1: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:01:57.44 ID:gH8+Nsnt0
──海岸の道路
コツ コツ
速水奏「いい夜ね」

プロデューサー(以下、P)「ああ。風は穏やかだし、晴れて星も見える」
奏「夜はどうにか涼しくて」
P「いま時期にしては、いい夜かもな」
奏「でしょう」
ザザ…
奏「波の音が聞こえるのはどう?」
P「それはいいけど……黒くてなんも見えないな」
奏「夜の海ってなんでこんなに黒いのかしら」
P「なんというか、太陽がないからとしか」
奏「それはつまらないわ、Pさん」
P「そうか、それなら…… 海だって夜は寝ているから、とか」
奏「ふふ、そっちの方が好き」
2: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:02:36.26 ID:gH8+Nsnt0
ブゥン…
P「車通りはまだあるな」
奏「真夜中なのにね」
P「観光地だからかな」
奏「でも、ホテルへのバスはもうない」
P「今からタクシー呼んだって良いんだぞ」
奏「歩くの疲れた?」
P「そんなことはないけど……いや、もう少し歩きやすい靴が良かったなとは」
奏「ふふ、一日お疲れ様」
P「それはこっちもだ。一日撮影だったのは奏の方なんだから」
奏「そうね。……でも、見ていたよ、カメラマンさんとやり合っているの」
P「え? ああ、あれか」
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3: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:07:37.05 ID:gH8+Nsnt0
奏「グラビアじゃない、なんて聞こえたかしら」
P「写し方が露骨だったんだよ。コンセプトの説明したのに」
奏「うちの商品を安売りされては困る、って?」
P「そんなこと言ってない」
奏「今日はね。でも、前に」
P「うん?」
奏「ほら、映画撮ったときに、監督さんに。あったでしょう?」
P「あのサメ映画か。……その時は言ったけど」
奏「思い出すな、あの時は美波と歩いたっけ」
P「ああ、メールがあって何かと思った。あれはまだ早い時間だったから良かったけど」
奏「今日はもう、終電も過ぎた時間だものね」
奏「プロデューサーさんと一緒じゃなかったら、こんなにのんびりできていなかったわね」
P「幸い、観光地で人通りがあるからな。そうじゃなきゃさっさとタクシーだ」
奏「確かに、人がいない方が怖いかも」
4: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:08:16.72 ID:gH8+Nsnt0
奏「ねぇ、みんなどう思うかな」
P「どう?」
奏「誕生日が来る夜に速水奏は」
奏「自宅の部屋で、スマホを見ながら祝われているのを楽しみにしている、とか」
奏「友人たちに囲まれながらパーティーをしている、とか」
奏「そんなことを思われているんじゃないかなって」
奏「よもや、男の人と二人で海辺を散歩しているなんて、思ってもないでしょう?」
P「いろいろ語弊がありそうな」
奏「でも事実」
P「状況だけなら、まぁ」
奏「実際はちがう?」
P「担当のわがままに付き合っているだけだろう?」
奏「嫌々?」
P「嫌とは言わない」
P「でも、ホテルまで歩いて帰りたいってだけで、理由は言ってくれない」
奏「1時間半くらいの散歩、というのではダメ?」
P「夕飯、わざと引き延ばしたろ。そうまでしてやることでもない」
奏「……ふぅん、わかってて乗ってくれたのね」
P「わかっているかは知らない。でも、たぶん必要なんだろう?」
P「奏にとって、夜の海岸を歩く時間が」
5: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:09:13.02 ID:gH8+Nsnt0
奏「そうね……」
奏「うん、確かに要るのかも。……でも、一人じゃダメなのよ」
P「流石に一人は困る」
奏「そうじゃなくて」
奏「一人じゃなくて、誰かと、が必要だってこと」
P「ああ…… そうか」
奏「なんで、って聞かないの?」
P「聞く必要があるなら聞くよ」
P「予定が詰まっているわけじゃないし。やりたいってなら、やっていい」
奏「うーん…… それも、あまり面白くないわ」
P「そういう話だったか?」
奏「ただのボディーガードをお願いしたわけじゃないの」
奏「おしゃべりができて、思い出を話せる人」
P「……」
奏「あとは、少し刺激的な人と、いたいなって」
P「……それはちょっとくすぐったいな」
奏「ふぅん? 自分のことだと思っているんだ?」
P「なっ…… おい」
奏「冗談よ」
奏「もちろん、あなたが良かったって思ってる」
P「……はぁ」
奏「ふふふっ」
6: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:09:44.92 ID:gH8+Nsnt0
ピピッ
奏「日付変わったわ」
P「……」
奏「さて、プロデューサーさん。何か言いうことは?」
P「……誕生日おめでとう」
奏「ありがとう」
奏「ふふ、一番に聞きたくて、通知切っちゃっていた」
ピ ヴー ヴー
奏「あら、すごい通知」
P「事務所の自動投稿も…… よし、問題ない」
奏「おめでとう。HappyBirthday。ふふ、生まれてきてくれてありがとう、なんて」
奏「お礼リプは朝以降かしらね」
ピ
7: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:10:35.47 ID:gH8+Nsnt0
奏「ありがたい、なんて一言で片づけられないけれど」
奏「本当に、有難いことだと思うわ」
P「うん?」
奏「こうやって、文章で言ってくれる人が、何十人もいて。言わなくても、ハートマークつけてくれる人が何百人もいて。今日一日で、数えきれないほどになる」
奏「たまに嫌なことがあっても、それ以上の人が優しさをかけてくれる」
奏「恵まれてるなって」
P「……」
奏「顔がいいとか、大人っぽいとか、言われたことは一度や二度じゃなかったけど…… それだけじゃ、アイドルってできなくて」
奏「たぶん、私でも気が付いていない、アイドルに必要なものを持っていて。それをみつけて、アイドルになるきっかけを作ってくれる人がいた」
P「……」
奏「だから、私も言いたいの。プロデューサーさんに」
奏「ありがとう」
P「……うん」
P「どういたしまして」
8: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:11:31.75 ID:gH8+Nsnt0
奏「18かぁ」
奏「大人になった実感なんてないなぁ」
奏「Pさんはある? 大人の自覚」
P「はは…… ある、と言いたいけど」
奏「やっぱりそんなものなのね」
P「まるっきり子どもの気もないけどな」
P「仕事でも遊びでも、やったことに責任をもつ。取れないならツケは自分に回ってくる。それが分かってるなら」
奏「じゃあ、うちのアイドルって、小学生の方が大人だったり?」
P「……一部はそうかも」
P「そりゃぁ全部まじめにやるのがベターだけど、誰もができるわけじゃない。うちにも放り出す天才がいるだろ」
奏「ああ……」
P「あれはあれで、結果は受け入れてるんだから、子どもという気もない」
奏「……」
P「奏は大丈夫だよ」
9: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:12:21.11 ID:gH8+Nsnt0
ザザ…
奏「海風がべたついてきたわね」
P「そりゃ仕方ない」
奏「ね」
P「嫌なら、今からでもタクシー呼ぶぞ」
奏「だーめ、歩くって決めたの」
P「まぁ、もういまさらだな」
奏「ええ。あら……?」
P「ん、視界が開けたな」
奏「すごい、見て。絵にかいたみたいな砂浜」
P「ここは…… ふーん、海水浴場。サーフィンで有名か」
奏「降りていい?」
P「明かりがない、スマホのライト点けて足元注意」
奏「はーい」
10: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:13:01.56 ID:gH8+Nsnt0
ザッ ザッ…
奏「あの時の砂浜にちょっと似てない?」
P「あの時?」
奏「ほら、沖縄の」
P「ああ。あの時か」
奏「あの衣装、素敵だったわね」
P「ピンクのな、可愛いって評判になった」
奏「評判じゃなくて。目の前の感想を聞きたいわ」
P「そりゃ、もちろん」
奏「もちろん?」
P「綺麗で、可愛かった」
奏「ふふ……ありがとう」
11: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:13:48.48 ID:gH8+Nsnt0
P「昼に晴れていたら綺麗な浜なんだろうな」
奏「あら。夜でもいいじゃない」
P「昼より怖くないか。海も真っ暗」
奏「海は黒いけど…… 夜は、優しいから」
P「優しい?」
奏「すべて隠して包んでくれるような、平等な優しさ」
奏「そんな優しさに逃げ込んでいたところで」
奏「あなたに会ったのよね」
ザザーン…
奏「覚えている? あなたと会ったのも、海辺だった」
P「そうだったかな」
奏「……悪い人。覚えてるくせに」
12: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:14:20.74 ID:gH8+Nsnt0
奏「覚えているかしら? あの時のこと」
P「会ったのは覚えてるよ」
奏「じゃあ、話したことは?」
P「……」
奏「ごまかす人の無言よ、それ」
P「……敵わないな」
奏「あの時のあなたの言葉、まだ覚えてる」
P「スカウトしたのは覚えてるし、その時の奏の言葉も、覚えてる」
奏「本当?」
P「忘れられるものじゃないだろ、あれは」
奏「そうね……ふふ、それなら嬉しい」
P「こっちは真剣だったけどな」
奏「あら、私だって真剣だったわ」
P「それは、嘘だよ」
ザッ
奏「……嘘?」
13: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:14:58.84 ID:gH8+Nsnt0
P「誰とも知らない男に、キスしてくれたら、なんて冗談でしかない」
奏「まるきり冗談、なんて」
P「でも本気じゃなかった」
奏「……本気じゃなかった」
P「捨て鉢なところはあったんだろうけど」
P「躱せるところをどこかに残していた」
P「違うか?」
奏「……」
奏「そっか」
奏「あの時、本気じゃなかったんだ。私」
奏「だから、安心して答えたの? 私に、そんな気はないって思ったから」
P「はは、俺はそんな器用じゃない。あんなこと言われて動揺しないなんて無理だよ」
P「あの時は真剣だった。余裕がないくらい」
奏「……余裕がないくらい、ね」
14: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:15:30.33 ID:gH8+Nsnt0
奏「……」
P「……」
奏「ふぅん」
奏「そこまでして、スカウトしたかったんだ」
P「仕方ない。本当に、見てわかるくらい、原石だったんだ」
奏「……どんなところが?」
P「うん? ……じゃあ、言っていくと」
P「高校生とは思えない、端正な顔」
P「絵になる表情」
P「挑発的な物言い。でも、話してみたらわりとマジメ。そして、マジメなりにその枠を越えようとしたりしている」
P「そうだな…… 映画好きで培った、ちょっと変な語彙も」
奏「ちょっと変って何よ」
P「変だろう。だいぶ面白い」
奏「そう……?」
P「そう」
15: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:16:00.85 ID:gH8+Nsnt0
P「あとは」
P「思っていたより、寂しがり屋とか」
奏「……そうね」
奏「あのころは、家のこともあったし」
P「……そうかもな」
奏「いいのよ、大丈夫」
奏「今は、みんながいるから」
P「ああ」
P「そのどれもが、いまの奏を形作る元になっている」
P「奏の言った通り、顔の良さだけじゃアイドルは務まらない」
P「顔以外でも奏に魅力あったから、できているんだろう」
奏「……なら、それを知らないあなたは」
奏「いったい何で、私をスカウトしたのかしら?」
奏「あなたがスカウトした決め手は、何?」
16: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:17:28.97 ID:gH8+Nsnt0
P「……目かな」
奏「……」
P「こんな夜の海岸に、月みたいな色の瞳が、寂しげに佇んでいた」
P「俺が声をかけなくても、誰かが声をかける」
P「それが良い人か悪い人かは、わからないけど」
奏「なら、悪い方に引っかかったのね」
P「おい…… ……まぁ、善意100%とは言わないよ」
P「奏の目の、愁いみたいなものが、魅力なんだろう」
奏「うれい?」
P「上手い言い方が見つからなかった。言葉にするとえらく陳腐だけど」
P「ただ純粋にキラキラしている女子高生とは違う、少し陰のある瞳」
P「大人っぽいのに、大人になりきらない純真さ。そのギャップが」
奏「年上の男性に人気?」
P「……奏のファン層には多いな」
奏「陰のある人って、魅力的に見えるわよね。男女問わず」
P「そういうこと。といっても、最近は屈託のない笑顔も様になっていると思うけど」
奏「ふふ、そっか」
17: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:18:00.34 ID:gH8+Nsnt0
奏「ねぇ。プロデューサーさんの陰は?」
P「おいおい」
奏「不公平よ。あなたは知っていて、私は知らないの」
P「どうかな。教えるほどのものはないし」
奏「そう? でもPさん、嘘つきだしなぁ」
P「……」
奏「……Pさん?」
P「心外って言おうとしたけど、否定できなかった」
奏「ぷっ……あははっ」
P「……もう、1時も過ぎる。十分だろ?」
奏「そう? そうねぇ……」
奏「私は、このまま夜明けを待ってもいいのだけど」
P「さすがにそれはなぁ…… え?」
18: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:18:49.94 ID:gH8+Nsnt0
ズシャ
P「おっ、おい ……奏?」
奏「砂浜、乾いてるし。寝転ぶの、気持ちいいかなって」
P「だからって本当に寝転ばなくても」
奏「星、綺麗よ」
奏「波の音も心地いい」
奏「このまま眠れそうね」
P「それはマジでやめて」
奏「ふふっ。おとな」
P「……」
19: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:19:43.82 ID:gH8+Nsnt0
奏「まだ、少しだけ悩んでいるの」
P「ん?」
奏「この世界の素敵な人たちは」
奏「迷っていたら、道を教えてくれる」
奏「もちろん、あなたもだけど」
奏「私を」
奏「私たちを愛してくれる人たちは」
奏「迷ったままでも、いさせてくれる」
奏「そのままで、肯定してくれる」
奏「なぜ?」
P「……」
奏「それが大人の役目だから?」
P「奏が何を聞きたいのかわからないけど…… たぶん、大人ってだけじゃない」
P「そうやって悩むのを、必要だと思っているから」
P「それがいずれ、糧になると知っているから」
P「そんなところかな」
20: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:20:18.66 ID:gH8+Nsnt0
奏「……」
奏「……そう」
奏「やっぱり、有難いこと、ね」
P「そう。誰にでも与えられるものじゃないよ」
奏「うん……」
P「……迷っているのか?」
奏「え?」
P「何か、その」
P「進退とか」
奏「……ふふ、ふっ」
21: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:21:06.34 ID:gH8+Nsnt0
奏「あははっ、くっく……」
P「おい」
奏「いえ、ごめんなさい……はぁ、ああ、可笑しかった」
P「俺が?」
奏「Pさんじゃないわ。私の、そうね、滑稽さかな」
P「滑稽?」
奏「無理やり夜の散歩に連れだしたり」
奏「いろんな話をして気を引こうとしたり」
奏「挙句に砂浜に寝転んで、駄々こねて」
奏「ああ、本当に」
奏「いい夜だわ」
ザザーン…
22: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:21:40.86 ID:gH8+Nsnt0
奏「……よ、いしょ」ムクリ
奏「あーあ、砂だらけ」パタパタ
奏「ね、後ろお願い」
P「……」パタパタ
奏「ありがとう。行きましょ」
P「え? ……ああ」
ザッ ザッ
奏「ねぇ。続き、しない?」
奏「出会った時の」
P「……」
奏「いまなら私も、真剣に言えるかもしれないよ」
奏「ほら。この唇に」
奏「目を閉じたらきっと、あなたは逃げられない」
P「奏」
奏「……」
P「……」
クルリ
奏「なんてね」
23: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:22:13.78 ID:gH8+Nsnt0
奏「いまも、真剣に考えてくれた」
P「……」
奏「夜の優しさに甘えないように……唇が恋しいときもあったけど」
ザ ザ
奏「おあずけかな」
P「おあずけ?」
奏「本当は、今日ね」
奏「言っちゃおうかなって思っていたの」
奏「18歳でしょう? 言ったっていいって」
奏「だけど、キスも、この後の言葉も」
奏「アイドルが終わるまで、おあずけ」
ザザーン…
P「……」
奏「秘密の方が」
奏「焦がれるままの私の方が」
奏「私が、まだまだ輝きそう」
24: ◆WO7BVrJPw2 2026/07/01(水) 00:22:47.17 ID:gH8+Nsnt0
P「それって、言わなかったことになるのか?」
奏「さぁ? 知らないわ」
P「……」
奏「私はしがない女の子で」
奏「あなたは大人」
奏「もしあなたがアメジストを持っているなら、女神の情動を鎮められるかも?」
P「……大きく出たな」
奏「……」
P「じゃあ、その時に。真剣に答えるよ」
奏「……うん」
奏「そうして、ね」
奏「私、もう17歳じゃないのよ」
奏「夜はこれからかもしれないんだから」
おわり
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