか雨は止んでいたらしい。夜空のように黒い傘をたたみ、一、二回振るって雨粒を落とし、L型の柄を握りこんだ。

つい一ヶ月前だろうか、休日に立ち寄ったアンティーク店で一目惚れして買ったものだ。

夜を貼り付けたかのような涅色の小間、柄の部分は漆だろうか、くすみがかったこげ茶色が光沢を放っていた。

傘にしてはいささか高い買い物だった上に、壊れやすいから使用目的での買い上げは遠慮した方がいいと店主に忠言されたのだが、買って以来使用したいという欲が抑えきれず、つい雨が降った今日、事務所まで持ってきてしまった。

壊れるからこそ美しい、とは誰の言葉だったか。

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3: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:41:53.73 ID:v1UJmOTK0

「ん……」

湿った夜風が思考を遮るように頬を撫ぜた。

心地よさと不快さとを併せ持つ矛盾した存在。

それは今のボクによく似ている。

アイドルとしての心地よさを感じている自分。

アイドルとしての不快さに触れた自分。


4: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:43:44.83 ID:v1UJmOTK0

不特定多数の誰かのために歌うこと、踊ることがこんなにも楽しいとは思わなかった。

そして、特定の誰かと通じ合う事が、こんなにも素晴らしいとは思わなかった。

美しい夢の裏側に、こんなにも薄汚い世界が広がっているとは思わなかった。

そして、完膚なきまでの敗北を知った自分が、こんなにも弱く脆いとも思わなかった。

そんな中でも、ボクはこうして今もアイドルをし続けている。

それが答えで、二宮飛鳥という存在なのだろう。


5: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:44:17.95 ID:v1UJmOTK0

「……今日の気分は、こっちかな」

そう言って緑と赤の遊歩道を分かつ白いセンターラインから、1歩、【進め】を指し示す道を踏んだ。

誰かに命令されるのは好きじゃない。けれど、示され、選ぶのは嫌いじゃない。

【彼】はそんなボクを理解し、道を示してくれるオトナだった。


6: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:45:50.07 ID:v1UJmOTK0

初めて出会ったあの日を忘れた事はない。

お気に入りのカフェでココアを飲みながら、バルコニーで理解しがたい小説を読んでいた休日。

まるで相席でもするかのように、ボクの前の席に座ってコーヒーだけを頼んで。

アイドルに興味はないか、もしよかったら話だけでも、とスーツ姿の彼は話しかけてきた。

アイドルというものに別段興味はなかった。

だから、さっさと立ち去るようにボクはいつもの調子で告げた。すると彼は困ったように頬を掻いて、


7: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:46:36.78 ID:v1UJmOTK0

「あーえー……わ、我、汝を知り、汝の力を借り、偶像の頂点へと……ええと」

最初はからかわれているのかと思った。そうやってボクをからかう人間は、今までに何度も見てきたから。

だが活字のセカイから目を離し、彼を見てそれは間違いだと気づいた。

ぽつり、ぽつりと不器用な言葉を紡ぎながら、彼は必死に黒いメモ帳のようなものをめくっていた。

その顔は真剣そのもので、馬鹿にした様子など微塵もない。

そこにあったのは、ただ【理解り合いたい】という純粋な願いだけだった。


8: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:47:53.57 ID:v1UJmOTK0

驚いた。

今までボクを本気で理解しようとしてくれる人はいなかった。

いや、もしかしたらいたのかもしれない。だけどその人達はみな、ボクと同じ目線に立って話すことはなかった。

だからボクも気に留めていなかったのだろうし、名前も覚えていないほどに忘却れてしまったのだろう。

だけど彼は、ボクと理解り合いたいと願い、そして拙いながらもボクと同じ目線に立とうとしている。

こんなオトナがいるのなら、世の中はまだ捨てたものじゃないな―――そう思い、ボクは読んでいた小説を閉じた。


9: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:48:59.56 ID:v1UJmOTK0

カツン。

追憶を中断するように、硬い音を鳴らして傘が緑に舗装された遊歩道を穿った。

ちょうど立ち止まった場所の目の前を、路傍に設置された街灯が丸く切り取るように照らしている。

それはさながらスポットライトのようで、ボク達がこれから目指す場所に他ならない。

「だけど……【それ】は、ここじゃない」


10: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:49:54.12 ID:v1UJmOTK0

【進め】。

示されるまま、ボクはスポットライトの中に立ち止まることなく、真っ直ぐ。ただ真っ直ぐに突っ切る。

ボクが望んでいるものはきっと、そのスポットライトよりも更に向こう側にあるのだろうから。

光の先は、闇が広がっていた。再び街灯のない、星明りだけがボクを照らす道を歩く。


11: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:50:46.56 ID:v1UJmOTK0

しばらく歩いていると、再び雨が降り出した。

だんだんと強くなる雨脚を、まるでボクを阻害するハードルのようだと思いつつも、夜に黒をさす。

そこでふと、彼はこの傘のような存在なのではないかと思考えた。

決して自己を主張せず、ただ、ボクに降りかかる雨だけを払う。

ボクはそんな彼が隣にいる事を心地よいと感じ、彼の期待に応えるべく示された道を進む。

支え、支えあう、win-winな関係―――なんて。


12: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:51:51.10 ID:v1UJmOTK0

「困ったな……気づけば彼の事ばかりだ」

せっかくの一人の夜なのに、隣にいない人間のことばかり考えてしまう。

どうもボクは、すっかり彼にアテられてしまったらしい。

不意に熱くなる頬に手をやると、ひときわ強い風が水面をざわざわと揺らした。


13: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:52:51.28 ID:v1UJmOTK0

ぼろく錆びついた無人のベンチに、そろそろだと一人ごちる。

ベンチのすぐ後ろ、川辺では有数の賃貸マンション。

此処に住んでいる。

静かに傘を閉じ、雨に打たれながら入口へと足を早める。

入口近くに止めてある車に目をやると、パンクしているようでタイヤはぺしゃんこに潰れていた。


14: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:53:42.38 ID:v1UJmOTK0

入口で眠りこけている管理人に挨拶をし、中へ。

目的の部屋は「102」。幸いにも雨で濡れた階段を使わずに済んでよかったと思う。

部屋の前に立ち、コートのポケットから取り出した、まだ真新しい銀の鍵でドアを解錠する。

ガチャリ、と錠の開く音を聞きながら、ボクはドアノブを捻った。


15: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:54:36.14 ID:v1UJmOTK0

「ただいま―――」



「飛鳥、頼むからいつ作ったのかもしれない合鍵で当然のように俺の部屋に帰ってくるのやめてくれないか?!」



終わり


16: ◆uCbLPg/WnY 2016/02/25(木) 17:55:25.73 ID:v1UJmOTK0

おまけ

「いいじゃないか。ここがキミの家か、ボクの家かなんて些細な問題だ」

「些細じゃねーよ重大な問題だよ……ほら、早く自分の家に帰れって」

「さて、まずは風呂を貸してくれないかい。雨で濡れて寒くてたまらないんだ」

「無視すんなよ。頼むから自分の家に帰ってくれよ。飛鳥だけじゃないけど、今月だけで何回鍵変えたと思ってんだよ」

「こんな雨の中、せっかく訪ねてきてくれた自分の担当アイドルを追い返すのかい?キミがそんなに器の小さい人だとは思わなかったよ」

「器の大きい小さいの問題じゃねーよ。しかも狙ったように一人じゃ家に帰しにくい時間に来やがって。車出してやるからほら、早く」

「ああ、キミの車はパンクしているみたいだったよ」

「この野郎」

「とにかく風呂と……着替えを貸してくれないかな。できればキミのYシャツがいい」

「言われると思って女性用のパジャマ買ってきたわ」

「ああ残念、それじゃあ少し胸の部分がきつそうだ」

「嘘を言うな嘘を」

「まぁとにかく」ポイッ

「ああああ!!パジャマを外に投げ捨てるなあああああ!!」

「今日はキミの家に泊まるしかないようだね。車も動かないみたいだし、この時間だとボクみたいな女の子が一人で帰ったら暴漢に襲われてしまうかもしれない」

「いつもは嫌がる癖にこういう時だけ女の子扱いしてもらおうとするのやめませんか」

「今日の夕飯は……カレーがいいな。それじゃあ」

「おい、おま、本当に泊まる気かよ!ただでさえ最近管理人さんに変な眼で見られ、あーもう!!!」





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