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トップページCo > 凛「私は――負けない」3

313: 再開 ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:40:18.35 ID:+Qc3jrsMo



・・・・・・・・・・・・


今年の夏は暑い。実に暑い。

連日真夏日どころか、猛暑日が数日も続く始末。

毎日々々、熱中症で搬送された報道が途絶えない。


本日、八月十日。

東京都心の気温は今年初めて37℃を越え、人体よりも高い温度に気が滅入る。
テレビを点ければ、山梨や群馬で40℃を突破したと、大騒ぎだ。

あまりの猛暑に、空調の設定温度を26℃まで下げてよい社内通達が出るほどであった。

関連スレ
【デレマス】凛「私は――負けない」1
【デレマス】凛「私は――負けない」2

314: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:41:30.99 ID:+Qc3jrsMo


「うー……複素数ワケわかんない……微積の方がまだマシだよ……」

そんな酷暑の中、CGプロの休憩室では、凛が夏休みの課題と格闘している。

――いや、戦いに負けて、テーブル上のノートへ突っ伏していた。

状況はあまり芳しくないようだ。

多忙なアイドルが、学業を高いレベルで両立させるのはとても難しい。

真面目に積み重ねる凛だからまだ何とかなっているのであって、同学年の未央は目も当てられない状態だ。

現在、凛に限らず奈緒や加蓮、その他多くの学生アイドルが宿題を消化している最中。

のあや菜々は年少組のそれを看ており、難波笑美は何故かレブ・ビーチのBlack Magicを
勝利への応援歌やで、と宣いながら流すなど、休憩室は賑わいを見せていた。


315: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:42:30.97 ID:+Qc3jrsMo


今日の凛はオフだ。

ちょうど昨日、新曲がマスターアップしたところ。

タイアップも決まり、早くも既にメディア等で取り上げられ始めている。

そんな凛が、何故わざわざ事務所へ来ているのか。宿題をこなすだけなら寮でも出来るはずなのに。


316: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:43:00.61 ID:+Qc3jrsMo

それは、週頭にレコーディングとPVの収録を済ませた際、今日と云う日を空けておくようPに念を押しておいたためだ。

 ――週末、時間作っておいてよね

 何かあるのか?

 大事なイベントがあるでしょ、ほら

 ああ、九日に新曲をマスターアップさせるから、その祝賀会か

 もう、ばか!

 冗談だよ。お前の誕生日だってことくらいわかってるさ

 まったく、意地が悪いんだから

 コミュニケーションの一種だよ。十日は昼前まで仕事をしなきゃいけないが、それからは空けられる

 じゃあその昼以降は私とのデートでFixしておいてよね

 承知致しました、お姫様――

つまり、Pが上がれるようになるまで、こうやって休憩室で宿題を消化していると云うこと。



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317: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:44:27.55 ID:+Qc3jrsMo

……しかし真の目的はただの時間潰しだ。

Pとプライベートで出かけるのは、相当久しぶり。

特に、明確に意識するようになってからは初めてのことである。

そんな状況では、端から宿題に手が付くとは思っていなかった。


元からあまり集中できていなかった凛は、誕生日祝いに貰った手作りのお菓子を口へ運んだ。

千枝や雪美、薫と云った年少組の面々が、一所懸命に焼いてくれたクッキーだ。

サクサクと解け、贅沢なバターの風味が拡がる。形は不揃いだが、とても美味しい。

それ以外にも、アイドルたちから贈られた誕生日プレゼントの数々で、凛のバッグは膨れていた。

仲間に誕生日を祝ってもらえるのは幸せなことだ。


318: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:46:05.43 ID:+Qc3jrsMo

口内を癒す香ばしい甘さを、テーブルに身を投げ出しながら味わっていると、
そのあまりの白旗ぶりに、居合わせた美優が、凛を手伝おうと隣に座ってきた。

「凛ちゃん、複素数は実部が云々、虚部が云々、と代数学で考えるより、
 複素平面で幾何学的に捉えた方が理解しやすいですよ?」

「……美優さん、複素平面ってなに?」

美優のアドバイスに、頭上へ疑問符を浮かべて訊ねる凛。

そんな凛の様子を見て、更に菜々が不思議そうな顔をする。

「あれっ、凛ちゃん複素平面は習ってないんですか?」

「そんなの初耳だよ?」

「あれー? 最近の高校じゃやらなくなったんですかねー? ナナが現役の頃は複素平面までやったんですけど」


319: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:47:16.93 ID:+Qc3jrsMo

もはや誰も突っ込もうとしないのは優しさ故か、いい加減面倒くさくなったのか。

たぶん後者だろう。
現に、新参者ゆえ疑問を投げ掛けようとする奈緒や加蓮を、のあが目線で制止している。

どたばたを他所に、美優がにこやかな笑みを湛えながら、紙に十字を書いた。

――凛ちゃん、大雑把に云ってしまえばね……平面上の横軸を実数、縦軸を虚数として――

――……あっ、すごい。ベクトルで考えられるようになった――


320: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:48:11.56 ID:+Qc3jrsMo


美優に手伝ってもらい、望外の進捗に喜んでいると、いつの間にかお昼時であった。

そろそろ昼食にしようかという空気が休憩室に充ち始めたとき、
誰かが点けたテレビの音楽番組から、ちょうど凛の新曲のPVが流れた。

「あっ! 凛ちゃんの新曲ですよ!」

菜々がそう言葉を発した瞬間、全員の注目がテレビへ向かう。

テレビのスピーカが、軽快でノリのよいロックを奏でる。


322: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:53:44.79 ID:+Qc3jrsMo

音楽番組では、コメンテーターたちが、アイドルが全篇英語のロックをリリースしたことに大騒ぎ。

しかもただのロックバンドではなく、『アイドルによる踊れるカントリーロック』としたことで、更なる衝撃を以て迎えられた。

発売までまだまだ日があると云うのに、注目度は抜群だ。

初めてPVを見た面々は、テレビに釘付けとなっている。

「おいおいすげえな……」
「まるで次元が違うじゃん……」

奈緒と加蓮は驚きのあまり口が開いている。


323: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:55:10.33 ID:+Qc3jrsMo


凛のPVが終わってしばらくしたのち、だるそうに扇子を揺らしながらPが現れた。

「暑っちぃ……ほい、凛、お待たせ」

出入り端でPが手招きをする。
凛は美優に手伝ってくれた礼を述べ、ノートはじめ荷物を鞄にまとめて立ち上がった。

アイドルたちが口々に、「Pさんとお誕生日デートですかぁ?」と訊いてくるのを、
否定も肯定もせずウインクでやり過ごし、Pの許へ向かう。


324: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:56:52.43 ID:+Qc3jrsMo

歩み寄ると、「いやー……今日はヤベェな」と胸元を扇ぎ、Pはどうにもならないぼやきを零した。

「確かに今日は異常な暑さだけどさ、何よりも長袖のスーツなんか着込んでるからでしょ?」

ワイシャツこそ半袖であれ、見るだけで暑くなる黒い上着に身を包む目の前の男へ、呆れたように目を遣って凛は云った。

凛自身も、日焼け防止のために、長袖のブラウスとロングパンツを着ているとはいえ。

しかしそれは明るい白色系だし、生地もとても薄いものだ。

Pは溜め息をつきつつ、

「残念なことに企業戦士はこの格好でいなきゃならないんだよ」

そう愚痴をこぼし、「ほら、持つよ」と凛の鞄に手を伸ばした。

「ん、ありがと」

「今日は随分と重いな」

普段は持ってこない大きなサイズの鞄が、ぱつぱつに膨らんでいて、それを上下にゆっくり動かしながら云う。


325: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:58:04.02 ID:+Qc3jrsMo

「みんなからプレゼントをたくさん貰ったからね」

凛が部屋の中へ腕を広げてにこっと笑った。

「それを見越して、今日は大きめの鞄を持ってきたわけか」

「ふふっ、そういうこと」

星井美希のように、人差し指を立ててウインクした。

「祝ってくれる仲間がいるってのは、いいもんだよな」

休憩室で賑やかにしているアイドルたちを眺めて云うPの言葉に、
凛も同じように室内を振り返って「うん、恵まれてると思うよ私も」と感慨深気に、優しい口調で同意した。


326: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 00:59:21.70 ID:+Qc3jrsMo

Pが出口の方へ親指を動かして、凛を促す。

「さて、予定を空けたはいいが、何をしたいのかまでは訊いてなかったな。ひとまず車を出そう」

「え、社用車使えるの?」

「ンなわけないだろ。どうせ車を出すことになるだろうと思ったから自前の持ってきたんだよ」

二人、廊下を並んで歩きつつ、若干やれやれ、と云う雰囲気で答えると、凛は不思議そうにしていた顔から一転、笑みを綻ばせた。

「準備いいね。私、プロデューサーのマイカーに乗るの初めて」

「お前だけじゃなく、アイドル含め事務所の人間は、これまで乗せたことないよ」

一瞬ちらりと凛を見て、すぐに視線を前に戻してからPは告げた。


327: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:00:53.74 ID:+Qc3jrsMo

凛は心底驚いた様子で、上半身を回り込ませるようにして、Pの顔を見ながら訊く。

「えっ、銅さんや鏷さんとかも?」

「ないよ」

「ちひろさんさえ?」

「ないよ。って云うかそれ人選おかしい」

「……そんな車に、私を乗せちゃっていいの?」

と、自らを指差して問うた。

「別に構わんよ。タイミングがなかっただけだしな。で、どこか行きたいところあるのか?」

そう訊ねると、凛は首を斜めにして考えつつも、特段の目的地を決めているわけではないようであった。


328: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:02:27.68 ID:+Qc3jrsMo

「んー、特にここ行きたい、って場所はないよ。プロデューサーとゆっくり一緒にいられればいい」

「随分とまあ男冥利に尽きることを云ってくれるが……それはアイドルが発していい言葉じゃないぞ」

最近の凛は、こんなことを云う頻度が明らかに増えた。その度に、嬉しくも複雑な感想をPは得るのだが。

「まあまあ、そんな気にしてたら鏷さんみたいに禿げ上がっちゃうよ?」

歩いていながらにして器用な手付きで髪をアップに結い、普段通りの笑みを浮かべた。

しかしその笑顔とは逆に、非道い云い様だ。

「あいつ、深刻な風評被害に苦しんでるんだぞ……」

「そうなの? あの人いっつも飄々としてるように見えるけどね」

「陰ながら哭いてるんだよ」

鏷のために一応のフォローは入れたものの、P自身が笑いを噛み殺しているので説得力はない。


329: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:03:33.81 ID:+Qc3jrsMo

事務所の受付を通り過ぎ、ビルの自動扉を抜けると、殺人的な熱気と日射しが二人を襲った。

「うわ、あっつ……。ひとまず、暑過ぎてどうにもならないから、避暑できる場所がいいな」

あまりの陽の強さに、凛は額の前に掌を掲げて、片目を瞑る。

「避暑か。かといってどこかクーラーの効いた建物に入るのも本末転倒だよなぁ」

それじゃこの事務所に居ても変わらないもんね、と凛も同意した。

「じゃあ……ちょっと遠出するか」

「遠出? どこどこ?」

「着いてのお楽しみだ。行きしなに軽くメシでも食おう」

Pはニッと笑いながら、 アルシオーネの鍵を開けた。


330: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:14:19.48 ID:+Qc3jrsMo


・・・・・・

「ところでさ――」

事務所を出発し、首都高速芝公園ランプへ向かって走り出すと、不意に凛が話し掛けてきた。

「――これ、バック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくる車みたいだね」

ポンポン、とダッシュボードに触れる。

「まあ、時代……ってやつだろうな。俺より歳上だし、コイツ」

凛の言葉に、Pがシフトを二速から三速へ入れつつ答えると、彼女は少々驚いたようだ。

「えっ、そんなに古いんだ? 確かに普通のと雰囲気が全然違ってカッコイイね」

今の十代の子たちにとって、バブル時代の製品は、古臭いのではなく、逆に格好よく映ると聞いたことがある。


331: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:15:14.95 ID:+Qc3jrsMo

「ふふっ、美世が見たら喜びそう」

凛は、第二課の原田美世の名前を出して微笑んだ。クルマ・バイクいじりが趣味のアイドルだ。

「見慣れない機器ばかり……この変な差し込み口なに?」

オーディオのパネル部分を指差して訊いた。

首都高速へ合流するのに若干の時間差を置いてから「それはカセットテープのデッキだ」とPが答えると、
凛は口を小さく開けて顎に指を当てる。

「カセットテープ? 名前だけは聞いたことあるけど、初めて見た」

「……お前の世代だと、初っ端からiPodだもんな。MDもギリギリ範囲内か」

「うん、初めて買ってもらったのはiPod miniだったよ」


332: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:16:51.00 ID:+Qc3jrsMo

Pと凛とは八歳離れている。

丁度、時代や技術の転換期だったせいも多分にあるだろうが――

しかし、たったそれだけの歳の差であっても、大きなジェネレーションギャップを感じることにPは戦慄した。

「俺ももう若くねえな……」

苦い顔をして呻くように云うと、凛は大きく笑った。

「ふふっ、なあにプロデューサー、まだまだそんなこと云うトシじゃないでしょ?」

「だって俺は、カセットテープに文科放送の深夜番組を録音して楽しんでたような世代だぜ……」


333: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:18:01.41 ID:+Qc3jrsMo

「そうは云ったって、私と八歳しか離れてないんだから」

凛は手を縦にひらひらと振った。

「でも、これだとiPodはおろかCDさえ聴けないね。新しい車にしないの?」

「一応、iPodやCDをこのデッキで聴ける機器を積んであるから大丈夫さ。
 コイツは、免許取ったときに親父からお下がりで貰ってな、乗ってるうちに愛着が湧いちまったんだ」

凛を横目で見ながら「それに、これで実家戻るとお袋が喜ぶんだわ」と付け足した。

「うん? プロデューサーのお母さんが? なんで?」

凛はきょとんとした顔で、視線を前景からPへ移した。

「若い頃の思い出が甦るんだと」

Pも視線を少しの間だけ凛へ向けて答えると、凛は、さらに、不思議そうに小首を傾げた。


334: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:18:56.02 ID:+Qc3jrsMo

続けてヒントを出す。

「まあつまり、親父たちは、結婚する前からこのクルマに乗ってたわけで――」

「――あっ……」

そうか。


――私が今いる、この場所に、プロデューサーのお母さんが座っていたんだ……

Pの両親がデートにも使っていたであろうこの車。

男と女から夫と妻、そして父と母へ移りゆき――そして、その同じ位置に今、Pと凛がいる。

それに気付いた凛は少し頬を染めて、それを悟られまいと、左窓から見える景色に目を移した。


335: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:19:49.05 ID:+Qc3jrsMo


そのまま中央道を飛ばすことしばし。

途中の談合坂SAでB級グルメを楽しんだりして、富士山麓は鳴沢村の氷穴が見えてきた。

「ほい、着いたぞ。ここだ」

駐車場に停め、そう云って助手席を見ると、凛もこちらをにこにこと見ていた。

「おつかれさま」

甘い労いの言葉だった。

「男の人の運転する姿って、どきどきするよね。バックしてスッと駐車する時の振る舞いとかさ、キュンとくるよ」

口の前で両手の平を合わせて、少し照れながら云う。凛らしからぬ言葉だ。


336: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:20:45.90 ID:+Qc3jrsMo

「社用車じゃこんなことは感じないんだけどね、なんでだろ」

確かに、アイドルたちの送迎等で社用車を頻繁に運転しているが、こんなことはまず云われない。

味気のないライトバンなのだ、然もありなむ。

「初めて乗ったプロデューサーのマイカーだから、かな? ふふっ」

サイドブレーキのレバーを、すっ、と中指で艶かしく撫でた。妙に色っぽい仕草だ。

「ほらほら、馬鹿なこと云ってないで、行くぞ」

「あっ、待ってよ」


337: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:22:48.11 ID:+Qc3jrsMo

車を降りると、相変わらずの暑気が二人を包んだ。

「うわ……ここまで来てもまだ暑いね……」

凛は後部座席から、持ってきておいた、つば広の丸い麦藁帽子を取り出して冠る。

「そうだな、まあ今は一日で最も暑い時間帯だしな」

Pが、車のドアをロックしながら答えた。相変わらずスーツを着たままだ。

「ねえプロデューサー、仕事はもう上がったのに、まだその格好してるの?」

「……残念なことに企業戦士はこの格好でいなきゃならないんだよ」


338: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:24:08.20 ID:+Qc3jrsMo

「さっきも云ったでしょそれ」

凛はくすくすと笑った。

そして、看板の文字を、尋ねるように読む。

「……なるさわ……ひょうけつ? 氷の穴?」

「溶岩の穴であって、氷で出来ていると云うわけではないが、昔は氷の貯蔵に利用されてたって話だ」

「へえ、天然の冷蔵庫みたいなものだね」

そのまま入口に立つと、まるで黄泉比良坂みたい、とPを振り返って云った。


339: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:25:17.21 ID:+Qc3jrsMo

鬱蒼と森が連なる樹海に、ぽつんと、それでいて大きく口を開けている孔。

凛の表現通り、この場所が見せる光景は、まさに、異質なコントラストだ。

夏休みなので混雑を覚悟していたが、逆に盆でみんな帰省しているのか、思ったほど人は多くなかった。

車中で変装はばっちり済ませてあったので心配はない。しかし、やはり避暑ならあまり人は多くない方がいい。
あくまでも気分的な問題だ。

二人、穴への階段を降りていく。

歩を進めることしばし。明確に気温の変わるラインがあった。


340: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:26:17.69 ID:+Qc3jrsMo

「うわ、いきなり涼しくなったよ」

凛がはしゃいで、軽快に階段をステップして行く。

「プロデューサー、早くおいでってば」

少し降りた先で手を招いている。

下が滑るから気をつけるようにな、と忠告してPはゆっくりそれについて行くと、

「じゃあ、転ばないようにしないとね?」


341: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:27:15.53 ID:+Qc3jrsMo

云うや否や、すっと腕を組んできた。

その動きは実に素早く自然で、Pが驚き抵抗する隙も与えないほどであった。

「おい、お前――」

「別にいいでしょ、こう云う刻くらい」

諌めようとする言葉を遮り、

「それにアイドルに転んで怪我される方が避けるべきことだと思うけど?」

そう云ってつんと澄ました笑顔を向けてくる。

「それにしたってお前、そんなに密着すると胸が――」

「当、て、て、るんだよ、ふふふっ」

再び言葉を遮って、意地の悪い笑顔に変わる。

はぁ、と軽く溜め息をつき、「あまり大胆なことはするなよ」と釘を刺すも、振りほどくことはせず、並んで降りて行った。


342: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:28:56.18 ID:+Qc3jrsMo


「うわぁ……」

洞窟の最奥まで到達すると、そこには氷塊がずらりと鎮座していて、寒色のライトの効果もあり
非常に幻想的な雰囲気を醸し出している。

その光景に、凛はただただ感歎の息を吐いた。

しかし一番奥ということは気温も一番低い。
凛の組んだ腕から、感嘆したと云う理由だけではない震えが伝わってきたので、
一度腕を解いて、Pは着ていたスーツの上着を凛に羽織らせた。

「あ、ごめん……」

「どういたしまして、お姫様」


343: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:30:28.28 ID:+Qc3jrsMo

スーツに腕を通しながら、凛は上目遣いで訊いてきた。

「ねえ、もしかして、あんな気温の中、車を降りてからも暑苦しい上着を着てたのって――」

「はて、何のことやら?」

この為だったのでは、と云う凛の言葉を、今度はPが遮る番だった。

「……ありがと」

急にしおらしくなる凛。

しかし再び組み直したその腕は、力強く引き寄せるものだった。


344: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:31:33.49 ID:+Qc3jrsMo


ゆっくりと30分ほどで廻り終え、階段を上がると、やはり明確に気温の変わるポイントがあった。

25℃以上もの上昇に、凛は多少名残惜しそうに離れ、スーツを脱いでPに返した。

つい今しがたまで寒いくらいだったのに、外へ出ると一気に汗が出てくる暑さ。

身体がびっくりしてしまいそうだ。


345: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:32:36.00 ID:+Qc3jrsMo


――

堪らず、氷穴売店へと駆け込むと、そこで、あ、と凛が声を上げた。

視線の先には、信玄パフェなる甘味がある。

Pを見る凛。無言の――それでいて有無を云わさぬ――おねだりに、苦笑しながらその氷穴限定なパフェを一つ、オーダーした。


売店前のテーブルで待っている凛の許へ持っていくと、「あれ? 一つでいいの?」と訊ねてきた。

「ああ、俺はいいよ。気にせず食いな」

そう云って、ソフトクリームと信玄餅がコラボしたパフェのカップを渡した。


346: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:33:58.39 ID:+Qc3jrsMo

「じゃあ半分コ、しない? 思ったより大きいからさ、これ」

「そうか? それなら凛がまず気の済むまで食べるといい。俺は残った分で構わんよ」

「そんなわけにもいかないでしょ。ほら、一緒に食べよ? あーん」

そう云ってスプーンをPへ向ける。

「おいおい流石にそれはいかんでしょ」

「いいってば。ほら、融けて垂れちゃうよ。早く早く」

そう急かされてはまともに考えられない。結局ぱくりと食べてしまった。

「あ、なかなかいけるなこれ」

「ホント? どれどれ……」

と凛はそのまま自分の分を掬って口へ運ぶ。


347: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:35:16.41 ID:+Qc3jrsMo

「うん、きなこと黒蜜とソフトクリーム、合うね。おいしい」

頬に手を当てて、にこにこと笑みを浮かべた。

「信玄餅の触感もアクセントになってるな」

「そうだね、私は信玄餅も好きだから、この組み合わせ気に入っちゃった。はい、もう一口あーん」

Pは済し崩し的に何回か食べさせられることとなった。

「……そういえば沖縄の波照間島に、きなこと黒蜜たっぷりのスペシャルかき氷があるとかなんとか聞いたことがあるな」

「えっなにそれ! 食べてみたい!」

ふと思い出して口から出た言葉に、凛は食いついた。


348: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:36:09.31 ID:+Qc3jrsMo

「まあ波照間なんて往くのは相当めんどくさいから、何かの機会がないと難しいだろうけどな」

「沖縄とか石垣とかの方のお仕事獲ってきてよ」

そんな無茶な要求をしてくる。余程きなこ氷が気になったのだろうか。

沖縄の方の仕事、何かあるかなと思案していると、パフェのカップが残り少なくなっていた。

それを見て、ふと、

「凛、あーん、してやろうか?」

そう何気なく、実に何気なく云った一言。


349: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:37:09.79 ID:+Qc3jrsMo

凛の顔面がまるでボンッと音を立てるかの如く一気に紅くなり、「え、い、いいよ」と、もじもじした。

どうやらPへは平気で「あーん」と云う癖に、いざ自分がやられると大分恥ずかしいらしい。

その反応が面白くて、ついついからかってしまう。

「ほら貸してみろって。はい、最後の一口、あーん」

にやりと笑いながらスプーンを凛の方へ差し出すと、つんとした顔で、素早く、ぱくっと食いついた。

「ああッ! あーんって口を開けたところへゆっくり入れてやろうと思ったのに!」

Pが大袈裟にショックを受けた振りをすると、凛はベーっと舌を少しだけ出した。

しかしすぐに笑みに換えて云う。

――なんだか、本当にデートみたいだね、ふふっ


350: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:38:37.39 ID:+Qc3jrsMo


・・・・・・

ささやかな避暑を終え、事務所へのお土産などをゆっくり見つつ都内へ戻って、少々奮発したディナーを済ませたのち。

Pと凛は、臨海副都心へ。

喧噪のウエストプロムナードや『海の向かう広場』を避け、
10号埋立地との境にある、センタープロムナードの『夢の大橋』へ来ていた。

「綺麗……」

橋上のベンチに座った凛は、その美しさに嘆息し、しばらくの間、何の声も出さない。

眩い橙に輝く灯と、遠くビジネス街から洩れるビルの照明、高層建築屋上の点いては消える赤灯。

奥にはパレットタウンの、色彩豊かな観覧車が光を撒いている。

何よりも――これだけの好ロケーションでありながら、人通りが皆無で誰にも邪魔されない。

東京で随一のロマンティックスポットであった。


351: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:39:31.37 ID:+Qc3jrsMo


「綺麗だな」

そう呟くPの言葉に、パレットタウンの方を向いていた凛が振り返った。

素敵な景色に、眼を輝かせて云う。

「ちょくちょく仕事で来る湾岸スタジオの傍に、こんな素敵な場所があったなんて――知らなかった……」

台場側のウエストプロムナードならまだしも、こんな時間にこの周辺を歩く用事なんて
ほとんどないのだから、或る意味当然か。

その瞳には、大橋の明るい照明が映り込んで、更に輝いているように思えた。

周りには、誰もいない。通る人は、誰もいない。

まさに独占状態。


352: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:40:32.74 ID:+Qc3jrsMo

「この分なら、髪は下ろしちゃっても大丈夫そうだね」

そう云って凛はアップにしていた髪を解いた。

さらり、と滑り落ちる長い絹が、麦藁帽子と組み合わされ、これもまた可愛い。

「凛はどんなヘアスタイルでも、どんな帽子でも、どんなファッションでも可愛く綺麗にこなすよなあ」

Pが率直な感想を述べると、凛は「そ、そんなことないよ」と少し照れた。


353: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:41:40.38 ID:+Qc3jrsMo


寸刻ののち。

「……プロデューサー、今日はありがとね」

凛はPの顔を見上げ、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「こんなに楽しい誕生日、初めてだったよ」

「これくらいでよければ御安い御用ざんすよ」

軽い調子で述べるPの仕草に、凛は微笑む。

「じゃあ私、プロデューサーのバイクにも乗ってみたいな」

Pがバイク乗りであることを知っているとは、夏樹辺りにでも聞いたのだろうか。


354: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:42:40.46 ID:+Qc3jrsMo

「今度機会があったらな。万が一転倒でもしたら天下のアイドルに傷がついちまうから、少し気が引けるんだが」

「そしたらそしたで、責任とって私のこと貰ってくれるでしょ?」

「ボケ。……おっ、観覧車の色が変わった」

Pが少し顔を挙げて独り言ち、凛は再びパレットタウンの方向を向く。

「あれって色々なパターンがあるんだね」

「だな、飽きさせない光だ」

それらが水面に映され、ゆらゆらと揺れている。

観覧車の向こうには、羽田空港から飛び発つ飛行機の光が、ゆっくりと動くのが見える。


355: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:44:08.71 ID:+Qc3jrsMo

「これだけ夜景に溢れてるのに、私たちだけしかいないなんて、何だか不思議な気分」

「人工の光に溢れる世界、しかしそこには、お前と俺しか存在していない……」

「そう、そんな感覚」

凛が、観覧車の光を眺めたまま、プロデューサーは中々ポエティックだね、と笑う。

「……かもな」

そう云いながら、Pは、凛の瞳の前に、ネックレスをぶら下げた。

オーバルブリリアントにカットされた、一粒の宝石。

それは親指の爪ほどもある、大きな大きな菫青石だ。


356: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:45:07.21 ID:+Qc3jrsMo

驚いて、凛が振り向く。

「これ……私に?」

「アイオライトの首飾りだ。気に入ってくれると良いんだが」

Pはゆっくりと頷いて云った。

凛は不意の贈り物に声を出せず、細く綺麗な指で、白く輝く、蒼い宝石をそっと撫でる。

「アイオ……ライト……私の、誕生石……」

「ああ、素敵な石だ」

「綺麗……」

夜景を見た時よりも、さらに心の深い場所から紡がれた短い言葉。


357: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:46:22.73 ID:+Qc3jrsMo

しばらく、愛しむ眼をしながら撫でたのち、麦藁帽子を脱いで肩口からゆっくりと髪をかき上げた。

「ね、つけてくれる?」

そう云って半身になり、うなじを露出させる。

「お姫様の仰せの儘に」

Pの腕が凛の首を回り込み、小器用に留め具をつなげると、アイオライトが鎖骨の間に坐りよく落ち着いた。

「ふふっ、ありがと。どう?」

かき上げた髪を解放した左手を、胸の辺りに添え、小首を傾げて問う。

「とても似合ってるよ。お前のための石が見せる、お前のための蒼だ」


358: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:47:19.01 ID:+Qc3jrsMo

満面の笑みを浮かべる凛に、Pは更に花束を背の影から取り出す。

蒼い岩桔梗をメインに、季節の花をあしらった花束。

「お前に合いそうな花を見繕ってみた。
 あまり花には詳しくないから、花屋の娘にとっては、頓珍漢なセレクトかも知れんが」

差し出された花束に、驚いた顔をして、笑う。

「ううん、嬉しいよ。とっても」

「そうか、よかった」

そう云って、岩桔梗を一輪だけ抜き、凛の髪へ挿した。

「18歳の誕生日、おめでとう」


359: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:48:31.15 ID:+Qc3jrsMo

即席の髪飾りに、凛は、はにかんだ。

「ありがと、……プロデューサー」

花弁に触れて、微笑む。

「……ねえ、プロデューサー、岩桔梗の花言葉、知ってる?」

花屋らしい質問に、Pは記憶をフル回転させる。

「んーとだな、……美点の持ち主……だったっけ?」

「うん、正解」

その答えに、凛はゆっくりと頷いた。

「他には感謝とか。でもね、何より……」


360: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:49:40.50 ID:+Qc3jrsMo




――誠実な恋、と云う意味があるんだよ。




361: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:55:46.27 ID:+Qc3jrsMo

そう云って、花束から、もう一輪の岩桔梗を抜いて、

Pの胸ポケットへ挿し込んだ。

真剣な顔で、じっと、目を見詰めたまま。


362: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:56:51.39 ID:+Qc3jrsMo


・・・・・・

観覧車の光が変化するのを見ていると、私の目は、不意に塞がれた。

遠くの景色から近くの物へフォーカスを合わせるのに時間がかかったけれど、

そこには。

綺麗な宝石がゆらゆらと微かに揺れていた。

……え?


363: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:57:27.20 ID:+Qc3jrsMo

驚いて振り返ると、笑みを浮かべたプロデューサーが、ネックレスを垂らしていた。

これ……私に?

プロデューサーは頷きながら、アイオライトだと云った。

私の――誕生石。

まさか、私の誕生石を贈ってくれるなんて。


364: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:58:30.90 ID:+Qc3jrsMo


目の前の男性―ひと―への愛しさが、込み上げてきた。


365: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 01:59:32.23 ID:+Qc3jrsMo

驚きのあまりほとんど何も云えずに、目の前の大きな粒を撫でることしかできなかった。

そしてそれによって角度が少し変わるたび、綺麗な反射光がまるで生きているかのように動いた。

私の我が儘を聞いて、プロデューサーが、ネックレスをつけてくれた。

首の周りにプロデューサーの体温を感じた。

――似合ってるよ。

私のための石が見せる、私のための蒼だと云ってくれた。

まさか、そんな言葉を掛けてくれるなんて。


366: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 02:00:25.77 ID:+Qc3jrsMo


目の前の男性―ひと―への愛しさが、もっと込み上げてきた。


367: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 02:01:02.76 ID:+Qc3jrsMo

さらには、蒼い花束までプレゼントしてくれた。

即席の髪飾りをこしらえてくれた。

――18歳の誕生日、おめでとう。

まさか、こんなに綺麗な、ロマンチックな方法で祝ってくれるなんて。


368: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 02:01:44.26 ID:+Qc3jrsMo


目の前の男性―ひと―への愛しさが、どんどん込み上げてきた。


369: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 02:02:21.69 ID:+Qc3jrsMo

そして、私の胸は、ついに一杯になってしまった。

もう、止まらない。

ボールが、坂道を転がり出してしまったのだ。


「――誠実な恋、と云う意味があるんだよ」


そう云って、私はプロデューサーの胸ポケットへ岩桔梗を挿し込んだ。

もう――止められない。


370: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 02:05:20.43 ID:+Qc3jrsMo


・・・・・・

凛は、Pの目を見詰めて逸らすことはなかった。

無言で、二人の視線は絡み合い、刻が過ぎてゆく。

「凛……お前……」

「いま、プロデューサーが、アイオライトをくれたよね」

ふと、凛が表情を緩め、ネックレスの宝石を撫でて云った。

「アイオライトは、“人生の羅針盤”、アイデンティティを呼び覚ます石なんだって」


371: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 02:12:27.21 ID:+Qc3jrsMo

瞼を閉じて続ける。

「――ぴったりだと思わない? プロデューサーは、まさに私を導いてくれる羅針盤」

再び、眼を開けて、まっすぐPを見詰めた。

「そして、私自身の『アイデンティティに不可欠な』男性―ひと―……」

「凛、待――

Pが止めようとする前に、凛は想いの丈を告白した。


372: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 02:15:05.23 ID:+Qc3jrsMo



ねえ、プロデューサー。

本当はこんなこと云っちゃいけないんだろうけれど。


「凛! それを明確に口に出しては駄――


373: ◆SHIBURINzgLf 2013/09/21(土) 02:17:29.89 ID:+Qc3jrsMo





私は、あなたが――好き。

あなたなしでは、もう、生きていけない。








転載元:凛「私は――負けない」
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1379170591/



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