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トップページモバマス > 【モバマス】白雪千夜「半額弁当」【ベン・トー】

1: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:49:25 ID:0ZZT

モバマスとベン・トーのクロス
ベン・トー側の知識がなくても読めるように書いているつもりです
クラリスさんが出てきますが話の都合上、本名が出ずに”聖女”とだけ呼ばれたり色んな設定が捏造されています



2: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:52:13 ID:0ZZT

 私の主人、ちとせお嬢様が海外で一週間の長期ロケに向かう姿をお見送りしたのが月曜日の明朝。朝食は忙しさから食べられなかった、学校に持って行くお弁当も作る時間がなかった。まあ、お嬢様のいないランチなら学食で済ませるか、と考えていたのが二時間目の途中。

 一つ二つと授業が終わり、ようやく昼休みを告げるチャイムが響き弛緩した空気の流れる教室。学友と談笑をしながら食堂へ向かう。彼女たちとのそんな何気ない会話の中で浮かんだ五時間目の宿題の話題。

 結局私は昼休みを丸ごと使って、忘れていたその宿題をしなければならなかった。一緒に食事をとる予定だった学友が昼休みの終わり頃に「お疲れさま」とソイジョイを差し入れてくれたのが唯一の救いだ。

 それから午後の授業をソイジョイの低GI、つまり消化の悪さで乗り越えると放課後からはアイドルのレッスンの時間。学校からまっすぐプロダクションに向かえば少し時間に余裕があるのでプロダクションの食堂で軽めの食事を取れる、はずだった。

 しかしながらその希望は電車の遅延という形で儚くも破れ、結局駅からプロダクションまで走るはめになった。慌ててレッスンウェアに着替えてレッスンルームに飛び込むと、それと同時にトレーナーからの集合の号令がかかる。

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3: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:53:22 ID:0ZZT

 私を含めた数名のアイドルが並ぶ。その視線の先にいるのは青木麗さん。トレーナー姉妹の長女にして皆から恐れられる通称マスタートレーナー。これから始まるのは二週間後に初演を控えた舞台の稽古。

 激しいアクションを売りにしたこの公演は私の様な格闘技の経験者や運動神経に優れたアイドルが多数参加している。

 文字通り滝のようの汗を流し二時間のレッスンが終わった。暴走する脈と荒い息だけが部屋に響く。体を休めながらストレッチ、それからシャワールームへ。

 嗚呼、腹が減った。それも猛烈に。激しい運動で一時的に止まっていた消化器が我慢の限界だとばかりに唸り声をあげる。生乾きの汗でベトベトの体を洗い流しながら、夕飯の段取りを立てる。

 いつもなら急いで家に戻ってお嬢様のための夕飯を拵えるところだが、今日からしばらくお嬢様はご不在。この消耗した体で自分の分だけの料理をするのも億劫だ、外で食べて帰ろう。

 たまにならこういうのもいいだろう。近くで済ませるならプロダクションの食堂…… いやだめだ。この時間はもう閉まっている。

 誰かを誘ってファミレスにでも行こう、そう思いシャワールームを出ると、更衣室にはまだ一人だけアイドルが残っていた。左目を隠すように派手なデザインの眼帯を装着した彼女、早坂美玲。

 特別仲がいい関係でもないが、これまでなんどもレッスンを共にしたことがある、食事に誘うぐらい大丈夫だろう。


4: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:53:49 ID:0ZZT

「あの、美玲さん。この後ご予定などありますか? よければ食事でも如何でしょう」

「ん……? チヨからの誘いなんて珍しいな。でもウチ、これからちょっと用事があって…… 誘ってくれるのは嬉しいからまた今度な、絶対だぞ!」

 そう言って美玲さんは急ぐように帰って行った。

 さて、どうしましょう。流石に一人で外食するのは抵抗がある。仕方ない、帰りにスーパーでお惣菜でも買って帰ろう。ここからならプロダクションと駅の間にあるスーパー"ホーキーマート"が近い。

 屋外に出ると冷たい風が吹き付ける。マフラーをきつく締め直し、寒さに急かされるように目的地へと向かう。


5: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:55:07 ID:0ZZT

 駅近のスーパーにありがちな最低限の駐車スペースと広めに取られた自転車置き場で構成された駐車場を抜けて店内へ。自動ドアが開くと共に暖かい空気と賑やかな雰囲気が私を包み込む。

 プロダクションからここまで数分の距離だが、冬の寒さはその短時間で体の熱を奪い取ってしまう。そんな冷え切った体をじんわりを温めるように計算された空調。

 空調もただ暖かくすればいいというものではない、ここスーパーマーケットは飲食店などとは違い、店内に入ってもアウターを脱ぐことはないのだ。必然的にアウターを加味した調整を求められる。

 入った瞬間アウターを脱いでしまいたくなるほどにガンガンに暖房を効かせた店など論外だ。

 暖かい空気に心を奪われて、ついいつものようにカートを手に取りそうになる。カートの取手に手をかけたところで、今日は惣菜を買うだけだと思い出して手を引いて、カゴだけを右手に持ってフロアへ。

 野菜売り場、お肉売り場、海鮮売り場といつもはじっくりと吟味しながら歩くエリアを今日は通り過ぎて、お弁当と惣菜のエリア。

 ちょうどスタッフの方が弁当の置いてある島の整理をしていた。まばらに散らばった弁当を並び替えて、手に取りやすいように並べ替える。

 それからポケットから取り出したシールをペタペタとパッケージの上に貼り付け、バックヤードの方へと戻っていった。

 貼られている黄色いシールには赤字で"半額"と書かれている。ちょうどいい、私一人の食事なんて安いぐらいでいいのだ。

 目の前に並ぶ弁当は四つ。焼肉弁当、唐揚げ弁当。それに麻婆豆腐弁当が二つ。しばし悩んで焼肉弁当にすることにした。今は体がカ口リーを求めている。


6: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:56:11 ID:0ZZT


 どこか遠くの方から、扉が閉まる音が聞こえた。弁当に手を伸ばす。

 その瞬間に感じた殺気。

 こんなのどかなスーパーで感じることなどまずない、強烈な。

 ほとんど反射的に左へ横っ飛び。ついさっきまで私の体があった場所に差し込まれる掌底打ち。自分の腕より何倍も太い男の腕が、確実に私を狙って放たれている。

 だがなんとか直撃は避けた。しかし猛烈な速度を持って放たれた掌底は緊急回避をした私の体をそれでも吹き飛ばす。

「豚は、潰せ!!」

 男が吠える。鈍い痛みと共に感じる浮遊感。ひどく長く感じる対空時間。ようやく着地した先はお惣菜エリア。着地の衝撃に膝をつく。

 ありえない。弁当エリアからここまでゆうに五メートルはある。いくら私の飛んだ方向と男の放った掌底のベクトルが同じだとしてもここまで吹き飛ばされることなどありえない。
 それに男の掌底は私に直撃すらしていない、普通掌底は腕を伸ばしきるその途中で当てるものだ。腕伸びきってから当ててもさほど効果はない。ではそれをやってのけたあの男はどれほどの怪力なのか。


7: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:57:04 ID:0ZZT


 まあ起きた現象などどうでもいい、なぜ私が狙われたのかが重要だ。ただ単なる厄介なファンならまあいい。警察に突き出せば終わりだ。しかしあの賊の狙いがお嬢様だったら。

 掌底男の顔を確認しようと、弁当エリアの方へ視線を向ける。

 たった一瞬目を離している間に、弁当エリアには無数の人間がひしめき合っていた。

 そしてその全員が拳を交えている。

 一体何が起きているのだ。ついさっきまであそこにいたのは私だけだったはずだ。
 掌底男も含め周りにこんなに大勢の人間がいた気配なんてなかった。そしてなぜ目の前で争いが繰り広げられているのか。

 人ごみのせいで認識しづらいが掌底男はその中にいた、坊主頭で細い目をした男だ。そいつは今弁当の真ん前で、顎髭を生やした長髪の男と取っ組み合っている。

 お互いに蹴り、殴りの応酬を繰り返したかと思えば、突然協力するように周りにいる同じく闘争を演じる者を撃破、そして何事もなかったかのように戦いを再開する。

 そしてそれ以上に解せないのが、ここのいる者の身体能力。奴らの放つ攻撃の一発一発が空気を揺らし、肉を打つ鈍い音がここまで響いてくる。

 なにもあの中にいるのは男だけではない。数は少ないが女性もいる。だが彼女たちも男性に負けず劣らずのパワーで応戦する。


8: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:57:44 ID:0ZZT


 呆気にとられたように眺めていたその闘争のなかに、見知った顔がいることに気づいたのは少し時間が経ってからだった。

 数人がダウンし乱戦から離れたところでノビている、それでも闘争は続いている。少しだけ密度の薄くなった人ごみの中から一人の少女が外に飛び出した。

 早坂美玲。左目に眼帯を着けたあの少女。周りにいる大男たちのせいで彼女は隠れてしまっていたようだ。人ごみの中から飛び出してきた彼女は少し離れた位置で乱戦を観戦している。

 そのときまた一人乱戦から抜け出した者がいた、いや弾き飛ばされたと言った方がいい。白パーカーの男が坊主頭の男の攻撃で乱戦から弾き飛ばされたのだ。

 白パーカー男が今度は美玲に狙いを着けた。右手を振りかぶりながら彼女に向かって突撃、一般人にはありえないような爆発的な加速で。

 美玲に放たれる渾身の力を込めた右ストレート。あんな一撃、小さな美玲が食らってはひとたまりもないだろう。しかし攻撃が当たる直前に彼女は視界から消えた。


9: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:58:31 ID:0ZZT


「こっちだ!」

 彼女の溌剌とした声が響く。別に彼女は瞬間移動をしたわけではない、ただしゃがんだだけ。

 全力を込めた攻撃を避けれられてバランスを崩す白パーカー、そこにしゃがんだ美玲の足払いがヒット。白パーカーの体が中に浮く。

 それを追うように、美玲の体が跳ねる。縮こまった状態から体のバネを使った跳躍。

 白パーカーと美玲が空中で並ぶ。

 空中でもう一度体を縮こませる美玲。そして体のバネを最大限に使ったドロップキックが白パーカーの腹に突き刺さる。

 空中という堪えようのない場所でそれを食らった白パーカーは、カンフー映画のように派手に吹き飛んだ。吹き飛ばされた先は乱戦、その中央。

 美玲の放ったその砲弾で、弁当前の乱戦は真っ二つに割れた。割れて出来た道を駆ける美玲。

 そして弁当を手にした。

 再び形成されつつある乱戦の中を悠々と闊歩する彼女、不思議と誰も彼女のことを狙わない。

「おい、チヨ! 大丈夫か!?」

 弁当を片手に持った美玲がこちらへ近づいてきて話しかけてくる。

「……はい、怪我はないです。ですが、ここで何が起きているか聞いてもいいでしょうか?」

「ああ、それはウチに任せろ! でもご飯食べながらでもいいか?」


10: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)07:59:52 ID:0ZZT


 あの後美玲の勧めで半額になっていた天ぷらとオニギリ、そしてどん兵衛のうどんを買ってスーパーから出た。

 近くの公園。東屋のベンチに座って美玲の二人の夕食。

「美玲さん。早速ですが先程の暴動について教えてはいただけませんか?」

「暴動って…… まあ先にご飯食べないか?」

 私の右側に座る美玲が手に持っていたスーパーの袋から弁当を取り出す。蓋の隙間から漏れ出す湯気。蓋にくっついている無数の水滴。

 レジを抜けた先に置いてあった電子レンジでよく加熱されたのがよくわかる。

 冬空の下、それがとても暖かそうでつい目で追ってしまう。ほのかに香るスパイスが鼻腔をくすぐる。

「麻婆豆腐弁当、おいしそうですね」

 聞きたいことは山ほどあるのに、頭の中は美玲の弁当で上書きされてしまっている。

「ああ”地獄の特訓でもこれを食べた以上の汗はでない、地獄の麻婆豆腐弁当”か? これは本当にうまいぞ! とんでもなく辛いその先に無限の旨味があるんだ!」

 そう言いながら美玲が透明なプラスチックの蓋をパカっと開ける。

 ”そんな馬鹿げた名前”と口に出そうになったが、蓋という檻に閉じ込められていた香辛料の香りの爆発に意識を奪われる。

 香りだけでもわかるその麻婆に込められた麻─唐辛子の辛さ─、辣─花椒の痺れ─。自然と口の中に唾液が溢れ、胃が鳴く。

 美玲はそんなのお構いなしに、テーブルの上に置いた弁当に“いただきます”と手を合わせ乳白色のプラスチックスプーンを麻婆豆腐に突っ込んでスプーンいっぱいに持ち上げる。
 優しい色合いのスプーンと対比するように地獄のような赤黒さの麻婆豆腐。持ち上げられたことでその片栗粉由来のトロミに包まれた獰猛な熱量が大量の湯気を産んでいる。


11: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:01:11 ID:0ZZT


 見るからの危険物に美玲は数回吐息を吹きかけただけでパクりと口に含んでしまう。当たり前のように美玲は口の中の膨大な熱量に苦しんでいる。

 咄嗟に手渡した水を美玲は手で制しながら、口の中の熱を逃そうとハフハフと息をすると、真っ白な息になって空に溶ける。
 なんどかそうしているうちに口の中が落ち着いてきたのか美玲はゆっくりと咀嚼を始める。

 今度はその辛さに美玲の身体は打ちひしがれている。両の目は深く瞑られて、その目尻からは涙が溢れている。右手に握り締められたスプーンは今にも折れてしまいそうなほど。

 なのに口は絶えず咀嚼を続けていて、ついにごくりと口の中の麻婆豆腐を飲み込むと今度は猛烈な勢いで白米を掻っ込んでいる。

「ふう、あれ。チヨも食べないと伸びちゃうぞ、どん兵衛」

 額に浮かんだ汗を拭っている美玲に言われて、自分の晩餐を思い出した。他人が食べている様をじろじろと見るなんてとんだマナー違反だ。

 手元に置いたどん兵衛はスーパーでお湯を入れてから7分ほど経過している。

 少し柔らかめが好きな私にとって最高のタイミング。保温と重しを兼ねていたオニギリを除けて、半分まで開いている蓋をぺりぺりと剥がして全て開ける。

 スープと七味を入れてよくかき混ぜると、湯気と一緒にカツオ出汁のいい香りが溢れる。”いただきます”と手を合わせて、さっそく一口。まずは出汁から。

 普段の生活では塩分過多になりがちなカップ麺も、レッスンの後には丁度良い。体が欲しているのがよくわかる。寒空の下で冷えた体を暖かい出汁が温める。

 続いて麺、普通のうどんとは全く違う平たい麺。なのになぜか親しみのあるその麺を割り箸で掴み、ズルズルと啜る。すこし柔らかくなってモチモチとした食感の麺を咀嚼して、最後に出汁を口に含み飲み込む。


12: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:02:46 ID:0ZZT


 今度は惣菜コーナーで買った竹輪の天ぷらを出汁に浸してかぶりつく。出汁を吸って柔らかくなった衣の向こうにプリッとした竹輪の弾力のある噛みごたえ。

 ひとくち分だけ噛み切った竹輪の残りは出汁に沈めて、またスープ、麺、竹輪とバランスよく食べ進める。お揚げは最後に残して。

 久しぶりに食べたどん兵衛はこんなに美味しいのに、しかしそれ以上に美玲が気になって仕方がない。

 大粒の汗を額に浮かべながらコミカルな動きと共に弁当を喰らう姿もそうだが、その極悪な色をした麻婆豆腐に私の心は奪われている。

「そんなに見つめるなよ…… 仕方がないから一口だけだぞ!」

 美玲が気持ち少なめに麻婆豆腐をスプーンで掬って私の口の前に差し出している。すこしマナーは悪いが、私の心は目の前で湯気を上げる麻婆豆腐に奪われている。

 数回息を吹きかけて、思い切って麻婆豆腐を口の中へ。

 予想以上の熱に口の中をやられながらも咀嚼をすると、途方もない辛さと痺れに顔に汗が噴き出す。しかしその奥に存在する確かなひき肉の旨味。

 米、米が欲しい。麻婆豆腐を飲み込んだのと同時に舌が米を求める。最後に食べようと置いていたオニギリを少々乱暴にパッケージを破り、その綺麗な三角形にかぶりつく。

 口の中に残った辛味と痺れと旨味と脂が白米と合わさり途方もない満足感が生まれる。本来の中華料理には存在しない、日本人の好みに合わせて作られた中華の特権。

「この麻婆豆腐、すごく美味しいですね。辛さの果てにある旨味。美玲さんの仰る通りでした」

 口の中の米を飲み込み一息つくと、口の中に残る辛さと痺れ。そしてさっぱりとしたショウガの香りが次の一口を求める。しかし、もう一口頂くのは気が引けるのでどん兵衛を啜って気を紛らせる。

「だろ? お返しはそのたっぷりと出汁を吸った竹輪の天ぷらでいいぞ!」


13: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:05:03 ID:0ZZT


 ニヤニヤと笑う美玲の口元に箸で掴んだ竹輪を持ち上げると、その小さな口を大きく開け予想以上に竹輪を食べられてしまう。

 ひとくちサイズになってしまった竹輪の天ぷらは片方がギザギザになっているように見えるのは気のせいか。

 そのあとは二人とも黙々と食事を続ける。お互い腹が減っていたのだ。私のどん兵衛は麺と竹輪がなくなり、出汁をたっぷり含んだお揚げも平げ、残ったオニギリを出汁で流し込む。

 美玲の方はメインの麻婆豆腐を平げながら、途中箸休めの甘く味付けされた煮物─山イモ、レンコン、こんにゃく、にんじん、さやえんどう─も拐い、最後に残ったひとくちサイズのゴマ団子を嬉しそうに食べていた。

 あの辛さの後の餡子の甘さは格別だろう。

「ごちそうさまでした」

 二人の声が重なった。美玲は続けて”ウマかった!”と言いながら体を伸ばしている。

「そろそろ教えていただいてもよろしいでしょうか、スーパーでの出来事を」

「そういえばそうだったな。でも、なにから説明すればいいんだ?」


14: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:06:14 ID:0ZZT


 美玲曰く、あれは争奪戦と呼ばれるらしい。奪い合っているのは勿論半額弁当。信じられないような話だが、あの麻婆豆腐弁当を食べた今なら多少だがわかる気がする。それだけの旨さがあれにはあった。

 そして争いに参加する彼、彼女らのことを狼と呼ぶそうだ。狼たちは弁当への食欲を腹の虫の加護、つまり空腹より生まれる火事場の馬鹿力に変えることであの人間離れした戦いを繰り広げるのだという。

 そしてルールは一つだけ。”誇りを賭けること”、正々堂々とした戦いの果てに弁当を手に入れることで狼に、半額弁当に群がる浅ましいブタではなく誇り高い狼となる。

「まあ、ルールは一つだけって言っても、暗黙のルールはいくつかあるけどな」

「弁当を手に入れた者には手を出さない、などでしょうか」

「チヨはよく見えてるな、その通りだ! あと代表的なヤツだと半額神、えっと半額シールを貼る店員のことなんだけど、そいつがシールを貼り終えてバックヤードに戻ったその扉が閉まる瞬間までは手出し無用なんだ」

「確かに、扉の音とほぼ同時に掌底が飛んできていたな」

「アレも聞こえていたんだな。チヨには狼の素質があるかもしれないぞ!」

「……だとしても無用の長物ですね。私はこれから、あの時間帯に弁当コーナーには近づきませんので」

「そうなのか? あんなに旨そうに麻婆豆腐食べてたのにか?」


15: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:07:06 ID:0ZZT


「確かに美味しかったですが、今日は色々な条件が重なっていただけです。普段なら自分の食べるものぐらい自分で作りますので」

「そっか、それは残念だな。自分で勝ち取った”勝利の一味”の乗った弁当は、人からひとくち貰ったのとは比べ物にならないぐらいウマイのに」

 あれ以上にウマイ。その言葉につい想像が働く。空腹の体でやってきたスーパー、弁当への気持ちを腹に並いる敵を吹き飛ばし。そして闘いで疲弊した体でようやく掴み取った半額弁当。
 はやる気持ちを抑えながら美玲とこの公園までやってきて、そして──。

 無意識に口内に溢れる唾液を飲み込んで言葉を返す。

「私はお嬢様の僕です。私の身勝手で体を壊せばお嬢様に顔向けができません」

「うーん、腹の虫の加護を受けているときは身体能力が高まるから、後に残るような怪我はそうそうしないけどなぁ。それにオジョウサマ、チトセだっけ? チトセも暫くロケで家にいないんだろ? 一人ぼっちのごはんは美味しくないぞ!」

 咄嗟に浮かんだのは、いつもお嬢様がと一緒に食事を取る卓で一人で座っている自分の姿。

「……それもそうですね。じゃあ、明日もよろしくお願いします。美玲さん」

「へへっ、そのときはウチのこと”眼帯”って呼べよ。ウチの二つ名だ!」


16: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:08:40 ID:0ZZT

■ ■ ■

 木曜日の晩。私はいつもの公園でどん兵衛の蕎麦を啜っていた。

 隣には同じようにどん兵衛のうどんを啜る美玲の姿。その間には大きめのパックに詰められたお得用の売れ残った天ぷらの詰め合わせ。

 美玲は事の始まりの月曜日から昨日まで連続で弁当を奪取していたが、今日は久しぶりの黒星。私はあの日から四回連続のカップ麺。

 火曜日のデビュー戦はまあ仕方がない。まだ腹の虫の加護の引き出し方もわからず、乱戦に入り込めないまま弁当の数は減っていき、ようやく空腹の限界と共に戦いに参加したときには弁当は無くなってしまった。

 水曜日。今度は最初から腹の虫の加護を引き出して戦いに着いていくことはできた。しかし半額引証時刻─ハーフプライスラベリングタイム─に残っていた弁当が二個と少なく、一つは乱戦をうまく抜け出した少女に。残る一つも美玲に奪われてしまう。

 そして今日、木曜日。半額引証時刻に残っていた弁当は六個と多かった。しかしイレギュラーも多かった。一つは美玲以外の二つ名持ちの登場、財前時子いや”女王─クイーン─”。

 普段は他のスーパーを縄張りとする彼女は、対抗心を燃やす地元の狼たちを次々と薙ぎ倒し最速で弁当を奪って行った。鞭のようにしなるその腕から放たれる鞭打でダメージではなく痛みで狼たちを屈服させる。

 弁当の前を塞いでいた鞭打の効きの悪い分厚い脂肪に包まれた巨漢には、その大きな腹に彼女の十センチはあるヒールが食い込むほどの前蹴りを極めて一発KO。

 女王が弁当を取った後、即座に乱戦が再度形成された弁当コーナーに響く大きな声。

「大猪─タンク─ッ!!!」


17: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:09:29 ID:0ZZT


 乱戦のどこからか聞こえたその咆哮を聞いた瞬間に私と美玲を含む乱戦の人混みが纏めて吹き飛ばされた。無理やりカチ上げられた目線の先には小柄ゆえに高く吹き飛ばされた美玲が天井に着地する姿。

 私は地面に不格好に着地をして、大きなダメージから体が動くようになって弁当コーナーを見たときにはすべての弁当が根こそぎなくなっていた。他の狼たちも同じような状況のようだ。

 そのあとはいつの間にか美玲が手にしていたお徳用の天ぷらの詰め合わせと、それぞれのカップ麺を購入してスーパーを後にした。

「さっきのはなんだったのですか? 新手の二つ名持ちでしょうか」

 公園に響く、ずるずると麺を啜る音と話し声。

「アレは、アラシだ。しかもタチの悪い大猪─タンク─」

 アラシは誇りを持たないブタのこと。一人で一つ以上の弁当を掻っ攫ったり、徒党を組んで組織的に弁当を奪取するヤツらのこと。では牙をもつブタ、大猪とは。

「狼でも対処が難しいブタが大猪。まあ言ってしまえば買い物カートを押している主婦なんだけどな」

「狼ではない者にあのパワーが? 確かに腹の虫の加護ではない異質なチカラを感じましたが……」

「家計、つまりは家族を守る力って言えば納得するか? ああやって大量の弁当や惣菜を狩ってその日の晩ご飯や、冷凍して翌日以降に保存するんだ」

「恐るべき力ですね。対抗する方法はないのですか?」

「進路に立って邪魔するか、力づくで止めるか、いくつかあるけど。妨害もそう長くは持たないし、妨害に参加してる奴は弁当を取れないからな。みんなやりたがらないからなぁ。天災だと諦めて女王みたいに速攻するのが一番だな」


18: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:10:05 ID:0ZZT


「しかし、二つ名持ちはあんなにも強いのですね、あの巨漢も素人ではないのに、それを一撃の元で下すなんて」

「ああ、アレは胃を狙っていたからな。腹の虫の加護を強制的に解除させてるんだ」

 話し込みながらいつの間にか美玲のカップ麺と天ぷらはなくなっていた。というか美玲のやつ竹輪天とか、たまご天とか、いいやつばっかり先に取ってやがる。お陰で私はカボチャとか玉ねぎとか、野菜ばっかりだ。まあいいけど。

「それじゃあチヨ、また明日な! 今度こそ弁当取れよ!」

 そうだ、明日でこんな馬鹿げた毎日も最後。明後日の昼にはお嬢様が屋敷に帰ってくるのだから。


19: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:11:16 ID:0ZZT

■ ■ ■

 金曜日、私はレッスンが同じだった美玲とスーパーに。入り口の自動ドアを潜ると暖かい空気と喧騒が私たちを迎え入れてくれる。居心地の良い雰囲気、楽しげなBGM、尽きることのない人の流れ。

 狼の中にはスーパーを救世主─メシア─と呼ぶ者もいると聞くが、あながち間違いでもないなと素直に思う。

「チヨ、今日はウチの側を離れるなよ」

 しかし同時に自動ドアを潜った美玲、いや”眼帯”の二つ名を持つ狼はその中に違う空気を感じ取ったようだ。険しい目つきで私に忠告する。

「最近は来ていないとおもっていたが、また来やがったか……」

 私に聞かせるでもない美玲の独り言には不安と同じぐらいワクワクが込められているように感じた。

 美玲の隣を歩き、入口から最短ルートでカベに配置されている弁当コーナーへ。歩みを止めずに通り過ぎ、近くにある菓子の島に入り歩みを止める。

 キャラメルポップコーンを凝視する美玲と同じように、隣に立ち小池屋のポテトチップを見つめ、目を合わせないまま会話が始まる。

「鳥の唐揚げ弁当、野菜炒め弁当、ハンバーグ弁当の三つでした」

「正解だ。弁当コーナーの前を陣取ってじろじろ見るのなんてブタのすることだからな」

 狼の世界では一目で弁当コーナーの配置を見抜けないと素人扱いされるそうだ。

「まあ正確には”三つの味が競い合って生まれる最高のハーモニー 鳥ニティフィールド弁当”と”野菜炒めは汁物料理だとここに宣言する 野菜炒め弁当”と”ハンバーグ弁当”だけどな」

 二つ名持ちともなると、この暑苦しい名前から値段、それぞれの弁当の付け合わせのおかず、さらには今日の弁当コーナーの担当までわかるのだという。


20: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:14:24 ID:0ZZT


「ハンバーグ弁当だけ、やけにあっさりとした名前ですね」

 この言葉が出るあたり私もだいぶ毒されているのだろう。

「飾り立てる言葉すらいらないって半額心の自信の現れだ。今日は荒れるな……」

「入口で言っていた”側を離れるな”というのは、このことですか?」

「いや、流石に入ったときから弁当の内容まではわからないけどさ。あっちの島にいるレトルトのお味噌汁凝視している女、見えるか? 買い物カゴを持っているやつ」

 私たと弁当コーナーから遠いところにいる女性。よく映える金髪は染めた物ではないことがその顔立ちからわかる。和かに閉じられた目と清楚な服装から柔らかな雰囲気を醸し出している。

「はい、見えます。あの方も狼なのですか?」

「いや、アレは狼じゃない。アラシだ」

 アラシ、誇りを持たずに争奪戦に参加する者。誠実そうに伸びた背筋はアラシだとにわかに信じがたい。それどころかあんな物柔らかそうな女性が争奪戦に参加するのだろうか。

「見た目に騙されるなよ。あいつは強い」

 金髪の女性、狼の中では”聖女─シスター─”と呼ばれているらしい。特定のアラシに二つ名がつくのは珍しいそうだ。なぜなら普通のアラシは徹底的に狼達から叩かれ名前が定着する前にスーパーから消えるから。

「あいつはな、狼たち全員の攻撃を凌いで全員を倒してから、すべての弁当を狩り尽くす。そんな弁当を掻っ攫う以外は狼と同じ戦い方をするヘンなアラシだ。手に持った買い物カゴは”全部弁当を持って帰る”って意思表明だって言われてる」


21: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:15:11 ID:0ZZT


 話していると半額神がやってきた。乱れた弁当を配置し直し、そして半額シールをエプロンのポケットから取り出す。唐揚げ弁当、野菜炒め弁当とシールを貼り、しかしハンバーグ弁当の上で手が止まる。隣にいる美玲が小さく歓声をあげたのが聞こえる。

 半額神は手にしている半額シールをポケットにしまい、新たなシールを取り出す。遠目からではよく見えないが、半額シールよりもひと回り大きく、シックで高級感のある色合い。そんなシールをハンバーグ弁当に貼った。

「やっぱり月桂冠か。チヨ、今まではウチらの狙いは被らないようにしてたけど、ウチはハンバーグ弁当を取る。そしてチヨもハンバーグを狙え」

「……わかりました。あの月桂冠というシールにはそれだけの価値があるのですね」

「ああ、まず半額引証時刻まで売れ残らないような半額神の気合の入った一品だ。あれを取った狼はその日の絶対的な勝者だ」

 美玲と話しながらも、他の島に潜んでいる狼達の肌を燃やすような闘志を感じる。月桂冠に最強のアラシ。今日の争奪戦の行く末など誰にもわからないのだろう。だからこそ私にもチャンスがある。

 今一度、先ほど見たハンバーグ弁当を思い出し、腹の虫の加護を引き出す。

 そしてこのワクワクする状況を胸に闘争心を引き出す。

 コンディションは十全。

 バックヤードが開き、半額神がフロアに一礼をして扉が閉まる。その動きがスローモーションのように私の目に写る。扉の閉まる音がまるで耳のすぐ側で鳴ったかのように鮮明に聞こえる。始まりを告げるゴングの音か。終わりを告げる終末の笛か。


22: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:17:47 ID:0ZZT

 始めに弁当コーナーに飛び出したのは坊主と顎髭の二人の男。私たちの一つ隣の島のかなり際どい位置に陣取っていた彼らは、争う様子もなく最短距離で弁当へと駆ける。

 聖女の立ち位置が遠いのを見て速攻を仕掛けてきたのだろう。しかし、それを許すほど狼達は甘くはない。

 少々の距離の差なんてものともせずに、美玲は坊主顎髭のコンビを後ろから追い駆ける。強力な腹の虫の加護で強化された爆発的な加速で走る二人に追いつき、その勢いのままスライディングで二人の足元を狙う。

 絶妙なタイミング。美玲の加速力ならもう一瞬早く攻撃に移ることもできただろうが、そうはせずに一瞬のディレイ。坊主と顎髭が弁当コーナーに近づくそのギリギリを狙ったタイミング。

 そのせいで二人がハードル走のように走りながら美玲のスライディングを飛び越えると弁当コーナーに突っ込むことになる。だから二人は急ブレーキをかけバックステップ気味に美玲の攻撃を飛び越えるしかなくなる。

 対する美玲は駆け抜けた勢いをスライディングで殺し、残ったエネルギーをスライディングから立ち上がる勢いに変え、見事に弁当コーナーの中央に陣取る。そして月桂冠に手を伸ばすがそうはさせない。

 私は初速こそ美玲の加速に置いて行かれたが、美玲の勢いがスラディングで落ちたことでなんとか追いついた。その勢いを殺さずに、私に背を向け弁当に手を伸ばそうとしている美玲に全力の拳を叩き込む。

 しかし美玲は後ろにも目が付いているかの様に私の攻撃を察知し咄嗟に振り返る。その回転動作に裏拳を合わせながら。

 二つの拳が空中でぶつかる。私の助走を込めた右拳と美玲の遠心力を乗せた右の裏拳が相殺しあい、お互いの拳が止まる。急激なエネルギー転換の反動で私の腕に電気が流れたような痺れが生まれる。


23: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:18:57 ID:0ZZT


「やるな、チヨ!」

 その軽口を無視して次の一撃。美玲の方へもう一歩踏み込んで左の拳をフック気味に美玲の側頭部へと打ち込む。まだ此方を向ききってはいない美玲、この攻撃は視界の外からの一撃。しかし拳は空を切る。当たる直前に美玲が消えた。

「こっちだ!」

 下から美玲の声。咄嗟に声のする方を向くと、しゃがみこんだ美玲が私の足元に。美玲の掌底が私の腹に迫る。腕を伸ばす力に立ち上がる脚の力を乗せた美玲の全力。

 咄嗟に下げた右手のガードがどうにか腹への直撃を防ぐが、下から突き上げられる強力な力で私の足は地面を離れ後方へと吹き飛ばされる。

 弁当コーナーから弾き飛ばされるように吹き飛ばされた私は、美玲に向かってきていた狼たちを数人巻き込みながら着地する。

 巻き込んだ狼を踏みつけながら立ち上がると、最も弁当に近い美玲を中心に既に乱戦が形成されていて迂闊に手が出せない状況だ。同じように乱戦に飛び込めないでいる坊主顎髭のコンビと顔を見合わせる。

 開始からたった数秒で美玲は高度なやりとりと圧倒的な力を見せつけ、そして乱戦の中で七面六臂の活躍を見せている。

 しかし、数秒もあれば奴がやってくるには十分な時間。

 坊主のすぐ後ろに聖女がゆっくりと歩いてくる。左腕に買い物カゴを下げ、まるで普段の買い物をするような足取りで。

「危ない!」

 私の声で聖女の接近に気がついた二人が、聖女の方へと振り向きファイティングポーズ。対する聖女は歩みを止めるが構えは取らない。

 仕掛けていいものかと坊主と顎髭は逡巡するが、坊主が雄叫びを上げながら振りかぶった正拳突きを皮切りに三人の、いや二人と一人のバトルが始まる。


24: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:20:04 ID:0ZZT


 坊主の太い腕から、拳が聖女の顔面へと放たれる。彼女の首よりも太い坊主の拳。しかしその拳は聖女の元には届かない。聖女は僅かに身体を翻して完全に見切っていた。

 私は此処から見ているからそれに気付けるが、拳を放った坊主本人には拳が聖女を擦り抜けたと錯覚するほどの見事な身体捌き。

 私と同じように呆気にとられていた顎髭が彼女の動きを警戒するように小刻みなジャブのコンビネーションを仕掛けるが、これもすべて聖女には届かない。

 しかしその隙に大振りの攻撃を避けられてバランスを崩していた坊主が立ち直り、顎髭とやりやっている聖女のその後ろから攻撃を仕掛ける。しかし間違いなく直撃すると思った奇襲も聖女にはわかっていたかのように当たらない。

 二人はそれでも幾度となく攻撃を仕掛け続けるが、その一撃ですら聖女には届かない。聖女の動きは回避一辺倒、時々攻撃を逸らすようにカゴで塞がっていない右手を動かす程度。聖女の体は最初の立ち位置から全く動いていない。

 涼しい顔で回避を続ける聖女に対して坊主顎髭のコンビの攻撃はどんどんと精細さ抜け、疲れが見え始めている。

 私はそんな聖女の動きに見惚れてしまっていた。

 何度仕掛けても当たらないことに業を煮やした坊主が、その巨体でタックルを仕掛ける。足を狙う相手を転ばせるものではなく、ただ自身の身体の重量を相手にぶつけるだけの体当たり。

 そのとき初めて聖女が動いた。身体を坊主に対して半身にし、横に半歩動くだけで坊主の体当たりは空を切り聖女には当たらない。そして攻撃が外れバランスを崩した坊主の身体を聖女が片手で軽く押す。ただそれだけで坊主の身体はその向きを変え、真っ直ぐに顎髭の元へ。

 坊主の体当たりがクリーンヒットし、顎髭は崩れ落ちる。そして坊主に生まれる精神的動揺。一瞬坊主の意識から聖女が抜ける。そしてその隙を聖女は見逃さなかった。


25: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:20:33 ID:0ZZT


 聖女の足払いが坊主の身体を浮かせる。大きな前動作はないように見えたが、その衝撃で坊主の身体は宙に投げられ体と地面が平衡になる程の威力。

 そして叩き込まれる聖女の一撃、後ろ回し蹴り。打ち終えた後のフォームが頭から爪先まで一直線に並んだ美しいフォーム。それを空中で食らった坊主は砲弾のように吹き飛ばされる。その着弾点は弁当コーナー前の乱戦、そのど真ん中。

 弁当コーナー前の狼達は坊主の巨体に押しつぶされて身動きが取れない。そこへ悠々と聖女が歩みを進める。しかし弁当は取らない。

 それどころか弁当コーナーに背を向けて他の狼が立ち上がるのを待っている。

 ああ、これから始まるのが美玲の言っていた聖女の戦い方なのだろう。敢えて戦いの最も激しい場所に身を置き、全員を相手取り、そして全員が諦め立ち上がらなくなるまで無尽に敗北を突きつける。

 しかし、狼達もこんなことをされて黙ってはいられない。弁当を奪取できる状況でそれを無視するなど、狼にとって挑発以外の何ものでもない。


26: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:21:08 ID:0ZZT


 最初に立ち上がったのは美玲だった。

 足元で狼たちが?いている中、聖女と美玲が二メートルほどの距離を挟んで相対する。背を丸め握り拳を顎の前に置くボクシングのような構えをとる美玲とは対照的に、聖女は明確な構えを取らない。

 美玲がその場で数回軽く跳ねて身体を脱力させると、滑るようなステップで聖女との距離を一瞬で詰める。その勢いを殺さずに美玲は聖女の顎に向かってジャブを放つ。初めて聖女が攻撃を受け止める。

 美玲のジャブは聖女が咄嗟に前へと出した右手の掌に当たり、パチンと小気味のいい音を響かせる。美玲がニヤリと笑い、続けて同じく左のジャブを何度も繰り返す。微妙に狙いのブレた連撃を聖女は全て右手だけで受け止める。

 しかし美玲はなぜ左手での攻撃を続けるのか、聖女が片手に買い物カゴを下げているのに合わせているのだろうか。いや美玲はそんなつまらないことをする狼ではない。相手が誰であれ正々堂々と全力を尽くして狩る狼だ。だとすれば何故。

 そうしているうちに弁当コーナーの前で倒れていた狼の一人、茶髪の胸部のふくよかな狼が立ち上がり、美玲が仕掛けるのとは逆側から聖女に攻撃を仕掛ける。

 美玲との戦いに集中してる聖女はそれに気付いていない。完全に聖女の意識の外から放たれた一撃は、しかしそれでも聖女に届かない。


27: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:22:29 ID:0ZZT


 攻撃を遮ったのは聖女の持っていた買い物カゴ。茶髪が放った、聖女の左のボディを狙った回し蹴りは聖女の持っている買い物カゴに当たり、聖女にはダメージが見られない。

 その光景を見て私はあることを思い出していた。昔ニュースでやっていたスーパーでの避難訓練の映像。スーパーの客は近くにあった買い物カゴを頭に被るようにして出口へと歩いていた。

 そしてその次の映像は買い物カゴを逆さまにして地面に置き、その上から大きな缶詰を落とす実験映像。あんな軽いカゴで、硬くて重い缶詰を防げるわけないと思ったが、結果はそうではなかった。

 落下した缶詰がカゴに当たると同時にカゴはたわみ、その衝撃を吸収する。専門家によると買い物カゴのあの穴だらけの構造としなやかな素材が衝撃を吸収すのに最適なのだとか。

 茶髪の回し蹴りがカゴにクリーンヒットしたにも関わらず、それを持っていた聖女にダメージがない。きっとそれはカゴがその衝撃を全て受け止めてしまったからなのだろう。

 茶髪は回し蹴りを打ち込んだ瞬間こそ、その衝撃を吸収された気味の悪い感触に目を見開いていたが臆することなく二撃目を叩き込む。

 茶髪の二撃目は聖女の顔面に向かう正拳突き。聖女はこれに気付いているが、美玲の対処に精一杯なのか避けられない。今度こそ聖女に直撃が入ると思った、その瞬間。

 しかし茶髪の拳は聖女の顔の直前でピタリと止まる。まるで茶髪が自らの意思で寸止めをしたように当たらない。

 何が起きたかわかっていない表情の茶髪。側から見ていればなんて事のない理由。カゴが邪魔になって聖女に向かって十分に踏み込めていないのだ。

 それから茶髪は何度も攻撃を繰り返すが、全てがカゴに吸収されるか聖女の直前で止まるか。ただ一瞥ですら聖女は茶髪の方を振り向かずに美玲との攻防を続けている。


28: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:23:34 ID:0ZZT


 煮を切らした他の狼が聖女に攻撃を仕掛けようとするが、だが誰も手を出せない。

 単純な理由である。ただ他の狼が入れるスペースがないのだ。

 弁当コーナーを背にして聖女が陣取っている以上、彼女の背後から攻撃を仕掛けるようなことはできない。これだけで彼女を狙える方向は半分になる。

 そして彼女の左手に持った買い物カゴが彼女の左方からの攻撃をシャットアウトする。限られた残りのスペースに入れるのは一人だけ。多くの狼がそこに入り込もうと気を伺っている。

 昔お嬢様の戯れで読まされた格闘漫画が頭に浮かぶ、喧嘩は四人を同時に相手取れる技術とそれを続けられる体力さえあればどんな人数の相手にも勝てるといった理論が作品の中で登場していた。

 これは一人の人間を囲むスペースに入れるのは多くても四人といった事実に基づいた理論だが、聖女はこれをさらに効率的に行なっているのだ。

 つまり立ち位置と持ち物で相手とのタイマンを強要し、自身の動きは最小限に抑え、攻撃は相手の力を利用する。つまり聖女を一人で倒し切ることが出来なければ我々に勝ち目はない。

 私がその結論に達したとき、一人の狼が聖女の前に足を進める。このスーパーで何度か見かけている巨漢だ。大柄である坊主でさえもこの巨漢と比べると脆弱に見えるほどの偉丈夫。

 そんな巨漢が茶髪の襟首を片手で掴み、空き缶を捨てるような軽さで後ろに放り投げる。放り投げられた茶髪の身体に数人の狼が巻き込まれる。

 そうして茶髪と変わるように聖女の左側に立った巨漢が力任せに拳を放つ。

「その綺麗な顔を吹っ飛ばしてやる!」


29: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:24:07 ID:0ZZT


 地響きのような低い声を上げて放つ拳のリーチは十分、その規格外の巨体で聖女の防御を突破したと思ったが、やはりその拳は聖女に届かない。

 カラクリは単純、聖女がただしゃがんだだけ。美玲からの攻撃を全て捌きながら、巨漢の攻撃を察知し適切なタイミングで。

 空を切った巨漢の拳は美玲の元へ。咄嗟にガードを固めた美玲だが、巨漢の一撃はその上から美玲を吹き飛ばす。

 そして攻撃を放った巨漢に生まれた隙を聖女は見逃さない。

 ハボジアハイア。確かそんな名前だったと思う、以前にダンスレッスンの休憩時間にナターリアさんが見せてくれたカポエイラの技の一つ。相手に後ろを向けてしゃがみ込んだ状態から、両手を地面につけて斜め上に蹴り上げる大技。

 そんな凶暴な一撃が聖女の身体から放たれ、巨漢の隙だらけの腹に打ち込まれる。完璧に鳩尾に捻じ込まれた一撃は、ただ一瞬で巨漢の腹の虫の加護を粉砕し意識を刈り取る。

 だがそれだけでは勢いは止まらず巨漢の百キロは優に越している巨体が床から離れ、放物線を描く。さながら特撮映画を見ているような質量感を持って吹き飛ばされた巨体が着地する、地面が揺れた様な気がした。


30: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:24:58 ID:0ZZT


 再度、聖女一人になった弁当コーナーの前。当然の様に聖女は弁当を取らない。そこに多くの狼が巨漢の仇と言わんばかりに飛び込む。聖女の相手をしていたのが美玲だったから、つまり”眼帯”の二つ名を持つ強力な狼だったこそ均衡を保っていた戦線。それが崩れる。

 聖女はたった一人で数多の狼を手玉に取っていた。攻撃を受ける一辺倒だった美玲との戦いとは打って変わって、積極的に攻撃を躱し、ときにはその攻撃の軌道をズラすことで積極的に狼たちの混乱を狙い。そうして生まれた乱戦の隙に一撃で相手を沈める大技を放つ。

「美玲さん、大丈夫ですか?」

 私はその乱戦から離れて吹き飛ばされた美玲の元へ。

「ああ、攻撃の終わりが当たっただけで、ちゃんとガードもしてたからダメージは少ないぞ」

 美玲は難なく立ち上がり、服についたホコリを手で払いながら言葉を続ける。

「噂には聞いてたけど、やっぱり強いな聖女。でもあいつ狼だ」

「でも、アイツは全員を叩きのめして弁当を全て掻っ攫うアラシだと言ったのは貴女です」

「そうなんだけどさ、弁当を独占するならもっと賢い方法もあるのに、わざわざこんな周りくどい方法をとるのもおかしいだろ。それに聖女、生活力もあるが腹の虫の加護も使ってるしな」

「腹の虫の加護を使えるのは狼だけなのではないのですか!? それにどうしてそんなことがわかるんです?」

「チヨも撃ち合ったらわかるよ、あいつが狼だってことも」

「……まあ、アイツがどんな存在であれ私が月桂冠を取るだけです」

「へえ、チヨも言う様になったな。まあその通りだ、んじゃあそろそろ行くか。聖女サマがお待ちだ」


31: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:25:23 ID:0ZZT


 美玲と話しているうちに、聖女に群がっていた狼たちは全員ノビていた。それでも弁当は取らずにこちらを向く聖女。

「……貴方たちに戦う意思はありますか?」

 戦場に響く声だとは、先ほどの戦いの台風の目の人物が発したとは思えないほど清らかな聖女の声。

「なあ、ここに立ってるのがウチら三人で、残る弁当も三つ。別に喧嘩しなくても今日食うゴハンには困らない。痛み分けってのはどうだ?」

「……私には今あるお弁当を全て持って帰らないといけない義務があるのです」

「ゴージョーな奴だな。でもそれが聞けて安心したよ。安心してオマエを叩きのめせるからな!」

 美玲が聖女の元へと駆ける。

 たった三人の、それぞれの矜持を賭けた争奪戦が始まる。


32: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:26:29 ID:0ZZT


 美玲に続いて私も戦場を駆ける。美玲はさっきと同じ様に聖女の右側を、買い物カゴのカードがない右側に陣取りラッシュを仕掛ける。

 聖女に向かう狼が私と美玲だけになり、やや広くなったスペースを使い美玲はこれまでの左手一辺倒のスタイルから両手を織り交ぜたコンビネーションで聖女を狙う。

 私は聖女の向かって左手側から牽制を仕掛ける。いまだに攻略できない聖女の防御。無論攻撃は聖女に届かないが、美玲の攻撃を聖女が受ける隙を狙って弁当を奪取するそぶりを見せる。

 乱戦ではなくなってスペースが広くなったことで、聖女の脇を縫う様に弁当が奪取できるようになっている。こればっかりは聖女も対応せざるを得ない。

 聖女へのダメージにはならないが美玲に費やす手数を減らすことはできる。

 だがこれは争奪戦だ、美玲は私の弁当を取ることに協力してくれている訳ではない。あくまで利害の一致で共闘を組んでいるだけだ。私も美玲も狙いはハンバーグ弁当。

 聖女の陣取る弁当コーナー中央、丁度ハンバーグ弁当の真ん前。私に一番近い鳥の唐揚げ弁当は隙を伺えば取れるが、月桂冠だけは譲らないと美玲からのプレッシャーを感じる。

 ここで鳥の唐揚げ弁当を取ってしまえば、今日の晩餐には困らない。床でノびている多くの狼の様に苦痛を受ける必要もない。

 だが、私は狼だ。誇りを賭けて闘うもの。妥協の末の勝利などハナから捨てろ!


33: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:28:16 ID:0ZZT


 乱戦がなくなり、私も最前列で戦い始めたことでようやく見えたハンバーグ弁当。半額引証時刻前にはチラッとしか見れなかったそれが今は手を伸ばせば届くところにいる。

 見てくれは他の弁当とあまり変わりはない。普通の弁当の容器に入って、その四分の一ほどがまばらに黒胡麻のかかった白米で満たされている。

 脇を飾る様に添えられたポテトサラダと柴漬け、スチームされた人参じゃがいもエンドウ豆。

 そしてメインのハンバーグ。でっぷりとした俵型のハンバーグにトマトベースのソースがかかっている。その大きさを示す様に輪ゴムで止められたプラスチックの蓋がハンバーグの部分だけ盛り上がっている程。

 まて、俵型だと。普通量産品のハンバーグと言えば小判型、ファミレスや専門のチェーン店などなら俵型のハンバーグも多いが、それは肉だねを捏ねて成形する機械の差。

 一般的に小判型の方がコストが安く済む、火の通りも均一だ。以前この店で見たハンバーグ弁当は小判型だったはずだ。ここから推論される事実は。

「手ごねだと!?」

 興奮のあまり、つい口から漏れる。聖女と美玲は戦いの最中で聞こえていない様だ。

 ハンバーグを構成するピースが一つ私の頭の中で暴かれたことで、その思考はどんどん広く深くなっていく。

 そもそも何故このハンバーグ弁当は月桂冠なのだ。これまでにもハンバーグ弁当はあったが月桂冠にはなっていない。何が違う。

 実際に食べたわけではないので正確には分からないが、これまでのハンバーグ弁当と月桂冠のハンバーグ弁当の違いはメインのハンバーグ以外に思い至らない。

 ただ手ごねで大きなハンバーグだから月桂冠なのか。いや、それだけで全ての狼がこれを狙うほどの逸品になるとは考えづらい。ならばどうしてこのハンバーグは手ごねなのか。いや手ごねにする理由があるのか。

 ふと頭によぎるのは昨日の争奪戦の後、惣菜を買ってレジまで向かう途中の精肉コーナー。派手な飾りとともに豪華に陳列されていた骨付きの神戸牛のパック。

 しかし価格帯がこのスーパーの利用者とは合わなかったのか、それとも骨の処理に客が困ったのか、三割引のシールが貼られており、なお多数売れ残っていた。

 まさかあの神戸牛を使っているのか。いつもは食肉加工工場から成形されて送られてくる肉ダネを使用しているが、今日はあの神戸牛と他の売れ残った肉を混ぜて挽肉にして店の中で作ったハンバーグだから手ごねなのか。

 十分あり得る説だ。これは食べて解明しなければならない。


34: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:29:09 ID:0ZZT


 思考とともに口の中に唾液が溢れてくる。腹の虫が鳴く。それとともに、どうしようもなく力が漲る。私は狼だ。あのハンバーグ弁当は誰にも渡さない。

 そして私を囮にして戦いを繰り広げている二つ名持ちの二人が気に入らない。私を蚊帳の外だと思っている戦場に強烈な横槍を入れてやる。

 防御をカゴに任せこちらを見向きもしない聖女、そんな聖女に向かって、いや正確には彼女の持っているカゴに向かって強烈な蹴りを放つ。

 男性の股間を蹴り上げるように、下から出した右足でカゴの底面を蹴り上げる。

 絶対的だと思われた聖女の防御、そのカゴが私の蹴りで跳ね上げられる。

 カゴの正面への攻撃は聖女の身体がストッパーになって衝撃が吸収される。聖女の後ろ側からのカゴへの攻撃は弁当の配列棚が邪魔になり攻撃を放てない。

 その反対からの攻撃は今度は配列棚がストッパーになって衝撃が吸収される。カゴの上からの攻撃はカゴの形状的に無理がある。

 だとすれば残る手立てはカゴの下。目論見は成功した。カゴが蹴り上げられたのと同時に、それを保持していた聖女の左腕も同時にカチ上げられる。絶対的なガードが解かれる。

 強烈なエネルギーを受けた買い物カゴが聖女の手から離れ、少し離れたフロアに落ちる。


35: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:30:07 ID:0ZZT


 そしてそれを見逃さないのが”眼帯”の二つ名を持つ狼、早坂美玲。ガードの開いた聖女の懐に潜り込み両手を使ったコンビーネーションを叩き込む。

 だが聖女もタダでは攻撃を受けない。攻撃を受けながらも怯まずにカチアゲられた左腕に自身の右手を合わせ、両手を力任せに振り下ろす。

 両の拳の質量と振り下ろす重力が合わさった強烈な一撃が美玲の背中にクリーンヒットし、美玲は地面に叩きつけられる。

 その隙を狙った私の弁当を取る動きも、聖女の蹴りが私の腹に刺し込まれ失敗に終わる。

 だが諦めない。蹴りをくらって一歩後退したが、さらに聖女に向かって踏み出し拳を突き出す。その拳は聖女の左手で横に弾かれ明後日の方向へ。そしてその隙に聖女の右手のフックが私の脇腹に突き刺さる。

 痛みと衝撃で折れそうになる身体を精神力で制御して、先程の拳を放った右手を引くことで生まれる腰の回転を加えた左の拳を聖女の腹に叩き込む。

 争奪戦が始まってようやく、初めて聖女にクリーンヒットが入った。続けて追い討ちを重ねようとするが、無理をした身体が保たない、膝が折れそうなる。一度バックステップで離れて身体を回復させる。

「チヨ、やるな!」

 聖女に地面に叩きつけられていた美玲も一度下がっていた様だ。

「聖女の攻撃を喰らいながら反撃するなんて無茶するなあ。でもそれだけチヨの腹の虫の加護が高まってるってことだよ。でもあんな無茶何度もできない、聖女の防御もなくなったことだし二人でどんどん攻めていくぞ!」


36: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:31:14 ID:0ZZT


 最初に二人で聖女に向かったのと同じ様に、聖女から見て右に美玲、左が私といった立ち位置で聖女に攻撃を仕掛ける。

 絶対的な防御であるカゴを失って弱体化すると思われた聖女だったが、そうではなかった。自由に動く私と美玲の攻撃を全て受け流しながら、それでも乱戦の中での同士討ちを狙った動き。

 一対二の不利な状況の中で、いかに私たちを自由に動かさないかを基本戦術に添えて絶対に半額弁当の前を譲らない。

 あくまであのカゴは乱戦に飲み込まれない様にする聖女の戦略の一つに過ぎない。たった三人しかいない戦場ではそんなことをしなくても聖女自身の戦術で十分に対処ができる。

 聖女はそれほどの力をもった存在、アラシなのに二つ名が付くのも納得できる。

 そしてその中で一番格下なのは私。繰り返されるやり取りの最中に何度私の攻撃が受け流され美玲にあたりそうになったかもう数えきれない。

「第三幕、一章。王宮に現れた賊へのウチとチヨのコンビネーション!」

 戦いの最中、突然美玲が叫んだ。なぜ叫んだのかはわからないが身体は無意識に動く。

 背の低い美玲がしゃがみ聖女の右足に足払いを仕掛ける、足を地面から離すことを嫌がった聖女が右足に力を入れ、その足払いを受け止める。

 そして意識が足に向いた聖女の、その顎を目掛けて私の左のアッパーを放つが、頭を後ろに引くダッキングで聖女はこれを避ける。

 だがこのアッパーはブラフ。当てることを目的とせず、ただ相手の目線を上に向けさせるための攻撃。そして本命の美玲の攻撃が聖女を襲う。

 上を向かされた聖女の視界の外である足元から一気に脚のバネを使って聖女の腹に放たれる美玲の蛙飛びアッパー。

 攻撃を受けた聖女が一瞬ぐらつくが、即座に返しの回し蹴りを打ち返してくる。美玲と私はそれをバックステップで回避した。


37: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:31:57 ID:0ZZT


 これは私たちがアイドルとしてレッスンを重ねているお芝居の殺陣のワンシーン。何度も繰り返したアクションは自然と身体に染みついている。

「とっさに合わせてくれてサンキュー、チヨ。次は二幕の四章のやつで行くぞ!」

 聖女へと駆ける美玲のぴったり後ろを追うように私が続き、そして聖女の直前で美玲が左に、私は右へと斜め前にステップ。そして同時に蹴りを放つ。私の右ローキックと美玲の左ハイキック。

聖女は左足と右手でそれぞれの足撃をガードするが、ガードの薄くなった聖女の腹に美玲の左の横蹴りと私の左の正拳突きが迫る。聖女はガードするのを美玲の攻撃に絞り、残った左手で美玲の足を横から弾く。

 美玲の攻撃は聖女のすぐ横へとズレるが、そのガラ空きの聖女の腹に私の拳が突き刺さる。

 ダメージをおった聖女はそれでも無理やりに身体を動かして、技をスカされ片足立ちの美玲を身体で押しバランスを崩させる。私は後ろに倒れそうになる美玲の襟首を掴んでバックステップで一度距離を取る。

 ここで美玲が転かされて、聖女が私の攻撃を気にせずに美玲を潰しにかかったら、私にもう聖女を倒す術はない。とっさにそう思ったゆえの退避。

「チヨ、助かった。でもウチらのコンビネーションなら通用する。まだまだいくぞ!」


38: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:33:04 ID:0ZZT

■ ■ ■

 いったいどれほどの時間が経ったのだろうか。何度攻撃を当て、何度攻撃を貰ったかもうわからない。ただ攻撃を喰らった身体と、攻撃を放った手足が痺れ、熱を帯びている。

 それなのに、限界なんてとっくに超えているのに、私も美玲も聖女も、ふらふらの身体をどうにか起こして戦いを続ける。

 私たちのコンビネーションはだんだん、聖女に通用しなくなってきた。演者が多い舞台故に多くはない私たち二人だけの殺陣にそこまでバリエーションはなく。同じコンビネーションを二度三度と重ねるごとに聖女はそれに対応していく。

 そして即興で複雑なコンビネーションを重ねられるほど、私と美玲の実力は伴っていない。このままだとジリ貧だ。

「……どうして、狼という者達は、こうも争いを求めるのでしょうか」

 聖女が口を開く。その言葉は息絶え絶え。

「誇りを賭けているからです。勝利の一味を掴むために」

 自然に胸に浮かんだ言葉を、真っ直ぐに。聖女の目を見て答える。

「貴女達には家族がいる、友達がいる。愛する人と食卓を囲む。それだけでは足りないというのですか」

「ああ、足りないね。馴れ合うだけの上っ面なんて必要ない。お互いに全力でぶつかり会えるからこその仲間だろ」

「狼とは、度し難い生き物です」

「それはオマエが言えることか? これまで何度も弁当を取るチャンスがあったのに、それを取らずにウチらとの戦いを望んできた聖女サマが」

「それは…… 郷に入れば郷に従えと言います。ただここのルールに則っただけです」


39: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:33:52 ID:0ZZT


「ああオマエはルールに従った。だとすればオマエは狼だ。全員を叩きのめして狩り取った多くの弁当を誰に食わせているのかは知らないけど、そこに勝利の一味を求めて戦う狼だ」

「それは、ただあの子達に安くとも美味しいご飯を食べて貰うために」

「だけど、貴女は、ただこの瞬間にも弁当を取ろうとはしていませんね。狼でないならその貴女のすぐ後ろにある弁当を取っているはずです。聖女と私たちの距離は離れている。素早く動けば、残った三つの弁当を手にできるだけの距離はあるはずなのに」

「まあいい、狼同士に言葉なんて要らないからな。必要なのは己の腹の虫との対話だけだ」

 話はこれで終わりと言わんばかりに、美玲が構えをとる。聖女もそれに釣られて構えを取る。そして美玲が私に短く耳打ちをして聖女の元へと駆ける。私も同じ様に美玲のすぐ左側を駆ける。

 たった数歩でトップスピードに乗った美玲が、突然大きく地面を蹴って跳ねる。いくら腹の虫の加護を得て身体能力が強化されたとは言え、聖女に届く距離ではない。

 だがこれが美玲の思いついた最後のコンビネーション。ぶっつけ本番で行う、失敗すれば間違いなく私たちは負けるであろう、最初で最後の即興劇。


40: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:34:44 ID:0ZZT


 高く飛び上がろうとする美玲の身体。飛び出してすぐの重力に身体を引かれずにベクトルが斜め上を向いているその身体を、私は走り出した勢いをそのままに思いっきりに蹴り上げた。

 私の蹴りが、空中で身を縮こませている美玲の、その足裏に当たるのと同時。美玲が一気に身体のバネを解放して、私の蹴りを支えにして空へと舞う。

 地面を蹴った美玲のジャンプ、聖女のガードすら崩した私の蹴り、そして強靭な美玲の身体のバネを合わせて、彼女は飛んだ。狙いは聖女、ではない。

 美玲は斜め上に高く高く飛んだ。その美しさについ目が奪われるが、私の役割は砲台役だけではない。蹴り上げた勢いを殺さない様に全力で聖女へと駆ける。

 聖女はこれまでと違い、立体的に二手に分かれた私たちの、どちらを対処していいか一瞬迷ったそぶりを見せ、そして構えを変えた。左腕を天に、右腕を地に向けた、全ての攻撃に対応した構え。

 だがそんなものはどうでもいい、ただ全力をこの拳に乗せて叩き込むだけ。

 聖女に向かって駆ける最中、視界の上端にちらりと美玲が見える。膨大なエネルギーを得た美玲は重力の支配をものともせずに高く高く跳び、商業施設特有の高い天井にその手を伸ばす。

 そして天井にぶつかる瞬間にくるりと身を翻し、天井に着地した。そして天井を蹴り上げ、身体のバネに重力の力を加えた猛然な勢いをもって聖女に向かって拳を振り下ろさんとする。

 それに合わせる様美玲の着弾と同時に、走り抜けた勢いをそのままに振りかぶった拳を聖女に向かって思いっきり振り抜いた。

 肉と肉、骨と骨がぶつかり弾ける音が店内に響き渡った。


41: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:35:25 ID:0ZZT


 聖女はその全てを見渡す目を持って、私たち二人の攻撃をどちらも受けることに成功していた。だが受けきれない。一瞬の拮抗の果てに私と美玲の拳は聖女の身体へと深く深く突き刺さる。

 その衝撃で弁当コーナーからはじき飛ばされた聖女。それと対照的に弁当コーナーの前にふわりと着地した美玲。

 ボロボロの顔を合わせて小さく笑みを浮かべる。これで終わったのだ。私たちはゆっくりと同時に弁当へと手を伸ばす。

 二人の手が、ハンバーグ弁当の左右に触れる

「おい、チヨ。この手はなんだ。普通、こういうときはこの戦いの立役者のウチに月桂冠は譲るべきだろ」

「なにを言っているんですか貴女は、私が最後まで残っていなければ、貴女はとっくに聖女に負けていたでしょう。なのでこれは私のです」

 示し合わせた様に同時に弁当から手を離して、同時に突きを放つ。クロスカウンターになったお互いの拳が顔面に突き刺さる。

 これは争奪戦なのだ。そして月桂冠は私のものだ。聖女が倒れても争奪戦は続く。たった一つの弁当と誇りを賭けて。


42: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:36:36 ID:0ZZT


「いただきます」

 公園に三人の声が重なる。いつもの公園の東屋。聖女が湯気を放つ蓋を開けたのは”三つの味が競い合って生まれる最高のハーモニー 鳥ニティフィールド弁当”。

 そして美玲が”野菜炒めは汁物料理だとここに宣言する 野菜炒め弁当”をの蓋を開ける。そして私は目の前にある”ハンバーグ弁当”の蓋を開けた。

 あの後ボロボロの体で美玲と取っ組み合っているうちに聖女も起き上がってきて本当の意味での乱戦が始まった。その結果がこれだ。

 どっしりと重い。その弁当のメイン、ハンバーグ。肉の焼けた香ばしい匂いが胃をダイレクトに刺激する。

 無意識に溢れる唾液をごくりと飲み干して、肉の塊に割り箸をのばす。どうやっても一口では食べられるわけがないハンバーグを箸で一口大に、簡単に箸で切れるが、ハンバーグ自身はボロボロにならない絶妙な柔らかさ。

 そして驚きはそれだけではない。肉汁が全く漏れていないのだ。よくテレビなどで紹介される様な所謂「バエ」を狙ったハンバーグはその滴り落ちる肉汁で視覚的な旨みを演出するがあれは味においては正解ではない。

 肉汁は旨味なのだ。それを無意味に垂れ流すなど言語道断。だからこそ料理人は適度に繋ぎを使い、焼き加減を調節して肉汁をハンバーグの中に閉じ込める。

 そして肉汁を閉じ込めるのに必要なのが焼いた後にハンバーグを休ませること。つまりハンバーグは弁当にするのに最適な料理であるのだ。

 頭に浮かんだ期待を胸に、つまんだハンバーグを一口。まずはソースのかかっていない端っこ。


43: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:37:44 ID:0ZZT


 肉がぎっしりと詰まったハンバーグは、むっちりとした歯応えを残している。それを口の奥で噛み潰すとともに、切られても溢れなかった肉汁が遂に溢れ出す。

 噛むほどに肉と汁が混ざり合って至上の幸せが口の中に溢れる。そしてそこにすかさず白米を口の中へ。白米に肉汁が纏わり付きもう堪らない。

 逸る心を落ち着けながら、ゆっくりと咀嚼を続けて、そして飲み込む。途方もない満足感とともに次の一口を求めるという幸せな矛盾。

 このハンバーグには途方もない旨味が詰まっていた。それこそソースもなしに満足できるほどに。きっとこれは昨日売れ残っていた骨つきの神戸牛が幾らか含まれているのだろう。上品な脂の甘みと旨味が感じられる。

 だがそれだけではこの旨味は説明できない。そしてその答えはきっと骨。一般的に肉は骨に近いほど旨味が強いと言われるが、これは骨つきのまま焼いた時の話。

 ハンバーグという調理法ではそれは叶わないが、それを超える方法がある。骨つきのまま焼くのがうまいと言われるのが、骨の内部に含まれる旨味の塊である骨髄の旨味が焼いているうちに肉の方へ滲み出るためだと言われている。

 ならばその骨髄の旨みを直接ハンバーグに練り込んでしまえばいいのだ。そしてそのために必要なのがスープ。
 骨を長時間煮出すことで出汁を取りその旨みを湯の中に滲み出させる。そして最後には熱を加えられ脆くなった骨を折り、その中にある骨髄までもスープの中に溶かす。

 こうすることで生まれた骨の旨みを全て受け継いだスープをハンバーグの中に練り込むのだ。

 途方もない旨味を感じながら、だが一つの疑問が頭に浮かぶ。

 ハンバーグ単体でも十分すぎる程なのに何故ソースまで付いているのか。

 その疑問は次の一口をソースを纏わせて食べたことで解決した。


44: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:38:47 ID:0ZZT


 トマトベースのソース。塩分の多いケチャップではなく。酸味と旨味の強いイタリアントマトを使用しているのだろう。

 それをニンニクの香りを移したオリーブオイルとともに煮詰めて最後に粗挽きの黒胡椒を加えたであろうソース。

 鮮やかな赤色が食欲を唆るそのソースを、摘んだハンバーグに纏わせて次の一口。

 旨味のステージが上がった。トマトは旨みを多く含む食品だが、その成分はグルタミン酸と呼ばれている。一方肉の旨味はイノシン酸が強い。

 同じ旨味の成分である両者は合わせることで旨味の相乗効果が生まれ単体で食べる以上の旨みを我々の舌に感じさせるのだ。そこに加わるのがニンニクの香りという別方向からの手助け。

 この相乗効果で生まれた暴力的な旨みを纏めるのがわずかに残ったトマトの酸味と黒胡椒。特にこの黒胡椒が憎い。

 極粗挽きである故にソースに均一に味が存在するわけではないのだが、ハンバーグを咀嚼しているとハンバーグ単体にはないガリっとした食感とともに口の中に香辛料特有の強烈な香りが溢れ、全てをまとめ上げる。

 一心不乱に弁当を掻っ込む。レッスンで、争奪戦で疲弊した体に肉の旨味がダイレクトに届く。

 ようやく手に入れた栄養素とエネルギーを一滴残らず身体の糧にせんと消化器が動き、消化のために身体が熱を帯びる。吹きっさらしの冬の公園なのに汗が吹き出る。

 半分ほどハンバーグをたいらげ、ようやく空腹が落ち着いてきたころ。ようやく私を見つめる二つの視線に気がついた。


45: >>42から場面が変わってます 21/05/30(日)08:42:31 ID:0ZZT


「なあ、チヨ。ウチにハンバーグ一口くれよ。前に麻婆豆腐あげただろ? それに今日もウチがずっと聖女のことを抑えてたから勝てたんだしさ」

「はい、でも美玲さんの野菜炒めも一口くださいね」

「ヨシ、交換成立だ!」

 ハンバーグを気持ち大きめに箸でつまんでソースを纏わせ美玲の口の前に差し出す。美玲は必要ないほどに大きく口を開けてハンバーグに喰らいつく。

 一度咀嚼をすると分かりやすく目を輝かせながら何度も噛み締め、そして白米を掻っ込む。

「じゃあお返しだ。野菜炒めもうまいぞ。食べたら弁当の名前の意味もわかるからな!」

 美玲が箸でつまんだモヤシとキャベツと小さな肉のかけらを口の中に。中華風のシャッキリとした野菜炒めではなく家庭料理風のしんなりとした野菜炒め。

 あまり野菜の食感は残っていないが、その分野菜から生まれた旨みを含んだ水分をたっぷりとその身に纏わせている。見た目以上に感じる動物性の油の旨味。

 その正体は咀嚼しているうちに判明する。鶏皮だ。むにむにとした食感がしんなりとした野菜の中で楽しいのと同時に、その身に多く含む脂、鶏油の香り。

 ラーメンなどにも多く使われるこの香りの強い油が、野菜だけでは得られない旨みを補っている。そしてそれを纏めるのが多めに加えられた塩胡椒。

 シンプルな味付けだが野菜の甘味と鶏油の香り、そして多めの塩分と野菜から滲み出た水分で米が進む。確かにこの料理の主役は汁といっても過言ではないだろう。


46: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:43:57 ID:0ZZT


「ええと、聖女さんもいかがですか」

「よろしいのでしょうか、私はアラシだと狼様の中で罵られていると聞いてます」

「ええ。あなたはもう狼ですから」

 美玲と同じ様に一口大のハンバーグにソースを纏わせて聖女に与える。あまり慣れていないのか私の箸から食べるのに照れながらも口を開けて、本当に幸せそうに食べる。

「じゃあ私も、聖女さんの唐揚げ貰いますね」

 流石に一口のハンバーグで六個しか入っていない唐揚げの一つを頂くのは気が引けたので、聖女が半分だけ噛み付いて残っていた唐揚げを一つ頂く。

 鳥ニティフィールドというのは、凛さん加蓮さん奈緒さんのユニット”トライアドプリムス”の楽曲から取っているのでしょう。三つの味の唐揚げが二つずつ計六個も入っているボリューム弁当。

 見た目でわかるのはタルタルのかかったチキン南蛮風と刻んだ長ネギの乗った油淋鶏風。だが私は見た目からだ普通の唐揚げに見えるの残った一つを口に運ぶ。

 柔らかく、ジューシー。それが第一印象。価格帯の安い弁当故に鶏胸肉を使用した唐揚げだが、おそらく使用されている塩麹のおかげで柔らかく仕上がっており、鶏胸肉の長所である強い旨味とプリっとした食感が気持ちいい。

 そして見た目は変哲もない鳥の唐揚げには重大な秘密が隠されていた。正確にはわからないが幾つかの香辛料や旨味調味料、そして塩を混ぜた調味料。

 スーパーという多くの調味料を扱う中で、その知識を動員し一番鳥の唐揚げに合うものを選んだのではないかと思うほどに唐揚げに合う。当然米が進む。


47: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:44:15 ID:0ZZT


「私は、こんな美味しいものを皆様から奪い取っていたのですね」

「きっと、理由があったんだよな。ウチらが手伝えることなら言ってくれよ。勿論これを食べた後でな」

 美玲と聖女もお互いの弁当を交換して分け与えて合っている。


48: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:44:55 ID:0ZZT

■ ■ ■

「ごちそうさまでした」

 三人の声がまた重なった。

「そうだ。聖女、オマエの名前教えてくれよ」

「そうですね、私はクラリスと申します。シスターとして神に使える身です」

 てっきり、清楚な出で立ちと外国の血が入っている故であろう鮮やかなブロンドヘアから聖女と呼ばれているものだと思っていたが本当に聖職者だったのか。

「聖女、じゃなかったクラリスは本当にシスターだったんだな」

 美玲も同じく、そう思っていた様だ。それからお互いに名乗って話は本題へ。

「しかし、聖職者がなぜこの様な戦いに赴くのでしょう。勝手なイメージですがクラリスさん自身も戦いを好む様な方には見えません」

「……お二人は教会というものに足を運んだことはおありでしょうか?」

「ウチは、ないな。なんか勝手に入ったらバチが当たりそうだし」

「お嬢様とルーマニアにいた頃は何度か、しかし日本の教会は私もないですね」

「そうですよね。この国の方にはあまり馴染みがないものですから。特に私の所属してる教会は派手な建物があるわけでもなく、観光や結婚式などにも使われませんので」

 クラリスが簡単に教会の場所を口で説明するがピンとこない。美玲も同じ様だ。


49: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:46:55 ID:0ZZT

「そして、この教会にはある施設を運営しているのです。分かりやすく説明するならば孤児院です。身寄りのない子供たちに住むところと食べるもの、そして教育を受けられる様にするための施設」

「なんか重い話になりそうな気がしてきな」

「孤児院を運営するには結局のところお金が必要です。その多くは善意の寄付や税金で成り立っているのですが、どうしても子供たちを満足させるにはギリギリでございまして」

「それで、安くなった弁当を買い占めて子供たちに分け与えていたのですね」

「その通りです。そのうちにスーパーにもそこにいる人々の法があると知りました。なので私もその法に則りスーパーを駆けました。弁当と狼の数が釣り合わないときの取り決めは特に決まっていないと聞きましたので」

「よく、そんな無茶を続けてきましたね」

「お恥ずかしながら、私も食べることには強い興味がありましたので」

 恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めながら、クラリスは俯いてしまう。確かにあボリュームたっぷりな唐揚げ弁当を食べて涼しい顔をしているのを見ると、腹の虫の加護は十分なのだろう。

「しかしそんなことを続けていると他の多くの狼からはアラシと罵られるようになり、しかしスーパー以上に安くて美味しいものを私は知りませんでした」

「まあ事情はわかった。でも狼たちは納得しないと思う。もともと狼は他人の思いを踏みにじってでも自分の勝利の一味を求める奴らだからな」

 一息ついて美玲が続ける。

「勿論あの場では負けた奴が悪いからクラリスが続けるのは止めないけど、きっとクラリスへの当たりはもっと強くなる。昨日他のスーパーを縄張りにする”女王”が来ていたのもオマエが来ると踏んでだと思うしな」


50: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:49:15 ID:0ZZT


「はい。それにこうして美玲さんと千夜さんという狼と直接話をし、その人柄を知ってしまうと私は弁当を根こそぎ奪うようなことはできなくなってしまうと思います」

 美玲は胸の前で腕を組んで、クラリスは片手を顎の前に当てて唸っている。

「あの、見当違いな質問だと悪いのですが、その孤児院にはキッチンはないのですか? 弁当数個とお惣菜で事足りる様な子供たちの数ならスタッフや子供達で手分けして自炊をすればいいのでは」

「キッチンはあります。あるのですが、一緒に住んでおられる代表のご夫婦はどちらも孤児院運営以外の本業があり忙しく。以前は孤児院にいた大きな子たちが炊事を担当してくれていたのですが、その子たちも成長して出て行ってしまって」

 過去を思い出すように空を見ながら思い出を語るクラリスだが、次の言葉とともに彼女の顔は下を向き始めた。

「そして、あの、お恥ずかしい話なのですが、私お料理が、その、ご飯を炊いたり、お味噌汁を作ったり、出来合いのものを温めたりなら……」

 言葉とともにどんどんクラリスの声は小さくか細くなり、それと反比例する様に顔が赤く染まっていく。

「そうですか。では今、孤児院にはどれぐらいの人数が住んでいるのですか」

「私と、代表のご夫婦。そして子供たちが五人です」

 クラリスはスラスラとその名前と年齢をあげる。子供たちはまだ小学生のようだ。

「以前は孤児院で自炊もしていたようですし、その人数なら大丈夫でしょう」

 きっと調理器具や食器なんかはあるはずだ。

「今度、私をそこに連れて行ってください。私で良ければ、クラリスさんと子供たちに簡単な料理ぐらいなら手解きができますので」

 “へえ?”と間の抜けた声を出すクラリスと、”おお!”と手を打つ美玲の声が重なる。

「チヨの料理は絶品だって、チトセから聞いたとこあるぞ。メイドだからお料理洗濯お掃除からボディーガードまでなんでも来いだってな!」


51: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:50:22 ID:0ZZT


「千夜さんはメイドさん……? えっとそれよりも、いいのでしょうか。私と狼たちは敵同士ですのに、変な噂になったりしませんか。それに千夜さんのお手を煩わせるのは……」

「聖女がスーパーに来なくなれば私たちの弁当を取る確率も上がりますので。それにこんな話を聞いて無視できるほど冷たい人間ではありません」

「ありがとうございます。貴女に神の御加護があらんことを」

 クラリスが手を合わせて、私の方へと祈りを捧げている。なんだか気恥ずかしい。

「でも、チヨ。それだとクラリスが戦わなくてもいいようにはなるかもしれないけどさ、そもそものお金のことはどうするんだよ」

「この人数のご飯を自炊するなら工夫次第で安くはできると思いますが、それは私たちにはどうしようもないでしょう」

「でも、こんなうまい弁当から節約レシピになったら子供たちからも文句でないか?」

 妙に突っかかってくる美玲はニヤニヤと笑っている。

「その口ぶりだと、なにかいい案があるように聞こえますが」

 “へへーん”と漫画みたいな声を出しながら、美玲がクラリスの方へと体を向ける。

「なあクラリス。アイドルにならないか?」

「アイドル…… ですか? あの可憐な少女たちが歌って踊る……?」

「うん、そうだ。他に舞台とかもあるぞ。」

「そうなのですね、すみません私はあまり芸事には疎いもので。しかし芸能界は狭き門だと言う事ぐらいは私にも分かります。私がそんなところに立つなど……」

「言ってなかったけどな、ウチはアイドルなんだ。チヨも同じだぞ」

「なんと、そうでございましたか。すみません世間の事に疎いものでして存知あげませんでした」


52: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:51:08 ID:0ZZT


「まあ、それはいいよ。でも現役のアイドルから見てもクラリスは美人だと思うしスタイルもいい。争奪戦のときの身のこなしも綺麗だったし、子供たちを守るためにアイドルをするなんてファンからのウケもいいと思うぞ」

 “なあチヨ”と言う美玲の目はクラリスの顔と胸と臀部を交互に見つめている。まるで学校の男子のようだ。

「まあ、そうですね。クラリスさんは美人だと思いますし。他の点も同意します」

 分かりやすくクラリスの顔が赤くなる。この恥じらいの顔を見たらそれだけでファンになってしまいそうなほど可憐な姿。

「あの、私。こんなにストレートに容姿を褒められた、これまでありませんので」

「まあ、ウチが直接アイドルに紹介できるわけじゃないけど、プロデューサーに今日の話はできるからしておくよ、まあ争奪戦のことはボカして伝えるけどな」

 そう言いながら美玲はクラリスの照れている様を動画で撮っている。それに気づいたクラリスが更に赤面しながら手で顔を隠そうとしているが、アイツはこう言う女性の姿を更に喜ぶだろうなと思った。

「まあ何にせよです。クラリスさん、空いている日はありますか。例えば明日なら、お嬢様を迎えに行く朝以外なら都合がつきますが」

「千夜さんが都合がいいときならばいつでも結構です」

「それじゃあ決まりですね。詳しい連絡は追ってしますので、連絡先を交換しましょう」

 新たに増えたクラリスの名前の連絡先に、よろしくお願いしますとメッセージを送り、その日は別れた。


53: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:52:00 ID:0ZZT

■■■

 翌朝、お昼前に私と美玲はクラリスの家の前に来ていた。昨日私が公園から帰宅したときにはお嬢様はすでに帰宅していた。

 本当は今日の朝の飛行機で帰るはずが仕事が早く終わったとのこと。そのため朝からクラリスさんのところに来ることができた。

 住宅地の中にあるこじんまりとした一見普通の家とも思えるような教会。その隣に言われなければ集合住宅だと思いそうな、なにも変哲のない孤児院。

 その入り口にクラリスと数人の子供たちが立っていて私たちを暖かく迎え入れてくれる。

 挨拶もそこそこに、美玲は子供達のハートを掴み取っ組み合うみたいにはしゃいでいる。あ、ツノと眼帯を取られて、持って逃げ回る子供たちを追いかけ始めました。

 クラリスが子供たちを叱り、それからお買い物へ。今日のお昼ご飯はカレー。後からお嬢様も来る予定になっている。久しぶりの料理だ。腕によりをかけてやる。


54: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)08:53:04 ID:0ZZT

■■■

 ふーん。ロケの仕事が最後だけビックリするぐらいに順調に終わって一日早く帰れるようになったの、偶然じゃなくて運命だったんだね。

 空港から事務所までプロデューサーに送ってもらって。なんかピンときてスーパーに寄ってみたら私の可愛い僕ちゃんが狼としてスーパーを駆けてる。

 隣の美玲ちゃんも狼だったんだ、いやあの感じだと二つ名持ちかな。それにあの金髪のあの子すごいなあ、二人相手に全く押されてない。

 自炊もできる千夜ちゃんが狼になるとは思わなかったけど、これも何かの運命なのかな。

 そっか、じゃあアイドルとしてじゃなく狼としても千夜ちゃんと戦えるんだ。楽しみだな。

 何かにつけて千夜ちゃんが家でご飯を作る回数を減らしてあげよう。

 そうして今よりもっともっと狼として成長してくれたら、私の”吸血鬼”の力でも千夜ちゃん壊れないよね。


55: 名無しさん@おーぷん 21/05/30(日)09:01:13 ID:0ZZT

以上です。ここまで読んでくださった方がいたらありがとうございました。
隙あれば自分語り、普段は掲示板にSSを投稿しないのですが
遠い昔にまとめサイトでこんな感じの「とある」と「ベン・トー」のSSを読み
それがベン・トーとの出会いだったので、そんな出会いが他に人にもあるといいなと思い投稿させていただきました

カポエイラスタイルのナターリアとか、二人組のライラさんとメイドさんとか、著莪とセガゲーに興じる三好紗南ちゃんとか
あせびちゃんと白菊ほたるちゃんの邂逅とか、ゆりゆりと白粉花の邂逅とか
アイディアはまだまだあるのでまた書けたらいいなと思います





転載元:【モバマス】白雪千夜「半額弁当」【ベン・トー】
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1622328565/

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