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トップページモバマス > 【デレマス】凛「私は――負けない」2

133: 再開 ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:31:31.29 ID:Rri5HD+xo



・・・・・・・・・・・・


三日後。

今日は事務所の選抜メンバーで収録したシングル、『お願い!シンデレラ』の発売日。

これに合わせ、先日話の上がったCGクリスマスライブに関する
プレスリリースを昨夜のうちに出したこともあって、マスコミの注目度は高い。

やれ『新興プロダクション攻めの姿勢』だの、やれ『潤沢なアイドル、続々露出拡大』だの、
やれ『頭角・渋谷凛、畳み掛ける新曲リリース』だの。

Pは以前、最も怖いのは誹謗ではなく無関心だ、と話していた。

誰も興味を持たない、誰の耳にも入らない……これが一番の恐怖だと。

その意味では、この情報の滑り出しは順調だと云えるだろう。

しかし僅か数日の短期間にリリースを出せるとは、遠藤プロデューサーは
どれだけ東奔西走したのだろう、とCGプロの全員が不思議がっている。

関連スレ
【デレマス】凛「私は――負けない」1

134: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:33:22.39 ID:Rri5HD+xo


兎も角として、凛は未央、一学年下の神崎蘭子と共に三限で早退して事務所へ出社していた。

トワレコ渋谷店にて午後から『おねシン』発売イベントが行なわれるためだ。

収録参加メンバーのうち、義務教育課程に在る城ヶ崎莉嘉を除いた全員が集まっている。

イベントではトークショーがあるので、出発まではまだ時間があるものの、準備に余念がない。

特に、ニュージェネレーション以外のアイドルたちはあまりこのような経験がないため、だいぶ緊張を隠せないでいる。

いま集まっている者の中で最年少の蘭子が顕著だ。

「わ、わ、我が真の、ち、ち、力を、み、見せる刻がきききたようね……(やる気ばばばばばっちりです)」

近頃人気が上がってきている彼女が、気丈に振る舞おうとしている。

しかし経験が未だ豊富ではないその身体は、かたかたと震えていた。


135: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:35:28.94 ID:Rri5HD+xo

「おい蘭子、やる気はあっても硬くなり過ぎだぞ。麦茶でも飲んでリラックスしな」

常人には理解しづらい言語で話す彼女に、Pは飲み物を渡しながら語り掛けた。

「プロデューサー、よく蘭子の言葉がわかるよね」

「そりゃ俺はプロデューサーだからな」

凛の問いに、Pはふんぞり返る。
事実、蘭子の言葉を正確に汲み取れるのは、CGプロ人数多しと云えどPだけであった。

そんな反応に凛は「は、はぁ……」と答えることしか出来ない。


136: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:36:55.54 ID:Rri5HD+xo

隣のソファからは、ニートアイドルが

「ねぇねぇPプロデューサー、杏疲れたから帰っていい?」

と、だるそうに訴えている。

「あー、杏ちゃん、そういうのは銅プロデューサーにだけ云ってくれ。クール担当の俺に訊かれてもどう捌けばいいのかわからん」

クールからパッションまで、部署がクロスオーバーで動く企画は、第一課のPが担当することが多かった。

今回もご多分に洩れず、Pがプロジェクトを統率している。


137: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:38:06.02 ID:Rri5HD+xo

「まぁホントのことを云えば、緊張して思考が廻らないせいなんだけどさぁー」

杏の本音が出た。
いつも率先してサボろうとする杏だったが、その実、プロデューサー陣の興味を惹こうとしてやっている面が大きい。

卯月が笑う。

「杏ちゃんは、仕事には真面目に取り組む、プロ意識の高い子だもんね」

「さてねー」

当の杏は、とぼけた振りをしてソファに寝転がった。


138: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:39:41.74 ID:Rri5HD+xo


第一課のミーティングルームには、このように花が咲いていた。

ただし――姦しい。

女の子が総勢10人も集まっているのだから当然と云えば当然だ。

しかし寡黙なキャラクターの多い第一課を率いるPは、この賑やかさには手を焼いた。

そんなPを手助けしようと凛が口を開こうとすると、

「あのー、凛ちゃんにお客様がいらしてるのだけど……」

ちひろが、ミーティングルームに、顔だけを覗かせてそう告げてきた。

私にお客さん? と不思議がりながら凛が席を立とうとしたところで、来客がちひろの後ろから姿を現す。

誰あろう天海春香であった。


139: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:42:15.58 ID:Rri5HD+xo


「やっほー凛ちゃん。ごめんね、打ち合わせ中に」

「春香さん!」

ウインクをしながら手を振る春香に、凛は腰を浮かせた。

「アイエエエ!? ハルカ!? ハルカナンデ!?」

杏はHRS(ハルカ・リアリティ・ショック)を発症するし、他の子も口をあんぐりと開けて固まっている。


「どうしたんです、春香さん?」

部屋の入口に立つ来客へ走り寄って、凛は尋ねた。

「ほら、こないだ眼鏡を貸してもらったでしょう? それを返しに来たの」

本当は受付の人に渡して帰るつもりだったんだけど、タイミングよく凛ちゃんがいるって聞いたものだから、
と春香は右手で眼鏡を差し出しながら答えた。


140: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:43:42.81 ID:Rri5HD+xo

「春香ちゃん、いつもお世話になってます。申し訳ないね、わざわざ返しに来て貰っちゃって……」

Pも春香に歩み寄って会釈する。

「あ、いえいえ、こちらこそお世話になっております。お借りしたのは私なんですし、お気になさらないでください」

それに六本木からの帰り道ですから、と春香は少し困ったように眉の尻を下げて微笑んだ。

「春香さん、今日はテレビ旭で収録だったんですか?」

「そうなの。近いから歩いてきちゃった」

六本木ヒルズはCGプロの事務所から600mほどだ。


141: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:46:14.03 ID:Rri5HD+xo

「CGプロさんって便利な場所にあるねー。六本木は勿論、赤坂も汐留も浜松町もすぐ行けちゃう」

それぞれ主要放送局――旭、ブーブーエス、ニッポンテレビ、文科放送の在る場所だ。

二人のやり取りの後ろで、PはHRSを起こした杏を介抱しながら、凛に告げた。

「いまちひろさんに応接室開けてもらうから、凛はそっちでゆっくりして構わんぞ。
 出発まで一時間くらいあるし、凛はイベント慣れしてるから特にやることもないしな」

「ん、ありがと、プロデューサー」

「あ、いえいえ、お構いなく。私はもう、すぐにお暇しますので。すみません、お邪魔しちゃいまして」

打ち合わせをこれ以上妨げることに気が引けるのだろう。春香はPに軽く頭を下げた。

「今日はニューシングルの発売日だったね。お願いシンデレラ……だったっけ。イベント頑張ってね」

去り際、春香が凛にそう言うと、それを耳にしたPは少しだけ驚いた様子を見せた。

「まさか春香ちゃんがうちのニューシングルを知ってるとは、光栄だねえ」

「えっへっへ、ライバル会社の情報収集には抜かりないんですよ?」


142: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:47:15.81 ID:Rri5HD+xo

“ライバル”の部分を冗談めかすイントネーションで云う。

「クリスマスライブや凛ちゃんの新作情報も出てたし、いちリスナーとして期待してますよ!」

「あはは……怒濤のレコーディングやダンスレッスンが既に重なってますけど、
 でも期待してくれている人たちのためにやり抜きます」

「そうだね、凛ちゃん、数箇月毎の新曲リリースは大変だろうけど、頑張ってね!」

凛の肩をぽん、と叩いてから、春香は手を振り、帰っていく。

凛はなぜだか、その背中にとても大きな頼もしさを感じた。


143: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:48:32.46 ID:Rri5HD+xo


「なんでだろう……春香さんは確かに憧れだけど」

己の心に問い掛けて返ってくる答えは、憧れとも違う感情のようだ。
凛は戸惑う。

まるで姉のような――

不思議な感覚。

トワレコのイベント中もずっと、それが頭の中を巡っていた。


146: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:53:45.41 ID:Rri5HD+xo



・・・・・・・・・・・・


しばらくの時が過ぎて、もうまもなく世間は大型連休へ突入しようかと云う四月の下旬。

ボリウッドに大きな影響を受けたとかなんだとか云って、Pは凛に強烈な新曲と振り付けを書き下ろしてきた。


「――プロデューサー、本気なの?」

春の陽が射し込む第一課の事務スペース。

そんな麗らかな光と対照的に、凛は額へ皺を深く寄せて問うた。

手許には、コードとリズム、そしてメロディラインが載った簡素な譜面と、
それとは逆に細かく小節ごとの振り付けが決められた詳細なダンス指示書とコンテ。

流し読みしただけで目眩がしそうなほどの動作指定が、そこには書かれていた。
たった一小節分だけでA4用紙の半分以上を埋めている箇所さえある。


147: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:55:25.68 ID:Rri5HD+xo

テンポは135と、先日リリースした『おねシン』や765プロの代表曲『READY!!』の174BPMよりだいぶ遅い。

数字だけ見れば楽に思えるが――

最大の相違は、16ビートの曲であること、そして八分取りと一六分取りを混ぜた振り付けであることであった。

事実、135BPMの16ビートは相当な速さに感じられる。そんな疾走感がある曲である上にダンスも速いとは。

アイドルが唱う速いテンポの曲は、大抵、ダンスは四分や二分取りをすることが多い。
つまり曲は速いが踊りは遅いのだ。

この曲とおねシン、両者を比較すると、およそ三倍のキレを必要とする計算であった。

……一曲踊っただけで足腰が立たなくなりそうだ。


148: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:56:28.36 ID:Rri5HD+xo

「本気も本気さ。伊達や酔狂でそこまで手の込んだ書類は作らんよ」

事務机の向こう側から、キーボードを叩く音と共に抑揚を抑えた声が飛んできた。

「これ、明らかに私を殺しにかかってるよね?」

「だって如何にもアイドルアイドルした普通の曲を演ったって面白くないだろ?」

Pはシネマディスプレイの陰から顔だけを見せて、飄々とした態度で答えた。

「ちょっと、面白くない……って……」

凛はそれを少し非難するような口調になった。

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149: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:57:54.12 ID:Rri5HD+xo

しばらく無言の状態が続いたが、一向に場の雰囲気が和まないので、
Pはキィと椅子を廻して立ち上がり、彼女の座るソファの前まで歩いてきた。

その顔は至極真面目だ。

ガラステーブルを挿んた対面に「よいせ」と座って息を吐く。

「あのな、これはアイドルという固定観念に対しての、ある種の皮肉なんだよ」

「皮肉?」

凛は鸚鵡返しで訊いた。

Pは大きく頷く。


「いいか、所謂、相の手を打てるような曲構成は、勿論アイドル歌謡としては必要だ――」


150: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 21:59:49.75 ID:Rri5HD+xo


 ――なんてったって、キャンディーズ時代からの因習だからな。

 最たる例がハーフテンポ、つまりPPPHだ。

 だがな、そんな曲ばっかりじゃ胸焼けしてゲップが出ちまうよ。

 そういう“わかりやすい”役割はおねシンとかに任せればいい。

 お前だってメシに毎回々々ビフテキ食うなんて出来ないだろ。魚や野菜が欲しくなるだろ。

 それと同じだよ。

 我々に必要なのは、こういうメニューも出せます、と様々な選択肢を呈示すること。

 一芸を披露するのではなく、総合的なエンターテインメントを提供すること。

 その中の一つが今回の曲だ。


151: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:00:46.33 ID:Rri5HD+xo



 哀しいことに、アイドルなんてチャラチャラしているだけで
 大したことなど何もやってないという印象を持つ人は大勢いる。

 それが現実だ。



 歌唱が下手でも、AutoTuneやMelodyneと云ったプラグインを使って
 ピッチ補正を行ない、本番はそれを流して口パクをするだけ。

 確かに、業界にそういう面があるのは事実だ。否定できない。

 以前、フジツボテレビで口パク禁止令が出たとき、そこに出ていた人たちは惨憺たる醜態を晒したもんな。


152: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:01:54.50 ID:Rri5HD+xo


 だが、うちは違う。あらゆる要素に全力投球してる。歌にもダンスにも、演技にも舞台演出にもだ。

 CGプロは基本的にピッチ補正も口パクも許可しない。だから鬼のようなトレーニングを積むだろ?

 かのマイケル・ジャクソンですら、踊りながら歌えばピッチもタイミングもズレたもんさ。
 それほど、身体を動かしながら声を出すのは大変なことだ。

 なのにそれが世間へ伝わり切れていないとしたら?
 折角頑張っているのに理解されていないとしたら?


153: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:02:43.33 ID:Rri5HD+xo

 哀しくならないか?

 悔しくならないか?

 お前は見返したいと思わんか?

 少なくとも俺は、アイドルが今回作った曲のような演目をこなしたら、
 まず腰を抜かして、そしてそのまま熱狂的なファンになるね。

 渋谷凛はそこらのアイドルと一線も二線も画しているのだということを見せつけてやれよ――


154: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:03:48.48 ID:Rri5HD+xo


「――アイドル・渋谷凛ではなく、“渋谷凛という存在”になれ」

凛は武者震いした。

この人は日高舞以来のアイドルという概念を、進化させようとしている。

長い間培われてきたアイドル像は否定しないが、可能性の探求をやめることは糾弾する。

――私は、アイドルとはこういうものだ、と無意識のうちに思考が硬直化していなかっただろうか。


155: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:05:13.39 ID:Rri5HD+xo


凛は、気付いた。
そもそも、自分のいるCGプロ、そこに所属するアイドルを俯瞰すれば、どれもこれも、
旧来のアイドル像とは懸け離れた、クセのある人選ばかりじゃないか。

そして、そんな“アイドルらしからぬアイドル”が人気を博している。

足元にヒントが転がっていたのだ。

凛の中のアイドルという価値観、アイデンティティに大きな変革が訪れようとしていた。

しかし同時に、その答えは五里の霧の中へ見えなくなっていく。

実にわからないことだらけだ。


156: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:06:33.67 ID:Rri5HD+xo


「大丈夫だ、ダンスに注力できるよう、メロディラインは単純にしておいた」

Pは最後に、そんなフォローになっているのかいないのか判断しかねる言葉で締める。

「気休めにもならないよ、それ……」

凛は呆れたように返すが、

「まあまあ、もう少しすればニュージェネレーション用に従来のアイドルらしいプロダクトも用意する。
 今はその曲をマスターすることに専念してくれ」

こう云われては素直に従うしかあるまい。


157: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:07:39.64 ID:Rri5HD+xo

「はぁ……まったく強引なんだから。ひとまずいい時間だし、レッスンに行ってくるよ」

「おう頑張ってくれ。ちなみに、発売日は再来月の26日、PV撮影があるから習得期限は逆算して来月中旬だ」

「ええっ!? そんなにタイトなの!? ちょっと勘弁してよ……」

根は真面目な凛。頭を抱えながらもスタジオフロアへと歩み出て行った。


ま、おそらく一番頭を抱えているのはトレーナーさんたちだろうけどね。

Pは、凛に手を振りつつ、実に鬼畜なことを、まるで他人事のように独り言ちた。


158: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:09:22.78 ID:Rri5HD+xo



・・・・・・・・・・・・


およそ一週間が経ち。

マスタートレーナー青木麗とルーキートレーナー青木慶による付きっきりの指導で、
二人からの報告によると、何とか通しの動きができるまでにはなったようだ。

凛は朝の五時から夜の十時まで、仕事時以外はスタジオへ籠りきって習得に専念している。

寮へ帰らず事務所の仮眠室にずっと泊まりっぱなしだ。

GWで学校はほぼ休みというのが幸運であった。

この一週間、スタジオフロアのうち第一ダンスレッスンルームはほぼ凛専用と化している。

クールアイドルがダンスを習う時は、第二や第三課のルームを間借りしているほどだ。


159: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:10:24.46 ID:Rri5HD+xo

そんな大型連休の中盤、早朝。

Pは四時頃出社し、麗に指定された献立に基づいて凛の食事を用意している。

凛だけに負担はさせない、とサポートを進んで引き受けたのだ。

 ――プロデューサーが支えてくれるなら、私も頑張らないとね。

それを伝えた時の凛は、そう云って眩しい笑顔をPに向けた。
その時の笑顔は脳裏にはっきり焼き付いている。


160: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:11:39.34 ID:Rri5HD+xo


まだ陽は出ていない。薄明にもなっていない時刻。
蛍光灯で照らされた給湯室に、男の不器用な包丁の音が響く。

そこへ凛が、寝ぼけ眼を擦りながら起きてきた。

「ふゎ……ぁ……、んー……おはよ……」

「おう、おはよう」

――大きめのTシャツとショートパンツというラフな寝間着のままで。

まるで杏を大きくしたような出で立ちだ。

こんな凛を独り占めにしているとファンに知られたら、殺されても文句は云えまい。


162: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:15:05.54 ID:Rri5HD+xo

凛はタオルで顔をとんとんと軽く叩くように拭って、コンロ前にいるPの方へ寄った。

起き抜けの女の子の、甘い匂いが漂う。これは、男を惑わす第一級の危険物だ。

そんなPの内心を知ってか知らずか、隣まで来て鍋の中を覗き込む。

そこでは形不揃いの野菜がぐつぐつと踊っていた。

「プロデューサーって料理センスはいまいちだよね」

「すまんな、一応麗さんに云われた通りの献立で作ってるんだが」

「ふふっ、冗談。謝らないでよ。わざわざ作ってもらって、ホントは感謝してるんだ」

凛は鍋からPに目を移して笑った。その眼の下には、わずかに青い隈が出来ている。


163: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:16:43.81 ID:Rri5HD+xo

青魚やビタミンを増やした方がいいか麗さんに相談しておこう、と隈を見つつPが考えていると、
凛は照れるように「わ、私の顔になにか付いてる?」と訊ねた。

「あぁすまん無遠慮に覗き込んじまったな。眼の下にうっすら隈が出てたからな、
 献立の栄養バランスを変更すべきか麗さんに相談しようと考えていたんだ」

「……
 ふーん」

Pが馬鹿正直に答えたら、凛は急に素っ気なくなった。

あからさまにがっかりしているくせに、それを見せないように振る舞おうとしているのだろう。

バレバレなのだが。


164: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:17:35.77 ID:Rri5HD+xo

「あとお前の、綺麗なすっぴん顔に見蕩れていたんだよ」

「もう……ばか」

冗談めかしてPは云ったが、それもまた本心であった。

実際、凛の端正な地の面立ちや、きめの細かい肌は、薄いメイクでも
ハイビジョンのテレビ映りに充分耐えられるレベルだった。

今度メイク落としのCMでも取ってこようか、と内心で計画しながらPは鍋をかき混ぜた。


165: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:19:37.06 ID:Rri5HD+xo


――

休憩室のテーブルにP謹製の朝食が並ぶ。

二人向かい合って座り、いただきます、と唱えてから箸をつけた。

「プロデューサー、今日のスケジュールは?」

凛がポトフのじゃがいもを口へ運びながら訊く。

「午前中は九時からニッポンテレビで収録、午後は四時から日本放送のNG番組パーソナリティと、ついでにオリコソのインタビューだな」

「となると、今日は朝昼夜三回に細切れの練習だね。本当は通しでやりたいけど」

「まあ仕事最優先だしな、そこは仕方ない」

「うん、わかってる」


166: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:20:54.70 ID:Rri5HD+xo

Pの方はと云うと、このあと凛を送り出してから昼間は普段通り業務をこなし、
夜になったら朝と同様、食事を用意、凛の学校の課題を手伝ってから寝かしつける。

そしてテッペンを越えるまで残務を処理して、終電で帰る。

通勤や諸々の時間を考えると、おおよそ二時間程度の睡眠であった。

しかし、凛と合宿のようなことをしていると考えれば、不思議とあまり苦にはならなかった。


167: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:22:22.87 ID:Rri5HD+xo


「でも仕事優先とは云ってもさ、プロデューサー。朝五時から夜十時じゃちょっと間に合うか不安だよ。もっと延ばせない?」

うずらの卵を落とした納豆を掻き混ぜながら、凛は少し危機感のある声音で云った。

「慶ちゃんからのレポートを見ている限りでは大丈夫そうだと思うがね。
 それに我が国には労働基準法と云うものがあってな……これでもその枠の中で最大限の時間を取っているんだよ」

Pがこめかみを掻いて答えると、凛は納豆を混ぜ続けながら目線を上げ、肩を竦める。

「……法律ってめんどくさいね」


168: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:24:08.73 ID:Rri5HD+xo

「さらに面倒くさいことを言うとな――
 凛の場合はCGプロに“雇用されている労働者”ではなく、CGプロと“契約している個人事業主”の扱いだから、
 労基法の適用は受けないんだよ、実は。云うなれば24時間ぶっ続けの不眠で労働しても構わないわけさ、法律的には」

全くお笑いだ、とPは両肩を上げて自嘲気味に云った。

「なにそれ。複雑すぎてわけわかんない」

納豆を白飯に掛けてから、しかめた顔をPへ向ける。

「ほんと、社会や法律ってのは面倒に出来てるよな。
 ……まあ法律上は問題ないとはいえ、モラル的には問題大アリだ。業界のイメージにも関わる。
 だからうちは労基法に准じたルールを設けて、18歳未満のアイドルには深夜帯の活動をさせないようにしているんだ」

「契約とかは親任せだったけど、そろそろ私も法律をちゃんと勉強しておかないとだめだね」


169: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:25:47.63 ID:Rri5HD+xo

「俺が高校の頃なんて法律のホの字も知らなかったから、凛はまだしっかりしてる方さ――」

凛は納豆とご飯をゆっくり咀嚼しながらPの話に耳を傾けている。

「――それに育ち盛りだ、夜は充分に休まなきゃいかん」

「……もう成長期は過ぎたと思うんだけど」

「それでもまだ成熟しきっていない人体には適切な量の規則正しい睡眠が必要だ。
 女の子は男と違って月の物もあるし、ストレスに体調を左右されやすいだろ。
 肌の状態にも直結するから、睡眠時間だけはきちんと確保しないと」

ここ一週間、毎日二時間程度しか寝ていないPが言ってもあまり説得力のない言葉。

案の定、「ストレスで云えばプロデューサーの方が大変そうじゃない。
こないだ胃潰瘍になりかけてたでしょ」と厳しい突っ込みが入った。


170: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:27:04.26 ID:Rri5HD+xo

Pは悪びれず、大仰に腕を広げて言い放つ。

「お前たちを輝かせるための胃潰瘍なら、それはプロデューサーと云う人種にとって勲章だよ」

呆れた顔をした凛は、やれやれ、と飲んでいたポトフの器を置いた。

「まったくワーカホリックなんだから。……それと、女の子に面と向かって生理のこと云うなんてデリカシーないよ」

「すまんな、そういうのはよくわからないんだよ」

への字口の険しい顔でPを見ていたが、すぐに表情を緩め、付け加えた。

「ま、それだけきちんと私の身体のこと考えてくれてるってことだもんね、だからいいよ。ふふっ」

「そりゃどうも」


171: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:28:12.31 ID:Rri5HD+xo

よく判らん、と云った体裁でPが両手を挙げる。

その言葉に何やら満足したのか、凛は微笑みを湛えながら「ごちそうさまでした」と湯飲み茶碗をことり、置いて云った。

「はいよお粗末様」

テーブル上のPの料理は全て平らげられていた。

作った食事を残さず食べられると気分がいいとよく云うが、Pはまさにその歓びを味わっている最中だ。

凛はくすっと笑い、じゃあシャワー浴びて着替えてくるね、と身支度を始めた。


172: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:29:28.14 ID:Rri5HD+xo


並行して、Pは洗濯を済ませる。

激しい練習・トレーニングをすると、必然的に替えの衣類やタオルが大量に消費される。

それは、たった一日分、しかも凛一人分だけでも籠が満杯になるほどであった。

当初、アイドルたる凛の衣類をP自らが洗うのは気後れがあった。
タオルやシャツならまだしも、下着までまとめて籠に突っ込んでいるのだから当然ではある。

スポーツブラとスポーツショーツ、たとえ色気など微塵も感じられないとはいえども、
年頃の女の子のものに触れるのは如何なものか。

のあや蘭子からも「アイドルが身に着けたものを家族でもない男の人が洗濯するなんて」と制止されたが、
「逆にプロデューサーだから安心して任せられるんだよ」と云う凛本人の言葉で決着がついてしまった。

実際問題、人手も足りないし、業務時間中は誰かが洗濯をする時間を確保することもできないので、
朝、こうやってPが洗っているのだ。

これもファンに知られたら、殺されても文句は云えなそうだ。


173: しぶりんの使用済みタオルはどこ行けば手に入るんですか、大天使ちひろさん! ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:31:09.02 ID:Rri5HD+xo


洗濯機を回し、食器を濯いでいると、間もなく五時。

凛が身支度を終えて給湯室に顔を出した。

「それじゃ行ってくるね」

「おう。気をつけてな」

Pが差し出した麗の特製ドリンクを「ありがと」と掴んで、彼女はスタジオフロアへと消えていった。


174: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:32:39.42 ID:Rri5HD+xo



・・・・・・・・・・・・


同日、昼過ぎ。

三時に卯月と未央が出社してきた。
二人は第一課へ直行する。

「おっはよ~Pさん! 本田未央、ただいま出社でありまーっす!」
「おはようございますPプロデューサーさん! 島村卯月、今日も頑張ります!」

第一課に、クールとは異なる大きく元気な声が溢れた。

通常、アイドルは他課へ顔を出すことはない。

しかしニュージェネレーションと云う事務所唯一のユニットを組んでいる卯月と未央は例外であった。

その元気さに、第一課の所属者もだいぶ慣れてきた昨今だ。


175: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:34:02.03 ID:Rri5HD+xo

「お、もう三時か。おはよう、二人とも」

Pは二人を認めると、事務机から立ち上がって迎えに出た。

「それじゃそろそろ凛を呼んでくるか。二人ともついておいで。
 今日は番組終了後に、日本放送の中で雑誌のインタビューを済ませちゃうから俺も一緒に行くよ」

「うわー、Pプロデューサーが付き添いで来てくださるのって久しぶりですね!」

「すまんね卯月ちゃん、いつも見てやれなくて」

眩しい笑顔に、Pは苦笑いで返す。

アイドルの数はどんどん増えていくのに、それを管理する者は増えていない。

事務なんか、膨大な量のタスクをちひろが一人でこなしている状態。
あの書類捌きはまるで人外の動きだ。


176: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:35:28.65 ID:Rri5HD+xo

社長のスカウト術は目を見張るものがあるが、流石にそろそろキャパオーバーを免れないだろう。

「まあニュージェネレーションとして動くときはしまむーもしぶりんもいるから特に問題はないけどね~♪」

「ははは、心強い限りだ」

今後ニュージェネレーション以外にもユニットを増やすことを真剣に考えないとな、と、
銅や鏷と最近よく議論をしている。

三人でユニットを組ませれば、単純計算で管理コストが三分の一になるし、
アイドルの自主性にある程度委ねることもできるようになるからだ。

ニュージェネレーションが一定の成果を上げつつあるいま、遅くとも来年度までに、
CGプロは戦略転換が必要となるだろう。


177: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:36:41.84 ID:Rri5HD+xo


思考に耽りながらスタジオフロアへの階段を上がり、金属扉を開ける。

蝶番がキィと鳴いた。

「私、今回のしぶりんの特訓しているところまだ見たことないんだよねー! ちょっとワクワクするっ!」

「私も私も。凛ちゃんどんな練習してるんだろうね?」

「ん? 二人ともまだ見てなかったのか」

意外だった。てっきり凛は二人には見せているものだとばかり思っていたのだ。


178: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:37:17.89 ID:Rri5HD+xo

「うん。Pさんが世話してるって聞いたしさ! お邪魔虫かな、っということで♪」

「そうだね。それに凛ちゃんが合宿までするような特訓だったら、私たちはあまり深入りしない方がいいかと思って」

「そーそー。何かあれば、しぶりんから云ってくるだろうしね」

無関心ではなく、固い絆があるからこその非干渉だ。

すごいなこの子達は。

二人を通してから扉を閉めつつ、Pは舌を巻いた。


179: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:38:45.00 ID:Rri5HD+xo


フロアの廊下はL字型になっている。
入口に最も近い手前部分は衣装保管庫、角を曲がってボーカルブース三つ、
MA室とアクティングルームを挿んで、その向こうにダンスルームが三つ。
ちなみにシャワールームと更衣室は地下一階だ。

歩いて行くと、管理職種の姿を視認したアイドル達が、口々に「おはようございます!」と元気な挨拶を向けてくる。

Pは軽く手を挙げてそれらに応えつつ進む。

第一ダンスルームは廊下の一番奥だ。
その位置柄、今は『凛関係者以外立入禁止』のような雰囲気が漂う。


180: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:41:08.38 ID:Rri5HD+xo

事実、廊下で休憩・待機しているアイドルとその卵たちは、Pらの様子を遠目で窺うのみに留まっている。

あまりそういう壁は作りたくないんだがな、と思いながらPは歩くが、多少は致し方ないことであった。

スリッパを響かせて近づいて行くと、防音扉から微かに漏れる音楽が耳に届いてくる。

「なんかインドっぽい音楽だね?」
「だね~、なんかカレーってカンジ?」

Pの後ろで二人が好き勝手な感想を述べている。

ガチャリ、と重い防音扉を開けた瞬間。

熱い衝動を誘発するビートが一陣の風となって駆け抜けた。


182: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:46:58.50 ID:Rri5HD+xo

タブラやムリダンガムをフィーチャーした、どこかトライバルな、それでいてモダンなうねり。


「ステップに意識が行って指先が疎かだぞ! 表でリズム取るな!」

「はい!」

「アイソレーションの動きが小さい! 身体を拡げろ! 疲れを出すな!」

「はいッ!!」

「慶、117小節の頭を出してくれ」

「わかりました」

そこでは、凛がこれまでに見たことないような激しいダンスを舞っていた。

下腹の底から激情が溢れてくるような。

それは、心の深淵に刻まれた、遺伝子の記憶を呼び覚ますかの如く疾風だった。

力強く舞い飛ぶ凛は汗だくで、Pたちが姿を現したことに気づいていない。

卯月と未央は絶句している。


183: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:48:23.47 ID:Rri5HD+xo


曲が終わり、壁面鏡の前で決めのポーズを、澄ました笑みで維持する凛。

 ――つんと澄ます余裕なんてないほど疲れているはずなのに。

たっぷり十秒ほどその姿勢を保たせ、麗が「よし!」と声をかけた瞬間、
がくりと膝に手をつき、顔を伏せ、激しく息を切らした。

「ぜえっ……ぜぇッ! ……はぁっ……はァッ……!」

思わず目を背けたくなるほど、見ているこちらの方が苦しくなってしまいそうな、凄惨な呼吸。

「けほっ、ぇほっ……!」

酸素を求めるあまり、咳き込んでしまう。

滝のように流れ落ちる汗が目に入るのか、瞼をぎゅっと閉じて喘いでいた。


184: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:49:45.42 ID:Rri5HD+xo


パチ、パチ、パチ――

そこに単発の拍手が響く。Pである。

「いや、まさかたった一週間でここまで出来るようになるとは予想以上だ」

その声に凛は左目だけを開けて顔を挙げた。

「プロ……デューサー……き……て……たの……?」

凛が喋ろうとするのを掌のジェスチュアで制止して、彼女の方へと歩いていく。

手摺に掛かったタオルを取って、「ご苦労様」と手渡した。


185: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:51:07.29 ID:Rri5HD+xo

「慶ちゃんからのレポートでだいたいの状況は把握してたが、これほどとは思ってなかったよ」

「そうだな、P殿。渋谷の吸収力は素晴らしい。全体の通しはほぼ憶えたようだから問題ない。
 あとはひたすら反復させ、細かい部分の調整、表現力を磨くことに注力できるだろう」

麗は指示書に目を通し、何かを書き込みながらPに簡単な報告をした。

「承知しました。流石マスタートレーナーの指導は折り紙付きですね。
 慶ちゃんにも無理を云って申し訳ない」

「なあに、これだけ難しい演目だと実に教え甲斐がある。なぁ、慶」

「はい! 凛ちゃん、日に日に凄くなっていって、教える方も楽しいですよ」

青木姉妹はそう云って笑みを浮かべる。


186: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:53:07.94 ID:Rri5HD+xo

卯月と未央は、とうとう床にへたり込んでしまった凛を世話しながら、Pへ興奮気味に問うた。

「な、何なんですかこのダンスは!」
「ぴ、Pさん! こんなキレッキレの、見たことないよ!」

Pは麗に向けていた体を二人の方へ開き、さも当然という顔をする。

「そりゃそうだよ、誰も見たことのないものを作ってるんだから」

そんなつれないPに、二人は血相を変えた。

「だ、だからってこんなことさせてたら凛ちゃん死んじゃいますよ!」
「そうだよ~っ! こんなに苦しそうにしてるじゃんっ!」

「ふ、二人とも……私は大丈夫……苦しいけど、辛くない」

卯月と未央は、凛の云っている意味がわからず混乱の顔をした。


187: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:54:02.49 ID:Rri5HD+xo

「疲れるし……苦しいんだけど、……それよりもずっと、ずっと、楽しいの」

二人は、何かに気付いたように目を見開いた。

Pは満足げに頷いた。

「凛、この曲を、この踊りを、楽しめるようになったか」

「うん。最初、指示書を見た時は混乱したけど……いざレッスンを受けながら、こうやって形にしていくと
 まだ見知らない世界が開けてきて、ワクワクして、とても楽しいんだ」


188: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:55:20.79 ID:Rri5HD+xo

凛の言葉を引き継いでPが言う。

「凛の踊りを見て、二人とも胸が高鳴っただろう?」

卯月と未央は大きく頷いた。

「アイドルってのは、“楽しさ”を具現化して発信する像だ。それはデビュー時から耳にタコができるほど云い聞かせられてることだろう。
 アイドル自身が楽しいと感じられれば、その偶像の魅せる世界も楽しさに染まる。
 さあそして今、身内である君たちでさえ、凛の、この踊りを見て心弾んだ。――では一般のお客さんたちになら?」

半身に構えて、未央をビシッと指差すと。

「……もっと、もっと……ドキドキワクワクさせられる……」

「Exactly(そのとおりでございます)」

そのまま肘を腹の前に曲げ、まるで執事のように大仰なお辞儀をした。


189: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:57:27.04 ID:Rri5HD+xo

そして、顔を挙げると、不敵な笑みを浮かべ、衝撃の通告をする。

「今は凛だけにやらせてるし凛の新曲と云う位置づけだけど、
 将来的には、凛だけじゃなくCGプロの全員でやってもらうからね」

凛は床に座ったままPと同じように笑んだ。意図を察したのだろう。

「えええええっ!? そんな無茶ですよっ!」
「そうだよPさん! しぶりんでさえここまでグ口ッキーになる振り付け、私に出来るわけないって!」

泡を食って後ずさる卯月と未央に、凛は笑顔を向けながら言葉を投げ掛ける。

「できるよ、卯月も未央もみんなも。こんなに楽しいダンス、一度足を踏み入れたら虜になるよ」

「そう、出来るさ。君たち――いや、うちのアイドルは全員、素質がある。
 反復練習を重ねれば、そしてトレーナーさんたちの確かなレッスンがあれば、
 多少時間がかかっても必ず出来るようになる。ね、麗さん、慶ちゃん?」

「ん、あぁそうだな。我らトレーナー陣に任せておけば無理なことなどない」

急に振られた麗は、それでも慌てることなく自信満々に言い切った。

「うんうん! みんなきっと出来ますよ!」

慶も追って頷く。


190: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 22:59:17.07 ID:Rri5HD+xo

「ま、まぁ……Pさんや麗ねえにそう云われたら……出来るのかも、って思っちゃうけど……」

ぽつりとそう漏らす未央の言葉をPは逃さない。

「よし! じゃあ今日から凛と一緒にやろうか? 鏷に伝えておこう」

「無理無理無理無理無理ぃ!! こんなハードなのは無理っ! 徐々に! 徐々にでお願い~!」

Pは冗談だよと笑いながら、ようやく呼吸が落ち着いてきた凛に手を差し伸べた。

「凛、とてもよく頑張ってるな。これなら予定を一週間前倒しできるかも知れん」

「ま、合宿の……成果かな?」

凛はその手をぐいっ、と引き寄せ、やや緩慢に立ち上がった。
普段ならすっくと立つのに、やはり疲労は隠せない。

「……この合宿で無理をさせてるから、日程はそのまま保持して、
 レッスンの密度を下げた方がいいな。お前の身体が一番大事だ」

左手で凛の肩を優しく叩きながら、労った。


191: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:00:04.78 ID:Rri5HD+xo

凛は汗で顔に張り付いた髪をかき上げ、「そう云うなら、こんなタイトなスケジュール組まないでよ」と少し責める。

「返す言葉もない」

バツが悪そうな顔するPに、凛は顔を引き締めた。

「でも、遠藤プロデューサーの無茶振りを受けるって言ったのは私だしね、これくらいは覚悟の上だよ」

厳しいトレーニングにもへこたれない彼女。
華奢な身体のどこからこんな闘志が出てくるのだろう。Pは頼もしさを胸一杯に感じていた。

「さ、そろそろ仕事の支度をしよう」

そう云って凛にシャワーを促した。


192: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:01:45.55 ID:Rri5HD+xo



・・・・・・・・・・・・


大型連休があっという間に過ぎ去り、歌の収録とインドでのPV撮影が済んで
あとはポスプロの作業だけとなった五月も末の頃。

会社にニュージェネレーション三人が呼び出された。

学校帰りの凛と未央に、卯月が合流して第一課ミーティングルームへ行くと、
そこには、P、銅、鏷が揃っていた。

「お、来たな」

プロデューサー陣で話し合っていた中、凛たちの到着に鏷が気づいて声を上げた。

「おはようございます!」

三人はそのまま、Pたちに促されて会議の席についた。


193: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:03:19.54 ID:Rri5HD+xo

「今日はどうしたの? 久しぶりのオフのはずだったのに」

凛は先日、インドから帰国したばかりだ。
本来はおよそ一箇月振りの休日を取らせるスケジュールだったのだが。

「すまんな、ちょうどさっき企画がまとまったんだ」

Pはすまなそうに手を面前に掲げて云った。

卯月がきょとんとした顔で問う。

「企画、ですか?」

「そう、ひとまず話を聞きながらこれを見て頂戴」

銅はそう云いながらA4用紙数枚の書類を全員に配った。


194: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:06:07.81 ID:Rri5HD+xo

タイトルには
“ニュージェネレーション ニューシングル概要書”
とある。

「あ、これ」

一目見るや否や、凛が合点のいった顔をした。

「そう、こないだニュージェネレーション用のを用意するって云っただろ? それだよ」

三人の新曲だ、とPが云う。
書類の三枚目には、既に歌詞が出来上がっていた。

「うわぁ! ニュージェネレーションのプロジェクトは久しぶりだね、凛ちゃん未央ちゃん!」

「だねだね~! しまむー私ゃ嬉しいよーウルウル」

「私たち三人にぴったりの詞だね、楽しみだよ」


195: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:07:14.41 ID:Rri5HD+xo

ここ最近はソロが多かった三人にとって、一緒の企画をやるのはおねシン以来。

おねシンのレコーディングは二月末だったから、およそ三箇月ぶりだ。

それに、おねシンは純粋なニュージェネレーションだけのものではなかった。

そう考えると、ニュージェネレーションが前面に出る企画は相当久しぶりのことである。

凛も、卯月も、未央も、小さく飛び上がって喜び合った。

「既にデモは組んである。明日には編曲した譜面の第一稿が上がるはずだ」

早速レッスンだな、とPはスケジュール帳を確認する。


196: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:08:41.55 ID:Rri5HD+xo

「曲調としては765のREADY!!に近いものになると思うから、ひとまずはそれをイメージしておくといいわ」

銅が書類をペシペシと叩きながらアドバイスした。

「本当はせっかく三人いるんだから三声でやりたいと俺は言ったんだけどな、わかりやすさを優先しろって銅に怒られた」

「当たり前でしょうが。これはライブとかでお客さんと合わせて歌ってもらう類いのものなのよ」

今度はその書類で銅がPの頭を叩く。

Pはやれやれと云う顔で「俺は好きなんだけどなぁ、複雑なコーラス」と愚痴をこぼした。

「だったらアタシや鏷を巻き込まず他の企画でやりなさいよね」

「うーん、そうだな、考えてみるか。アイドルがゴスペルやア・カペラを演る……、うん、燃えるな」

「プロデューサーってゴスペルとかア・カペラが好きなの?」

凛が訊ねると、Pは心なしか目を輝かせた。


197: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:09:43.93 ID:Rri5HD+xo

「おう、大好きだぞ。音楽の祖ってのは突き詰めれば人間の声だからな。
 声だけで複雑なハーモニーを作るのはたまらん」

そんな自分の世界に入るPを無視して、鏷が我関せずと云うかの如く、椅子の背もたれに「うーん」と伸びをする。

そして足を組み直しながら言った。

「今日のところは帰ってから歌詞を頭に入れて、どんな風に歌おうか予習しとけや」

再び銅が告げる。

「今回は進行管理をPが、実務やニュージェネの世話はアタシが担当するからね」


198: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:10:29.34 ID:Rri5HD+xo

「あれ? プロデューサーじゃないんだ? 珍しいね」

凛が、意外だ、という顔をする。

「ああ。俺は他の子たちの世話を見なきゃいけなくなってな」

最近はCGプロ内からたくさんの新進気鋭アイドル、特に第一課の所属者が急伸して芸能界を賑わせている。

それを一人で捌くのだから、Pは残務が山積しているのだろう。

簡単な打ち合わせは、これにて散会となった。


199: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:12:30.61 ID:Rri5HD+xo


――

翌日から一週間、凛は学校や仕事の合間を縫って新曲のレッスンを進めている。

曲構成自体は奇を衒わずオーソドックスな構造になっているので、ボーカルのライン取りはさほど苦ではなかった。

それは未央や卯月にとっても同じだったようだ。

そんなボーカルブースの様子を、Pは陰ながら窺っている。

いま見た限りでは、早いうちにレコーディングへ進められると考えてよいだろう。


一安心してスタジオフロアから降りてくると、ちょうど制作部の入口に興行部の遠藤が来ていた。


200: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:13:48.35 ID:Rri5HD+xo

「おおよかった、デスクにいらっしゃらないから探そうと思ってたところです」

階段を下りてきたところを見付けると、そう云ってこちらへやってきた。どうやらPに用事があるらしい。

「ちょっと会議室へ行きましょう」

遠藤は目配せをして廊下の反対側にある小会議室へ入り、使用中の札を掲げた。

Pも中へ進み、椅子にかける。遠藤は空調の設定温度をいじってから、対面へ座った。

「いやはやPプロデューサーは机の書類が凄いことになってますな。
 庶務が大量に詰まっているのはわかりますが、抱え込んで潰れないようにしてください。
 ――良い知らせと悪い知らせがあります。どちらを先にしましょう?」

遠藤の話はあまり穏やかではなさそうだ。それでもPは律儀に両方とも答える。

「アイドルを輝かせるためなら何のこれしきですよ。――悪い話から」


201: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:15:27.41 ID:Rri5HD+xo

「年末の公演、先日の凛ちゃんのライブと同じように、横浜アリーナで23、24、25日の3DAYSにしようと云う計画でした」

Pもその話は承知している。プレスリリースにもそう出ていた。

「そうですね、既に横アリで連日開催する経験は積みましたので、準備がだいぶ楽に済ませられそうというお話でしたが」

遠藤が、会議室にいるのにも拘わらず憚り、声を小さくして云ってくる。

「その計画なんですが……全国ツアーに変更の上、五大ドーム+横アリでの開催になりそうです」

Pは敢えて感情を隠すことなく、眉をひそめた。
確かに予定より規模が大きくなることは喜ぶべきかも知れないが、そうも云っていられない課題が多過ぎる。

「……遠藤プロデューサー、うちのポリシーをよもや忘れたわけではないでしょう?」

「勿論です、興行するに足る最低限の音響環境を確保できる箱でしか開催しないと云うのは大原則です」


202: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:17:31.95 ID:Rri5HD+xo

「ならなぜ。東京ドームで演るくらいでしたら横浜アリーナで一週間公演にしましょうよ。
 そもそもライブ日程は23日~25日の前提で全員のスケジュールを切ってます。
 他の子ならともかく、五大ドームツアーでは凛をはじめニュージェネ三人の根本的なリスケが必要です」

そう。五大ドーム、つまり全国ツアーとなると、それだけ準備や移動で拘束される日数も多くなる。

おそらく12月頭から行程が始まることとなろう。

Dランク以下のアイドルや、駆け出しの新人などは充分にスケジュール調整できるが、
Cランク以上の卯月や未央をはじめ、おねシン組はだいぶ先まで固まっているし、
なによりCGプロでトップを走る凛に至っては年末まで埋まっている状態だ。

その中で動かせないものと動かせるものを選り分け、動かせるものは関係各所に頭を下げひたすら調整する。

当然、リスケ先がコンフリクトしないよう細心の注意を払わなければならない。


凛の三曲目も、遅くとも11月下旬までに出さなければならなくなるだろう。

軽く想像しただけでも気が遠くなりそうな作業量である。

天を仰ぎ、手で目を覆い、思わず「正気か」と言葉が洩れた。


203: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:19:01.34 ID:Rri5HD+xo

「Pプロデューサー、私もお気持ちは判ります。
 ですが五大ドーム全国ツアーの看板を前面に出したいと云うスポンサーの強い意向があって、社長もそれには抗えず……」

つまり、スポンサーのせいであって興行部がごり押ししているわけではないと遠藤は云いたいのだろう。

「出家鵺さんも磐梯南無粉さんもうちの方針に理解あると思ってたんですけどねえ……」

「はい。だからこそこれまで我々の方針を最大限尊重してくださいました。
 しかし最近は愚裏意さんや癌砲さん、出井絵夢得無・酸雷図さんが地味に伸びているので、
 叩きつぶ……もとい、牽制しておきたい目的があるそうです。群雄割拠の時代ですから」

崩れた姿勢を戻し、覆っていた手を外すと、目の前では遠藤も頭を抱えていた。

「まあ事情はわからんでもないですが……参りましたね」

「特に磐梯さんは961さんとも仲がいいですし、なんとか社長の顔を立てると思って、お願いします」

磐梯南無粉の機嫌を損ねれば、資金が引き揚げられる上に961プロの力を利用して我々が潰される可能性もある。

磐梯南無粉の意に背くことは極めて得策ではない。


204: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:20:28.84 ID:Rri5HD+xo

そう、これこそが我がCGプロの資本を巡る構造的な欠陥なのだ。

スポンサーの後ろにライバルプロダクションの影が見え隠れする状況は早く改善させる必要がある。

961とタメを張れるくらいまで、そして磐梯南無粉と出家鵺に有無を言わせない規模にまで
この会社を大きく、所属アイドルを強くしないといけないということだ。

腹を決めなければならない。

「……仕方ありません、先方――特に磐梯さんに、音響の準備期間と整備費用を上乗せ交渉してくださいますか」

それで手を打とうというPの意思を、遠藤は汲み取った。

「わかりました。お客様に最高の公演を届けたい、その熱意で勝ち取ってきます。
 そして良い知らせというのは、その最高の公演を届けられるのに関係しそうなことです」


205: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:21:53.93 ID:Rri5HD+xo

「……と仰りますと?」

それまでの困った顔から一転、遠藤はニヤリと笑みを浮かべた。

「765プロの天海さんから、是非カメオしたいとのお申し出を頂きました」

「えええっ!?」

なぜトップアイドル天海春香がわざわざCGプロの公演にカメオしたいなどと云い出したのか。

これで驚くなと云われても無理な話であった。

「765の赤羽根プロデューサー曰く、凛ちゃんと同じ公演に出てみたいとのことでして」

もしかしたら、凛ちゃんは誰からも愛される才能があるのかも知れませんね、と遠藤は笑う。


206: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:23:14.21 ID:Rri5HD+xo

「おそらく日程的には、最終日25日の横アリのフィナーレ辺りで出演をお願いすることになりそうですが、如何しましょう?」

「765さんさえ良いのなら、凛や我々制作部に断る理由はありませんよ」

その答えに遠藤は頷いた。

「わかりました。では765さんとその方向で折衝します」

「固まり次第、私に連絡願います」

「勿論ですとも」


その後、数日で765との協議はまとまり、凛がその話を知らされたのは、ニュージェネレーションのボーカル収録が済んだ直後のことだった。


207: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/17(火) 23:25:29.83 ID:Rri5HD+xo



・・・・・・・・・・・・


凛は極めて不機嫌であった。

内心のイライラを隠そうともしないほどに、まさに苦虫を噛み潰したようであった。

女の子――ましてやアイドルとしてあるまじき、足を組んだ格好でソファに座り、
膝の辺りで絡ませた手の指は、とんとん、と落ち着きなく動いている。

その隣では、卯月と未央が、こちらは明らかに落胆した顔で意気消沈していた。

ニュージェネレーションが喧嘩をしたわけではない。


春香のカメオが決定してから約一週間、六月がまもなく下旬へ差し掛かろうと云う頃。
重苦しい第一課ミーティングルームの空気と同様、空は梅雨時特有の鉛色をしていて、
それがさらに部屋の空気をどんよりさせる悪循環。

 ――あぁ、吐きそう。

Pは脂汗を流しながら、目の前の状況を如何にして突破しようか考えあぐねていた。


212: 再開 ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 22:54:10.18 ID:56Xrxhuco

ことの発端は、先月のシンデレラガール選抜総選挙。

運営部からその結果と、上位五人による何らかの企画を進める依頼が寄せられたのは、まさに青天の霹靂と云えた。

勿論、総選挙イベントを開催していること自体はCGプロ全員が周知の通りであったが、
その結果に応じて何らかの企画を行なうと云うことは、制作部に話が通っていなかったのである。

仕事量の多さゆえの、縦割り行政による弊害だった。

抗議の姿勢を見せた制作部に、運営部は「そんなの一々言わなくてもわかるでしょ?」とでも云いたげな
ニュアンスの文書を寄越してきたが、実際にアイドルたちを動かす制作部としては、たまったものではない。

既にスケジュールやプロジェクトの制作進行管理は固まっていて、すぐには弄れないことを説明すると、
既存の企画を総選挙結果に当て嵌めるよう提案――実際はほぼ強要であったが――してきたのだ。


213: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 22:55:28.24 ID:56Xrxhuco

その白羽の矢が立ったのが、ニュージェネレーションが先日レコーディングしたシングル――『輝く世界の魔法』。

ちょうどこれはニュージェネレーション用と云うことでグループ・複数人で歌うことを前提としている曲構成だったため
五人バージョンへ変更しやすく、工数もかからないのが理由となった。所謂“ガラガラポン”である。

斯くしてニュージェネレーション版は闇に葬られ、選抜ガールズ版として発売されることとなった。

Pは、それをニュージェネレーションの三人へ伝える、極めて貧乏くじの役割を背負わされたのだ。
不運ながら、銅も鏷も、今日に限って外回りだ。

ここで、先ほどの凛の超絶な不機嫌へとつながる。


214: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 22:59:15.29 ID:56Xrxhuco


「――お前の気持ちはわかる。これでも俺もだいぶ抵抗したんだ」

「抵抗したって結局押し切られたんでしょ、それは抵抗しなかったのと同義じゃん」

凛が痛いところを突いてくる。そしてそれは正論なのだ。

「しかしな、運営部のクソどもが、もう選抜メンバーで企画をやるとアナウンスだしちまったって云いやがるんだ。
 こっちの言い分は全く無視。俺にはどうしようもないんだよ……。凛は選挙の上位に入ってる。お前は収録されるから、な」

「私が入るとか入らないとか、そんなの関係ない。ニュージェネレーションのものなんだよこれは」

「だから卯月と未央には申し訳ないってさっきから何度も――」

「納得できないよ。私、やらないから」

Pの言葉を遮るように凛はピシャリと宣言した。

「頼むよ凛、俺の立場もわかってくれ」

「俺の立場って何よ!? “これはニュージェネレーションのプロジェクトだから譲れない”、って死守するのが
 プロデューサーの立場にある人の役割じゃないの!?」

ついに凛は激昂して机を叩いた。


215: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:01:25.96 ID:56Xrxhuco

すわ何事かと、第一課のアイドル数人がミーティングルームを覗き、そのあまりの異様な空気に
只ならぬものを察知して、何も云わずにフェイドアウトしていった。

その中には、諍いの原因となっている、総選挙で上位に入った者もいた。
彼女たちには実際何の落ち度もないのだが、部屋へ完全に入ってこなかったのは賢明と云えよう。

「り、凛ちゃん、もういいよ……Pプロデューサーさんも困憊してるし……また別の企画で一緒にやろ?」

「そ、そうだよ。私は、しぶりんがそこまで怒ってくれるだけでも嬉しいからさ~……」

見るからにガッカリしているのに、卯月と未央は気丈にも凛を宥めようとした。

「卯月! 未央! だって悔しくないの!? 久しぶりのニュージェネレーションの活動をみんなで喜んだのに!
 諦めるなんて、卯月―リーダー―の決断でも厭!」

「そりゃ、悔しくない哀しくないって言ったら嘘になるよ? でも決まっちゃったものは仕方ないよ……」

「あまり我が儘を云ってPさんたちを困らせるのも~……それもまた哀しいしさ……」

重苦しい沈黙が支配する。


216: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:02:59.96 ID:56Xrxhuco

そのままどれほどの時間が経っただろうか。

一分のようにも思えるし、一時間のようにも感じられた。


不意に凛が立ち上がる。

「やっぱり、到底納得できない。私が運営部に乗り込んで直談判してくる」

「ちょ、ちょっとまて、凛、それはやめろ」

Pが泡を食って制止する。


217: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:04:47.86 ID:56Xrxhuco

「なんで止めるの!? 私の発言力があればひっくり返せるでしょ?」

「だからこそだ。お前はこの事務所の筆頭アイドルだからこそ、俺は、お前自らが
 己の立場を不利にする行動をとるのを認めるわけにはいかん」

「だったら社長に云うまでだよ!」

「わかった、わかった。凛、ひとまず座ってくれ」

両手のジェスチュアで凛を落ち着かせようと必死だ。

「でも――」

「いいから。座ってくれ」

今日初めて見せたPの強い口調に、凛は渋々と従った。


218: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:06:36.08 ID:56Xrxhuco

「……社長室へは俺が征く」

その言葉にニュージェネレーション三人は息を呑む。

「それにはちょっと準備が必要だ。軽く書類を用意するまでちょっと待ってくれ」

そう云いつつ、Pは少し離れたテーブルで、さらさらと紙に簡潔な文と印鑑を押した。

立ち上がったPが手に持つ紙に、チラリと『辞表』の文字が見え、凛が血相を変えて立ち上がる。

Pの腕を捕まえて叫んだ。

「ちょっと、プロデューサー、それは待って! 辞めないで!」


219: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:07:59.74 ID:56Xrxhuco

Pは凛を落ち着かせるために努めて静かな口調で、説明する。

「……これは万一の際のお守りみたいなモンだよ。はじめから辞めるつもりで行くわけじゃない」

「だからってそんな…… ――プロデューサー、私も行く」

「それはだめだ。お前らはここで待っていろ」

「ううん、何と言われようとついてくからね」

凛は梃子でも動かないほど強固な意思を以て宣言した。

いつの間にか、卯月と未央もPを囲んでいる。

Pはため息をついて、

「社長室の手前までだぞ? そこからは俺だけで行くからな」――


220: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:09:43.61 ID:56Xrxhuco


「――ふむ? それで、私にどうしろと?」

「自分の力不足は重々に承知しています。なんとか白紙の段階から再検討できないか運営部に取り計らいを――」

「確かにこれはどちらかと云えば運営部の落ち度だし、押しが強すぎる部分もあるのは見過ごせん。
 しかしファンからの視点を考えれば、選挙結果に基づいた企画が待望されるのではないだろうかねえ……」

社長室から人払いし、二人だけの状態でPは懇願していた。

しかし答えはあまり芳しくない。
確かに社長の云うことも一種、的を射たものであったのだから。

胃がキリキリと痛む。

いよいよ伝家の宝刀を抜くしかないかと覚悟を決め、懐へ手を入れたとき。


221: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:11:44.85 ID:56Xrxhuco

「私からもお願いします!」

バンッ! と大きな音を立てて凛が転がり込んできた。

「――! おい凛! お前は来るなと云っただろ!」

慌てて振り返って、状況を認識する一瞬の間を置いてから、Pは凛に怒鳴った。

「耳をそばだてていたら剣呑な空気を感じたの。その胸へ突っ込んでる腕は何!?」

「そうだねP君、ひとまずはその胸にある穏やかじゃないものから腕を抜いてくれんかな」

うっ、とPは言葉に詰まった。社長にまで見透かされているとわかって、がくりとうなだれた。

「私も社長室へ乗り込んできちゃった以上、プロデューサー、もうこれで一蓮托生だよ。
 社長、運営部に撤回するよう云ってください!」


222: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:13:12.48 ID:56Xrxhuco

威勢のいい凛と引き換えに、頭を抱えるP。
その二人を交互に見て、社長は笑うように云った。

「麗しい師弟関係だね。それは結構なことだが、渋谷君、あまり向こう見ずに突っ走っては駄目だぞ」

優しいながらもオーラのある言葉、そして社長の目線の力に、それまで息巻いていた凛は失速してしまう。

「――ッ……
 ……すみません……」

さすがの彼女でも、会社のトップとはまるで年季が違うのだ。

社長は静かになった凛を見届けてから腕を組んでしばらく目を瞑っていたが、ふと、気付いたように瞼を開けた。


223: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:14:39.01 ID:56Xrxhuco

「そもそも、ニュージェネレーションと選抜メンバーのどちらかを選ぶのではなく、その両方を収録することはできんのかね?」

「……あ」

Pは短く息を漏らした。

判ってしまえば単純な問題。

どちらかを選ぼうとしたからここまで絡まったのであって、両方を収録するなら丸く収められるかも知れない。

「……勿論、プロダクト上、表向きの位置づけは、『選抜メンバーの企画にニュージェネレーションが相乗りする形』となってしまうだろうが」

それでも無に帰すよりはましではないかね? と社長は凛の方を向いて諭すように云った。

「確かにそれはそうですが……、
 せっかくプロデューサー陣がニュージェネレーションのために組んでくださった作品を、
 そして私たちニュージェネレーション三人で頑張ってきた成果を、
 出来上がってから横取りする泥棒猫のような運営部の振る舞いは……到底承服できません」

相当腹に据えかねているのであろう、述べる言葉のトーンは抑えていても、端々に痛烈な刺が見え隠れしている。


224: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:17:03.74 ID:56Xrxhuco

「確かに完全には納得してもらうことは出来ないかもしれんね。
 ……ただ社会にはこうやって意に添わないことも多々あるものなのだよ。
 渋谷君、こうは考えられんか、『運営部に貸しを一つくれてやった』と」

「貸し……ですか。返してもらえる保証もないのにですか?」

Pは凛のここまでの楯突きっぷりに、懐かしさを憶えた。

担当した当初の、自分と意見が衝突ばかりしていた、かつての彼女そのままであったからだ。

凛は、真面目だ。
真面目だから物わかりのいい一面もあるが、真面目だからこそ、今回のようなことも起こる。

社長は、凛をスカウトしてきた人間だ。
彼女の性格をよくわかっているのだろう、苦い表情をしながらも肩を上下させて笑っている。

さあここで凛を宥め、納得させるのがプロデューサーたる俺の役目だ、とPが彼女を向いたとき。


225: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:20:27.97 ID:56Xrxhuco

「私たちは、それで……いいよ」

卯月と未央までが、社長室へ上がり込んで来て云った。

Pは口を開けたまま固まる。

「Pさん、ごめんね。……約束破って入って来ちゃった」

未央が首を竦ませ、P、凛、卯月、そして社長をぐるりと見渡した。

「日の目を見ないよりは、多少体裁が変わったとしても、世に出したいよ。折角しまむーもしぶりんも、そして私も頑張ったんだもん」

「ね、凛ちゃん、社長の提案を呑もう? たとえそれが妥協――あっ、すみません、……双方を歩み寄らせた案でも、
 始終反発して、丸切り反故になるよりはいいと思うよ。……ね?」

卯月が凛の肩に優しく手を置いて語り掛けた。
その言葉の中で出掛かった“妥協案”と云う単語に、社長は複雑そうだ。


226: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:21:57.50 ID:56Xrxhuco

「……みんな、……大人だね。私はやっぱり、まだまだ子供なんだな……」

凛は観念したように嘆息した。
そして、ぽとっ、と、左目から一粒だけ泪がこぼれる。

「それでも悔しいな……やっぱり、悔しいよ……」

身体が小刻みに震え、硬く握られた拳には、さらに力が入っていく。

「しぶりん……」
「凛ちゃん……ありがとね、私たちのためにこんなに悔しがってくれて」

まさか凛の涙腺が最初に溢れるとは誰も予想していなかったのだろうか、
卯月と未央も泪を止められなくなったようだ。

三人、肩を抱き合って静かに泣いた。


227: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:23:28.91 ID:56Xrxhuco

女の泪は何よりも強い武器だと比喩されるが、実際、男としては非常に居心地が悪い。

何か声をかけるべきか、それともそっとしておくべきか。
共に正解のような気がするし、共に不正解のような気もする。

「なんだか今話し掛けるのは憚られるのだがね、一応は、受け容れてくれたと判断してよいかな?」

社長が済まなそうに声をかけると、卯月が社長を向いて、静かに頭を垂れた。

「ありがとう……ございます」

泪が顔に一本の線を描いていたが、その綺麗なお辞儀には、リーダーとしての気概があった。


228: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:25:06.74 ID:56Xrxhuco

「お前たちには辛い思いをさせて済まない。何とか新しい企画でリカバーするよ」

Pが三人の肩に手を添えていく。社長もフォローを忘れない。

「云いたいこともあるだろう、不満なこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう。
 それらを呑み込んで、承諾の決断をしてくれたことに、私からも礼を述べよう。
 そして、今回の事態が運営部の落ち度であることは確かだし、その無理を制作部に押し付けたまま
 暢気にしているのを見過ごすわけにもいかん。運営部の者たちに、明確な謝罪と、
 難題を受け入れた制作部に対する感謝を示すよう私から強く指導しておこう。
 島村君、渋谷君、本田君。どうかな、これで溜飲を下げてくれんか」

普段、下部組織への干渉は極力避ける信条の社長であったが、その強い言葉は、異例とも云える対処であった。

三人は、赤く腫らした目を隠さず、社長に頭を下げた。


229: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:26:35.44 ID:56Xrxhuco

「よろしい。それでは、少々P君と話があるから、すまんが席を外してくれんか」

Pは社長のいきなりの言葉に驚いた。が、すぐに気を取り直して指示を出す。

「三人は先に休憩室へ行っててくれ。
 レッスンまでまだ時間はあるから、ジュースでも飲んで、気分を落ち着かせておくようにな」

ニュージェネレーションは頷いて、静かに部屋から退出していく。

最後に凛が、深く礼をしてからゆっくりと扉を閉じた。


230: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:28:08.71 ID:56Xrxhuco


それを確認して、なおたっぷり時間を取ってから、ようやく社長は口を開いた。

「美しい友情だね」

「申し訳ありません、彼女たちがここへ乗り込むのを止められなかった私の監督不行届です」

「まあいいよ。我々にとって一番大事なのは彼女たちアイドルだ。直接話が出来て僥倖だった」

Pは謝罪と感謝、両方の意味で頭を下げた。

「さてP君、この会社の構造的欠陥が表面化してきてしまったようで、すまなかったね」

「いえ、私が厭な思いをするのは慣れっこですし、そう云う役目です。
 ……でも、あの子たちに苦い泪は流させたくありませんでしたね。
 レッスンがうまくいかない、またはバトルに負けたり等で泣くことは往々にしてありますが、
 自分の行動の結果ではなく、自らの力の及ばないところで翻弄された末の悔し泪というのは、実に後味が悪い」

社長は、肘を机に置き、顔の前で手の指を組んで、Pの言葉に「そうだな」と大きく頷いた。


231: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:30:06.72 ID:56Xrxhuco

「P君、制作部は数多いアイドルの管理が大変で、どうしても無理を受け入れてしまいやすい土壌があるようだ」

「そうですね、面倒事を避けようとするあまりの、部署全体の悪癖かも知れません」

事実、各部署と調整に手間取るくらいなら、多少の無理でもラインを回してしまった方が早い。

先日の、興行部からの無茶振りに応えようとしたのも、その悪癖の結果と云える。

また、第一課から第三課へ分かれていて、それぞれが相対的に他部署より弱くなってしまっている、
つまり他部署が無理を通しやすい力関係になっているのも理由の一つだろう。

「そこでだね――」


232: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:31:33.05 ID:56Xrxhuco

社長は組んでいた指を離し、人差し指を上へ向けた。

「――制作部各課の上に、チーフプロデューサーを置くのはどうだろうかと思う。
 制作部全体を代表し、それでいて第一から第三までを統括的に手がける存在だ」

「なるほど、“制作部そのもの”の顔となるプロデューサー、と云うことですね」

ちょうどいいかも知れません、と、かねてからP・銅・鏷のプロデューサー陣が
話し合っていた事柄を社長へ説明した。

アイドルの人数が多いため、今後、ユニットを組ませる売り出し方をしようと構想が出たこと。
そのためには、第一・第二・第三課の枠組みを超える必要があること。


233: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:33:00.88 ID:56Xrxhuco

「――確かに現在のままでは、制作部の中ですら縦割りになっていますから、
 そこを横断して見られる人間がいた方がいいかも知れません」

「では提案した方向で考えておこう。
 組織の構造を変えるには少々手間と時間がかかる。タイミングも必要だから今すぐにと云うわけにはいかんが」

早くとも、年度の切り替わりを待つ必要があるだろう。

「いえ、社長のお考えが伺えただけでも充分です」

「ひとまず、銅君と鏷君にもヒアリングをした上で、現プロデューサーのうち誰かが制作部を代表する
 位置に着くよう辞令だけは出しておくよ。それともう一つ制作に関わることなんだがね」


234: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:35:07.43 ID:56Xrxhuco

社長は鍵の掛かった引き出しから書類を出して、プランをPに提示した。

こと音楽と映像に関して、プリプロ・ポスプロを社内で一元的に作業できるようにする計画。

企画から作詞、作曲、編曲、キャスティング、レコーディング、ミキシング、プリマスタリングまで。
または企画から脚本、絵コンテ、ロケハン、キャスティング、収録、MA、VFX、オーサリングまで。

つまり、CGプロ内に、販売のみを外部へ委託するレコード会社を持つと云うことだ。

961に次ぐ業界の巨人、ジョニーズが15年前に採った手法。


235: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:36:46.89 ID:56Xrxhuco

「これだけ所属者が増えてくると、外部のスタジオとの日程擦り合わせだけで相当のロスになる。
 プリプロ段階では、作曲等で外部を起用することは今後も続いていくだろうが、
 内製できる環境も持っておけば柔軟に対処しやすくなろう」

「はい、仰る通り、外部に発注しないとまともに制作が進められない状況と云うのは好ましくありません」

これまで何回も、予算、納期の問題で泪を呑んだことがある。

また、アイドルがここまで多くなると、毎日何かしらの新しい話が内外に飛び交うようになるので
不測の事態が起きたときに対処できるよう、日程のセーフティゾーンを長めに取る必要もあった。

個々のロスは小さくとも、それが人数分降り積もると、相当に大きな山となるのだ。


236: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:38:42.59 ID:56Xrxhuco

「君は制作部のプロデューサー陣の中でも、特に音楽プロデューサーとしての性格が強い。
 一部の企画ではプリからポストまで全て自前でやったこともあるそうじゃないか」

「学生時代に取った杵柄ですから、現在第一線にいらっしゃる方々とは到底比較になりませんよ」

確かに事務スペースのPの作業マシンにはシーケンサがインストールされているし、
それを使って小規模または低予算の企画は自らの手で作ってしまう。それは凛はじめ一部の人々に知られていた。

「そこで、このプランを実現するためにね、君にトップを張ってもらいたい。
  ハリウッドにメルヴィン・ワーレンと云う私の知り合いがいる」


237: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:39:44.52 ID:56Xrxhuco

「……まさか、ホイットニー・ジョンソンのプロデュースを手掛けたことのある、TOOK6初期メンバーの、あの?」

「そうだ。
 彼の許へしばらく師事して、向こうの技術とトレンドを吸収してきてくれんか。
 ハリウッドなら音楽だけでなく、“物の観せ方”にも精通できよう。
 半年から一年程度の実地研修、と云うわけだ」

予想だにしなかった提案を受けて、あまりの驚きにPの思考は停止した。

まさか自分が、制作――いや、より大きな要素を含む“製作”ラインの司令塔となり、
さらにはそのためにハリウッドへ行くなど。

そもそもこの社長、メルヴィン・ワーレンと知り合いなんて、
一体どれだけのコネクションがあるのだろうか。


238: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:41:24.52 ID:56Xrxhuco

慌てて脳味噌を再起動し、多量の思考を巡らせる。

「……大変有難いお話ですが、今すぐにはお答えできません。
 引き継ぎの計画や今後のプロデュース方針なども固めなければなりませんし、
 現在第一課のアイドルの面倒を看られるのは自分しかいません」

勿論、社長はその返答を予測していたのだろう、然もありなむと云う体で頷いた。

「そうだな。まあそんな話もある、ということを頭の片隅に入れておいてくれ。
 返事はいつでも構わんよ。何だったら一年後とかでもいい。
 どうせ米国O-1ビザの取得には、二箇月ほどはかかる。取っておけば三年の有効期間中いつでも入国できよう。
 手続はこちらで進めておくよ。行くなら早めに必要だし、行かないならビザを使う必要がなくなるだけだ――」


239: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:42:31.54 ID:56Xrxhuco

書類を引き出しに仕舞いながら、

「――いづれにしろ、制作部の管理職は増やそう。君がアメリカへ行く行かないに拘わらず
 現在の制作部のプロデューサー陣はオーバーワークだ。副プロデューサーという体裁で
 人材を集めておくよ」

「お心遣い、痛み入ります」

Pは頭を下げ礼を述べるが、

「でないと、私が今後ティンときた娘がいても、キャパオーバーで
 スカウトできなくなってしまうからね! わっはっは!」

と云う社長にガクッとずり落ちた。


240: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:44:35.48 ID:56Xrxhuco


――

「どうだ、落ち着いたか?」

Pは休憩室に顔を出して様子を見た。

凛たち三人は、泪こそ既に流していなかったが、目は腫れたままであった。

少しだけしゅんと、しおらしく座っている。

休憩室には他の人間の姿はない。

事務所で最も古株、そしてトップにいる三人が、なにゆえか目を赤くしている――

それは他のアイドルたちにとって衝撃であった。

慮って休憩室に入らないのも当然であろう。


241: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:46:34.02 ID:56Xrxhuco

Pは三人の対面にゆっくりと座る。

「いいか、今回の件は、気の毒ではあったが、もう落としどころを見付けて軟着陸したわけだ。
 お前たちはアイドルだ。人に見られるのが役目だ。
 悔しさに哀しむのではなく、せめて無駄にはならなくて良かった、と笑顔を出せ」

人に見られるのが役目――

凛も卯月も未央もそう呟き、お互いの顔を見合わせて、こくりと頷いた。

「そう……だね。……ごめん、プロデューサー、アイドルがこんな姿見せてちゃだめだよね」

凛がぐいっと目を擦って立ち上がった。

Pは、その意気だ、と笑みを浮かべている。

そして、休憩室を独占したままでいるのも悪いだろうから、と、第一課のミーティングルームへ引き連れた。


242: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:48:27.54 ID:56Xrxhuco


そのまま制作部に入り、ちょうど第一課のスペースをくぐろうかと云うところで、背後からちひろが告げてくる。

「プロデューサーさん、早速ですが運営部の部課長がぞろぞろとお出ましですよ」

「えっ、もうですか?」

さっき社長と話したばかりなのだが。

「社長からすぐさま指示が行ったみたいですね。
 相当強い調子だったんでしょう、揃いも揃って青い顔してすっ飛んできてますよ」

「なるほど、わかりました。ここまで通してください」


243: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:49:23.48 ID:56Xrxhuco

ちひろが、どうぞ、と手を部内の方へ傾けると、すぐに数人が入ってくる。

なるほど、青い顔と云うのは間違っていないな。

Pがそう思うほど血の気が引いていた。よほど絞られたのだろうか。

「制作部に無理を通すこととなってしまい、大変申し訳ない。
 こちらのミスにも拘わらずご助力頂き、心から感謝します」

姿を見せるや否や、運営部の管理職全員が、45度の最敬礼でそう述べた。

社長に恐れを成してやって来ただけの、ただの案山子だな――
Pは、一列になって頭を下げる数人を見ながらそう思った。


244: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:50:55.07 ID:56Xrxhuco

しかし曲がりなりにも謝罪と感謝であるから、返礼しないわけにはいかない。

それでも、これだけは云っておかねば、とPは口を開いた。

「我々制作部については構わないのです。
 同じ社内なんですから、万一の際は協力するのが当たり前です。
 ですが、あなた方は、もっと別の人に、他に云うことがあるのではないですか」

その言葉に、部長が礼をしたまま少し顔を挙げて、不思議そうな顔をした。

まだわからないのか、とPが軽くアイドルたちを指差すと、合点が行ったようだ。
そのまま凛たちに向き直り、再び最敬礼の謝罪をする。

「我々は書類上の数字しか見ていなかった。
 その向こう側に深く傷つく子たちがいるのだと、そのことへ考えが至らなかった点、深くお詫びを申し上げたい」


246: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:54:41.14 ID:56Xrxhuco

反吐が出るほど形式的な謝罪。

しかし。

「……私は、そのお言葉で充分です」
「……私もです」

卯月が軟らかい調子で返答した。未央もそれに続く。

凛はとても複雑な顔をした。

赦したくない。でも赦さなきゃいけない。一瞬の逡巡ののち、

「……私も、その心からの謝罪を頂ければもう構いません」

どろどろとしたものを全て呑み込んで、凛は云った。
ただし、言外の雰囲気に、相当な憤慨があることを滲ませる厳しい口調ではあったが。


247: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:55:52.19 ID:56Xrxhuco


ちょうど第一課のソファにいた蘭子と楓が、それに合わせて立ち上がり、声を掛けてきた。

「業―カルマ―にて黎明者たる集いを闇黒の深淵へ滴すのは、我が魔力を封じし器も慟哭に叫ぶ
(私もニュージェネレーションの三人を悲しませることになってしまって、申し訳なく思っていたんです……)」

「ごめんなさいね、みなさんには悪いことを……」

凛たちは、それらの言葉には大きく首を振った。

蘭子の言い回しは、細かいところまでは判らなかったが、それでもニュアンスは受け取れる。
凛は彼女を抱き締めた。


248: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:56:41.16 ID:56Xrxhuco

「ううん、これは決して蘭子たちのせいじゃないから。蘭子たちは何も悪くないよ。
 どこかで歯車がずれてしまっただけ。だから謝らないで、ね?」

凛が身体を離すと、蘭子がやり切れない表情をしていた。

微笑みながら軽く顎を引くと、蘭子も目を閉じて頷いた。

このやりとりが出す空気に、運営部の人間も、自分たちは何を仕出かしてしまったのか、と云うことを漸く悟ったようだ。
部長は脂汗を浮かべている。

凛は斜向かいの楓にも微笑みを向け、踵を返してミーティングルームへと入っていった。

卯月と未央もそれに続く。

その後ろでは、Pが促して運営部の人間は解散していった。


249: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:57:41.57 ID:56Xrxhuco


「あー……部署の入口に塩撒きたい」

ミーティングルームのソファに腰掛けながら、凛は気怠そうにぼやいた。

卯月がその放言にぎょっとする。

「そ、そんな物騒なこと言っちゃだめだよ凛ちゃん」

「……冗談だよ。一種の“儀式”が終わったんだから、もう私は気にしないことにする!」

「そうだね~。切り替えだよ切り替えっ!」

努めて明るく振舞おうとする三人。

ふう、と息をつきながら最後に部屋へ入ったPは、彼女たちの強さに感歎した。


250: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:58:38.49 ID:56Xrxhuco

「そうだ! 今日のレッスンが終わったら、みんなで遊びに行かない~? パァーッと吹き飛ばそ~!」

「おいおい未央ちゃん、そりゃ夜になっちまうぞ。そんな時間から遊びに行くのは感心しないな」

Pが嗜めても、凛や卯月は未央に同調した。

「いいね、久しぶりにみんなでどこか行こっか」

「ね、凛ちゃん、未央ちゃん、カラオケどうかな?」

「おっいいねーしまむー。カラオケなら陽が落ちてからでも大丈夫だしね~」

ワイワイガヤガヤ。Pの言葉を無視して話が進んでいく。


251: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/18(水) 23:59:33.53 ID:56Xrxhuco

「ねえプロデューサー、一緒に行かない?」

凛が首を傾げて、半ば、どや顔のような笑みで誘ってきた。

Pは観念して両手を挙げた。

「はいはい、お姫様方のお守りを仰せつかりました。
 夜に未成年の女の子だけで遊ばせるわけにはいかないし、レッスン終わったら連れてってやるよ。
 それまでに今日の分の仕事を終わらせておく。ただし二時間までだからな」

やったね、とか、やっりぃ~と云う喜びの声と共に、三人はPへ抱きついた。


252: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 00:00:50.45 ID:NXjdXiMSo

しばらくののち、凛が不服を申し立てる。

「……ちょっと。私はともかく、卯月と未央は他課のプロデューサーに抱きつくの止めた方がいいと思うな」

「えーしぶりんが独占するのはずるいなぁ~?」

「別に独占なんて意図はないし」

「凛ちゃん、そう云うのをクーデレって呼ぶらしいよ?」

「知らないよもう!」

喧々囂々なやり取りにPは苦笑するが、ほんの少し前までとてつもなく険悪な空気だったことを思えば、
これくらいは何ともない、微笑ましいものであった。


253: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 00:03:01.24 ID:NXjdXiMSo



――パゼラ六本木にて――


――はい、凛ちゃん! コレいって! みんな元気になれるよ!

――だからって……なんで菜々の曲なの?

――もちろんコールはあれでね~っ! ほら始まるよっ!

――あーもう! わかったよ、やればいいんでしょやれば……こうなったら自棄だよ

――リリリン! リリリン! シーッブリーン!

――リリリン! リリリン! シーッブリーン!!

――リリリン! リリリン! シーッブリーン!!!

――シブシブシーブー シーッブリーン!!

――キャハッ! ラブリー―ほんとに―17歳! リンッ!

――(きらりのモノマネしたときよりつらい……)


――――
――


263: 再開 ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:39:57.28 ID:NXjdXiMSo



・・・・・・・・・・・・


七月上旬。

この日、例年より半月以上も早く梅雨が明け、うだるような蒸し暑さが急に本気を出してきた。

麻布十番の街を、強烈な日射しが容赦なく照り付けている。

コンクリートジャングルと厳しい陽光のタッグは、まさしく人々を殺しに掛かってきていると云っても過言ではなかった。


「うー! あつい!!」

授業を午前だけ受けて出社してきた凛が、開口一番に言い放った言霊は、こだまのように伝播した。

「俺だってあっちいよ」

Pが椅子にだらりともたれかかりながら至極だるそうに答えた。


264: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:41:59.00 ID:NXjdXiMSo

「だったら空調の設定下げてよ、プロデューサー」

「28℃って決められてんだから仕方ないだろ」

凛は制服の胸元をぱたぱたと仰ぎ、恨めしそうな顔をPへ向ける。

「大江戸線のクーラーの効きが悪過ぎて、学校から事務所来るまでずーっと暑かったんだよ?
 アイドルに汗だくのままで居ろって云うの?」

「ソファ横に扇風機があるからそれに当たれ。それに女の子の身体は冷えやすいんだから、
 設定は下げずに暑い時だけ扇風機で調整する方がいい」

Pはボールペンでデスクの横を指した。

その先に顔を向けた凛の目が、扇風機を視認するや、すたすたと早足で近寄り、首振りを切って自分の方のみへ向けた。

「あっ! こら凛! 首を固定するなよ、俺が死ぬだろ」

「ふー、生き返るね。じゃあプロデューサーもこっちおいでよ」

ソファに身を預けた凛は、扇風機の風を一身に受け、今にも解脱しそうな雰囲気を出しながら手招きで誘う。


265: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:43:47.10 ID:NXjdXiMSo

しかしPは中々に忙しいのか、いい返事を寄越さない。

「バカ云え、俺は業務が山積みなんだよ」

「あっそ。どうでもいいけど、やっぱり扇風機は『あーーーー』ってやりたくなるよね」

「ガキかお前は。……まあ気持ちは判る」

暑い時期になって扇風機を初めて動かすとき感じる思いは、みな共通であった。

「プロデューサーだってガキじゃないそれ」

「俺はいつでも心を若々しく! ってのがモットーなんでな」

そんな他愛もない会話をしている間にも、レーザープリンターがやかましく紙を吐き出し続けている。

扇風機の風の音と共に、フロアには様々な音が混じり合い、実に賑やかであった。


266: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:45:33.43 ID:NXjdXiMSo


「ああそうだ、早速新曲に関するファンレターが来てるから読んでおいたらどうだ?」

Pが思い出したように、事務スペースに置かれた段ボールを指差しながら知らせた。

そこには1m立方ほどの大きな段ボールが鎮座している。

どれどれ、と凛が事務机の許まで来ると、その箱にはこれでもかと詰め込まれた大量のお手紙。

「毎度のことだけど、読み切るのに相当時間がかかりそうだね……」

「そりゃあな。特に今回は新曲の発表直後だし」

見た目よりだいぶ重い段ボールをソファの横へ持っていき、くつろぎながらゆっくり読むことにした。

色とりどりの可愛い紙に書かれているのは、新曲への感想、憧れ、そして新境地のダンスへの驚き。

こうやって、ファンの人々から直接伝えられる感想は、凛――いやアイドルたちにとって大きな励みとなる。

「……概ね、好評みたいだね」

「おいおい、世間のあの反応をお前は『概ね好評』で済ませるのか?」


267: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:46:49.56 ID:NXjdXiMSo


――およそ一月前、六月上旬にPVが初披露されて以来、アイドルらしからぬ雰囲気の歌と

強烈なダンスは極めて大きな驚きを以て迎えられ、発売のかなり前から各種音楽番組や渋谷のスクランブル、

新宿アルタ等にてヘビーローテイションであったし、有線ではリクエストの首位を独走、

発売後二週間弱が経過しようとする現在もオリコソランキングでデイリートップを維持したままだ。


先日、口パク禁止として有名なフジツボテレビの音楽番組に出演した際も、激しい踊りを交えながら見事歌い切り、

凛だけでなく、CGプロそのものの実力を広く認めさせる橋頭堡となったことは間違いない。

事実、それ以来、CGプロ所属アイドルへのオファーの数が明確に増えたのである。


268: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:48:24.92 ID:NXjdXiMSo


それら世間の熱は、ファンレターにも顕われていた。

先ほどから諸々の手紙を読んだ限りでは、普段よりも熱心な感想を送ってきてくれているように思える。

大きな反響に、凛自身手応えを感じていたが、何よりもPの、“面白さを求めた”計画がここまで
世間を賑わしていることが誇らしかった。Pの計画が自分を輝かせてくれていることが嬉しかった。

もっとプロデューサーの考えている世界を体現して、世の中をあっと云わせたい。

それは、凛のモチベーションにも少なからず影響を与えていた。


十数通ほどを読み終わり、すっかり汗が引いた頃、Pが書類の束を持ってソファへとやってきた。

「ん、プロデューサー、暑さに陥落した? あっ、ちょっと動かさないでよ」

凛の対面に座りながら、Pは扇風機のツマミを押し込んで、首振りを再開させた。


269: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:49:45.59 ID:NXjdXiMSo

「さすがにそろそろ首振らせてもいいだろ。……はい、これ。九月半ばに出す新曲な」

ぽん、と凛に楽譜を渡す。

「あ、出来上がったんだ? 今回はどんな感じになったの」

「奇抜なメロディラインはない分、表現力が必要だな。
 詞はおそらく夕方までには上がってくるはずだ。デモテープは作ってある」

取り出したMacBook Airのスピーカから、デモが流れてきた。

ボーカルラインには、Pのラララと唱う仮歌が入っている。


270: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:51:06.45 ID:NXjdXiMSo

「あれ? 珍しく仮歌自分で入れたの?」

そう、普段、仮歌にはシンセサイザーでリードが入っているのだが、
先日凛たちを引率してカラオケへ行った際、Pに少し火がついてしまったようだ。

「ふふっ、プロデューサー、“意外と”歌うまかったもんね」

凛はそう云ってにこにこ笑った。

「そりゃどーも」

Pが眼を瞑りながら肩を竦ませると、「褒めてるんだよ」と更に笑う。


271: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:52:37.99 ID:NXjdXiMSo


その間にも、簡素なスピーカからは、デモが再生され続けている。

アイドル歌謡によくある、『如何にも打ち込みです!』と云った風体ではなく、
まるで70-80年代のブリティッシュロック/ロカビリーの如く、とてもグルービーなドラムスと暴れ回るギター。

バンド編成だが、縦ノリがはっきりしていてテクノのように踊りやすい。

不思議な構成だった。


でもあまりアイドルらしくないような――

この曲だけじゃなく、前回も、一般的な感覚からすれば“アイドルらしくない”プロダクトだったよね――

プロデューサーは、私を千早さんのような、歌手に近い方向へ進めたいのかな。


272: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:53:41.68 ID:NXjdXiMSo

そんなことを凛がつらつらと考えて目を瞑った刹那。

――!?

凛の頭の中に、見たことのない映像が広がった。

そこでは自らが、未知のダンスを舞い、一つの世界を紡いでいる。

腕から指先へしなやかに跳ねる動きの繊細さ。

腰から体幹を激しく揺さぶる動きの大胆さ。

――なに、これ。


273: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:55:45.31 ID:NXjdXiMSo


目を開けた凛は、きょろきょろと周りを見回して不思議そうな顔をした後、
「もっとよく聴きたい」と云ってヘッドホンを挿し込み、その音楽の世界へ入り込んだ。

楽譜を読みながら規則正しく踵でリズムを取っている。

その口からは、微かにメロディラインをなぞる声が漏れていた。


274: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:57:12.37 ID:NXjdXiMSo


・・・・・・

この景色はなに?

なぜ見もしたことのない世界が勝手に脳内で溢れるの?

新曲を聴き込み、頭の中に拡がる光景に凛は戸惑った。

脳内―そこ―には、アイドルたる自分の未知の姿が存在していたからだ。


そもそもアイドルとは何だ。

可愛い顔、または綺麗な顔、そして艶かしい身体と云った外見的特徴を披露するだけで、歌や踊りはそのおまけ。
そんな、単に言葉通りの“偶像”という意味であれば、着飾りでもして笑顔で大人しく座っていればよい。

勿論そう云った偶像としての役目も、充分な存在意義だろう。


275: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:58:12.28 ID:NXjdXiMSo

しかし、この二年強、Pと歩んできた凛は、
なにか、それだけではない要素が強くありそうな気がしてならない。


――ふと、デビューしてからの軌跡を思い浮かべて気付いた。

『無愛想を直せと云われたことが一度もない』


常識的に考えて、偶像として致命的であろうその弱点は、本来なら、イの一番に修正させるはずでは。

しかしプロデューサーはそうしなかった。

無愛想――肯定的に表現すればクールさ――が、私を構成する要素のひとつだから?


276: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/19(木) 23:59:58.22 ID:NXjdXiMSo


では『自分を構成する』とは何か。

自分だけが持つ世界を体現すること。

これこそがアイドルのアイドルたる所以ではないか?

その者だけが持つ世界、例えば素朴さ、普通さ、自然派と云う世界を体現するのがアイドル天海春香であるとしたら、
アイドル渋谷凛の造る世界とは――


落ち着いた美声と佇まい、そして類稀なる美貌とオーラをフルに動員し、

きらびやかな衣装を纏って、歌を表現しつつ、常人にはこなし難いダンスを舞う。

そんな『人工的に造られたものの美しさ』なのではないか。


赤や橙と云う暖色の春香に対して、
蒼や黒と云う寒色の凛。

アイドルがその『自身の世界』を『体現する瞬間』に、人々が熱狂し、楽しむのではないか。


277: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:03:12.91 ID:P257kYP0o

……なんということだ。


=====

――プロデューサーが“渋谷凛”を形作り、

――私は“渋谷凛”という存在を表現し、

――観客はそんな私に熱狂する。

=====


横浜アリーナでシャワーを浴びながら無意識的に考えていたことじゃないか。


278: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:04:09.24 ID:P257kYP0o

答えは自分の深層に眠っていた。

春香のトレースは自分のためにならないと直感した渋谷での出来事は、間違っていなかった。

凛の頭の中で化学反応が起きる。

次々と答えが導き出されていく。


そして。

その中には、明確に気付いてはならない答えがあったことも、わかってしまった。

――プロデューサーこそが、アイドルだけでなく『人間としての自分』の存在意義の核を成していることに。

――『仄かな憧れ』と云う言葉の範疇を、遥かに、軽々と飛び越えてしまう事実に。


279: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:05:07.21 ID:P257kYP0o


そう。

もう、私は、あの人なしでは生きていけない。


――あの人が魅せてくれたこの世界。

――あの人が誘ってくれたこの世界。

――あの人が作ってくれたこの自分。

もう、私は――プロデューサーなしでは生きていけない。


280: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:06:37.08 ID:P257kYP0o


・・・・・・

Pは、ヘッドホンを挿し込み新曲の世界へ入り込んだ凛を邪魔しないように、そっとソファを離れた。

彼女は楽譜を読みながら規則正しく踵でリズムを取っている。

その口からは、微かにメロディラインをなぞる声が漏れていた。


事務机へ戻りスクリーンセーバーを解除したところで、丁度Pの内線が鳴った。

珍しい。社長からだ。

それは、社長室まで来るようにとの指示であった。


281: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:07:31.44 ID:P257kYP0o


――

ノックを四回叩き、社長室へ入ると、そこには見慣れぬ人々が座っていた。

「おお来たか、早かったね」

そう云って社長はPをソファまで来るよう促した。

「突然で済まんが、先日話した、副プロデューサーの件で進展があったものでね」

なるほど。斜向かいに座っている男性が件の人物であろう。

歳はPとはさほど違わないように感じられた。


282: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:11:38.41 ID:P257kYP0o

「鈷―こんごう―君だ。ひとまず第一課に配属する予定でいる。第二課と第三課の副プロデューサー候補も
 探しているところだが、P君がチーフ代わりになって手薄となるだろうから、一足先に第一課へ入れることとした」

「お気遣いありがとうございます」

Pは社長へ頭を下げ、男性に向き直った。

「鈷と申します。どうぞ宜しくお願い申し上げます」

「制作部第一課プロデューサーのPです。こちらこそ宜しくお願い致します」

お互いに会釈をし合う中、社長が補足する。

「鈷君はプロデューサーは初めてのようだが、マネージャーおよびディレクター経験があるとのことだ」


283: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:12:40.31 ID:P257kYP0o

新しく配属される人物にPは多少不安もあったが、それを聞いて幾分か解消した。

「現場を知っている人が入ってくれるのは嬉しいですね。助かります。
 これなら第一課―うち―にいる者のうち、駆け出しの数人はすぐに任せられそうだ」

駆け出しという言葉に社長は反応した。

「うむ、駆け出しと云えばね、P君。目の前にいるのが駆け出しも駆け出し、いや駆け出す前の原石だよ」

部屋へ入ったときから気にはなっていたが、社長が言及するまで触れずにいたこと。

そう、鈷の横に、人ひとり分空けて座っている女の子が二人いた。


284: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:17:35.66 ID:P257kYP0o


「神谷奈緒、17歳。なんであたしがこの真っ黒なオッサンにスカウトされたのかわからねえんだけど……。
 てゆーかアイドルなんて無理に決まってんだろ! このオッサンの口八丁手八丁に乗って仕方なく来たんだ。
 べ、べつに可愛いカッコとか……興味ねぇし。ホントだからなっ!!」

「アタシ北条加蓮、16歳。アンタがアタシをアイドルにしてくれるの?
 でもアタシ特訓とか練習とか下積みとか努力とか気合いとか根性とか、なんかそーゆーキャラじゃないんだよね。
 体力ないし。それでもいい? ダメぇ?」


285: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:18:36.29 ID:P257kYP0o

Pはたっぷり10秒ほど目を見開いてから、たまらず顔を伏せた。

そして、くっくっ、と肩を震わせる。

「……社長、この子たち、最初からずっとこんな調子なんですか?」

「そうだな、スカウトするのに喫茶店へ入った時から反応は変わっとらんな」

目の前の女の子二人は、何笑ってんだこいつ、と云いたげな顔をしている。

Pは仰け反って大笑いした。

「あっはっは、こりゃ凛に続く逸材になりそうだ。こんな第一声は、凛に負けずとも劣らないインパクトですよ」

――ふーん、アンタが私のプロデューサー? ……まあ、悪くないかな……。私は渋谷凛。今日からよろしくね――

凛が開口一番に投げた言葉は、今でも鮮明に思い出せる。


286: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:21:07.84 ID:P257kYP0o

聞いた当初はむかっ腹が立った。

しかし二人三脚でやってくること二年余。
あのときの凛の言葉は、礼儀がなってないのではなく、不安に押し潰されそうな自分を
必死に奮い立たせるためのものだったのだと、今ならわかる。

きっと目の前の少女たちも、期待や不安を裏返しにしたのだろう。

「それで、社長。この子たちの配属はどこです? おそらく自分が呼ばれたのですから第一課だと思いますが」

「そうだね、この子たちはクール属性だとティンときた。このまま制作部へ連れて行ってあげたまえ」

承知しました、と告げて、Pは鈷を含め全員についてくるように云った。


287: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:23:53.98 ID:P257kYP0o


・・・・・・

第一課のスペースへ戻ると、凛が気付いてこちらを向いた。

Pは、自分の後ろで奈緒と加蓮が緊張に身が固くさせたのを感じた。

普段テレビや雑誌等でよく見るスーパーアイドル、その実物が目の前に存在しているのだから無理もないだろう。

社長よりも凛を前にした時の方が硬くなると云うのは、年頃の女の子らしい反応だ。


テーブルに楽譜やヘッドホンが置かれているところを見ると、大方頭に叩き込み終わってしまったのだろう。

「お、もう新曲をものにしたか。早いな」

「まぁ、ね。比較的、音を取りやすい曲調だったし」

凛は何故か少しだけ顔を赤らめながら、テーブルに置かれた楽譜を、とんとん、と指で叩く。

「で、そちらの人たちは?」

Pの後ろに目線を向けて訊ねた。

「今日から第一課に配属される、副プロデューサーの鈷君と、アイドルの卵、神谷奈緒ちゃん北条加蓮ちゃんだ」


288: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:25:21.64 ID:P257kYP0o

紹介された三人はそれぞれ頭を下げる。

「副プロデューサーの鈷です。ひとまずPさんの補佐として動くことになると思います。どうぞ宜しく」

「鈷、さんか、珍しい名前ですね。副プロって呼びますね」

凛が返礼すると、Pが鈷に告げた。

「では会社全般のことは、事務の千川ちひろさんに確認しておいて」

「わかりました、行ってきます」

鈷は一礼して、鬼、悪魔、もとい、ちひろの許へと走っていった。


289: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:26:03.75 ID:P257kYP0o

鈷の背中を見送ったPが凛に向き直って声を掛ける。

「おい凛、俺と違って随分とお淑やかな他人行儀じゃないか」

「まあ……初対面だし?」

Pはにやりと笑った。

「へえ、そうかい。てっきり、ふーん、アンタが副プロデューサー? とか言い出すのかと思っ――ぃ痛ってっ!」

脇腹に肘鉄を喰らって悶絶する。


290: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:27:47.85 ID:P257kYP0o

そんなPを無視して凛は続けた。

「で、神谷さんと北条さん……ですね」

「お、おう。あーいやいやいや違う。 ……はい、神谷奈緒です。これから宜しくお願いします、渋谷凛さん」

「北条加蓮です。右も左も判りませんが、宜しくお願いします。渋谷、先輩」

「はい、こちらこそ宜しくお願いします。同じCGプロのアイドルとしてトップを目指しましょう」

すっと手を差し出すと、奈緒と加蓮が握り返してきた。


291: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:29:12.81 ID:P257kYP0o

「……こほん。で、早速なんだけど、歳、近いでしょ?」

凛が話を切り出すものの、早くも耐え切れず口調が崩れつつある。

「あたしは17です」
「アタシは16」

「じゃあほぼ同い年だね。そういう子に敬語とか渋谷さんとか云われるのこそばゆくてさ。
 タメ口と名前呼びにしてくれない? 私も奈緒と加蓮って呼ぶから」

奈緒と加蓮は、ほっ、と表情を緩めた。

「お、おう。……けどあたしかなり口悪ぃぞ? いいのか? ……ってもう云っちゃってるけど」

「アタシも丁寧な方じゃないよ?」

顔つきは柔らかくなったが、それでも少し緊張して窺う二人。


292: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:31:03.98 ID:P257kYP0o

「むしろそう云う自然体の方がいいよ、奈緒、加蓮。私も助かる」

口元にわずかに笑みを浮かべて凛は頷いた。

「そりゃ、アタシも助かるけどね。
 初対面かつ有名アイドルの凛……に対してこんな口調で喋っちゃっていいの?」

加蓮は右手で自らの髪の先をいじりながら、まだ完全には顔を解さない状態で問うた。

「うーん、なんて云えばいいのかな。……波長? なんか、そんなものが合うような気がしてさ。
 ま、気にしないでよ。学校で友達と話してるように、私にも接してもらえないかな」


293: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:32:15.34 ID:P257kYP0o

「……おう、わかった、そこまで云われたら逆に遠慮するのが無礼ってモンだよな。
 まさかあたしが人気アイドルの凛ちゃん……じゃねえ、凛とタメ口で話してるなんて
 ……なんだか不思議な感覚だけどな」

奈緒が自らの頭の後ろへ右手を廻して、破顔した。

「すぐに慣れるよ。それにもう、二人は私を“アイドルの凛”と呼ぶ立場じゃないから。
 じきに奈緒も加蓮も、私と同じ“テレビの向こう側の存在”になるんだからね」

凛のその言葉に、改めてアイドルとして一歩を踏み出す実感を得たのか、二人は気を引き締めたようだ。


294: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:33:34.43 ID:P257kYP0o

いい頃合かと判断し、横で様子を見ていたPが口を開く。

「三人とも、いい表情―かお―をしてるな。善哉善哉。
 凛、そろそろ二時から二時間だけレッスンだ。
 五時から台場の湾岸スタジオでドラマ撮影だから軽く流す程度でいい」

「わかった。今日はダンス?」

「そうだな、『輝く世界の魔法』のステップを確認しておいてくれ。
 タイミングが合えば蘭子たちを合流させ……」

そこまでで言い淀み、

「……待てよ? 丁度いいや、奈緒と加蓮を連れてけ」

その台詞に凛は少しだけ驚く素振りを見せた。


295: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:34:43.30 ID:P257kYP0o

「大丈夫なの? 二人は今日初出社でしょ? 顔見せのためだけに来たんじゃないの?」

「まあそれはそうなんだけどな。アイドルは実際にどんなことをやってるのか、ってのを
 一度見せちまった方が早いだろ? 可能なら一緒に身体を動かしてもらうのもいい。
 今日の担当は慶ちゃんだったな。話を通しておく」

「まあプロデューサーがそう云うなら、私は別に構わないけど」

と云って奈緒と加蓮に向き直り、目を白黒させている二人に告げた。

「じゃあついてきて。もし参加したかったらウェアは事務所の備品使っちゃっていいから」

「ちょっ、いいのかあたしたちが行っちゃって。邪魔じゃねえの?」

急展開に慌てる奈緒。当然と云えば当然だ。しかしPは慣れた風。

「大丈夫だよ。習うより慣れろ、百聞は一見に如かずだ。行っといで」


296: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:35:55.14 ID:P257kYP0o


――

二時間後。
スタジオへ様子を見に往ったPが見たものは。


「ア、アタシもうだめー……」

「あたしももう動けねぇ……なんで凛はそんなにケロッとしてられるんだよ……」

「慣れだよ慣れ。私だって最初の頃はそんな状態だったよ」

消耗しきって床にへたり込み、ぐったりしているトレーニングウェア姿の加蓮と奈緒。
反対に、多少汗をかいた程度で息は全然上がっていない凛。

結局、話を通してあった慶が、見学だけでいいと云い張る二人をレッスンへ引き摺り込んだらしい。

アイドル業界全体……かどうかはわからないが、CGプロに入った者が最初に必ず受ける洗礼であった。


297: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:37:21.55 ID:P257kYP0o

「ま、予想通りの光景だな」

レッスンルームの扉を開けてPが入ると、四人全員の視線が集まった。

しかし新人二人は姿勢を正す余力もないらしい。

加蓮がOS-1を呷りながら息を漏らす。

「いやーこれアタシ、アイドル舐めてたかも……こんな凄い動きを平然とこなすなんて信じらんない」

「だな……テレビとかで見てる限りじゃ何てぇことなさそうなのに、見るのとやるのじゃ全然違うぞ」


298: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:38:27.18 ID:P257kYP0o

「でも二人とも初めてでこれだけいければ上出来ですよ。センスさえ備わっていれば、あとは体力をつけるだけですから」

慶がにこにこ笑いながら二人の地力を褒めた。

「加蓮ちゃんは今後はスタミナをつけるレッスンに重点を置きましょうね。奈緒ちゃんは身体を柔らかくしましょう」

すぐに指導の方向性を示してくれる。

「慶ちゃんありがとう、助かるよ。それを参考に、育成方針を立てよう」

「いえいえ、姉たちに比べればまだまだです――


299: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:40:29.17 ID:P257kYP0o


――

三人にシャワーを浴びるよう促し、事務スペースで書類を捌いていると、まず凛が戻ってきた。

「お、戻ったか。ちょうどよかった、今さっき詞が上がってきたよ」

そう告げると、凛は目を少し輝かせながら傍へ寄った。

「どれどれ? 見せて」

そして事務机のパーティションのところで軽く覗き込んでくると、シャンプーの甘い香りが漂う。

凛は、Pの作業場所までは入ってこない。その辺りはきちんと弁えている子だ。

「印刷するからちょっと待ってな」


300: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:41:52.56 ID:P257kYP0o

レーザープリンターのウォームアップを待っている間、Pは新作の感想を尋ねる。

「曲はどうだ?
 ダンスも入れられるし、李衣菜辺りと組んでバンドで披露する展開なんかもできると思うが」

多田李衣菜はロック好きな第一課のアイドルだ。以前は“にわか”と云われていたが、最近はギターの腕を上げている。

凛は天井の方を見つつ、顎に人差し指を当てて云った。

「今回のも、どちらかというとあまり“所謂アイドル”らしくはないよね。ロックバンドみたいで。
 でもね、ラインは取りやすい上に、聴いてると、すごくノリがよくて、自然に身体が動くんだ」

言葉を進めるうちにどんどん笑みがこぼれて、最後にはPに微笑み掛けた。

「そうか。今回はボーカル表現を第一にしたいから、前回よりは歌へ注力できるよう
 ダンスを少し抑えめにしようと思う。それでも四分と八分取りがメインになるだろうが、この分なら安心だろう」


301: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:43:25.62 ID:P257kYP0o

「うーん、そうだね、大丈夫だと思う。ただ、聴いてたら、不意に自分の踊っている姿が頭に浮かんだんだ。
 これ、取り入れていいかな? 勿論、基本はコンテに従うつもりだけど」

この、凛からPへの逆提案は、かなり稀な事象であった。Pは驚きを隠さない。

「おお、凛がそんなことを云うなんて珍しいな。いいぞ、じゃあ二人で練り上げていこう」

凛が「やった」と愉しそうに笑うと同時に、歌詞がプリントアウトされた。

そのまま彼女に渡すと、一瞬不思議そうな表情をして、すぐに強張らせた。


302: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:44:58.10 ID:P257kYP0o

「ねえちょっと、これ書いたのプロデューサー?」

「いや? 俺じゃないよ。まあテーマや大筋を作詞家に伝えたりはしたが」

凛は紙をPの前に掲げ、険しい顔で云った。

「全部英語じゃん、これ」

「そうだよ、ロックだろ?」

「ちょっと、李衣菜みたいなこと云わないでよ」

凛は印刷された詞をパンパンと叩いた。

「まあ冗談でそうしたわけじゃない。こないだカラオケ行ったとき、凛はMJとかブリトニーとか歌ったろ?
 その時の英語の綺麗さが印象に残ってたもんでな。使ってみたいと思ったんだよ」

「そんな、RPGのドロップアイテムみたいな云い方して……」

口を軽くへの字に曲げて呆れている。


303: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:46:28.23 ID:P257kYP0o

「帰国子女と云うわけでもないのにあそこまで上手いなんて、どんな勉強をしたんだ?」

「それは小さい頃から横田基地のネイティブの人たちと交流してきたからだと思うけど――」

確かに凛の実家は本土最大の米軍基地の近くにあったな、とPは思い出した。

意外と凛は、芸能界へ入る前から、平凡そうに見えていても常人にはない経験を持っている。

「――それでも、私は本場の人に比べたらやっぱり日本訛りだよ?」

「インパクトを与えるには充分すぎるさ。thの発音や、RとLの区別すら普通の日本人には厳しいからな」

そうPは不敵な笑みを浮かべた。

前回はダンスだったが、今回はボーカルで世間を沸かせるつもりらしい。

流通や製造のラインが夏休みやお盆で止まるので、今作は八月の上旬までには
完パケを作りたいと云う話をしていると、奈緒と加蓮が第一課へ戻ってきた。


304: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:47:50.03 ID:P257kYP0o


「おし、みんな戻ったな。どうだ、うまくやれそうか」

鈷を呼び、場所を作業スペースからソファへ移すのに歩きながら、Pが第一印象を訊ねてみる。

「うん、そうだね。まだ会って数時間しか経ってないけど、だいぶ仲が深まったと思うし、
 なんか馬が合う感じがする。卯月や未央とはまた違うタイプで、仲良くなれそうだよ」

凛は嬉しそうに笑った。

「無愛想で人見知りなお前が、初対面なのに結構笑ってたもんな」

つられて笑うPの言葉に、加蓮は合点がいった顔をした。


305: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:49:03.34 ID:P257kYP0o

「あ、それかあ。アタシ、さっきから凛と喋ってると、こう、テレビとかで見る寡黙でクールな感じがあまりなくて、
 なんとなく今まで見たことのある凛とはどこか違うって思ってたんだ。容姿レベルの高い普通の女子高生、みたいな」

「あーそれは確かにあるな。あたしも一緒にレッスン受けたりして、凛って普段こんなに可愛く笑うんだ、と思った」

パン、と手を叩いて同調する奈緒。そんな二人の言葉に凛は苦笑いを禁じ得ない。

「地味に非道い謂われようだよねそれ」

「あああーごめん、そういう意味で云ったんじゃなくてなあたし……」

奈緒が慌ててフォローしようと口をぱくぱくさせるが、

「ふふっ、冗談だよ。私、無愛想なのは自覚してるし」

凛はそう云ってひらひらと手を振った。


306: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:51:41.39 ID:P257kYP0o

「プロデューサーとか、深い仲の人たちとかになら普通に笑えるんだけどね、
 あまり絡んだことがない人だと、途端に口数が少なくなっちゃう。
 クール……って云えば聞こえはいいけど、実際には“無愛想”だよ」

「ま、その無愛想なところも凛を特徴づける要素の一つではあるがね」

先頭を歩いていたPが振り返って云った。

「その無愛想な凛が、出会って僅かな時間にここまで笑うようになった。
 きっと、お前たち三人は相性が良いんだろうな」

凛と奈緒、加蓮はお互いの顔を見合わせた。そして、ふっと表情を緩める。


307: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:54:01.15 ID:P257kYP0o

Pはソファに座りつつ、今後の方針を説明し始めた。

「奈緒も加蓮も、どちらかといえばクールな方向で行くことになると思う。
 見た目で例えれば黒いゴシックとかな」

「まあ第一課―ここ―に配属されたんだもん、そうなるよね」

凛がPの正面に座ってそう云う。

「つまり、凛がニュージェネレーションで着ているようなカンジってこと?」

加蓮と奈緒が、間に凛を挟んでPの斜向かいに座った。Pは心持ち顎を引いて頷く。

「二人とも“可愛い”と“綺麗”が混ぜ合わさった雰囲気だから似合うはずだ」

ナチュラルにぽんぽん出てくる、可愛い、とか、綺麗、などの単語に二人は顔を赤くした。

奈緒に至っては、「か、可愛いとか……ありえねえし……」などと目をそらしてぼやいている。


308: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 00:55:23.17 ID:P257kYP0o

「いやいや奈緒ちゃんは充分可愛いですよ」

Pの隣に座った鈷が付け加えて云うと、奈緒は首まで真っ赤にして縮こまった。

「しばらく地力をつけるまでは、奈緒と加蓮は鈷を担当者とする。凛に追い付け追い越せで頑張ってくれ。
 方針の大枠は俺が定めるから、鈷はその枠内で己が感じるまま、二人と相談してやってみてくれ」

「わかりました。しかし僕がいきなり担当を持っちゃっていいんでしょうか」

鈷は頷いたが、少しだけ顔色を窺うように訊いてくる。Pは鈷へ顔を向け、

「無論だ。二人はまだアイドルにもなっていない卵、そして鈷はプロデューサーの卵だ。
 その状態から二人三脚でやっていけばお互いが成長し合えるし、絆も深まる。かつて俺と凛もそうだった」

そして、「な?」と凛を見る。


309: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/20(金) 01:05:23.90 ID:P257kYP0o

「そうだね。一緒にステップアップしていけると思う。お互い手探り状態なら気軽に喧嘩できるし」

「おいおい喧嘩って物騒だなぁ」

凛の言葉に奈緒が穏やかならぬ顔をするが、

「私だって最初の頃はプロデューサーと衝突ばかりしてたよ?」

と、凛は何ともなさげに云った。

「そうだな、あの頃の凛はほんと跳ねっ返りでなあ」

Pがやれやれ、と云いた気なジェスチュアで腕を広げると、

「それはプロデューサーが分からず屋だったからじゃん」

凛は身を乗り出して口を尖らせた。そんな応酬を重ねる二人を見ながら、

「……仲良いね」
「……まったくだな」

加蓮と奈緒は、呆れたように目配せした。







転載元:凛「私は――負けない」
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1379170591/



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